めむろ国語専門塾
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小さな国語塾のつぶやき
真実
先日、一気に「第五番」(久坂部羊著)という小説を読み終えた。内容はネタバレにならないようここでは割愛するが、主人公である天才医師、為頼は特殊な能力を持っており自分の余命を知っている。そのため、意中の女性との将来を案じる・・・。(←ちなみにこれは本書のテーマとは全くかけ離れているエピソード)。著者は現役医師であるため、フィクションとは分かりつつもかなり真に迫ったえぐい内容の小説。さて、先の余命はもちろんのこと様々なことの真実は、時として「知らぬが仏」「言わぬが花」だと改めて思う(もちろん人によりけりで、是が非でも真実を知りたい、言いたいというタイプもいるだろうが)。「言わぬが花」・・・「口に出して言わないほうが味わいもあり、差し障りもなくてよい」、「知らぬが仏」、つまり「知れば腹も立つが、知らないから仏のように平静でいられる」という意味だが、最近では混同し誤って使う人が多いとか。例えば「言わぬが仏」と言った具合に。昔からの知恵が詰まった慣用句や諺に関しては「真実を知り」正しく使うのがベスト!
2015/09/29 13:57
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瑕
「瑕疵(かし)を認める(具体的には約束とは違う物事や状態)」と聞くと何となく分かるだろうが、漢字で書かれると困る言葉。特に購入物に欠陥(品質不具合)があり、約束を果たしていないことを「瑕疵がある」と言う。「瑕疵」とは、「傷、欠陥、欠点」という意味になり「瑕(きず)」は「玉に瑕(『たまにきず』それさえなければ完全なのに、惜しいことにほんの少しの欠点がある場合にいう。)」といった慣用句でも使われる言葉。「玉に瑕」という言葉も聞くと分かるが「瑕」ではなく「傷」と書いてしまいがち。怪しい時はひらがなで書くことがベスト?!ちなみに自身は、むかーしむかしに「玉に瑕」→「たまに(時々)傷がある」→「どんな完璧に見えるようなものや人でも、時々は傷がある」と勝手に解釈していた。ある時に漢字を見て正しい意味を悟った(汗)。慣用句において正しい漢字を書くことは無理でも、逆に意味を捉えるには漢字表記を見るのが一番だと思う出来事。
2015/09/28 13:33
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完璧
「人間はどんなに完璧を目指しても完璧にはなりえない」と聞いたことがある。例えば90パーセントの部分を達成できたとする、次に残りの10パーセントを完璧に近づけようと努力したとしてもどうしても90パーセントしか達成できない。つまり当初の目標のうち99パーセントまで達成できても1パーセントは無理。さらにその1パーセントを努力したとしてもやはりそのうちの90パーセント・・・と結局は完璧はありえないという。さて、「完璧 かんぺき」の「璧」は輪の形をした宝玉のことで、「完璧」は傷一つ無い宝玉の意味である。中国戦国時代に、趙の藺相如(りんしょうじょ)が璧を持って使いに行き、無事持ち帰ったという故事から、仕事を完全に成し遂げる意にも用いられる。よく「壁(かべ)」と間違って書いてしまう人が多いが、完璧の由来を知っておくと下は「玉」と納得が出来、間違うことが少なくなる。ちなみにお店で塾用の備品を購入した際に領収書を書いていただくのだが、「塾」という漢字を書けない、あるいは「熟」と書かれることが多く辟易としている。どう見ても「塾」と「塾」は区別できるでしょう?とツッコミを入れたくなる。ただ、最近は「ナベブタに口、子、右は丸、下は土」と説明することにも慣れてきた・・・。くれぐれも恥をかかないよう漢字はしっかりと覚えておきたいもの。
2015/09/27 03:46
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竹取物語
芽室中学校1年生ではつい最近、「竹取物語」を習い始めたと生徒から聞いた。学校や先生によって進度や、学習する順番は違うのだが、芽室中学校に関して言うならば「粋な計らいだなあ」と思う順番。竹取物語はご周知のとおり、竹の中にいた女の子が成長して月に還っていく物語。月と言えば国語では「秋の季語」、日本では「天高く、馬肥ゆる秋」と言うように、秋の空気はとても澄んで空が高く見え、秋は月がとてもきれいに見える。神事と結びついた伝統行事「中秋の名月」は、月の美しさを愛でる楽しさを思い出させてくれる。今年の中秋の名月は27日(つまり明日)で、28日は満月、しかもスーパームーン。 地球からの距離が最も短くかつ満月(新月)になったときの月がスーパームーン。簡単に言えば、いつに増してとても大きく見える満月というわけで、ヨーロッパ、アフリカ、南北アメリカなど大西洋地域では、このスーパームーンに皆既月食が重なる。明日明後日は一年で一番美しい月を見ることが出来るかも?かぐや姫が作られた平安時代に思いをはせながら月を眺めてみてはいかがか?
2015/09/26 17:27
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名前ポエム
「名前ポエム」というのをご存知だろうか?最近では、色んな記念日やお祝い事のシーンで今や新定番ともいってもいい名前ポエム。名前ポエムは、お祝いしたい人の名前から詩を作り、イラストや模様を添えて額縁に入れて作品にしてもらえるサービスのこと。行きつけの帯広のお店に飾ってあったのがきっかけで知ることになり、先日はン十年前の教え子の出産祝いとして利用した。具体的には「小川」という名前に対しては「小さな一滴の水が、いずれは大きな川になる・・・」と言った具合に名前の漢字を詩中に使って、本人のイメージに合う詩を作るのだ。以前、小学生授業では自分の名前一文字一文字が文頭になるように文章を作ったことがあるが、近々「自分の名前の漢字」を使って詩を作るのも面白いかも・・・とイメージが膨らんでいる。素晴らしい詩が出来たらぜひ、筆で自筆、あるいはパソコン等でデザインして作品にすると家宝になるのではと妄想拡大中。
2015/09/25 13:22
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まさか
小泉純一郎元首相は言葉に鋭敏な政治家だった。次のジョークも聴衆の言葉をつかむ秀逸なものだ。「人生には3つの坂がある。上り坂、下り坂、『まさか』」。下り坂までは分かるのだが、では三つめは・・・?となった時に「坂」ではなくシャレで「まさか」とのたまう。うーん、言葉のシャレのみならず真理を突いていることに、ただただ敬服。さて、昨日までの休日を暇に任せてネットで遊んでいると・・・「マネーの虎に出てた6人の社長がその後に転落した理由を推察してみた 」というタイトルが目に飛び込んできた。若い人は知らないだろうが、「商売を始めたい」という素人のプレゼンテーションに対して納得した社長が資金を出すという企画番組。当時のスポンサーだった社長の何人かが今や転落人生を歩んでいるというのだ。まさに「え?まさか!!!」なのだ。ネットでは「昔に築かれた古い常識」が転落要因では?とまとめている。ここから学ぶことは多い、つまり商売だろうがなんだろうが、「古い常識」にとらわれていてはいけないということ。常にアンテナを張って「今」の自分にとっては何が大切かを見極めることが大切だと実感。一年の半分が終わろうとしている今、いろんなことを見直す良い時期か?
2015/09/24 12:35
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杓子
9月5日付の朝日新聞の天声人語(コラム)に「大人の仲間入りを決める物差しは一つでなくていい」という表現があり、「一つの物差し」→「杓子定規」という言葉を思い出した。「杓子定規」とは《曲がっている杓子を定規代わりにすること、正しくない定規ではかることの意から》すべてのことを一つの標準や規則に当てはめて処置しようとする、融通のきかないやり方や態度。また、そのさま。確かに物を測る時に、すぐそばにあって固いものを当てたくなるのは人間の心理で・・・サッと杓子を当てるイメージからこの言葉が生まれたのかなあと想像を巡らせる。それにしても「猫も杓子も(誰でも彼でも)」という言葉もあり、やはり杓子はあまりよい意味では使われておらず、「なぜ?杓子って便利な優れものなのに・・・」とふと思った。調べてみたところ、語源説は様々だが、「禰子(神主)も釈子(僧侶)も」といったように、立派な人たちでもといったように使われている。これは両方、プラス思考のイメージ、誰も彼もといった表現ならば、猫はマイナスイメージであるのに対して、杓子はプラスのイメージになりうる。便利な杓子の地位が守られておりよかった~なんてことを考える休日。
2015/09/23 08:51
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彼岸、此岸
今年のシルバーウィークは5連休という大型のため、お墓参りはもちろんのこと、レジャー、勉強、人によっては平日よりも仕事が忙しい!と、皆それぞれが充実した日々を送っているだろう。さて、彼岸といえばお墓参りが頭に浮かぶが、彼岸はインドなど他の仏教国にはない日本だけの行事だとか。日本では、神仏両方を共にまつるという風土があるので、太陽神を信仰する「日願」と仏教の「彼岸」が結びついたからという説がある。また、春の種まきや秋の収穫とも結びつき、自然に対する感謝や祈りがご先祖様に感謝する気持ちにもつながって、お彼岸は大切な行事となった。「彼岸(ひがん)」を訓読みにすると「かのきし」となり、悟りを開いたあちら側、逆は「此岸(しがん)」「このきし」となり、煩悩にまみれたこちら側。慌ただしい日常ではどうしても煩悩にまみれるものだが、せめてお彼岸の時期だけでもあちら側に心をはせて、落ち着いた気持ちで過ごしたいもの。自戒を込めて。
2015/09/22 04:30
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やく
「来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや 藻塩(もしほ)の 身もこがれつつ」(藤原定家)【 現代語訳 松帆の浦の夕なぎの時に焼いている藻塩のように、私の身は来てはくれない人を想って、恋い焦がれているのです。】これは百人一首に収められている一首。この歌の主人公は、海に入ってあわびなどの海産物を採る海乙女(あまおとめ)の少女。いつまでたっても来てはくれない、つれない恋人を待って身を焦がす少女。やるせなく、いらだつ心を抱くその姿を、松帆の浦で夕なぎ時に焼く藻塩と重ねて表している。つまり、塩を「焼く」こととやきもちを「妬く(やく)」状態を美しい歌にして表現している。「焼く」には「お節介を焼く」「世話を焼く」で使われるように、「気にかける」という意味があるが「焼きもちをやく」の「やく」の本来の意味は「妬く(やく)」(うらやましく思う、嫉妬する)である。いやはや改めて、漢字は様々な意味や読みがあることを実感させられる。
2015/09/21 09:54
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やばい、うざい
本来は危険な状況を予測するさまなどを意味する「やばい」を「とても素晴らしい」などの良い意味で使うと回答した割合が、16~19歳で91・5%、20代で79・1%に上ることが17日、文化庁による平成26年度「国語に関する世論調査」で明らかになった。面倒くさいことや不快感・嫌悪感を表現するときに「うざい」と言う人も前回の17・0%から20・0%に微増し、特に16~19歳が78・0%と高かった。(ネットニュースより)「やばい」を良い意味で使うことはもちろん知っているが、昔からの習慣で自分自身は「困った!マズイ!」という時に「やばい」と言っており、いわゆる古い人間だと自覚させられる。逆に、「うざい」は流石に口には出さないが、心の中で頻繁に言っており「おおっ、若者の仲間入り?!」とほくそ笑んでいる。さて、この「うざい」だが、元々は「うざったい」(あるいは音便化して「うざってぇ」) という西多摩方言が省略化されたものだとか。何年か先までこの言葉が残っているのか?あるいは意味が変化しているのか?楽しみである。
2015/09/20 03:41
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