めむろ国語専門塾
- ブログ
小さな国語塾のつぶやき
イメージしてメモ書き!
先日、生徒の小論文の添削をしている際に可愛らしいイラストを見つけた。生徒は文字でメモする代わりに絵で表現しそれをもとに文章を起こしていたのだ。このように頭の中でイメージしてメモすることは素晴らしいと思う。なぜなら「理解している」「記憶している」という状態は実はイメージしている場合が多いからだ。例えば「昨日の夕飯は?」と聞かれた場合に自分が食べたものを映像でイメージ(思い出して)「ご飯とみそ汁とサラダとハンバーグと・・・」と言う。決して「サラダ」「ハンバーグ」という単語・文字そのものを暗記していたわけではない。さて、小説では何人もの登場人物が出てきて、各自が役割を持って動き、物語が進んでいくので場面情景をイメージする必要がある。その際に決して上手でなくてもいい、極端な話「棒人間」でいいのでササッとイラストを描いて少しだけメモをしておくと格段に理解が進む。例えばA子とB子が喧嘩している場面から始まっているとするならば①棒人間A②棒人間Bを書いて①と②の間に×をつけておくなど。いつも書いているように、国語は日本語なのでとりあえず読むことはできるし最低限の意味を理解することはできるけれど果たして内容や情景を理解しているかというと・・・かなり怪しいというのが現状。実際にどの学年に対しても突然に内容について質問すると答えられないというケースが。むろん、想定外の質問をされて戸惑っているという面もあるだろうがそれにしても絶対にそれはないだろうという珍回答が続出するのだ。また、国語の長文を解く際には説明文の場合は図式化するようにと口酸っぱく伝えており、どんなふうに図式化するかについての見本のプリントを作成して配布しているけれど、実際はというと「文字を読む」ことで精いっぱいでなかなか図式化まではいかないのが現状。確かに難解な言葉が出てくるとその言葉を理解することや簡潔に図式化すること自体が難しい。図式化できる≒理解できている≒解けるということだから。というわけで少しずつ少しずつ練習を重ねていっている。何事も一歩ずつ少しずつ・・・。
2018/02/27 15:16
-
-
コメントするには会員登録後、ログインが必要です
「余計な一言」
「かつて『頑張れ』は、特に人を嫌な気にさせない普通の言葉でしたが、ここ10年くらいは、逆に言われた側を疲れさせるような言葉になってきている。ひどいときには、言われたほうの心が折れてしまうような言葉に変化しています。そもそも最近では、『頑張る』という情熱やエネルギーをあんり感じられない人も増えてきています。」(「余計な一言」2014.7.20初版発行 斎藤孝著 P165より引用)。斎藤孝氏は1960年生まれ、確かに氏が幼い頃だといわゆるスポコン(スポーツ根性)漫画の全盛期で「頑張ればなんとかなる」という根性論は当たり前だった。氏より年下の自分も目上の方々から「頑張れ」「根性だ」という指導を受けたため自然にそういった言葉や感覚が身についているのだが・・・・。確かにここ10数年は「頑張れ」と言っていいものか迷うことが多くなっている。「頑張れ」という言葉が相手の心に通じないこともあれば、逆に「頑張っている」人に対して「これ以上どう頑張ればいいのだろう」と思わせるのではないか?と躊躇してしまう場合、さらには「頑張りたくても頑張れない」状態のタイプもいるからだ。自分は「頑張れ」と言われて育ち、幸い?!「頑張る」ことができる条件がそろっており今に至るのだけれど、それはあくまでも自分であって万人に当てはまるわけでは無論ない。そんなこんなで最近は特に受験生には「いよいよ明日が受験」という場合には「信じてるからね~。」と言って送り出すようにしている。「信じる」ではなく既に「信じている」ということを意識して伝えているつもり。過度なプレッシャーでもなく、かといって見捨てるわけでもない気持ちを伝えるには「信じてる」がいいかなあと思っている。ちなみに斎藤氏は「気楽にやっていこう」「力まずに続けていこう」「元気にやっていきましょう」「楽しく働きましょう」という言葉を使っているそうだ。ただ。。。斎藤氏はプロ中のプロなのでその場に応じてベストの声掛けを自然になさっているだろうが、先に挙げたこれらの言葉もやはり結局は相手を見てケースバイケースで使わなくては!と参考にはするけれどオールマイティーではないなあと思う。逆に言うと、すべての人に当てはまるぴったりの言葉やメッセージがあるわけではない、だからこそ自分自身にぴったりの言葉を相手からかけてもらった時の嬉しさはもう言葉では言い表せないぐらいだ。相手にぴったりの言葉が見つからなくても、せめて「余計な一言」にならないようにとまずは心がけようっと。
2018/02/26 18:04
-
-
コメントするには会員登録後、ログインが必要です
データに騙される?!
最近の高校入試の傾向として、グラフや表を見て考えさせるという問題が増えている。最初は戸惑っていても生徒たちは少し練習するとコツをつかめるようになり「この場合は過去と現在の違いを述べるとよい」などとすぐにピンとひらめき、対比での文章構造は上手になっている。が、が、が、意外と見落としがちなのが「何についてのデータ」なのかを意外と書き忘れることが多い。例えば「10歳から15歳までの遊び方の違いにおいて現在と30年前の比較する」とあった場合、「比べる」ことに意識が行ってしまい肝心の「遊び方の違いにおいて」という記述がすっぽり抜けてしまうことがあり、もったいない。一体何をもとに調べたデータなのか?を明確にする必要がある。これは実は今後、非常に大切になってくる考え方なので「何を基準としているか」を口酸っぱく意識する、表記するように伝えていく予定。例えばもう少し先になると予備校や塾の広告やチラシで生徒の募集、争奪戦が始まる。その際に「○○大学、△△高校の合格者占有率が◇パーセント」という表記があり、数字だけを見ると「すごーい」となる。まるでチラシにある予備校や塾に通うと○○大学や△△高校に入れる可能性が高くなる?入れる?と錯覚を起こしそうになる。むろん◇パーセントいう高確率は間違いではないのだが、そもそもがそれらを打ち出している予備校や塾には一体どれほど多くの生徒が在籍しているのかを考えるべき。つまり在籍生徒が多いから優秀な生徒も当然多くなるわけで、本当に信頼できるデータとは予備校や塾内における生徒のうち何パーセントが上位校に行ったか?だろう。それゆえ塾によっては「塾内の○パーセントが上位校に!」というデータを得るために厳しい選抜試験を行い最初から選りすぐった成績優秀者のみしか指導しないということが起こりうる。それはそれでなるほど理にかなっている。結局何が言いたいか?データを正しく読むことできると数字のマジックに騙されずに冷静な判断ができるようになるということ。逆にいうとデータはあくまでもデータなのであまりデータに固執したり振り回される必要もないということ。結局は月並みな表現になるけれど、希望校に入ることができるかどうかは本人の頑張りによるところが一番大きい。ちなみに国語塾は少人数制ゆえに毎年受験生と言っても数えるほどだが、トップ校をはじめとして上位校に行く生徒が多い。ひとえに国語塾が素晴らしいから・・・と言えるといいのだけれど、そうは言えない(苦笑)。彼らの大半は大手塾+国語塾を掛け持ちしてひたすら努力をしており、その努力が実を結んでいるというだけだ。
2018/02/25 16:39
-
-
コメントするには会員登録後、ログインが必要です
「小論文」はよい訓練!
「小論文」を書くことは難しく、それらを採点、指導するのも難しいと客観的には感じる。主観を入れると「小論文」を書くこと、指導すること共に「論理的思考」突き詰めていくと「脳」の最高の訓練になると感じる。昨日、生徒が複数の小論文を持参し・・・ほとんどは合格点!思わず「これは学校の先生に一度見てもらい、その後書き直したの?」と聞くほどの出来栄えが複数。特に書き直しなどはしていないそうで、この時期にあそこまでの文章を書くことができるのは大したものだと本当に嬉しくなった。さて、ただ一本だけ惜しい作品が。テーマは「変えたほうが良い日本の伝統について、自分の体験など、具体例を挙げて論じよ。」。結論を言うと生徒が述べた内容は「和を大切にする、しすぎる」日本の伝統を改善し「個」をもっと大切にすべきだという論であった。文章の流れとしては、キーワードがきちんとあり「合格点」、文章構成は「可」、トータルとしては「まあまあ」の出来だったのだが1点だけが惜しかった。それは、最後の結論部分に「ぬるま湯につかっている日本人気質を変えるべきだ」という表現があったこと。ここまで書くと言いすぎ、そもそもが「日本人気質とはいかなるものか?」と聞かれているわけではない。生徒自身の体験から「日本人はぬるま湯につかっている」と思ったならば、体験談のところで「私は、日本人はぬるま湯につかっている気質だと感じました」と書くべきであって、結論部分で「日本人の気質」として言い切るのはやりすぎ。体験談を思い出しながら書いているうちに少々ヒートアップしてしまったようで、それをそのまま表現した結果だ。というわけで当日(明日)は自分の体験について、自分が思ったこととして過激な(?)表現をするのはいいけれど、母体数が大きいもの(日本人、外国人、特定の地域など)については一面的な自分の考えや意見で言い切るのは危険だということを指導した。これは小論文に限らず日常生活においても言えること。人間は感情の生き物なので自分の願望、要求があるのは正常だがそれをどこまで押し通すか?この場合はどうか?などを冷静に判断する必要があると昨日の指導を通してつくづく感じた。短期間にここまでの量の小論文を仕上げた生徒は今だかつていなかった。だから本人と保護者様に「これほどまで頑張ったんだから大丈夫!という自信をもって試験に臨んでね!」と伝えた。ああ、吉報が待ち遠しい。
2018/02/24 16:42
-
-
コメントするには会員登録後、ログインが必要です
「書き言葉」は大切
たまたま?!古文の演習テキストをパラパラとみていたところ・・・主語を答えさせる問題の中には「敬語」を知っておかないと解けない、逆に言うと「敬語」について知ってさえいれば解ける問題がちらほらと目に入った。古文の「敬語」については高校で学習することになっているのだが・・・結局、今週は古文の「敬語」について代表的なものだけを教えることにし、主語を答えさせる問題以外の部分でもことごとく敬語が使い分けられていることを生徒たちに実感してもらった。古文は主語が省略されることが多いので「敬語」の見分け方を知っていると便利だなあと感じると同時にこんなにも完璧に使い分けてある古文は素晴らしい!と一人で感動していた。とはいえ、今も昔も「書き言葉」にした場合は書く前に頭の中であれやこれやと文章を練って、考えてから表現するので間違いが少ないだろうが実際の会話ではどうだったのだろう?と想像をめぐらすのがまた楽しい。さて、小論文の指導がいよいよ佳境を迎えており受験生はもちろんのこと指導する側もとにかく必死。内容構成はもちろんのこと、ちょっとした表現についてもダメ出しをしている。例えば「ら抜き言葉だから訂正したほうがよい」「これは新語だから、念のため別の表現に」など。数多くの受験生の答案を採点するときにどこまで細かい部分で減点されるかは分からないけれど、少なくとも減点対象となるものを避けるように心がけることは必要。さて、最近「正しい言葉」についての授業内容が立て込んでいるためブログの内容も「正しい言葉」的になっているけれど、正直言って自分自身は決して「正しい言葉」のみで生活しているわけではない。立場上、ケースバイケースでは気を付けているけれど親しい間柄での会話なんて…ひどい状態。いつかは美しい「大和言葉」が似合う人間になって流暢に「大和言葉」を使ってみたいという願望はあるのだけど、如何せん自分自身のキャラクター≒大和なでしこ。外見は清楚どころか原色+個性的な服装、中身は中学生男子を相手に真剣に腕相撲をして「勝った」と喜ぶという大人気のなさ(汗)。言い訳がましいけれど?!「正しい日本語」は大切だけれどまずは「心がこもっているかどうか」が重要+まずは「正しく書く」ように意識!と思っている。なぜなら「書かれたもの」を読むときは、そこからしか書いた人のことを判断できないので少なくとも「書き言葉」(☜親しい間柄におけるライン、メール、ツイッターなどは除く)はきちんと正しく!は大切かなあと思う今日この頃。
2018/02/23 13:55
-
-
コメントするには会員登録後、ログインが必要です
謦咳に接す(けいがいにせっす)
「謦咳に接す(けいがいにせっす)」という諺がある。意味は「尊敬する人や高貴な人に親しくお目にかかること。『謦咳』は咳払い。直接お会いしなくては、咳払いの声も聞くことはできない。 」となる。確かに・・・。ただし、そもそもが「尊敬する人」「高貴な人」と知り合うことって相当意識しておかないと気付かない、あるいはそういった素晴らしい出会いは少なく、貴重だなあと思う。先日なじみの整体院に行った時、施術中にいつものように院長と世間話をした。世間話とはいえ①人の悪口は言わない②嬉しかったこと、楽しかったことなど前向きな内容、という暗黙のルールが私たちの間にはある。それゆえ?!嬉しかった出会い(ブログ繋がり)について語ったところ・・・「その人とならば5000円という大金を払ってでもランチをしたいと思いますか?」と聞かれたので即座に「もちろん」と答えると、とっても羨ましがられた。年齢が上がれば上がるほど自分自身の経験値・知識・判断力が増すため「この人!すごい」と思える人が少なくなってくるのが一般的だとか。さらには30代後半や40代、50代・・・というと「子育て」「地域活動」「仕事」「介護」などで忙しく、お金も何かとかかる時期。そんな中、時間をやりくりして「ランチ」の相場としては高いであろう金額を払ってでも会いに行きたいと思うか?というのがポイントだとか。ここで誤解してはならないのが「相手から会いたいと思ってもらえるか」ではなく「時間、お金を費やしてでも会いたいと思えるほどの相手を見つけること」が大切とのこと。うーん、分かったような分からないような・・・ただ、整体師のおっしゃるように「自分の見る目」が厳しくなっており、自分のお眼鏡にかなう人が昔よりは少なくなっている、厳選されているのは事実で「時間」と「大金」、さらにいうならば「労力」を費やしてまで「会いたい」と思える人って・・・本当に本当に数えるほどしかいない。「この人すごい」と思える人に出会えることはとっても幸せなことだなあとつくづく感じる。有難いことに仕事柄、幅広い年齢層の人々と知り合う機会があり、年齢に関係なく「礼節をわきまえている」「素直な」素晴らしいタイプの若い子と出会えた時には最高に嬉しくなる。そのうちの一人である、去年の卒塾生S君が昨日嬉しいメールを送ってくれた。進級試験を無事にクリアしたこと、国語が高得点だったこと、国語塾で学んだからこその成果だ・・・とのことで、本当に嬉しかった。ただしS君の名誉のために申し上げておくと「国語塾で学んだから・・・」ではなく「もともとS君はいろんな意味で賢い」子なので高得点をマークできただけ。
2018/02/22 03:23
-
-
コメントするには会員登録後、ログインが必要です
やっかいな「な」
先週、今週と中学1,2年生は期末テストの時期。中学2年生はどの学校でも動詞、形容詞、形容動詞が試験範囲となっており当然のごとく?生徒たちは皆頭を抱えている。彼らには次のことを伝えつつ、とにかく演習を繰り返している。伝えたことは以下の2点①動詞の活用形を見分けるには「下」を見て判断(詳細はイラスト付き語呂合わせプリントを作成し配布済み)②特別な動詞(カ変、サ変)、形容詞、形容動詞の活用形は丸暗記。みな、必死であの手この手で活用形に関しては、穴抜きの活用表を利用して記憶を定着させている・・・、それでも演習を始めるとつい「知識」が邪魔をしてしまいうっかり?ミスをしてしまう。先日の演習がまさにそう。学校のワークに例題が複数提示されており、それらを形容詞か形容動詞かを見分ける問題があった。その中で「細かな説明をする。」に関して、生徒は「形容動詞の言い切りは『です、だ』だから違う。『細かだ、細かです』はおかしい、言い切りは『細かい』となるから形容詞だ!」と自信をもって書いたところ×。そこで「形容詞の活用形に『な』は入っていない、逆に形容動詞のほうには『な』が入ってるから答えは形容動詞」だと伝えたところ、とりあえずは納得していた。それでも「細かだ(こまかだ)なんていう表現はおかしい、細かですなんて言わない~。」とブツクサブツクサ。耳慣れない表現や昔ながらの表現はなじみがないから違和感があるのは当然で、気持ちは分かる。だからこそ自己判断で選ぶのではなくきちんとした活用形に当てはめることが大切なのだ。気を取り直して「ウ音便」について学習したところ、こちらはテンションアップで事なきを得た。ちなみに個人的には「ウ音便」は素敵だなあと感じている。以前に「料理の鉄人」というテレビ番組に審査員としてレギュラー出演していた料理ジャーナリストの岸朝子氏。試食後には必ず「おいしゅうございました」と「ウ音便」での表現をお使いになる。当時、自分自身がまだ幼かったため詳しくは分からなかったけれど、一般的な表現としての「おいしかったです」「おいしいです」よりも「おいしゅうございました」の方が耳触りがよく、丁寧でなおかつ心がこもっていると感じたものだ。とはいえ、この言葉をチャラチャラした若いお姉ちゃんが使ったら…逆に違和感があり、怖い!とも感じていた。言葉として完全に定着しているウ音便の表現、例えば「おはようございます」「ありがとうございます」以外のウ音便の表現は使い方、使うタイプを選ぶよなあと思っていた矢先にブロ友である大和橘様のコメントに「嬉しゅうございます」とあり、うーん流石だなあとうなってしまった。大和橘様は本当に素敵な女性で言葉遣いのみならず考え方や感性が素晴らしくあこがれの女性である。いやはや使い方、使う場所などなど難しい日本語、奥が深いからこそ面白い。
2018/02/21 09:46
-
-
コメントするには会員登録後、ログインが必要です
たかが一文字、されど一文字
日本語を何不自由なく使っている我々だが、正しく「単語」に分けることはとても難しい。むろん「この言葉は単語で、自立語、この言葉は付属語で・・・」などと考えながら話したり書いたりするわけではないので「単語」のことを知らなくても日常生活においては全く問題はない。が、が、が、高校入試には「次の文はいくつの単語からなるか?」「単語で分けた場合、次の中から正しいものを選べ」と出題される。点数にすれば1、2点で5、6点の記述に比べると失点してもダメージは少ないといえば少ないのだが・・・。でも入試は1点で合否が分かれるというシビアな世界、少しでも失点をなくすべくして特に中三に関しては「記述練習」に加えて「単語」の最終確認を行っている。すると・・・「な」を単語として句切ってしまうタイプが多いことが判明した。確かに・・・気持ちは分かる。例えば「大きな」を「大きい」という形容詞の一部だと勘違いして「大き」「な」と分けてしまうのだ。実は「大きな」は連体詞なので「大きな」で一つの単語となる。「な」に関しては本当にやっかいで「きれいな」の場合は「きれいだ」という形容動詞の活用した形で、先の連体詞とは似ているけれど違う・・・など、とにかくややこしい。とりあえず「単語」に分ける際には「な」は「単語ではない」と覚えておくのがベター。逆に必ず「単語」になる文字を覚えておくようにと伝え、それらを語呂合わせ+イラストに表したプリントを作成し配布している。日が経って生徒たちが「単語」をうっかり忘れてしまったという場合は「例の○○のイラストの入ったプリント!」というと条件反射のように思い出せるようになっており、あと一歩というところか。文法の学習となると生徒たちのモードが下がるため、あの手この手で工夫をしているつもりだが・・・いかに。ただし単語を意識することによって文章理解度がグーンと上がるので、しっかりと身に着けてほしいと思っている。例えば接続語を入れる問題があった場合、誰もが空欄の前後二文を読んで必死で考えるわけだが、単語(厳密にいうと付属語)をしっかりと意識すると前後二文のつながりが一目瞭然で分かることが多い。それゆえ、生徒から質問を受ける際にはパッとみて解説が可能となる。指導者以外はじっくりと考えるべきだが、その時に「単語」を意識すると正答率がアップする。たかが一文字、されど一文字。
2018/02/20 02:22
-
-
コメントするには会員登録後、ログインが必要です
「暗中模索」「暗中飛躍」
お恥ずかしいながら・・・「暗中飛躍(あんちゅうひやく)」という四字熟語の省略形が「暗躍」だということを初めて知った。「暗中飛躍」の意味は「人に知られないようにひそかに策動し活躍すること。暗躍。」(デジタル大辞泉より)。「暗躍」と聞くとなんだか怪しげな悪だくみをしているといったシチュエーションで使われることが多く、どちらかというと「悪い意味」と大抵の人は認識しているだろうし、自分自身もそうである。イメージで言うと忍者やスパイがコソコソと敵方の情報を嗅ぎまわっているという感じか。でも「暗中飛躍」という文字を見ると「暗闇の中で必死で頑張って努力して飛躍したのね。つまりは、暗中模索(手がかりのないまま、あれこれとやってみること。暗闇の中で、手探りをして求める意から。)しつつようやくようやく飛躍できるところまでこぎつけたんだ!」と勝手に良い意味に解釈してしまいそうになる。つまり「飛躍」という言葉がいい意味で使われることが多いためそのように解釈してしまったわけだが・・・。個人的にはこの自分勝手な解釈を気に入っている。そもそも努力や計画は人に知られるようにするものではなく人知れず、ひそかに行うもの。暗闇だからこそあれやこれやと模索しながら努力するわけだし・・・と開き直り状態(苦笑)。そもそも暗闇ではない明るい状態だと努力する必要はないわけで、暗闇から脱出してなんとか明るいところへ飛躍できるようにと頑張るのが人の常。実際に自分自身は真っ暗(真夜中)になってから活動している!とどんどんわけわからない方向に思考が進んでいる。話を戻して、何か問題を抱えている時、徐々に解決していく(だんだん明るくなる)場合と本当の本当に突然に解決して目の前が明るくなるといった場合があるような気がする。まさにポーンと飛躍するという表現がぴったりだと感じることが長年生きていると時々起こる。だから、本来の意味を知ったうえで尚且つ自分自身は「暗中模索」していても必ず「暗中飛躍」する!というこじつけの解釈を今後も持ち続けていくつもり。毎年、年度末前後は物事が大きく変化する時期ゆえにぼんやりと先のような妄想をしている。とにもかくも「飛躍」が大切~!
2018/02/19 03:28
-
-
コメントするには会員登録後、ログインが必要です
小説「棲月」
先日、警察小説「隠蔽捜査」シリーズの最新作「棲月-隠蔽捜査7-」(今野敏著 2018.2.9初版発行)を読み終えた。今年2018年、作家生活40周年を迎えられる今野氏。出身が北海道ということで親近感がわき数年前から彼の作品を読み始めたのがきっかけだが・・・ストーリはもちろんのこと登場人物の心理、人間関係相関図の微妙な描写が最高!自分は今やすっかり大ファンの一人となっている。ちなみに今野氏の小説は多数、映画化やドラマ化されている。さて、今回の新作「棲月」というタイトルを見た瞬間に「ん?月に棲む?!SFものに方向転換したの?月に棲むウサギ?!宇宙飛行士?!」と不思議だったが内容はハッカーによる犯罪の話だった。実はこのタイトルは奥様の夢がきっかけだったとか・・・。(以下、新潮社「Book Bang」より引用)【今回はまずタイトルが先にありました。実は妻が夢で、『棲月』というタイトルの本で私が賞を獲ったのを見たというんです。それを聞いて、珍しいタイトルだけど挑戦してみようかと思いました。月に棲む、というタイトルからまず初めに連想したのは「セーラームーン」。ただ、それはさすがにないだろうと。それで、次に思い浮かんだのが、「クラウド」でした。クラウド・コンピューティングはネットワークを雲に見立てたことから来た呼び名ですが、雲の上の人、すなわち月に棲む人というのをなんとなく連想したんです。そこから、ではPCやハッカーを登場させよう、と膨らんでいきました。】(引用終わり)。これを知った時に、あらゆる事象から小説のヒントを得るという心がけが素晴らしいと感じると同時に「月」「夢をヒント」という点においては昔の人となんら変わらない、日本人としての思想が今野氏の中に無意識に生きている~と一人で興奮してしまった。古来の日本では、夢は自らの将来や現実に起こることを予言するために、神仏が見せた神秘的なものと考え、恐れられてきた。そのため、特別な霊能者に夢の内容の解釈や吉凶を判断してもらう「夢解き」「夢あわせ」ということがしばしば行われていたそうだ。また月には人が棲むといえば「竹取物語」、「月」と言えば日本人にとっては趣深いもので「望月「十六夜の月」「立ち待ちの月」「居待ち月」「寝待ち付き」「更け待ち付き」などなど様々な呼び名がある。「棲月」という小説の内容は現代社会に潜む危うい暗部を書いているけれど、暗部を中和させるような素晴らしいタイトルだなあと読後さわやかな気分になった。タイトルって大切!
2018/02/18 16:31
-
-
コメントするには会員登録後、ログインが必要です