めむろ国語専門塾
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小さな国語塾のつぶやき
自主性・・・・
「本人(子供)の自主性に任せるべきだとは思いながらも、ついつい手を出してしまいます。」「周りからは手を掛け過ぎだと言われてしまいますが、どうでしょうか?」という意見(相談)を保護者から寄せられることが時々ある。結論を言うと、そういった相談をされる方に限っては「全く問題ない、子供に干渉し過ぎとは思わない。」自己判断で動くわけではなく、あらゆる人の意見を聞いたうえで悩んでおり、決して威圧的に子供を支配しているわけではなく、むしろ逆のパターン。つまりとってもいい親御さんだと言える。考えてみれば子供はまだ生まれてから10年前後・・・。確かに自主性をはぐくむことは重要で、そのためにはそっと「見守る」ことも大切。しかし、例えば子供が高熱を出して苦しんでいる、下手すると肺炎になる・・・という状態を「自然治癒力で直せ」とばかりに放っておくだろうか?もし放っておくと下手すると取り返しがつかなくなることも。それと同じだと思う。むろん、元々健康体でほとんど体調を壊さない、壊したとしても自然治癒力であっという間に治るというタイプもいる(実は自分自身がそのタイプ・・・)。でも、世の中全員が同じというわけではなく、必要な場面で必要な手段を講じるのは当然だろう。勉強に話を戻すと、放ってても自分で計画を立ててやる子もいれば、お膳立てやきっかけが必要な子もいる。周囲の無責任な(?)理想論に翻弄されず自分自身と自分の子供を信じて適切なお膳立てをして道筋を付けてあげることによって、いずれは親元を離れて自立できるようになるのでは?と思う今日この頃。
2016/07/01 13:11
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サバをよむ
自称、平成生まれで現在28歳なのだが、英語の「リスニング」のことを「ヒアリング」と発言したため・・・「昔の人はヒアリングって言うんですね」というツッコミが。いつの頃からは「ヒアリング」のことを「リスニング」と呼ぶようになっていた。確かに「ヒアリング=自然に耳に入る」よりも「リスニング=意識的に聴く」の方がピッタリか。それにしても昔と現在で表現方法が変わっていると年齢のサバをよんでいる身分としては辛い。さて、この「サバをよむ」とは、実際の数や年齢より多く見せかけたり少なく言ったりしてごまかすことのたとえ。語源は諸説あり、鯖は「生き腐れ」と呼ばれるほど傷みやすく、数も多かったためにわざと早口で数えて数をごまかしていた⇒いい加減に数を数えることを「鯖を読む」という意味になり現在の意味に転じたという説がある。他に「魚市場(いざば)」からの転という説、刺鯖など二枚重ねを一連として数えることからという説、数の多いことを意味する「さは」から転じたという説などがある。 そう言えば、ん十年前にサバに寄生したアニサキスによる食中毒が蔓延したことがある。傷みやすいサバ、食べる時はもちろんのこと「サバをよむ」時には細心の注意が必要。
2016/06/30 00:34
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短冊
もうすぐ7月、7月と言えば七夕・・・(東北や北海道では8月7日が七夕になるそうだが)。七夕と言えば織姫と彦星!織姫にちなんで・・・織姫⇒糸⇒刺繍という流れで、刺繍作家である友人に「七夕」をモチーフとした刺繍タペストリーをオーダーしたところ、先週の金曜日に完成品を持って来てくれた。これがなんとも素晴らしい出来栄えで、早速にふざけて短冊に向かって願い事をしたところ、なんとなんと3時間もしないうちに願い事に一歩近づくような電話がかかってきた。霊験あらたかなり~と嬉しいやらびっくりするやら。思わずその場に居合わせた友人と顔を見合わせてしまった。さて、昔から短冊に願い事を書くという習慣があるが、お願いは一体誰にするのか?結論から言うと織姫にするんだとか。織姫は機織り(はたおり)が得意で、その織姫にあやかり手習いの上達を祈願して短冊に書いたことが始まりと言われている。それが現代では手習いにかぎらず願い事を書くようになったそうだ。実際に願いを叶えるためには本人の努力が不可欠で、短冊に願いを書いただけで叶うわけはない。しかし、書くことによって決意表明を出来て努力するための覚悟が出来ると思う。国語塾に飾っている七夕のタペストリー、霊験あらたか?なのでぜひ興味ある方は願掛けにお越しを。
2016/06/29 01:58
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武士に二言はない
「武士に二言(にごん)はない」という慣用句がある。【意味 武士は一度言ったことを取り消すようなことはしない。信義を重んじ約束を守る。】武士にとっての「言葉」は、一言一言に命が宿り(いわゆる言霊思想)、軽はずみな発言は武士としての弱さと思っていたようである。嘘をつくことは罪悪として咎められたのではなく、むしろ弱さとして批判され、弱さは大いに不名誉であったのだ。「嘘も方便」という言葉もあるぐらいで、必ずしも「嘘」をつくことが「悪い」わけではなく、ケースバイケース。ただ個人的には「武士に二言はない」という思想が大好きである。しかも実行しているので、先日もプライベートの場において周囲が完全に固まり凍っていた(苦笑)。自分が発したある発言に対して周囲は「まさか、この人本気ではないだろう」と思っていたようだが「武士に二言はない」と断言し、早急に行動してしまったから。こういう気質が周囲から恐れられる所以なのだが、基本的には「自分の発言には責任を持つ」「約束は守る」というプラス面を評価して、生徒さん達にはお付き合い願いたいと思う今日この頃。ちなみにそういう気質を即座に見抜いた中二のS君。かれこれ1か月以上前になるが、危うい場面を丸く収めてくれて感謝。「武士道」大好きメンバー募集中!
2016/06/28 13:19
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白眉
なんとなんと!今朝、左瞼上に「白眉」を見つけた!最初は埃かと思って引っ張ったのだが、ちゃんとついている!体質的に白髪にはならないタイプで、頭髪もまつ毛もすべて天然栗毛色の自分自身。特に頭髪は最高級にストレスがたまった時以外は白髪は一本も生えない。そんな中の「白眉」、縁起がいいと朝からハイテンション。ちなみに「白眉」とは①白いまゆ毛。②中国の故事成語における「最も優れているものや人の例え」である。 《蜀 (しょく) の馬氏の五人兄弟はみな秀才であったが、まゆに白毛のある馬良が最もすぐれていたという、「蜀志」馬良伝の故事から》。さすがに、自分が最も優れているなんておこがましいことは思っていないが、逆に少しでも優れるよう、秀でるよう頑張ろうという勇気をもらったという次第。些細なことを喜べるという才能は人より秀でているかも?!少しでもいい仕事を出来るように今日からまた、改めて精進。仕事をしようとパソコンに向かうと気づいたら、そのまま硬直して転寝という日々は・・・反省。
2016/06/27 14:35
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一刀両断
「一刀両断(いっとうりょうだん)」【物事を思い切って処理するたとえ。また、物事をためらわずにきっぱり決断するたとえ。一刀のもとに物を真っ二つに断ち切る意から】という四字熟語があるが、この言葉は最近の自分自身を表しているなあとつくづく思う。目の前の事象に対する決断はもちろんのこと、人様との会話においてもまさに「一刀両断」の姿勢。正直言って会話において「一刀両断」の態度をとるということは、一歩間違えると「空気を読まない人」「毒舌」となってしまいそうだが・・・そこはお互いに「信頼関係」があるので大丈夫!(たぶん)。日頃は人と接することが少ないのだが(生徒さん以外)最近は知人と長電話、友人とランチ、保護者との会話などの機会に恵まれている。その際にあまりにもこちらがスパッと物を言うため「そこまではっきり言う?」と言った具合でお互いに大笑いしたりあきれられたり。日本人特有の奥ゆかしさや謙遜は素晴らしいが、それはケースバイケースだと割り切っている今日この頃。多少乱暴な言い方になるが、例えば外科的手術においては手が震えてギザギザに切るのではなくスッとためらわずにきれいに周辺の組織を痛めずに切る事が重要になるという。術後の「瘢痕」すなわち傷跡がきれいになるから。また、切れる包丁で切らないと刺身や野菜が美味しくならないのと似ているかもしれないと勝手に自分の姿勢を正当化している。
2016/06/26 04:21
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信頼関係
「先生!この前のブログに書いてあったこと、○○先生(メディアで名の知れた有名な方)が言ってました!○○先生の本を読んだのですか?」という生徒からのコメント。同じ業界、業種の場合、言っていることや提唱していることが重なるのはよくあること。決してお互いに真似してるとかパクったというわけではないが(苦笑)。ブログ内容はもちろん、ダイレクトに「あ、それ!学校の先生も言ってました!」ということが頻繁にあり、正直言ってそれは大助かり。なぜならこちらが指導している内容の信ぴょう性が増し、別の人間から同じことを言われることによって生徒の記憶や印象に残る⇒生徒の知識が増えるから。さて、逆に学校や他者とは違うやり方を教えたり伝えたりした時の反応が一番微妙である。①信頼して、納得する②複数の指導者が言ったことを吟味、比較して、自分に最適な方法を選ぶ③別の指導者の方法にこだわる、といった3パターンがあり①②は大歓迎。③は正直言ってやりにくい。信頼関係が成り立っていないので、今後何を言っても無駄だなあと思うから。幸い、現在は③のパターンの生徒は一人もいないと信じているが。逆に自分自身が何かを指導してもらうときは肩書きや年齢ではなく、その人を「信頼出来そうか(信じて頼ることが出来るか)」を一番のポイントにしている。
2016/06/25 01:48
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くしゃみ
くしゃみをすると「誰かに噂されている」「一回ならば良くない噂」「二回なら良い噂」「三回以上ならば風邪」といったことを聞いたことがあるだろか?地域によっては回数と内容が若干違うようだが。中世の日本ではくしゃみをすると鼻から魂が抜けると信じられていた。だから、くしゃみが出るのは「人が呪っている」からで、それが「人が噂をしている」に変化したと言われている。鎌倉時代に記された「徒然草」47段には「子供がくしゃみをしたときに、親が『くさめ』と唱えないと死んでしまう」という一節がある。当時は風邪をこじらせて死んでしまう場合も多かった為に、その前兆としてくしゃみをするので「くしゃみ=病気=死」という図式が人々の間に出来上がっていたと思われる。口から発するもの(言葉、くしゃみ)に魂がこもっているという考え方は現代においてはナンセンスで、特に「くしゃみ」=「噂」なんてありえないことが分かるが、個人的には中世の考え方の根底は素晴らしいと思う。なぜなら、口から発するものには魂がこもってると考えることによって、必然的に「言葉を選ぶ」ようになるから。無意識に相手を傷つけてしまう言葉を発してしまったり、相手からのちょっとした言葉に傷ついてしまうのが人間。でも少し「言葉」を意識することによってお互いに傷つけてしまうことが少なくなり、相手から何を言われても「くさめ」といった呪文を唱えることによって傷つくのを回避できそうだ。それにしても、「くしゃみ」=「噂」が本当ならばお教室に通ってくれている生徒たちは頻繁にくしゃみをすることになりそう(笑)。個人情報が漏れない範囲でいつも生徒のことを褒めているから。
2016/06/24 01:22
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イメージ力
部活、勉強と共に頑張っている中学生達。その中で、野球を頑張っている某中学生徒の発言が素晴らしかった!「僕は○○中学との試合では、こうしてこうなって・・・とずーっとイメージするんです」とさらり。スポーツ分野ではイメージトレーニングは今や当たり前、監督にイメージトレーニングを指導されたのかどうかは不明だが、前向きにイメージすることは素晴らしい。ぜひとも次回の試合で活躍し、その結果を教えてほしいもの。さて、野球選手であるイチローも先日のインタビューでは「ゲームに対してのアプローチ、準備をしているかに自信を持っている。」「いつも自分のパフォーマンスが十分に発揮できるという自信を持ってグランドに立っている。」と述べている。つまり、成果を出すためには桁外れの身体能力はもちろんのこと精神面での強さも必要か。平安時代の菅原孝標の女の作品「更級日記」で、彼女が妄想力炸裂させていることは先日のブログで紹介したが「妄想力」という日本語を敢えてカタカナ語に変換すると「イメージ力」。いい状態の時は「良いイメージ」をしやすいが、逆の場合はなかなか「良いイメージ」を浮かべるのは至難の業、下手すると「良くないイメージ」が肥大化されてしまい負のスパイラルに。それを払拭するには問題打破への日ごろの努力+夢見る夢子ちゃん、菅原孝標の女を見習って「明るい妄想力」炸裂といきたいもの。
2016/06/23 09:12
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今日も素敵なコメントありがとうございます!!!ハイ!おかげさまで素敵な生徒たちに囲まれて、明るく楽しい妄想(特に、次回の授業ではこうしてああして…グフフ)と楽しんでいます!!!
2016/6/24 00:17 返信
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機知に富む
「それっ!日本語で言えばいいのに!!」(監修カタカナ語研究会議 2016年4月1日第一刷発行)が面白い。内容はもちろんのこと、後書きの次の文章に対してかなり共感を覚えた。「カタカナ語には、自己承認欲を満たしてくれる媚薬的な魅力があることです。」「このカタカナ語は、日本人が持っている劣等感を消してくれると思っている人が多いのです。」の2文。「言われてみるとそうかも~~」と、手軽にカタカナ語を使っている自分を思い起こし、日ごろ使っているカタカナ語を日本語に置き換えるという遊びを頭の中で最近やってみることに。例えば「ウィットに富んだ」⇒「機知に富んだ」⇒「当意即妙」と言った具合に。この連想ゲーム、なかなか難しく頭の運動になる。頭の運動のみならず、カタカナ語の意味を辞書、本、ネットで調べると語彙や知識が増える。先に書いた「当意即妙(即座に、場に適った機転を利かせること)」やそのような返答、切り返し(トーク)をすることが自分自身にとっては難しく、「その才能って、ある意味天性の物?(つまり自分には素質がない?)」と言いたくなることも。でも、言葉を知識として身につけることは誰でも出来るので地道に一人で脳内連想ゲームを楽しむ今日この頃。※生徒の半数以上が「機知に富んだ話題」が出来るタイプで、いつも感心するやら笑わせてもらうやら。逆に、はにかみ屋さんタイプの生徒は、笑顔が最高で本当に癒されている。
2016/06/22 13:10
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