めむろ国語専門塾
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小さな国語塾のつぶやき
おめでたさ
「めでたし」という古語は①「すばらしい、見事だ、立派だ」②「喜ばしい、祝うべきだ」という意味で、現在もほとんど同じ意味で使われている。が、現代語では接頭語の「お」を付けて使われることが多く「おめでとう」⇒「祝うべきこと、喜ばしい」となり、「おめでたい」⇒「喜ばしい」以外に皮肉を込めて「ノー天気で自分に都合のいい情報だけを入れて、耳障りな話をシャットアウトする人」といった意味も込められている。昨日の中学生授業で、某生徒が「先生ってポジティブすぎる~~~」と発言。日本語に言い変えると皮肉のこもった「おめでたい人」といった意味。ちなみに良くない意味の「おめでたい人」は英語ではナイーブという。ナイーブというと、日本人は「繊細」「純真」という意味に受け取って喜ぶのだが、本来の英語の意味は全く違う。「たまされやすくて幼稚」とか「(考え方が)甘い」という意味で「おバカさん」というニュアンスが強い。反対に、いい「おめでたさ」は英語とではメリーとかハッピーという単語になり、物事を前向きにとらえるニュアンスがある。昔はいい意味だけで使われていた「めでたい」という言葉。現在では使われ方が二種類に分かれているが、当然本来のいい意味の「めでたさ」を身につけたいもの。ちなみに生徒の皮肉なんて全く気にしない「おめでたさ」はいい「おめでたさ」だと自負している。
2016/07/21 15:13
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抜き出し、言いかえ
今週の中学生クラスのテーマは「抜きだし、言いかえ」演習。「抜きだし」は字数指定がある場合が多く、楽勝!と言いたくなる問だが、そうは問屋が卸さない。というのが、かなりの長文全体から答えを探す必要があるから。小学生のうちだと傍線の近くを探したり、全く同じ言葉が羅列されているので楽勝だったが・・・。では、どうするか?ポイントは3つ。①字数指定がある場合、おおよその長さを把握する。例えば18字とあれば、おおよそ原稿用紙の1行分ぐらい、5文字といえば長さで表すならば、わずか3センチぐらいという具合に。②文章全体を見渡す。1行ずつ読むのではなく見渡して探す③問われている傍線部に含まれる言葉の同義語を探すという3点。こうして文章や口で説明をするとたったの3点に集約されるわけだが、聞くとやってみるとは大違いで、かなり生徒たちは苦戦している。何事もそうだが、究極は実践やトレーニングあるのみ。ただし一人で練習するとどうしても先の3点を忘れてしまい自己流になりがちだが、塾生に関しては厳しい監視の目があるのでご安心を。
2016/07/20 11:35
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「小説王」
3連休が終わり、子供たちは今日から学校、大人たちは今日から仕事・・・、逆に子供たちの学校が始まったのでようやくホッと一息という大人たちもいるだろう。自分自身はというと、ひたすら読書三昧の3連休!1日一冊以上ハードカバーの作品を読むというペースで過ごし最高に楽しかった。とはいえ、作家が命を削る想いで生み出した作品をあっという間に読んでしまって申し訳ないような気分にもなる。というわけで、せめてもの罪滅ぼしに?!おすすめ作品を紹介する。最近読んだ本の中で一番のおすすめは何といっても「小説王」(早見和真著 2016.5.15初版発行)!帯の推薦文には「全国の書店の方々をザワつかせた問題作 ついに刊行」「三流編集者と売れない作家が、出版界にしかけた壮大なケンカ!!」とあり、小説家自身が出版界のことを執筆しているので説得力がないわけがない!!!とにかく熱い!面白い!惹き込まれる!出版界を描いたこの小説を通して「仕事とは」と考えるチャンスにもなるので、中高生にもぜひお勧めである。
2016/07/19 12:32
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人を見たら泥棒と思え
今朝がた、ようやく「マル暴総監」(今野敏著)という新刊を読み終えた。今野敏氏は北海道出身の作家で、警視庁・警察を題材にした作品が多く、人気のある作家。マル暴とは「ヤクザと警察の暴力団担当の部署」のことである。すっかりはまってしまい夜を徹して読んだわけだが・・・こういう本を読むと「人を見たら泥棒と思え(他人をうかつに信用しないで、いったんは疑ってかかれということ。) 」という言葉が頭をよぎる。が、社会心理学の実験からは「素直に信じる人間の方が得をする」ことを明らかにした実験結果が出ているという。「人を見たら泥棒と思え」というタイプの人は、いったん信じてしまうと、ずるずるとだまされて大きな被害を受けてしまう。ところが「疑わない人」の方が、相手の言説が疑わしいものになったときに、その変化に気づきやすいからだという。「人を疑う」タイプ=「自分を持っている」と言えば聞こえはいいが、確かにいろんな場面で「損」をする可能性が多いだろうなあと実感。例えば、勉強法などを指導する際に必ずと言っていいほど「コメント」を入れるタイプが稀にいる。要するに「反論」し、自分のやり方を変えないという決意表明をするわけで・・・。一体何のために勉強に来ているのか?と言いたくなるが、さすがにそれは言えず、それどころか指導そのものを省略せざるを得ない。これは明らかに「損」だと思うがいかに。
2016/07/18 12:43
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「なおざり」と「おざなり」
「なおざり」 と 「おざなり」 という言葉がある。どちらも 「いいかげんに対処する」 というような意味だが、使われ方は微妙に違う。端的に言えば、物事は 「おざなり」 で済ますことはできても「なおざり」 では済まないのである。「おざなり」 に済ますというのは、適当にいいかげんに済ましてしまうということだ。一方「なおざり」 というのは、そのレベルまでも行かない。成り行きに任せるだけで、まともに着手すらしないことを言う。覚え方としては、文末に「ざり(否定を表す『ず』)」がある方が全否定「~しない」と判断するとよい。ちなみに「なおざり」 は漢字で 「等閑」 と書き、「等閑」 は 「とうかん」 と読む立派な漢語でもあり、その意味は 「なおざり」 と同じ。一方、「おざなり」 は 「御座なり」 で、元は幇間 (太鼓持ち) の隠語だったという説が一般的だ。お座敷がかった時に、そのお客のランクによって扱いを変えるというような意味らしい。どうでもいい客の場合は軽く 「御座なり」 に済ませるのである。いやはや言葉というのは、本当に一筋縄ではいかない。まさに生き物である。
2016/07/17 17:17
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刺激
最近、知って刺激を受けたこと。【①東進衛星予備校の人気英語講師、渡辺勝彦氏という人物の存在②渡辺氏が実は高校の先輩だったということ。】東進の有名な英語の先生と言えば安河内哲也氏ぐらいしか知らなかったのだが・・・。実は渡辺氏よりも安河内氏の方が年下だが渡辺氏は元は高校の先生、河合塾の講師、そして現在は東進衛星予備校の講師といった経歴のため、東進衛星予備校での知名度はあくまで最近になって(ここ数年)らしい。さて、この渡辺氏。超人気講師にもかかわらずとにかく謙虚!本気!熱い!といった3拍子がそろっている。高校の同窓会会報に渡辺氏の投稿が掲載されていたのだが、どんなに有名になっても謙虚な姿勢を持っているところが素晴らしい!一時は天狗になりかけたこともあったそうだが、そのことついては「教師として本当に恥ずかしい」とのこと。ウーン、先輩の足元にはまだまだ及ばないどころか、渡辺氏の後輩です・・・と声を大にして言えるぐらいの人間か?!とわが身を振り返る。自営業(上司がいない)という状態だとややもすると独りよがりになりやすいが、それを戒めてくれるような刺激になったことは間違いない。日々精進。
2016/07/16 16:24
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「虹」
「棚(たな)に上(あ)げる」という慣用句がある。意味は「知らん顔をして問題にしない。不都合なことには触れずにおく。用例『自分のことは棚に上げて人の悪口ばかり言う』など」。自分のことを棚に上げる心理としては、一言でいうと「自分のことを客観的に観ていない、自己否定感が強いのかなあ」と感じる。自己否定感をなくすのは至難の業だとしても少なくとも客観的に自分を見つめるという作業をすることは、時には必要なのでは?と感じる。こんな風に思ったきっかけが「少年の主張」。平成28年度「少年の主張」十勝大会に芽室町代表として発表された「虹」を読んで、素直に感動したから。「虹」では、自分自身を客観的に見つめ、自分の中のマイナスに感じられる性格をプラスに転換⇒人の個性を認める⇒お互いに個性に色を足していく⇒個性で「虹」を創る・・・とまとめている。誰もが多かれ少なかれ個性を持っているのだが、自分の個性を棚に上げて人の個性ばかりを指摘して非難する・・・というタイプが世の中に少なからずいる。果たしてそれは幸福なのだろうか?と常日頃から思っていた自分にとって、「虹」はまさに我が意を得たりであった。しかも、たかだか十数年しか生きていない中学生がここまで真剣に自分を見つめることが出来ることにも感心。厄介な課題である、意見文や作文だが、自分を見つめなおす良いチャンス。
2016/07/15 12:36
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蘊蓄を傾ける、垂れる
昨日の中学生の授業は3人の予定で、毎回5分前には全員揃うのだが、たまたたま昨日は3人目が始業3分前に到着。最後の1人が到着するまでの間に、別の生徒が「○○は?どうしたの?具合でも悪いのかな?」と心配そう。さらには「先生!呪いをかけたでしょう?」との爆弾発言!むろん、冗談で言っており、それが冗談として皆に通じて場が盛り上がるのは、生徒の人徳のなせるわざか。そうこうしているうちに無事に3人目が到着し、始業までの2、3分の間に思わず「人を呪わば穴二つ」の諺について講釈を垂れることに。たまたま日中に書いたばかりの内容だったので、かなり熱く語ってしまった・・・・。ちなみに「講釈を垂れる」とは「だらだらと言葉や文章の説明をすること。上から目線で、物の道理を説き聞かせること」。よく使われる表現としては「蘊蓄(うんちく)を垂れる」というのがあるが、実はこれは誤用表現。本来は「蘊蓄を傾ける」が正しい表現。「蘊蓄」とは「知識を深く積み貯えてあること。またはその知識」という意味で、「蘊蓄を傾ける」は「自分の学識・技能」を精一杯発揮する」という意味。とはいえ、近年は「蘊蓄をたれる」「蘊蓄をひけらかす」などと「聞きかじりの雑学をひけらかす」という意味で使われることのほうが多いようで、完全に誤用とは言えず言葉の意味が変化しつつある。
2016/07/14 12:05
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人を呪わば・・・
「人を呪わば穴二つ(人を害すると、密かにやったつもりであっても同じ仕打ちにあうことを覚悟すべきであるという事。転じて、安易に他人を害しようとすることを戒める。)」という諺がある。由来は、平安時代に加持祈祷を生業とした陰陽師は、人を呪殺しようとする時に呪い返しに遭うことを覚悟し、墓穴を自分の分も含め二つ用意させたことに由来。何とも物騒な諺だが・・・あながち大げさではない?とわが身を顧みて反省する今日この頃。人や物事に恨む気持ちを抱くこと自体、気分が悪くなるので基本的には人や物事の良い面に目を向けるようにはしている。とはいえ、時には「気分が盛り下がるような」「神経衰弱になるような」用事や出来事がある。それが複数重なるとついつい「この用事を相手側からキャンセルしてほしい!!!!」と無意識に強く願うことがあり、その想いが異常なまでに強い時に限ってキャンセルになることがある。自分としては「用事を遂行」することによって異常に疲れてしまい気分が落ち込む・・・のでキャンセルになってラッキーと邪な考えを持つことに。が、偶然にも?!そんな邪な気持ちを持った時に限って近々予定されていたワクワクするイベントなども相手側からキャンセルになることが最近重なり、ふと「人を呪わば・・・」という諺を思い出し、自己反省。実はこの諺には脳科学の観点からの裏付け説がある。真偽はともかくとして裏付け説についてはここでは割愛。いやはや、諺や慣用句には先人の知恵が詰まっており、生き方を学ばせてもらっている。
2016/07/13 03:02
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制限2
昨日は「敢えて制限を外す」と言ったことをブログで書いたのだが・・・・。昨夜届いた、登録している某メルマガのタイトルと内容を見てびっくりした!タイトルは「ブログを書き続けたい人が、書き続けるために知っておくべきこと」。内容については、以下引用【書き続けるために大事なことは、「妙な制限を設けない」ということだ。私たちは案外書きたいことを持っているものだが、妙な制限を設けることによって、書くことができないでいる。妙な制限とは何か?具体的に挙げてみよう。まず最初に、「同じことを書いてはいけない」という制限。これはいらない…】。昨日は偉そうに?!人様に「制限を外せ」と発信しながら、実は自分が自分にかなりの制限を設けていることを指摘されたことに思わず苦笑い。さらには、ほぼ同じ時期に「制限」について発信しているという偶然はちょっぴり嬉しい気分。実は2日ほど前に、どうしてもブログネタが浮ばず深夜にパソコンの前でフリーズすること数十分。その時はあきらめ、日中に洋服を買いに行ったところ・・・店員さんの「この色や形のトップの下には、これ!といった制限は今はもう外した方がおしゃれです・・・・」にヒントを得て昨日のブログを書いた次第。実はさすがにブログ更新3年ともなると、ネタが尽きたり、あるいは以前にも伝えたがもう一度伝えたい!ということもしばしば。とはいえ、基本的に全く同じ内容を書くのは・・・・と自分で自分に制限をしていたのだが、そういった制限は外してもOKかと許可をもらえたような気分。というわけで今後は同じネタありかもしれない。が、基本的にはプロとしての制限は設け、それらは外さないでおこうというけじめは持ち続ける予定。
2016/07/12 04:33
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