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小さな国語塾のつぶやき

紛らわしい主語

「文法」というと皆が苦手になる分野・・・。というのが習った知識だけでは太刀打ちできない時があり、混乱してしまうことが多いから。さて一番の基本の「主語」というと・文のはじめの方にくる・~は、~が、で始まることが多い・動作の主体・・・と言った具合に学ぶしむろんそれらは正解なのだが、実は重要なのは「述語とセット!」ということ。つまり、主語が分からなくて迷った場合はまず述語を探し、その述語とセットの物が主語となる。例えば「今日は雨がザーザー降っている」という文章の場合、文のはじめでしかも「は」があるから・・・と半数以上の生徒が自信を持って「今日は」を主語と選んでしまう。四分の一の生徒が「あれ?今日は、雨が、どちらかな」と迷う。述語は「降っている」なので「何が降っているのか?」と考えれば自ずと「雨が」が主語だと理解できる。また「今日は二人とも頑張った」という文章の場合、述語が「頑張った」なので「何が、誰が」頑張ったのか?というと「二人とも」なので「二人とも」が主語になる。この文の場合「今日は」に「は」があるが動作主には「は、が」がないためかなりの割合で間違ってしまう。「月が美しい今日は満月だ」という文は?「美しい」の主語が「月」で、「満月だ」の主語は「今日は」となり、ブログ前半だけを読むと「今日は」は主語にはならないと勘違いされる可能性があるので主語、述語が二つ存在する文も紹介しておく。とにもかくも述語に対して「何が、誰が」ペアなのかを見極めることが重要。

2016/09/10 09:52

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意味を掛ける

動物の排せつ物をうっかり踏んでしまった場合に、よく「運がつくよ」と慰めの言葉として使うことがある。ウ○コと運という言葉を掛けているわけだが、実はこれはあながちウソではなく合理的な理由があるという。排せつ物などを踏まないように注意して、ずっと下をむいて(うつむいて)歩いている人と、堂々と胸を張って顔をあげて歩いている人を比べた場合・・・。当然後者の方(顔をあげている方)が排せつ物を踏んでしまう確率は高いが、良い運をつかむチャンスが多いだろう。下を向いて暗い雰囲気の人には良い運は回ってこない。さて、ある本に「あたりまえ」は「当たり前」と書く。「大当たり~!」が「目の前」にあるから「当たり前」とあった。成程!最近「当たり前」というのは実は「当たり前ではなく、とてもありがたいことだ」といった内容のことを聞くが、それを合理的に説明している良い例だと感心した。「そんなの当然、当たり前でしょ」と思うか「当たりが前にある、有難い」と思うかで目の前の事象に対しての感じ方がガラリと変わる。「当たり前」の語源は二通りあり(ここでは割愛)、先に書いた「当たりが前にあるから」が語源ではないのだが、漢字や言葉を上手に掛けたり解釈すると素晴らしい視点が生まれると感じた出来事。

2016/09/09 14:59

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文字数の多い記述

中学生において学年が上がるにつれて、記述問題、さらには記述する文字数が増えてくる。中学3年生になると60文字、70文字は当たり前で過去の学力テストでは90文字というのもあったらしい。何割かの生徒はこの文字数を見た瞬間に諦めてしまい完全に白紙というもったいないことに。また、一生懸命書いたとしても×、あるいは少しだけの部分点・・・。ではどうすればよいか?①字数が多い記述は8割方が「対比」で書くとうまくいく。②「○○」「◇◇」という言葉を入れることという指定があれば、その言葉+本文中のキーワードを入れる。この2点を意識すると模範解答にかなり近づく。例えば、70文字だと前半と後半で35字ずつに分けて「○○は~~~だが、・・・によって△△になった。」「○○は~~だが、◇◇は・・・」のように。ここでのポイントが「対比」!!!某生徒の解答を見ると前半と後半の内容自体は合っているのだが、接続助詞が「~ので」になっていて前半と後半がつながらないことに。その場合、部分点かあるいは×になってしまうので要注意。はっきりと「対比」させること。また、指定された言葉にばかり意識を取られてしまい、本来ならばキーワードとして使われている語句を主語として、あるいはそれらをどこかでいれるとうまくいくはずが、キーワードの存在を無視すると文章が成り立たないことも。ぜひ参考に。

2016/09/08 14:37

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先日のブログで「あまあし」は「雨脚」「雨足」のどちらの漢字でも表記すると書いたからか、柴犬の「しば」は「芝」でもいいのか?という質問を受けた。「隣の芝は青い」という諺があるように「芝」は「芝生」のことで緑色の草。それに対して「柴」は小さい木のことなので、茶色い毛色の柴犬は「柴」という漢字のみ。「柴」とは昔話の「桃太郎」で「お爺さんは山へ、しば刈りに」と語られる、あの「しば」のこと。昔は、柴を刈りに行くことが普通の労働で薪【たきぎ】などにするためだったとか。実は自分が幼い頃、桃太郎の話を聞いたり読んだりするたびに「しば」=「芝」だと思い込んでおり(芝生しか知らなかったから)、芝生はすぐに伸びるから頻繁にお手入れをしなくてはならないんだなああと単純に思っていた(苦笑)。さて「隣の芝は青い」という有名な諺がある。皆も良く知っているように自分の家の芝生よりも、隣の家の芝生の方が綺麗に見えてしまうという意味。実は自分の家の芝生は庭に出て正面から眺めるため、傷んだところがよく見えるが、隣の家の庭は柵を挟んだ斜めから見下ろして見るため傷んだところが見えないから綺麗に見えるだけであり、実は雑草が混じっていたり根元は枯れていたりするもの。転じて、自分以外の人は幸せなように見えていても、実際はそうでもないという意味でも使われる。先にも書いたが「芝生」はすぐに伸び、お手入れを怠るとすぐにダメになってしまう、つまり「隣の芝は青く見え」、実際に青くて美しいとするならば、そこには隣人が人知れずお手入れを頑張っているということ。そのことを忘れてはいけない。

2016/09/07 09:57

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言葉は身の文

「言葉は身の文 (ことばはみのあや)。」という諺がある。意味は「普段使っている言葉にはその人の人格や品格が表れる。」となる。言葉は「口の剣」とも言われており、刃物のように人を傷つける凶器にもなりうることがあり、正しい言葉遣いを身につけておくということはとても大事!というわけで、今週の中学生クラスは「敬語」について学習予定。例年、学校では中学2年生後半ぐらいから教科書で学ぶのだが・・・意外と難しい!特に「お~する(謙譲)」「お~なる(尊敬)」などは大人でもうまく使えない人がほとんど(かくいう自分自身も数多くの失敗をしてきた)。正しい言葉を身につけるにはまずは基本構造をしっかりと学び、後は実地で練習するしかない。さて、先の諺については個人的には敬語といった正しい言葉遣い云々よりも「口から発する内容」にこそ、その人の人格や品格が現われると感じている。だから、生徒達が親しみを込めて「ため口」になるのは大歓迎!で、完璧な敬語を使ってはいるけれど言ってる内容が人をさげすんだり傷つけたりといった不快な場合は正直言って人格を疑う。その点、通塾してくれている生徒達は「どうやったらこんなにいい子になるの?」というぐらいに素晴らしい品格を兼ね備えたタイプが多く、毎日のように感心させられる。例えば、ん十年前の自分だったら「○○先生は教え方が下手だから、大嫌い!むかつく!」と言ってたであろう場面においては「○○先生は・・・ちょっと地味なタイプなんです・・・」と表現。「・・・」については表情および別のルートからの噂ですぐに見当はついている。本当に生徒から学ぶことが多く感謝!

2016/09/06 11:45

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背景を知る2

中学3年生では、教科書に「外来語」について細かく分類されており、詳しく学ぶチャンスがある。小学校でも「外来語」について少しだけ学ぶが、中学校では「服飾関係の言葉」➡フランス語由来、「医療関係」➡ドイツ語由来、「音楽関係」➡イタリア語由来などと言った具合に詳しく教科書に説明されており、テストでも細かいことを問われる。さて、これらを呪文のようにブツブツと覚えることが出来ればそれでいいが、無理やり覚えた記憶というのはすぐに忘れやすい。だからこそ「何かと関連付けたり」「イメージする」ことによって暗記できるものはイメージを使うよう記憶術では提唱されるし、実際に人間は無意識にそれらを実行する。さて、言葉についてはきちんとした由来(背景)を知ると楽しく覚えられる。例えば、服飾関係がフランス語由来。。。「だから、パリ・コレ(年に一度フランスのパリで開かれるファッションの新作ショー)が有名」だとか「オペラ(音楽劇)といえばイタリア」、「カステラは室町時代の南蛮貿易時に入ってきた・・・・成程、だから長崎県の名物はカステラ!しかも南蛮貿易と言えばポルトガル・・・カステラ=ポルトガル語由来」「ついでに、カルタもポルトガル語・・・お正月にカルタを楽しみながらカステラを食べているイメージで覚える」など。「医療関係はドイツ語由来だから昔の医者はドイツ語は必須で、カルテはドイツ語で書いていたんだなあ」などと言った具合に。無理やり鬼の形相で覚えるよりも、由来や背景を知ることによって少しでも楽しくしかも短時間で覚えられるならばそれに越したことはない。

2016/09/05 15:07

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背景を知る

小中学校の教科書内に「短歌・俳句を味わう」といったタイトルを見かける。確かに短い言葉の中にぎっしりと込められている心情や風景をじっくりと味わうということは感性を磨くための素晴らしい方法で、ぜひとも学校の授業のみならず、こういうチャンスをぜひ見つけたいもの。しかし、テスト問題などに対しては短歌や俳句を味わうというよりも、いかに歌が詠まれた背景、よく使われる技法を知っているかが明暗を分ける。先日、俵万智(現代の歌人)さんの随筆がテスト問題として出題されていた。俵万智さんが石川啄木の短歌を2,3取り上げて自分なりの意見を書いている文章。問いでは、石川啄木の歌のテーマが4択で出されており・・・。本文を一文字も読まずに「石川啄木=望郷の念」という図式を知っている自分は「あ、答えはイだよ。エではないよ。なぜなら・・・」と生徒に説明したところ「先生、すごいパッと答えるね。さすが~」ととっても褒めてくれるS君。魔法でもなんでもなく「知ってるか、知らないか」だけの違いだと説明し、石川啄木は「望郷の念」「三行書き」、その他もろもろの背景を紹介。また、正岡子規は病気で動けない中、詠んだ句が多いこと、短歌や俳句では意識的に対比(色、生と死)が多く用いられることなども紹介。要するに、じっくりを芸術作品として短歌や俳句を味わいうことも大切だが、それらを本当にじっくりと吟味できる(する)ためには最低限の技法や作者の背景を知ることが必要。そうすることによって味わうことはもちろん、テストで出題されたとき、共に良い結果となる。

2016/09/04 13:42

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便りがないのはよい便り

「便りのないのがよい便り」という諺がある。便りのないのがよい便りとは、親族や知人などから手紙などによる連絡がないのは、その相手が無事で幸せに暮らしている証しだという意味の諺。確かに、音信不通の相手からたまにもたらされる便りは、悪い知らせである場合が多い。さて、先日の台風10号では芽室地域にもかなりの被害が出て、テレビでも町内の凄まじい映像が流れたため県外の友人、知人から多くのお見舞い連絡をいただいた。幸いなことに国語塾は全くの被害がなく平和な朝を迎え、皆さまからの連絡で逆に被害の大きさを知ったという次第。おかげで20年ぶりに高校時代の恩師と話すことが出来て本当に懐かしく、嬉しかった。とまあさすがに遠方の場合、自然災害時に「便りがない」=「無事」とは限らないため連絡を頂き、逆に自分も熊本大震災の際などは安否確認をさせていただいた。話は戻るが先日の台風では生徒さん達、保護者の方々には多大なご心配をおかけしたが「便りがないのはよい便り」を実行させていただいた。つまり、こちらから「お教室閉鎖、お休み」といった連絡がないならば無事だと思ってくれるだろう・・・と。「便りがないのはよい便り」はケースバイケースだが、うまく判断していきたいもの。

2016/09/03 15:17

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それぞれの解釈

「下手にちょして修復不可能なほど絡ませてしまい、久々にだはんこいた」という文を友人のブログで見つけたのだが、正直言って「?○△※!」・・・・。ブログの後半で「ちょす→触る、だはんこく→愚図る」という北海道弁だという解説を見て、成程「下手に触って修復可能なほどに絡ませてしまい、久々に愚図った」という意味かと納得。方言は地域独特の言葉なので、新しい方言に触れるとなんだかとっても新鮮な気分になる。とはいえ、自分自身はそれが古文を学ぶ時に障壁になってしまったことがある。関西では「あかん(だめ)」「いらん(いらない)」「聞いてへん(聞いてない)」というように「ん」は「ない」という否定の意味。そのため、古文で「む(ん)」は本来は「~だろう(推量)」「~しよう(意思)」なのだが、すべてを「~ない」と訳してしまい意味不明になってしまったことを懐かしく思い出す。地域に限らず個々人の経験値によって言葉の意味は人それぞれ解釈があるため、正しい知識を最初に習うときは本当に気を付ける必要があると感じる。老若男女と交流があり、さらには外国にも友人がいるという某生徒。「先生!読むの命令形って『読め』となってますが『読めよ』とはいわないんですか?『よ』は文末につかないんですか?」との質問。彼の周囲ではもしかすると文末に「よ」を付けて命令形として言葉を使う人がいた(いる)のかもしれないと思いつつ、一般的には「よ」はつけなくて良いことを伝えた。分かりやすい例としては「走れ メロス」「開け ゴマ」と言った具合に命令形の文末は一般的にはエ段。

2016/09/02 12:16

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今日は新月

今日から新しい月。月が改まるごとに「なんだか新しいワクワクすることをしたい」「今月はどんな楽しいことがあるか?」と思うのは自分だけか?さて、本日、2016年9月1日は地球と月と太陽がほぼ一直線にならび太陽に月が隠れてしまう、そんな現象が起こる日で、新月と金環日食が重なる。一年に何度もある訳ではなく、太陽が月に隠れる事で宇宙からの月の特別なエネルギーをいつも以上に頂く事ができる瞬間と言われている。空(宇宙)に向かって静かに願い事をすれば叶うかも?!さて、高浜虚子の俳句を一句紹介する。 「虚子一人 銀河と共に 西へ行く」昭和24年、ようやく戦後も落ち着き平和へと向かう時代を感じ取った頃か。地上から夜空を仰ぎながら瞑想していると天は西へ動き地球上の全ては東へ動いている。即ち、地球の自転を肌で感じながら虚子の心は壮大な銀河の美しさで一杯になる。それ以外の人も物も消えて行き、自らも地球上にはいないかのような神秘体験をする。自分はこの句から、一人というものの豊かさを感じると同時に一人一人は究極は宇宙とつながっているのであって孤独ではないと思うのだ。相変わらず引きこもりながら、しかも、仕事を脇に置きながらこんなことを考えている。さすがに今から仕事をしよう。

2016/09/01 14:16

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