めむろ国語専門塾
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小さな国語塾のつぶやき
「引越し」と言う言葉
昨日から立て続けに「引越し」という言葉を目にする。昨夜、友人から「ブログを引越しました。」というメールが来て、今朝の朝日新聞の天声人語では江戸時代の浮世絵画家、葛飾北斎が引越し魔だったという話題に始まり「住む場所を変えると、新しい自分になる気がする。そんな経験をお持ちの方もおられよう。だからこそ荷物を出すときには、今までの自分を置いていくような寂しさもある」(朝日新聞 3.9日付「天声人語」より抜粋)という記事を目にした。さらにはいただいたコメントにも「引越し」という言葉が。昨日のブログ記事が「郷に入っては郷に従え」なので「引越し」というキーワードの入ったコメントをいただくことは自然の流れといえば自然だが。さて、友人はアメブロから別の会社のブログに完全に引越しをしており、なぜ引越しをしたかなどがブログにつづっていた。「なるほどなああ」と感じるとともに「友人らしいなああ」と笑みがこぼれた。「引越し」は「人が生活する場所や活動する場所を他の場所へ移すこと、またその作業のこと。」と辞書には書いてあるし、その通りの意味なのだがぴったりの漢字を充てていると思う。「引越し」とは物や人を移動させるだけではなく、天声人語にもあるように「今までの自分を置いていく」という意味をも漢字が含んでいるような気がするから。「引越し」→①まずは一歩引いてみる(押してダメなら引いてみる、というイメージ)恋愛に限らず「イケイケ、どんどん」とばかりにがむしゃらに進んで押すばかりだと周り(相手)が見えなくなる可能性がある。だからまずは一歩引いてみて、自分や状況を客観視することが大切②今までの立場、状況、環境を超えてみる(成長すべくして躍進する?!)というイメージが浮かんでくるのだ。少なくとも友人に関しては今までの自分、立場という殻を破り捨てて一歩も二歩も成長しているような雰囲気が文面から伺われる。あらゆることに精通している素晴らしい才能の友人、これからますます飛躍し・・・・手が届かなくなる場所に行ってしまう~?!などと思わず懸念、いや置いて行かれないようについていこうと決意を新たにしている自分自身。天才画家、葛飾北斎が引越しすることによって活力を得た?!ことを見習って「住む場所を変える」まではしなくてもちょっとした「変化」「ちょっとした引越し」を恐れることなく一歩踏み出すって新鮮でいいなあ、新年度はどんな「変化」があるか、「変化(プチ引越し)」を起こそうかとワクワクしながら思案中。
2018/03/09 22:25
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「郷に入っては郷に従え」
「郷に入っては郷に従え(ごうにいってはごうにしたがえ)」という諺がある。意味は「風俗や習慣はその土地によって違うから、新しい土地にきたら、その土地の風俗や習慣従うべきだということ。また、ある組織に属したときは、その組織の規律に従うべきだということ。」(故事ことわざ辞典より)。基本的には自分にとっての不利益がない限りは「郷に入っては郷に従う」べき、そうするからこそ秩序が守られるのだと感じる。自己弁護するわけではないけれど、先日ふと悪気なくある行動をとったところそれは北海道の地域性には合わないことだと判明し、某方から大目玉を食らいひたすら平謝り・・・。知らなかったとはいえ失礼な行動をとってしまったのは事実なので猛省。後日に本州の友人2名(それぞれ関東、東北在住)にその話をすると彼らもびっくり!何にか?北海道の習慣に対して。友人たちは「どの習慣が良い、悪い」のジャッジは一切しておらず純粋に「へーっ、そうなんだ~。面白いね~」と話を聞いてくれたので少し救われた。そして逆に友人(東北在住)に興味深いことを聞かれた。友人は先日、警視庁の方と食事をして次のような話を聞いたらしい。要約してまとめると①「オレオレ詐欺」に引っ掛かりやすい地域、引っ掛かりにくい地域がある。一番引っ掛かりやすい地域は東北(これには友人は納得していた)、引っ掛からないのが大阪。②大阪の方々は次のように言うそうだ「息子が交通事故を起こした?そんな人様に迷惑をかけるような息子ならいりません。そちらで好きにしてください。」ガチャン!だとか。①はともかくとして②についてどう思う?と聞かれたのだ☜ちなみに陰陽師は関西出身。①②については警視庁の方本人の談なので間違いはないはずだが、友人にしてみれば大阪の人が果たして先のような大胆な発言をするか?と不思議なようだ。ちなみに自分自身の感覚としては先のセリフは腑に落ちる。それは「そんなとんでもない息子はもう縁を切る」という意味が少々(けじめをつけるため)、実は「あ、この電話は怪しい」と分かったうえで敢えて騙されたふりをして相手を懲らしめる?!的な意味合いで使う。合う、合わないはともかくとしてその土地の地域性を「知る」ことは大切だとつくづく感じた出来事だった。
2018/03/08 13:42
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生徒達の成長
間違うことのが悪いのではなく、自分で気づいて修正できるか?が大切だということは、あらゆる場面であらゆる人が言っている内容。。。決して新しい特別なことではないのだが、実行できているか?と問われると「・・・」と思わず口ごもってしまう(汗)。せいぜい「気づく」まではできても「修正」までできているかが怪しい自分。さて、昨日の中学生クラスでは学力テストや期末試験の問題と解答を持参してもらい、見せてもらったところ生徒たち自ら「自分は漢字ミスが多いですね。それからこの記述は文末表現を間違えたため減点。」「これは『勝つ』が言い切りなのに『勝てる』だと思い込んだため下一段活用にしてしまいました。」などなど、なぜ失点してしまったかを分析して修正していた。思わず「素晴らしい~~~~」と内心で叫んでいた。かなり難度が高い記述を完璧に書けていた生徒がいたことも最高に嬉しかった。思わず「成長したなあああ」と感無量。昨日のクラスは特に頑張り屋さんがそろっており、部活などで疲れていようが、体調不良で薬を飲みながらであっても、夕飯を食べる時間がなく空腹な状態であっても真面目に頑張るという精鋭ぞろい。成長したと言えば、彼らの身長!1年前と比べると10センチ以上伸びたというタイプもチラホラ。思わず授業終了後に全員で順番に壁に背中をつけて背の高さのところに付箋を貼り、名前を書いて競った。かろうじて全員に身長を抜かされているというわけではないけれど、抜かされるのは時間の問題?!こればかりは嬉しいような悲しいような・・・。だって彼らはこれからどんどん伸びる一方、こちらは伸びるどころか将来的に縮んでしまう可能性が高いわけであって。何はともあれ身長といった体の成長はもちろんのこと、内面の成長ぶりをも感じることができるのが最高に嬉しい。勉強においては自分でミスや間違いに気づき修正していく力をこれからもどんどん身に付けて学力を飛躍的に伸ばしてほしいなあと切に願う。どの生徒に関しても初回のことはよく覚えており、思わず通塾歴が長い生徒に「○○って本当に素直でひたむきで可愛かったよね~」と言うと「え?今はかわいくないんですね!」とツッコミを入れられてしまった。中学生本人に「かわいい」は失礼かな?と一応気を使い「いやいや、今も最高にいい子だよ」と伝えた(汗)。
2018/03/07 02:16
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「文章力」とは?
最近はやりの「~力」、あらゆる言葉の語尾に「力」をつける風潮が最近あるように思う。「鈍感力」「女子力」「コミュニケーション力」など。さて、ふと思い立ってパソコンで「文章力」と検索してみたところ出るわ出るわ!これでもか~というぐらいにヒットしご丁寧に「文章力アップの方法」として10以上の項目がズラーッと列記されていることも。むろんそれらをすべて満たす文章を書く力をつけることができれば素晴らしいのだけれど、なかなかそれは難しい。なぜなら人間は感情の生き物なので、時と場合によってはそういう「型」「方法」と言ったものを取り外して思いつくままに書くことも多いから。とはいえそれがダメかと言うとそうでもない。型や形式云々を外した本音でつづられた文章はとっても訴えてくるものがあり魅力がある。特に若い世代は「感情のまま」に書いた方が共感しやすい。若い世代が自分の感情を、老成化した仙人のような理路整然とした表現のみで書いたら逆に怖い。ただし、人生半分を生きてきた自分自身は次のようなことを常に意識している。どんなに感情のままに文章を書いたとしても読み手を不快な気分にさせないように「客観視して書く」、特定の物や人だけを攻撃したり批判せずに双方の視点を意識する②深刻な内容になればなるほど「ユーモア、笑いを誘うような表現にする」だ。深刻なことを「これ以上にない」ぐらいに書くと読み手も困るかなあと。この2点を見事に体現できることが「文章力」だと自分の中では定義している。それらを見事に体現しているのが、いつもお邪魔させてただいている「りりおん」様のブログ。りりおん様はとっても文章力がおありで、いつも楽しく読みつつ勉強させていただいてるのだが、次のブログ記事は特に圧巻だったので紹介させてもらう。ご自分の立場と娘さんの立場からの両面からの意見を冷静に、かつユーモアを交えての文章。素晴らしいなあと心底感じた。目指せ!「文章力」を磨くことを!と自分に言い聞かせている。
2018/03/06 14:55
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「窮すれば・・・」
世界各国で共通の似たような諺や慣用句が存在し、日本語の中でも似たような意味の慣用句や諺が多い。さて、今日は意味が似ているのではなく「表現」が似ているけれど意味が全く違うという慣用句を2つ紹介する。①「窮すれば通ず(きゅうすればつうず)」(意味)事態が行き詰まって困りきると、かえって思いがけない活路が開けてくるものである。②「窮すれば鈍する(きゅうすればどんする)」(意味)貧乏すると頭の切れる人でも愚かになる。貧乏すると生活に追われて、どんな人でもさもしい心を持つようになる「貧すれば鈍する(ひんすればどんする)」ともいう。前半の「窮すれば」は同じだが後半の表現が少し違うだけで意味が全く違うので自分自身や身近な人に対して使うときは注意が必要。身近な人が行き詰っているときに「窮すれば通ず」と声をかけるのはOKだけれど、まかり間違っても「窮すれば鈍する」とは口が裂けても言えない(苦笑)。この慣用句はともに真理を突いていると感じ、窮したときに思いがけない活路が開けて上昇するタイプと逆にどんどん卑屈になっていき心まで貧しくなってしまうというタイプが存在する。しかも誰しもがそのどちらのタイプになりうる、自分は絶対に前半だけ!ということは少ないだろう。下手すると、窮したときに「これぞ新しい活路だ!」と張り切ったもののますます事態が悪化して・・・とうとう心まで貧しくなってしまうということも無きにしも非ず。☜実際にそういうパターンを見聞きしたことが数知れず。では、どうすれば①「窮すれば通ず」になるか?明確な答えなんてない!あったら逆に教えてほしいぐらいだけれど・・・。ただ、自分自身が「窮したときに」には「命まではとられない、また一からやり直そう」と言い聞かせ「冷静に」「冷静に」と呪文のように唱えている。☜果たして効果のほどはいかに?!少なくともピンチになったときは「窮すれば通ず」と信じてただただ一歩ずつ一歩ずつ「それでも前へ」と歩いている。先にも書いたが、くれぐれも「窮すれば通ず」と「窮すれば鈍する」の使い方や使う場面を間違えないことを肝に銘じておく必要あり。
2018/03/05 11:55
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「それでも前へ」
国語教室内に「それでも前へ」という10センチ四方の書が飾られている。これは去年の3月末に心の書画家 伊藤一樹さまの個展にお邪魔し、北海道に連れて帰ってきた作品。多くのメッセージの中から「それでも前へ」が一番ピーンときたから迷わず購入。何度も卒業、入学、就職・・・を経験してきた身としては当然のことながら「最高級に嬉しかった」時期あり、「人生で最悪だった」こともある3月。どんな時でも「それでも前へ・・・あきらめずに一歩一歩」と突き進んできたよなああ~(今もそうだけれど)とお教室に入って「それでも前へ」という書を見るたびに思うのだ。むろん人生においては「休む時期」「冬眠する時期」が最も大切なこともあるだろうが、たまたま自分自身に関して言えば「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。(鴨長明「方丈記」より)」をモットーに少しでも流れをせき止めたり立ち止まったりするとそこで「よどんでしまう」とばかりに常に前を向いて進んできた。※あくまでも「生き方」に関してであり、体調不良などなどの時は堂々と長期間休んできたし今後もその予定。伊藤様ご自身のプロフィールを拝見すると壮絶な経験をされていることが伺える。でも、どんなことがあってもあきらめずに少しずつ少しずつ、一歩ずつ一歩ずつ前へ・・・と歩んでらっしゃたからこそ、それらの体験が伊藤様の魅力に反映されているのかなああ~と去年を懐かしく思い出しながらふと感じた。ブログの文面からもあふれる素敵なお人柄!でも、実際にお目にかかると・・・・あまりの素敵さに一瞬で心がわしづかみにされた(笑)。奥様も本当に素敵な雰囲気で「ああ、想像通りの方だった!」と嬉しかった。詳細についてはカナダ在住のMayumi様がブログで紹介されているのでぜひお読みいただければと思う。ちなみにMayumi様とは直接お目にかかったことはなく、メール上でのやり取りのみだがいつかはお会いしたいと思っている。「それでも前へ」と日々まじめに?!生きていると必ず素敵な出会いがあり、会いたい方々にも会えるだろうと信じている。☜我ながら単純だと思うけれど(苦笑)。
2018/03/04 17:11
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複雑な記述問題
昨日は中学3年生は最終日だったので来週の入試対策として「記述の見直し」を徹底的に行った。お教室で使用しているテキストのみならず、他塾や学校で使用しているテキストで疑問点があれば何でも受け付けるというスタンスで行ったところ・・・次の2点の課題が見えてきた。①本文の内容を漠然としか理解していない→記述は難しい。②記述に使うべき文章を2,3文見つけたとしてもそれらをどのようにまとめればいいかが分からない、以上2点の課題が浮き彫りになった。①に関しては他塾で授業を受けて、論説の内容を図式化して説明を受けており、生徒は一応?!内容そのものは理解している様子。が、60字の記述については「どこの文章を参考にして」「どんなふうにまとめると」→「模範解答になるか」が全く分からないとのこと。つまり論説の内容を完璧に理解できたならば記述も出来たのだろうが、哲学的な内容の文章を1,2回読んだだけで完璧に理解なんて不可能に近いと言いたい。結局はある程度の理解度の状態で頑張って記述に取り組まなくてはならない。模範解答はすっきりとした文章で完璧にまとまっているのだけれど、確かに模範解答だけ示されても「なぜこんな文章になる?」と感じるのは当然。結局「聞かれていることは何か?聞かれていることに対しての解答はどの文章か?」を徹底分析し、どのようにまとめるかを説明しなんとか一件落着。②次の課題では記述に使うべき文章が2文に絞れたものの、それらをどのようにまとめるかが分からないとのこと。全く違う内容の2文をまとめるかは至難の業なのだが、そこはきちんと解答欄にヒントがあった。「従属栄養生物である人間が、」表現に続けて、65字でまとめるというもの。「人間が」と主語が提示してあるので述語の部分は「人間の行動、動作」を表す表現で終わればよい。ちょうど2文のうち1文が「人間が…勘違いしている」とあったので解答の最後は「勘違いしているから」(☜理由を問われている問題だったので文末は「から」)とすればよい。つまり、いきなり2文をうまく組み合わせて長文にまとめるのではなく文章を細かく切っていきそれらをうまく組み合わせていくというイメージでメモ、清書していくとよいだろう。この文章自体が分かりづらいとは思うけれど実際は問題文を目の前にして口頭、見本を見せるなどして指導したのでようやく生徒は納得した様子でホッ。あと3日は今までに習ったことと再確認して本番試験に臨むように伝えた。きっと吉報が届くだろう~!
2018/03/03 15:17
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プラス面とマイナス面
「人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま)」という諺がある。幸不幸は予期できない。何が禍福に転じるか分からないという意味で使われる。「淮南子」の塞翁の故事にちなんでおり、古文の入試問題やテキストにも頻繁に出てくる。内容を簡単に紹介すると「むかし、中国の北方の塞(とりで)のそばに翁(おじいさん)が住んでいた。ある時、この翁の馬が逃げ出してしまったので近所の人が気の毒に思っていたが、翁はたいして落ち込まない。しばらく後に、逃げ出した馬がとても足の速い立派な別の馬をも連れて戻ってきた。近所の人が喜んでいると翁は喜ばない。すると、この馬に乗っていた翁の息子が馬から落ちて足を骨折してしまった。それで近所の人がお見舞いに行くと、やはり翁は変わらない態度。やがて、戦争が起き多くの若者が命を落とすことになったけれど翁の息子は足を怪我したため戦争に行かず無事だった。」という話だ。この諺の元となったお話の中の翁の態度が素晴らしいと思う。なぜなら翁は物事のプラス面とマイナス面の両面を冷静に信頼して受け止めているからだ。物事には必ずプラス面とマイナス面が存在するのだけれど、冷静さを失うと時として片面だけがクローズアップされてしまう。例えば受験に置き換えてみると「志望校合格」=「プラス面」なのだけれどプラス面ばかりに意識を向けて努力を怠ると・・・折角、志望校に入学したにもかかわらず勉強についていけなくなるという悲惨なことに。また残念ながら「志望校に不合格」=「マイナス面」ばかりクローズアップしていたらずっとマイナスから脱却できない。マイナスから脱却するためには気持ちを入れ替えて入学した学校で頑張るか、あるいは別の方法をとる・・・。いわゆる逆境をバネにして頑張れば必ずプラスに転じる。結局はマイナス思考ができなくてはプラス思考の良さは分からない。むろんマイナス思考だけではだめだけれど。また、プラス思考だけでは何かがきっかけでそれに信頼が置けなくなった時に最悪な事態を招く結果にもなりかねない。プラス思考で突っ走るのはいいが結果失敗しても省みない、成功の糧にしないことに。マイナス思考あってのプラス志向であり、絶えず両極を頭の隅に置いておく必要があるな~とつくづく感じる今日この頃。
2018/03/02 03:30
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どこを省くか
今日は大雪の十勝・・・。旧暦で3月と言えば春だけれど、実際の春はもう少し先か。さて、大雪の予報は昨日から出ておりそれらをすでに知っている生徒たちは「もう3月、春なのに大雪予報ですよ~。だから学校は午前中のみの授業なんです。」ときちんと旧暦を意識しての会話。(ウンウン、さすが!と内心ニンマリ)。別の生徒も「最近『春眠暁を覚えず』状態で、今日の午後からの数学の時間に眠くて眠くて・・・・。」とのこと。いやいや、昼食後に暖かい部屋にいると睡魔が襲ってくるのは当然のこと、健康な証拠!自分(陰陽師)なんて春眠どころか一年中、しかも一日中眠い!!!と自分で自分にツッコミを入れた。☜これって単なる病気?!ところで、昨日の中学生授業では記述問題での失点をどう防ぐかについて個々人の学力テストの解答を見ながら各自に解説を行った。中でも惜しい解答があったのでそれについては特に細かく指導。その「惜しい」解答の元となった問は「次の○○、△△、□□を用いて、なぜ・・・なのか?について答えなさい。」という問題。生徒は〇〇、△△、□□にはすべてチェックをつけており、幸い?それらの言葉がすべて近くにあり、2文になっていたため「ああ、この2文を要約すればいいんだ」とすぐ気づき解答欄内にまとめていた。使うべき語を使い、字数以内に収めているのになぜ減点?と不思議だったようだ。☜確かに・・・。結論を言うと解答に要約すべき2文はきれいな対比文だった。つまり使うべき語は三語なのだが、○○対●●、△△対▲▲、□□対■■と言う構造だったため●●、▲▲、■■を含めた6語を使う必要があったのだ。ところが余分な個所を入れてしまったため■■が抜けており減点となった。なんとなく文章内容を理解していたけれど完璧な対比文、つまり対比構造を用いて文章を書くということに気づかなかったための減点。要約の方法についてはお手製のプリントを全員に配っており、そのプリントのイラストが「余分なぜい肉を省こう」というセリフとともに女性のダイエット前、ダイエット後の様子。つまり個人的に要約はダイエットと似ているなあと思いプリントを作った。よく言われるのがダイエットして体重は落ちたけれど落ちてほしくない部分が落ちて(水分が抜けてしわが増えた、脂肪ではなく筋肉が落ちたなど)しまったことはよくありがちなこと。ダイエットと要約はともに「どの個所をうまく落とすか?」に尽きる。ダイエットよりも要約の方が、正しい練習さえすれば短期間で上達するのでお勧め。
2018/03/01 18:08
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雛人形
今日は月に一度のラジオ出演、お題は「お雛様」!一応国語ネタを・・・と思い色々と調べてみると「ひな」という字に「雛人形」と「鄙(ひなびた)」を掛けている句を見つけた。江戸時代の俳人、与謝蕪村の「雛祭る 都はづれや 桃の月」という句で意味は「ああ、こんな都から遠い田舎にもお雛様が飾ってあるんだなあ」だ。田舎の寂し気な場所にでもお雛様が飾ってあるとほっこりした気分になるもので、こういう感じ方は現代人も昔の人も同じだなあとつくづく感じる。同じく江戸時代に活躍した松尾芭蕉も「雛(ひな人形)」を季語として次のような有名な句を残している。「草の戸も 住み替わる代ぞ ひなの家」「戸口が草で覆われたこのみすぼらしい深川の宿も、私に代わって新しい住人が住み、綺麗な雛人形が飾られるようなはなやかな家になるのだろう」という意味だ。さて、ラジオパーソナリティーのM様は折り紙サークルの方々からいただいた折り紙の雛人形を玄関に飾ってらっしゃるそうで、思わずおしゃれで合理的、しかも「雛人形」そのものの歴史を再現している~となんだか嬉しくなる。雛人形はもともと、「上巳の節句」の際に、草や藁で作った人形(ひとがた)で体を撫で、穢れを移したものを川に流すことで厄払いとされていた行事と、貴族階級の女児が行っていた紙の人形のおままごと遊びである「ひいな遊び」が合わさって生まれたものだと言われているからだ。いつも素敵に輝いているM様、きっと雛祭りが終わったらM様に近寄ろうとする厄や穢れを折り紙の人形が背負ってくれることだろう。ちなみにラジオでも申し上げたけれど自分自身については幼い頃は立派な7段飾りの雛人形を毎年飾っていたけれど、いつの頃からか飾らなくなり・・・両親が「人形供養」としてお寺にだいぶん前に持って行ったらしい。ただ、こうして由来や意味を知ると別に大きくなくても、本格的でなくてもいいので日本古来の伝統文化として今後も雛人形を飾ることは素敵だなあと思う。ちなみにお教室のドアのそばに刺繍作家である友人が作ってくれたウサギのお雛様とお内裏様の壁掛けを飾っているけれど誰も気づかいない様子。男子学生が多いから、反応が少ない?!きっとお雛様に意識を向けるよりもいち早くお教室に入って「勉強」という意識が強いんだろう・・・・ということにしておこう(苦笑)。
2018/02/28 17:54
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