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小さな国語塾のつぶやき

ばつが悪い

先週の中学生クラスの授業中に、ある生徒が「先生って面白いです。」とのこと。思わず「え?有難う!面白いなんて誰も言ってくれないから、最高に嬉しい褒め言葉!どこが面白いの?」と聞き返すと「だって、腰が痛いとか全く言わないし・・・。先生の年代だとあちこちが痛いって言って、人によっては腰が曲がってしまったり。それに服装も地味で暗いし。でも先生は違うよね。だから面白い(変わってる?)」とのこと。思わず(え?もしかして年代を思い切り勘違いしている?確かに、考え方などは後期高齢者的だけど実年齢は…腰が曲がるまではあと30年はある!)と思いながら笑いをこらえるのに必死だった。授業中だったということもあり、何も反論せず何事もなかったかのように指導に戻った。そして翌週、彼に「あの・・・君は勘違いしてるよ。年齢の割には不思議なぐらいに若くて面白いという意識を覆して申し訳ないけれど、腰が曲がる年齢ではないよ。髪の毛だって白髪は一本もないし・・・これ染めずにすべて自毛だよ」と言うと、思い切りばつの悪そうな様子。騙されたままにしておいた方がよかったかな?とチラリを思った次第。さて、この「ばつが悪い」の「ばつ」には語源が2種類。(1)「場都合 (ばつごう) 」 の短縮したもの。 この場合の都合は 〈場の状況〉 〈場の雰囲気〉 というようなこと。「ばつが悪い」 は、〈その場の状況や雰囲気に合わない〉 というようなことになる。(2) 本の 「序」 に対する 「跋 (ばつ) 」 のこと。「跋」 は本の 〈後書き〉 のようなことで、「ばつが悪い」 は〈終わり方がうまくいかなかった〉 〈結末がよくなかった〉 というようなことになり〈ちょっと恥ずかしく思う〉 ということか。なにはともあれ、今週から生徒たちには、きちんと「永遠の28歳(平成生まれ)」ということを強調しておこうと決意!そうしないと、ばつの悪い思いをさせてしまうから(苦笑)。

2016/11/09 15:32

染めてないんですね!すごい!ワタシは、いつからか…白髪染めです( ̄▽ ̄;)

2016/11/13 11:54 返信

スポット@めむr国語専門塾

コメントありがとうございます!だって!28歳ですから(笑)でも、髪の毛が薄くて少ないのが・・・玉に瑕なのです。平安時代だったら最も嫌われるであろう紙質です。

2016/11/14 01:50 返信

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雨降って地固まる、降ってわく

今日は朝から降雪、次第に雨に変わってきた十勝地方。というわけで「降る」と言う表現を使う慣用句を紹介する。①「雨降って地固まる」【意味】人は雨を嫌がるものだが、雨が降った後はかえって土地が固く締まり良い状態になる意味から、揉め事の後は、かえって良い結果や安定した状態を保てるようになることのたとえ。つまり、これは「雨が降る→地面が固まる」という時間差がある。それに対して②「降ってわいたような」【意味】突然行われること、思いがけず現れることで、こちらは「降った後に地面から湧いてくる」のではなく「降る」と「湧く」は同時に行われ、良い意味でも悪い意味でも使われる。例えば「降ってわいたような縁談」「降ってわいたような災難」と言った具合に。幸も不幸も天の神、地の神の思し召し?で、どちらが先という時間差は当然ないんだなあと暢気なことを考えている。もちろん同じ「降ってわくならば」、良いことを希望する。生きていると「良い」ことばかりではないが、「悪い?」ことが降ってきたら地を固めるチャンスとし「良い」ことが降ってきたらありがたく受け止めて、さらに邁進。

2016/11/08 15:58

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句切れ

短歌や俳句の句切れを探す時には①切字(や、かな、けり、よ、ぞetc)があるところを探す(読んで字のごとく、切字があるところで句切れになりやすいから)②句点の打てるところを探す③視点が変化しているところを探す、というこの3点を心がけることが大切で、中学2,3年ともなると①②はほぼ完ぺき。が、意外と③が盲点になる。句点の打てるところ≒終止形、言いきりだと必死で探すのだが、動詞に関しては終止形と連体形が同じになるため紛らわしい。先週の短歌の演習で100パーセントの確率で全員が間違えた問題をここに紹介する。「山かげの 草にのこれる 夕あかり 馬はかすかに 尾をふりにけり (石井直三郎)」は何句切れかを答える問題。「のこれる」が動詞の言いきり(終止形)だと思い込み「二句切れ」と全員が解答。実はこの「のこれる」は「夕あかり」にかかる「連体形」と考えるのが妥当。さらには、前半の主人公(視点)は「自然」で後半からは主人公(視点)は馬に移っている。よって、これは「夕あかり」で切れる三句切れと言える。短歌や俳句は作者が感情や目の前の情景を短い言葉で表しているので、機械的に技法のみにこだわるのではなく、言葉を映像にしてイメージすることも大切。

2016/11/07 13:42

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時代背景

中学生用のテキストで次のような問いがあった。問「ひとり灯のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなうなぐさむわざなる(吉田兼好)※この場合の文は書物。」下線部はどのような意味を表していますか。次から最も適当なものを選び、記号で答えなさい。ア会ったことのない昔の人と、書物を通して心を通わせること。イ会ったことのない国の人を書物で知り、友となること。ウすでにこの世にいない昔の友を、書物を読んで思い出すこと。答えはアなのだが、某生徒がイと解答。どこが違うかを考えてもらったのだが本人は自信をもって答えていたため、しばらくは分からい様子。そこで、次のような具体例を挙げた途端に「あっ」と気づいて正解に。その具体例とは「例えば、君がノンフィクション(事実に基づいた話)を読んで、感動したからと作者に連絡を取って会いに行く、あるいは外国なので会うのは難しいとなったら手紙やメールを送って友人になるようなものだよ。」と。ウに関しては「文」を「手紙」と勘違いした場合に選びがち。だが、今回の問題ではきちんと注釈があったのでそれを読めば選ばずに済む。さて、何が言いたいか?国際交流が進んだ現代においては見ず知らずに遠方の人と友人になることは、よくあるパターン。そのため選択肢を読んだ時に違和感を覚えないが、古文では時代背景が違うことを意識することが大切。ちなみにアメブロを始めたおかげで、見ず知らずの方々から「いいね」メッセージをいただいたり、逆に彼ら彼女たちの素敵なブログに遊びに行かせていただき幸せな毎日、ただただ感謝である。この点においては現代に生まれてよかった~と感じる。

2016/11/06 14:50

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「二度あることは・・・」「三度目の正直」

諺には逆の内容を表現しているペアが意外と多い。そのうちの一つが「二度あることは三度ある」「三度目の正直」。「二度あることは・・・」【意味】 物事は繰り返し起こる傾向があるものだから、失敗を重ねないようにという戒め。それに対して「三度目の・・・」は【意味】 物事は一度目と二度目はあてにならないが、三度目なら確実であるということ。また、二度の失敗の後に成功することをいう。さて、ベイズ定理というものがあり、事象Aが起きた後での事象Bの起きる確率をいう。「二度あることは三度ある」は75%の確率で起き、逆に「三度目の正直」は25%になるとか。ただし、あくまで統計は統計にすぎず実際はどんでん返しなんて日常茶飯事。当国語塾で、お遊びで行っている授業後の「くじ付きガム」や「百人一首チョコ」の当たり具合を見ると「所詮、統計は統計・・・」目に見えない力や流れがあるとしか思えないことが。つまり2回失敗したとしても、反省すべき点を反省し後は天にお任せ?するのが一番の得策か?そうすると意外と「三度目の正直」という結果になるかも。また、「二度あることは三度ある」という諺を失敗にのみ用いるのはもったいないと思う。うまく物事が進むときは油断は禁物だが、「二度あることは三度ある」と信じている方が精神衛生上よさげだが、いかに。

2016/11/05 04:34

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天知る地知る我知る、「捏」

「天知る地知る我知る人知る」という言葉がある(後漢書より)【意味】誰も知る者がおらず、二人だけの秘密にしようと思っても、天地の神々も知り、自分も相手も知っているのだから、不正は必ず露見するものだということから「悪事や不正は必ず発覚するものだ」というたとえ。この言葉を知ったのは自分自身が中学生の頃。それまでは「お天道様が見ているから悪いことをしてはいけない」といったことを祖父母の世代から聞かされていたのだが、「お天道様(天)」に「地」が加わったような気分で、大自然は御見通し・・・まっすぐに?生きよう!と改めて思ったもの(それを実行できているかは疑わしいが?!)。さて、「嘘をつく」「出まかせを言う」「捏造する」という意味の言葉に「でっち上げ」がある。捏造とは、実際になかったことを故意に事実のように仕立て上げること。「捏」の読み方は古くは「デツ」であるため、でっち上げの語源ともなっている。この「捏」という字を見ると「日(天)」や「土(地)」に「手」を加えようとしている、つまり悪さをしようとしているという作りになっている。中国で「捏」という字が先に出来たのか、それとも「天知る地知る我知る」という言葉が先かは分からないが、どちらにしても大自然という大いなる力の前では嘘はつけない、つきたくないものだと自戒を込めている。

2016/11/04 22:52

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お茶目

古文で「可愛らしい」は「うつくし」と表現するが、現代の日常生活において「可愛いらしい」の表現の一つとして「お茶目」という言葉がある。漢字からして「茶道」に関係するのか?と調べてみたところ諸説があるらしい。一番有力な説を紹介する。「おちゃめ」の「お」は丁寧語。「ちゃめ」は「ちゃりめ」の略であり、「ちゃり」には「おどけた、ふざけた」の意味があり、「め」は「女」とのこと。「ちゃり(茶利)」は、動詞「ちゃる(茶)」の連用形。意味は、滑稽な文句や身振り、おどけること。冗談などで人形浄瑠璃における、笑劇的な滑稽な演技・演出のことも言うそう。そんなことから「おちゃめ=ちゃりめ」「おどけた女」の意味となるらしい。とはいえ、最近は「お茶目」と言う言葉は女子に対してのみならず男子、物に対しても使っている・・・。で、ふと思ったのだが調子の良い、発言が軽々しい男性に対して「チャラい」「チャラ男」と表現することがあるが、おそらくこの「ちゃら」というのも「ちゃりめ」が語源だろうと推測される。同じ「ちゃりめ」でも「お茶目」と言われるか「チャラい」と言われるかで明暗を分けるが、同じ行動をしてもそれを見る人によって「お茶目」と感じるか「チャラい」と感じるかなので、人からどう思われるかを気にするよりも人を傷つけたり迷惑をかけない程度に「自分を出す」のはいいことだと思う。

2016/11/03 12:15

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うつくしきもの

平安時代の随筆、枕草子(作者は清少納言)151段「うつくしきもの(かわいらしいもの)」に「なにもなにも小さきものは、いとうつくし」(現代語訳)「何でもかんでも、小さいものは、ほんとうにかわいらしい。」とある。確かに小さい物、特に現物のミニチュアサイズのものは最高に可愛い。それゆえに当国語塾の案内の名刺は授業で使っている原稿ノートのミニチュアバージョンで作成(←このブログを書かせていただいてる東洋印刷さんに作っていただいた。)なぜ我々は小さい物や現物のミニチュアに惹かれるのか?おそらく「小さい物≒弱い≒守ってあげたい、可愛がりたい」という本能が働くからだと思う。さて、昨日友人からコクヨのキャンパスノート、原稿用紙のミニチュアをいただいた!中身もすべて再現されてあり、可愛さはもちろんのことその精巧さに(@_@)!友人は自分用にクーピーペンシルのミニチュアを買ったとか。実物を見せてもらうのが今から楽しみである。さて、枕草子の151段には可愛いものの例が具体的に沢山書いてあり、納得いく物のもあればそうではない物も。。。。ただ、清少納言が小さいものに対する愛情と優しいまなざしを持っていたということがヒシヒシと伝わってきて微笑ましい。ぜひ151段を現代文でいいので読んでみることをお勧めする。さて、清少納言をはじめとして一般的に人は幼児や赤子を可愛いと思うのだろうが、自分自身は、自分よりも小さい(年齢が低い)という理由で中学生(特に男子)が可愛いく、どうやっていじめようかと?日々ニヤニヤしている。周囲からは「中学生を可愛いと思えるのは一種の才能」と褒められて(いや、本当はバカにされて)いるが。※写真はミニチュア版。実物大の物が今手元にないため、残念ながら比較してお見せすることが出来ない。

2016/11/02 18:54

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11月1日

今日から11月、旧暦で言うならば「神無月」から「霜月」になった。10月の「神無月」の由来は、10月は日本中の神々が出雲(島根県)に集まるため「神がいない、留守にする月」→「神無し月」→「神無月」という説がある。逆に出雲では神有月(かみありつき)と呼んでいることは去年かおととしのブログで紹介したような・・・。さて、11月なので神様はもうお帰りになってるだろうと思い、久しぶりに氏神様を祀っている神社にお参り。正月の初詣以来の参拝で、ふと気が向いたから行ってみたという次第。特に信仰心があついわけでもなく、昨日までは玄関にハロウィンの飾りを飾っていたり、来月からはクリスマスのオーナメントを飾る予定。ちなみにハロウィンはご周知のとおり、1年の終わりである10月31日の夜は死者の霊が家族を訪ねてくるとケルト人たちが信じていたことに由来する。死者の霊のみならず、同時に悪い魔女や精霊が出てくると信じていたため身を守るために仮面を被ったり、魔除けのためにかがり火を焚いたりしたそう。10月31日が一年の終わりとは、つまり古代ケルト人達のドルイド教という信仰では11月1日から新しい1年が始まると考えられていた。さ、今日からまた気分を新たにして邁進!

2016/11/01 14:26

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記述のコツ2

「説明文」「論説文」の場合、具体例と結論がきちんと分けて書いてあり、それらをうまく使い分けると面白いぐらいに記述がうまくできるようになる。どういうことか?「つまり」「このように」という接続語があるとその後には結論が書いてある、またその「結論」は誰が読んでも分かるような文章になっていることを利用する。例えば、シカとオオカミの関係について分かりやすく説明するという問の場合(字数は六十字)、5,6行にわたって書いてある具体例を無理やり自力で三分の一の長さに収めようとするとチグハグな文になってしまい、主語と述語が合っていないということに。ではどうするか?具体例の後に「つまり、草食動物と・・・・肉食動物は・・・・である」と結論が書いてあるならばそれを利用する。草食動物という部分を「シカ」に変えて肉食動物の部分に「オオカミ」と入れると内容、字数ともにぴったりとなる。国語の記述とはいわばパズルのようなもの!最初は手も足も出ないかもしれないが、慣れてきてコツが分かるようになると意外と楽しい?!さすがに楽しいとまではいかなくても「難解」➡「まあまあの難易度」ぐらいにはなる。最初は模範解答や解説を見たり、聞いたりしながらどんな風に文章を組み立てていくかのコツをつかむと必ず出来るようになる。後は本人の努力次第。

2016/10/31 01:55

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