めむろ国語専門塾
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小さな国語塾のつぶやき
武士が重んじるもの
何十年も変わらず、中学2年生の教科書には必ず「敦盛の最期」(平家物語)が載っており、中学生はそれを学ぶ。平家物語は和漢混交文のため文体が難しいのみならず、武士道を知っておかないと内容を理解するのは難しい。一言で言うと、武士は「名誉」「面目」「気位」を重んじるということをしっかりと念頭に入れておく必要がある。敦盛が直実に「なんじはたそ(あなたは誰だ)?」と聞かれた時に名乗らないという場面がある。名乗らないが、相手(直実)にとっては申し分のない敵(首を取ると手柄になる)ので早く首をとれ!と言う。ワークや問題集では「なぜ名前を名乗らないのか?」という問がある。「自分は身分が高いので、自分よりも低い身分であろう相手には名乗る必要がない」が答えになるのだが、先に書いたように「武士は名誉を重んじる」ことを理解しておかないと、年下である敦盛が直実に対して名乗らないのではなく、畏れ多くて名乗れない…と言った別の答えを選択してしまうことになる。授業では武士が「名誉」「面目」「気位」を重んじることが、「武士は食わねど高楊枝」「武士に二言はない」といった諺や、菊花の契り(雨月物語・・・兄弟の契りをかわした弟との再会の日時を守るため、自害し魂となって飛んで帰ってくる話。魂となったら一日で千里を移動できることから)に通じるということを詳しく解説。自分の主観で考えず、きちんとした知識や時代背景を学ぶことが古典では大切。
2016/11/19 03:45
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鬼に金棒
「鬼に金棒(おににかなぼう)」という諺がある。【意味】鬼に金棒とは、強いものが何かを得て、さらに強くなることのたとえ。さて、某生徒が工業専門学校の「スマートメカニクスコース」に興味を持ち、推薦を受けてみようとのことで推薦書を持参。一緒に推薦書の自己アピールなどの下書きを考えていたところ、「おおっ!素晴らしい!自分一人だけだったらこんなに素晴らしい文章を思いつかないよ。」と謙遜発言。「そんなことないよ。だって君の考えや気持ちを聞いたうえで、それらをちょっとカッコよく表現してみたら?とアドヴァイスしただけだよ。」と言うと「おおっ、自分と先生はまさに『鬼に金棒』ですね。」と嬉しい発言。(見た目やキャラクターからすると自分が鬼で生徒が頑丈な金棒かあ・・・)と思っていたところ「あ、先生が鬼ですよ(優れているから)僕は金棒です(サポート係)!」とまたまた生徒の嬉しい発言。ちなみに、スマートメカニクスコースというのは既存の機械工学科と情報工学科を融合した学科だとか。好奇心旺盛で頑張り屋さんの生徒にはピッタリのコースで機械分野と情報工学分野の両方を身につけることが出来たならば、まさに彼こそ「鬼に金棒」になるだろうと今から楽しみである。一つの得意分野や特性を生かしつつ、プラスアルファ、様々な勉強をして知識や経験を増やし、太くて頑丈な金棒を持つことが出来る、さらには金棒の数が増える。同じ鬼でも「餓鬼に芋殻(がきにいもがら)」にならないよう自戒をこめつつ、皆の金棒を増やせるよう応援したい。
2016/11/18 12:32
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月の光の美しさ
昨夜、中学生授業が終わり、生徒たちは保護者たちがお迎えに来てくれているかを確かめるためにカーテンを開けて窓から外を覗いたところ・・・。目の前に美しい月が!思わず保護者の車云々よりも、全員が月に釘付け!ちょうど雲が途切れて神々しい満月が姿を見せていた。思わず「ここで一句」という発想は浮かばず、後になって「ここで一句」というお題を出せばよかったと後悔。さて、新たに一句を作れなかったが代わりに有名な百人一首を紹介する。「秋風に たなびく雲の 絶え間より もれ出づる月の 影のさやけさ (左京大夫顕輔(79番) 『新古今集』秋・413)」【現代語訳 秋風に吹かれて横に長くひき流れる雲の切れ目から、洩れてくる月の光の、澄みきった美しさといったらどうだろう!】まさに昨日の月の様子を見事に詠んでいる歌。この歌は複雑な技法を凝らすことなく素直にシンプルに秋の空を詠みきっており見事としか言いようがない。何事もそうだが、シンプルだとその物の本質が良きにしろ悪きにしろ見えてしまうもの。うーん、そう考えると昨日の素晴らしい月に対しては素人が下手にあれやこれやと批評したりせずに「素晴らしい!」「きれいだね」とシンプルに愛でて正解だったか。何はともあれ、おとといに引き続き昨日も素晴らしい満月を愛でることが出来、幸せである。
2016/11/17 12:20
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「不言実行」or「有言実行」
「不言実行(文句や理屈を言わずに、黙ってなすべきことを実行すること。)」「有言実行(発言したことを責任をもって実践すること。)」という反対の意味を持つ四字熟語がある。読んで字のごとく、意味は反対だがよく似ている・・・。それもそのはず、「有言実行」は「不言実行」から作られた言葉だとか。さて、あなたは「不言実行」派?それとも「有言実行」派?どちらが良い悪いではなく、ケースバイケース。例えば、善行は「不言実行」の方がカッコイイ?!し格好云々より「不言実行」でありたいもの。また、昔から日本では「男は黙ってサッポロビール」というCMがあったように「物言わぬ」に美徳を見出すという文化が存在する。でも、実は自分は基本的には「有言実行」派。とんでもないことでも、口に出したからには何とか約束を守るべくして実行しようというプレッシャーを自分に与えることによって頑張ることが出来るから。さて、「とんとん」で書かせていただいているブログが1000に達したという記事を読んだ方から「ぜひ今後もブログを続けて、書籍化しましょう」という嬉しい励ましのコメントをいただいた。書籍化は無理としてもそれに近いような、何か皆さんにも喜んでいただけるような記念になるようなことを数年以内に実行したいと常日頃から思っている。その際には祝賀会は北海道ホテルのポプラ・ハマナスの間で行う予定!☜そこまで言う?(苦笑)。長年のお付き合いの方々は「有言実行」「武士に二言はない」という性格をよくご存知で、こういう壮大な「たわごと?」でも皆真剣に応援してくださる・・・。素直に有難くそれらを受け止め、夢を実現すべく今日からも「有言実行」遂行。
2016/11/16 12:55
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月並み
昨日は68年ぶりに月が地球に最接近するスーパームーンだと話題だった。満月の時間は、11月14日の22:52とのことだったので、取りあえず日付が変わる前に月を見ようと大張きりでカーテンを開けたところ・・・バッチリ!最高に美しいスーパームーンを拝んだ!それにしても毎年のように話題になっているスーパームーン。人間は「月」への興味が昔から尽きないなあとつくづく実感。世界中の占術でも月は重要な役割をし、日本では短歌や俳句では好まれる題材。さて、慣用句や成句などでも「月」はよく用いられるが・・・そのうちの一つとして「月並み」という言葉がある。意味は「平凡、ありふれていること」となる。「月とスッポン」のように「月」を良い意味で使う場合もあれば今回のように「平凡、大したことない」といったあまり良い意味ではない使い方もある。この違いは?なぜ「星」ではなく「月」?と思い、調べてみた。「月並み」は元々は「毎月」「月ごと」「毎月決まって行うこと」などを指す言葉で、そこから和歌や俳句などの毎月の例会を「月並みの会」と言うようになったそうだ。この「月並み」が平凡でつまらないことを意味するようなったのは、俳句革新派の正岡子規が旧態依然としたそれまでの俳句を「月並俳句」と批判したことによるとか。成程、ありきたりの作品は面白くないので「月並み」=「平凡」は分かるが、でも初心者はまずは「月並み」からスタートするのがうまくなるコツか。
2016/11/15 13:34
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やはり「継続は力なり」
土曜日に、知人の出版記念パーティーに参加させていただき、最高に楽しく充実した時間を過ごさせていただいた。その時に知人が述べた「とにかく毎日コツコツ続けることが大切。」という言葉が強烈に印象に残っている。成功するためには諸所の条件がそろわないと無理で、どんなに努力してもかなわないこともあり、世の中って不公平なものだと悟ることもしばしば。でも、元々の条件の有利不利に関係なく自分で出来ることとしては「コツコツ継続する」こと、ところがどっこいこれが意外と一番難しいと常日頃感じていたので、先の言葉が印象に残った次第。さて、今日のこのブログで1000編となる。留守にするためにやむを得ないお休み(年に3日ほど)以外は毎日毎日ひたすらひたすら更新し続けてようやく1000を達成し、まるで千日業の満願を迎えたような気分!【(満願とは1 仏語。願望が満たされること。2 期限を定めた神仏への祈願の日数が満ちること。結願(けちがん)。】だからといって別に悟りを開いたわけでもなく、明日からブログをやめるわけでもなく・・・特に何が大きく変わるわけではない。でも、毎日更新する!と決めたことを実行できたことに対しては自己満足に浸っている。たかがブログ、されどブログ。継続が大切と言いながらも、あくまでも「正しい努力の」継続!ということは重々承知で最初は不安だったが、きっとこれは正しい「継続」だったかなと自負している。それが証拠に、先の知人に「1000日という目標を達成したらブログ辞めるべきか?」とつぶやいたところ「折角だからもっと大勢に向けて発信したら?」という意見を頂き1か月前からアメブロを始め、おかげで嬉しい出会いも。これからも毎日ブログ更新予定なので、ぜひとも飽きずに読んで頂けますようお願い致します。
2016/11/14 13:06
命あっての物種
「どうやら平均的な日本人は、そもそも働くことが生きがいなのだ、としか言いようがなさそうです。いいかえれば、働くこと以外の楽しみを知らないのが日本人ということなのでしょうか。」という文章を読んだ某生徒が「え?働くこと以外の楽しみを知らない?それって変だよ~~~」というノーマル発言。それに対して「僕のおじいちゃんは、まさにそのタイプだったよ」と別の生徒。そのやり取りを聞きながら「よかった。○○は将来もしもブラック企業に入ったとしても、あれ?おかしいと気づいてさっさと別の道を歩んで、過労死せずに済むかなあ」とか「うんうん、分かる分かる。□□の祖父の時代≒我々の親世代は『企業戦士』『過労死』『24時間働けますか』の時代だったよなああ。おかげで、アルバイト先では本当に苦労した!だから『命あっての物種』とばかりにさっさと辞めたよなああ」などという思いが浮かんできた。さて、「命あっての物種(いのちあってのものだね)」とは【意味】何事も命があってこそ初めてできるものだというたとえ。命の危険にかかわることは避けるべきで、いかなるときでも命は大切にすべきだという戒め。自分は命に係わるほどの大変な想いをしたわけではないが、学生時代のアルバイトでは「単位」「留年」がかかっていた(汗)。むろん学生というのは言い訳なので、アルバイト先では必死で働いたが、いわゆるサービス残業が当たり前、定時帰宅はおかしいという雰囲気自体はおかしい!とばかりにさっさとトンズラ。正社員となると自分が仕事を辞めると家族を養っていけない・・・といった深刻な事情があるだろうが、それよりも命の方が大事だとつくづく思ったもの。仕事に限らずだが、「命あっての物種」は肝に銘じておきたいもの。
2016/11/13 19:45
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お土産
ここ数年、年に一度の割合で東京に行っており、それが毎年の一番の楽しみの行事である。今年は今日から一泊二日の予定だが、当日はもちろんのこと行く前にあれやこれやとお土産を選ぶのが楽しい。友人や知人の喜ぶ物でしかも「ザ・北海道」というものを!と毎回ワクワクしながら選んでいる。さて「お土産」と書いて「おどさん」ではなく「おみやげ」と読むわけだが・・・。どうやっても読めない。字を見ると「その土地の産物」、意味はピッタリくるのだが。そう、この「土産」は当て字で元々は「みやげ」は「宮笥」と書く。これは、神社(伊勢神宮)でもらうお札を張る板のこと。昔は、伊勢神宮へ参拝旅行に行きたくてもかなわない人が多く、代表して行った人が村人に買って帰ったのが「宮笥」というそうだ。(雑学大全より)。しばらくすると伊勢神宮の周りには、参拝客を目当てに土地の特産物などを売る店ができるようになり、それらも「みやげ」とよばれるようになり「土産」の字が当てられるようになったというのが有力な説。それにしても、旅行は行った先でも楽しいが行く前が一番ワクワクするのは自分だけか?時には帰ってきてから「あ~あ、楽しみが終わってしまった」とがっくり来ることもあるのだが、今回はほぼ100パーセント、リフレッシュしたので今日からまた頑張るぞ!となる予定。こうご期待?!
2016/11/12 02:03
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貧者
先日行われた学力テストで、中学3年生では「徒然草123段」が出題された。123段の内容を一部現代語で紹介する。「人間にとって絶対に必要とされるもの、第一に食べる物、第二に着る物、第三に住む場所である。人間にとって大事なのは、この3つに過ぎない。餓えなくて、寒くなくて、雨風がしのげる家があるならば、後は閑かに楽しく過ごせば良いのだ。ただし、人には病気がある。病気に罹ってしまうと、その辛さは堪え難いものだ。だから医療を忘れてはならない。衣食住に医療と薬を加えた四つの事を求めても得られない者を貧者とする。」これを読んだ某生徒が「これ、おかしい!こんなことを言っていたら今の日本だと全員が裕福になってしまうよ。だって、生活保護という制度があるから住むところや食べ物や着るものがないなんてことはないし。でも実際に全員が貧しくないかというとそうではない・・・。」と発言。思わず成程~~~と妙に納得。日本は豊かな国だからこそ、そして人間は「今、あるものに感謝」と思いつつも、ついつい「今、足りない物」に目を向けてしまいがちなため幸福感を感じにくいのかもしれない。とはいえ「足りない物」に目を向けることこそが成長への第一歩にもなるわけであって・・・。一つ言えることは、今の自分たちの感覚で古文を読むと「???」になりがち。以前にも書いたが、作品が書かれた時期や時代背景を考慮して読み進めると古文を楽しめるのはもちろん、試験でも正解にたどり着ける。
2016/11/11 13:11
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殿
つくづく思うのが…日本語は難しい。例えば、お月謝袋の宛名を書く欄の最後は「殿」になっている。基本的には宛名に「殿」を付ける場合は公用書の場合が多く、目上から目下への敬称として使われる。つまり、むやみやたらと相手に対して「殿」と使うことは、相手を目下とみなしていることになり失礼になる。例えば役職の敬称として「○○部長様」だと変!とばかりに「○○部長殿」とするのはタブー。社長からならともかく、平社員が部長に対してそのような文書を書くと失礼になる。それに対して「様」は、男性・女性を問わず、目上・目下に関係なく、個人に対する最も一般的な敬称として広く用いられている。手紙や文書のあて名も「様」を用いるのが一般的で無難と言える。となると・・・お月謝袋に印刷されている「殿」は生徒や門下生は先生よりも格下という考え方からきてる?とはいえ、生徒はある意味お客様、お客様のおかげで仕事が成り立つので「様」でいいのではとメーカーにツッコミを入れたくなる。さて、宛名としての「殿」は目上から目下だが、口頭や呼び名として「殿」と使う場合は基本的に男性に対して敬意を払うという場合が多い。例えば温泉の場合、男性用のお湯に対して「殿方」「殿湯」と使われる。つまり書き言葉とは逆・・・。ウーン、なんとも難しい。迷ったら無難な使い方をするのがベストか。宛名では「様」、口頭や呼び名としては「男性」「男」と言った具合に。
2016/11/10 14:45
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