めむろ国語専門塾
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小さな国語塾のつぶやき
試行(思考)力
昨日のブログで「何を問われているか」を把握することが大切と書いた。当然、偉そうなことを書いてる自分は、一応(?)生徒からの質問に対して真摯に向き合うよう心掛けている。正直言って国語についての質問ならば答えが決まっているので楽なのだが、いわゆる答えが複数あるような場合はかなり頭を使う。例えば「先生、なんで勉強しなくてはならないんですか?」という質問。むろん相手によって答えを変えており、あまりにも思い詰めているタイプには「20歳を過ぎたら一日何万個(何十万個)という脳細胞が壊れるらしい・・・。そうなると脳細胞が壊れても大丈夫なように今のうちにシナプスを沢山蓄えておく方が良い。将来ボケぼけたくないでしょう?シナプスを増やすための手段として勉強がある」といった完全にふざけた?回答をすることも。冗談はさておき、複数ある回答のうちの一つとして「生きる力を身につけるに勉強する」というのは間違いないと思う。人生では迷うことは日常茶飯事、その時に自分にとってどういった選択をするか?どんなふうに問題を解決していくか?それらを試行(思考)するためには「自分で考える」ことが絶対条件。つまらない?と感じる国語の文章を読んでああだこうだと試行錯誤することは実はもっと大きな問題を目の当たりにしたときの思考力を養っているに相違ない。それが実感できるまでにはまだまだ時間がかかるかもしれないが、決して今、目の前の勉強は無駄ではないよ~と生徒達に心の中でエールを送っている。
2016/12/19 09:44
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問われていることは何か?
国語に限らずどの科目でも、さらには日常生活においても「何を問われているか?」「何を聞かれているか?」「何を要求されているか?」を判断することは重要である。そんなこと当たり前!知ってるよ、出来ているよと思われるかもしれないが、人間は思い込みが激しく第三者から見ると「は?」という回答をしてしまうことも。「主人公の気持ち」を問われているのに文中の「泣いている(行動のみ)」を答えてしまい不正解になるなど。本来ならば「泣いてしまうぐらい悲しい気持ち」あるいは「泣いてしまうぐらいに嬉しい気持ち」と答えるべき。さて、十勝地方では大半の高校で「推薦入試」という制度を設けているため(むろん人数はかなり小数)、希望校が確定している中学生で、しかも条件を満たしているならば絶好のチャンス!この時期になると高校に提出する「自己アピール文」の作成で忙しくなる学生がちらほら。ある意味、人生がかかっている大切な書類なので大半の学校では担任+進路指導の先生が文章をチェックし添削を繰り返す。さらには国語塾に通塾している生徒からは学校に提出する前にきちんと添削要請が。先日、高校でどんな勉強をしたいか?なぜ高校に行きたいか?中学校ではどんなことを頑張ったかをきちんと書いて、二重三重に文章をチェックしてもらった生徒。が、が、が、実は彼が受験するコースは「特別推薦枠」というもので、自分の特技をアピールする文を書く必要があると判明。急きょ昨日、遠方でしかも道路が凍結してる中、頑張って親子で国語塾に足を運んできてくれた。ファックス指導を提案したのだが、頑張って来てくれ、無事に自己アピール文の下書きが完成した。自己アピール文は推薦入試の第一歩に過ぎないが、まずは一歩が大切。学科試験のみならず「何を聞かれているか」「何を要求されているか」をあらゆる面で意識することが大切だとつくづく感じる出来事であった。
2016/12/18 12:15
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俗世間を離れるとは・・・
古文作品では「出家(俗世間を離れて仏門に入り、専一に修行の道に励むこと)」という場面が多く出てくる。例えば、中学2年生で学ぶ「平家物語」の「敦盛の最期」では直実が武士という身分に嫌気がさし、敦盛を弔うために出家することを決意する。また、鴨長明は出世や普通の人生を希望していたが、上手く世渡りができず50代ごろに俗世間に見切りを付け、辺一丈の簡素な庵に住み「方丈記」を書いた。そんなこんなで「俗世間を離れる」=「俗世間に嫌気がさして、渋々」「絶望的な」といった暗いイメージが付きまとう。とはいえ、100パーセントネガティブな要素ばかりかというとそうとは言えない。例えば、現代において学校中退という言葉はなんとなく「負」のイメージの方が大きいが、希望に燃えて中退するという人も少なからずいるはず。学校教育よりも別の大切なことを見つけたため、人生や時間を無駄にしないために前向きに学校中退と言う道を選ぶこともあるだろう。それと同様で、「出家」=「暗い」「負」のイメージがあるが、本当にそうなのかどうかは文章を読んでから判断すべき。今週、授業で取り上げた「石に漱ぎ流れに枕す」の古文作品には現代語訳が記載されており、そこには「俗世間を離れようという希望を持っていた」とあるため、「石に枕し・・・」は「自然の中に住んで、自由に気ままに暮らすこと」が選択肢の答えになるのだが、大半の生徒は「貧しく切り詰めながら暮らす」「目的を果たすために苦しさに耐えて暮らす」を選んでしまった。現代文、古文に限らず、いわゆる「常識」に惑わされず文章からきちんと判断することが大切!
2016/12/17 00:24
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本、手紙、ブログは素晴らしい!
吉田兼好が書いた徒然草(十三段)に「ひとり、燈のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる。(ひとり灯下に書物をひろげて、遠い時代の人を友とするのは、このうえない慰めである。)」とある。また清少納言は枕草子の中で次のように書いている。「めづらしといふべきことにはあらねど、ふみこそ、なほめでたきものにはあれ。はるかなる世界にある人の、いみじくおぼつかなく、いかならむと思ふに、ふみを見れば、ただいまさしむかひたるやうにおぼゆる、いみじき事なりかし。(めずらしいというほどの事ではないが、手紙こそ本当に素晴らしいものだ。はるか遠くにいる人を、とても心細く、どうしているだろうかと考えているときに、手紙を見れば、まさに今、眼前に向かい合っているように思える。ほんとうに素晴らしい事だ。)」と。まさにその通りで、最近の自分自身は「本」「手紙(メール含む)」+「ブログ」という図式になっている。11月からアメブロを始めたおかげで本当に素晴らしいご縁が広がり、ただただ感謝の日々である。特にブログ繋がりはお互いに会ったことはないが、共に現代を生きているのでリアルタイムに息遣いを感じることが出来、刺激やパワーをいただいている。1000年以上前の先人と同じ思いを持っていることに対して喜びを感じ、さらには現代の方が「素晴らしい」チャンスに恵まれていることに感謝である。
2016/12/16 02:15
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漱石枕流
今年は、「吾輩は猫である」「坊ちゃん」でおなじみの夏目漱石の没後100年。彼は1916年12月9日に亡くなり、先日は100年目の命日ということで夏目漱石のアンドロイドが公開されたばかり。生徒たちに古文+教養を!と張り切って「枕石漱水」という故事についての古文演習。「枕石漱水」は「流れに漱(くちすす)ぎ石に枕す」と読み、「俗世間から離れて、川の流れで口をすすいで石を枕として眠るような引退生活を送りたい」という意味、昨日の古文演習内容は、晋の時代の孫楚(そんそ)という人が友人に「もう隠居したいんだ」という気持ちを伝えるために、この詩を使って話をした。しかし「漱石枕流」と言い間違えたところ、友人はすかさずつっこむ。「おいおい、石で口をすすいで川の流れを枕にするなんてどんな隠居生活だよ」と。ところが、孫楚は間違いを素直に認めることはせず「石で口をそそぐのは、歯を磨くため。川の流れを枕にするのは水で耳の中を洗うためだよ」と負け惜しみを言うお話。ここから漱石枕流は負け惜しみ、頑固者という意味になり、自分のことを変わり者と思っていた漱石は、これをペンネームにしたと言われている。 まずは問をさせて・・・それから「字」を見て何か気づくかなああと期待していたのだが、完全に期待外れ。正答率が低く、さらには「漱」「石」にチェックを入れても全く反応なし・・・・。ショックを受けながら解説、漱石の本名は金之助で・・・・と説明したがどこまで伝わっているか 。光源氏、「嵐の前の静けさ」と言うと彼らはジャニーズだと思いこんでたり、逆に彼らから「先生、ダイゴって知ってる?」と聞かれ「メンタリスト?」と返すと「それもそうだけど、違う違う!北川景子の夫!そんなことも知らないの?」と言われる始末。ウーンあまりにもジェネレーションギャップが大きく凹みかけるが、逆に「日本人として、恥ずかしくない教養を付けさせたい」という信念がますます強くなるのも事実。今日もめげずにファイト!
2016/12/16 01:32
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要約
先日、中学三年生の某生徒から次のような質問が。「先生は拾い読みする方ですか?」と。それに対して「ケースバイケース」と答え、なぜそのようなことを聞くのかと問うと、別の国語の先生が「拾い読みはしてはいけない」とおっしゃったとか。その会話の様子を実際に見たわけではないので何とも言えないが、彼は「先生の発言」=「文章を一文ずつじっくりと読むように」ととらえており、少々不服の様子。確かに一文ずつきっちりと読んでいくと試験時間が終わってしまう!しかも単に読んだだけでは理解不能。読んでも読んでも「?」が増えるだけ。かといって「この辺にヒントがあるだろう」と当てずっぽうに勘で拾い読みしながら問題を解くと、正答率がダウン。ではどうすれば早く正しく文章を読んで理解できるようになるか?結論は教科書、問題集に掲載されている文章を時々でいいので、要約練習すること。①段落分け②キーワード、キーセンテンス、接続語チェックという2点は問題演習時から常に口うるさく指導している。でも、内容を理解するためにはじっくりと読み込んで、時には文章を図式化し、要約(まとめ)ることが大切。指導者側としても生徒が内容を理解しているかどうかをチェックするのに有効な手段。授業でも時々要約演習を取り入れているが、最初は全員かなり苦戦し、下手すると主語と述語が勝手に捏造されていることも(苦笑)。スポーツでも試合ばかり、基礎練習ばかりではだめで、基礎練習をしながら時々試合をするから上達する。同様に、ひたすらひたすら目の前の問題集を解きまくる(試合)だけではなく時にはじっくりと文章要約(基礎練習)をすることによって、短時間で長文の要点をつかめるようになる。ウーン、何事も近道はないか。
2016/12/14 01:48
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憑く、憑かれる
今年は仕事が忙しく、また12月は冬休みを控えており、既に何軒か講習や個別指導の依頼をいただいており有難い限り。本来ならば仕事が忙しいと疲れるはずなのだが、正直言って肉体的にはしんどいなあと思うことがあっても精神的には逆に元気になっている!それは生徒の頑張りからパワーをもらっているから。さて、「疲れる」の語源説は複数あるが、そのうちの一つが「憑かれる」だということはだいぶん前に何かで読んで知っていた。が、実は「ツイている(ラッキーである、幸運である)」の「ツく」の語源も「憑く」だと一か月ほど前の朝日新聞掲載の天声人語で知った。同じ語源なのに語尾の活用が違うと意味が真逆!と思うととっても興味深い。「憑く、憑いてる」側は幸運でパワーアップ、「憑かれる」側はパワーダウンして「疲れる」・・・・。ウーン、確かに当てはまる場面があるなあと字を見ながら考え込んでしまう。例えばストレスフルの人が目の前の相手に「罵詈雑言(ばりぞうごん)(汚い言葉で、悪口を並べ立ててののしること。また、 その言葉)」を浴びせたとする。浴びせる方は気持ちが軽くなってラッキー(憑いてる)だが、浴びせられた方としてはたまったものではない。究極の「憑かれ、疲れ」に見舞われる。自分自身は基本的に悪口などは言わず(言う必要がないぐらいに恵まれているだけか?)、聞かされるのも苦手。長時間、愚痴悪口を聞くと必ずと言っていいほど異常な疲労感に襲われることは経験済み。昔の人は身をもって体験したことを漢字で表したのかなあと思うとますます漢字に興味が湧いてくる。何はともあれ健全な「ツイている」状態を目指したいもの。
2016/12/13 02:30
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記述ポイント
【溶岩には、冷えて固まる時にガスが抜けてできた、スポンジのような細かな穴がある。富士山の表面はこの冷えた溶岩に覆われているため、水は溶岩の穴を通って地中にしみ込んで地下水となっている。そのため、富士山の表面には河川がないのである。(伝え合う言葉 中学国語2 教育出版 P152L1~3より抜粋)問「富士山の表面には河川がない」のはなぜですか。同じ段落の言葉を用いて五十字以上六十字以内で答えなさい。】これは某中学校で出題された課題で、かなりの難問だが良問である。まずは答え「富士山を覆っている溶岩が冷えて固まるときにガスが抜けてスポンジのような細かな穴を通って、水が地中にしみ込んで地下水となるため。」となる。字数が少ない、あるいは制限がなければ単純に下線部の直前の「そのため」の内容、「富士山の水が溶岩の穴を通って地中にしみ込んで地下水となっているから。」でOKだが・・・。今回のようにかなりの字数を要求されている時はポイントが3つ。①キーワード(今回は「富士山」「溶岩」「穴」)を必ず入れる②長文記述の場合、主語と述語があいまいになりやすいため、前半と後半で整理整頓する③「富士山の表面は~溶岩に覆われている」という受け身を「富士山を覆っている溶岩」というように修飾・被修飾の形に書き換える、と言う3点。いきなりこの3点を出来るならば・・・塾や学校はいらないわけであって・・・・。模範解答を見ながらポイントをつかみ、理解し練習すると必ず長い記述でも書けるようになる。ファイト!
2016/12/12 19:00
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国語担当不在・・・
11月~12月上旬は冬期講習のチラシが毎週のように入っている。一人で運営している当塾は2名以上で希望があれば短期特別講座を開くが、それ以外は特には予定しない。だから、生徒達に大手の塾の冬期講習などに行った方がいいかと聞かれると「ぜひ、行った方がいい!」と答えている。理由は①規則正しく勉強時間を確保できる②よくまとまったテキストで効率よく勉強ができるから。とはいえ・・・塾によっては「国語が手薄」で、なぜか数学の先生がまとまった休みの時だけ「国語の先生」になったり、若い大学生のアルバイトがポッときて国語を教えると事態が生じる。大手の塾で日頃からきちんと国語の授業があり、その延長で・・・・ならば安心だが、規模が小さかったり、あるいは個別指導を前面に押し出している塾は先のようなことが起こりがち。かくいう自分自身も塾で人手不足の時などは理系科目を教えていたのであまり偉そうなことは言えないが。日頃別の科目担当の先生が突然国語指導・・・でも指導力があればいいのだが、下手するとそうではない場合があるので要注意。ご本人は厳しい受験をクリアしているため、全科目解くことはできるはずだが「自分が難なく解ける」≠「指導力がある」という図式になる場合が多い。つまり、自分が難なく解ける(た)タイプに限って生徒達がどこでどう躓くかが分からない、そのため授業では本文を読んで答えを言っておしまいになってしまうことも。中学生後半ともなるとその辺りはシビアに見抜き「自分が行ってる塾は国語を教えることが出来る先生はいないんだよなああ。だからここに通ってるんだよ。」との発言が。ちなみにこのようなタイプが複数人、通塾してくれている。折角の冬期講習というチャンス。担当講師の力量、科目選択が可能かどうか?などなど検討するなど吟味する必要あり。
2016/12/11 09:30
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楽しく文章作り
昨日の小学生クラスでは「接続語」「固有名詞」「普通名詞」「動詞」カードを使っての文章作り。金曜日、しかも学校の授業が6時間だったため、いつもは元気印の生徒が入室するなり「やる気ない」オーラをまき散らしていたので、急きょ予定を変更した次第。おかげで最初はブツブツと言っていたが、カードを使って怪しげな文章を作っていくうちにすっかりはまっていった。やり方は簡単、接続語以外のカードを裏向けにし、まずは3枚適当に引く。それらのカードに書かれている言葉と、こちらが渡したカードに書かれている接続語を使って正しい文章を作る。それをどんどんと繰り返していくのだが、一文ずつが独立しているのではなく一応ストーリー仕立てにするという条件付き。当然、めちゃくちゃなストーリーでつじつまが合わない部分もあり、そういう場合はすかさずに指導者がツッコミを入れて文章を作り直す。例えば①「マイケル」「ジャイアン」「ケイト」+「ところが」というカードを使うとする。まずは「マイケルジャクソンがムーンウオークを披露し、ケイト達が感動した。ところが、ジャイアンがお礼に得意の?歌を披露し、皆が怒った。(注 マンガ、ドラえもんに登場するジャイアンは超音痴!)」➡②「小野小町」「エジソン」「宇宙人」「だから」というカードを使う。「だから小野小町や宇宙人はタイムマシンを使って自分達の時代や星に帰ってしまった。ジャイアンが使ったマイクはエジソンが発明したものだった。」という具合に。むろん小学生が作るので端折る部分もあるが、そこは御愛嬌。文章上達のため、保護者が子供に日記を書かせようとしてもうまくいかない・・・というケースを耳にすることがある。そんな時はカードを作る、カードがなければ即席で単語をメモし、それらを使って文章作りをを試してみてはいかがか?
2016/12/10 02:12
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