めむろ国語専門塾
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小さな国語塾のつぶやき
終わりよければすべてよし
「終わりよければすべてよし」という慣用句がある。意味は「物事は、結末さえよければ、発端・過程がまずくても問題にならないということ」。お恥ずかしいながら、昨日の自分はまさに「終わりよければすべてよし」という綱渡り状態であった。2時30分~のラジオ番組に出演するために午後1時半(これは余裕を持たせた時間)に自宅を出る予定で、その前に私用を済ませようと家の近くの郵便局に行ったり買い物したり。が、いざ買い物を済ませて車を発進させようとすると・・・なんとバッテリーが上がってしまい動かない。すぐに自動車整備会社の方に来て頂き、事なきを得て自宅に戻ったのが1時半。荷物だけ置き、すぐに車に乗り帯広へ。かなりのアイスバーン状態で通常なら20分で行けるところが、40分ほどかかってしまった。さらに悪いことにあちこちに雪が積んであるためいつもとは景色が違って見え・・・道に迷うこと10分。途中で、ラジオで伝えるべき資料を忘れたことに気付く始末。結果としてはラジオ局にはぎりぎりだったが、5分前に到着し、手元に資料はないものの頭の中の記憶を頼りにトーク。その後も綱渡りは続き・・・。でもこうして無事に一日を終えてブログを書くことが出来、まさに「終わりよければすべてよし」。では、なぜ途中経過がまずくても最悪の事態に陥らずに済んだか?それは①時間的に余裕を持っていた②トーク内容を予習していたという2点に尽きる。つまり「終わりよければすべてよし」にするためにはアクシデントを想定した準備をしておくことが大切とを実感した一日であった。現在、志望校に余裕の判定をもらっていたとしても油断すること勿れ!逆に微妙…という場合でも「終わりよければすべてよし」を目指して最後まであきらめないでほしいと受験生にエールを送りたい。
2016/12/29 01:40
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ほかならない
「ほかならない(他ならない)」という言葉が中学生のテキストで出てきた。長年生きている立場としては、この言葉には何の違和感もなく、正しい意味をとらえることが出来るのだが、中学生にとっては「???」だったようだ。最初、文末を見て否定語だと思い込んでしまったようなので「この文はどんな意味?」と質問。否定で答えると意味が通じなくなり・・・しばらく考えてから「他にない⇒それ以外の物ではない⇒まさしくそうだ」と正しい意味にたどり着いた。「ないわけではない=ある」といった具合に明確な二重否定だと強い肯定ということは理解しているのだが、微妙に文末に否定があると「???」となりがち。ではどうすればよいか?結論を言うと、こういう難しい言い回しが出て来たら、その都度覚えるしかない。日本人だからといって普通に生活しているだけでは語彙力はなかなかつかないが、教科書やテキスト中に出てきた難解な言い回しをしっかりと覚えると語彙力が増え、教養が身につく。ちなみに否定の表現を使うことによって強調するという使い方は英語の比較級(中学2年生で学習)でも出てくる。No (other) city in Japan is larger than Tokyo.「東京より大きい都市は、日本にはない。」がまさにそう。「東京より大きい都市は、日本にはない。」とは言い換えると「東京が日本で一番大きい都市」と言える。先の英文を最上級に書き換えるという問は昔から頻出だが、いくら最上級の形(the ~est)を覚えたとしても日本語の意味をしっかりと理解できないと書けないという事態が!「ない」という否定語が出てきたら意識的にしっかりと覚えることが大切。
2016/12/28 01:36
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仮名の効用
「クリぼっち」という言葉を先日、初めて知った。見た瞬間にすぐに分かったが・・・意味は、クリスマスを1人で過ごす事を表現した用語。 クリスマスの「クリ」に、ひとりぼっち(一人ぼっち)の「ぼっち」が語源になっているそうだ。まるでクリスマスを一人で過ごすのが良くない、一人で過ごすのはさみしいと言わんばかりの風潮が何年も前からあるが、この言葉だけを見るとさほど悲壮感や良くないイメージは湧かない。それは「クリぼっち」がカタカナ+平仮名だからだろう。これが「クリ孤独」なんて表現になるとなんだか悲壮感がヒシヒシと伝わってくるようだ。さて、平安時代に紀貫之が女性が書いたようなふりをして「土佐日記」を著した。「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて、するなり。」この一文から始まる作品の叙述の主体は実作者の貫之ではなく、ある「女」という体裁をとっている。「男も書くとかいう日記というものを、女である私も書いてみようと思って書くのだ。」と宣言することによって、書いたのはあくまで一人の女性なのだと思わせようとしており、それはなぜか?ということには諸説がある。多くの諸説の中で有力なのが次の説。「私的感情を日記に書き綴るのは、公的立場の男性には許されず、赴任地の土佐で亡くした娘を悼む母性心理に通じる心情を書き綴るのにふさわしい主体は女性であり、ふさわしい文体が仮名・和文体であった。」現代でも、敢えて平仮名やカタカナの多用で作品全体に優しさや柔らかさを持たせることがある。漢字を知らない・・・のではなく、わざと文体や書体を選んで書く意識することは素敵だなあと思う今日この頃。学生時代は、偉そうにわざと難解な漢字を多用していた自分自身、最近はひらがなやカタカナの良さを少し理解出来た?が、まだまだ昔の癖は抜けそうにない。
2016/12/27 00:30
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指導者の条件
塾や予備校講師の条件は①指導科目の知識があること②指導力があること③生徒を惹きつける魅力があること、に集約されると思う。①は当然として・・・②に関して具体的に言うと、問題作成者の意図をつかめる⇒生徒が誤答しそうな内容を予測できること。重要な点やテーマを分かりやすく伝えることができること。③に関しては、見た目云々ではなく・・・いかに生徒の心理をつかむか?こうして書いてみると、これら3条件を完璧に満たす人は塾や予備校講師以外の職業、例えば心理学者、カウンセラー、営業マン、医療従事者などなど、あらゆる分野でも大活躍しそうだなあと感じる。偉そうなことを書いている自分は?と問われると・・・これら三条件を満たすべく日々努力中で少なくとも①と②に関してはかなりの自信がある。昔から国語は得意で、特に勉強しなくても高得点を取り続けることが出来た。それは、何となく「勘」(?)が昔から働くタイプだったため問題出題者の意図や文章の言いたいことがスッと分かったから。勘が鋭いから国語が得意なのか、国語が得意だから勘が鋭くなったかは分からないが。幸い、さほど苦労しなかった人にありがちな「この答えはこれしかない!なぜ他の答えを選ぶのか?」といった発想は全くない。ひっかけとされる部分も読めるから・・・。予習をしている時に「きっと、残念ながら○○君はこう答えるだろうなああ」と予測出来てしまい、案の定の結果に。日常生活においても「場の状況」が読めるため、かなりきわどい発言をしてしまい周囲に引かれ、魔女、陰陽師などといった有難い?!ニックネームまでいただいている。ウーンこの先読みを魅力として活用する努力をしようと思う今日この頃。徒然なるままに書いた、つぶやきを読んで頂き感謝。
2016/12/26 00:41
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抱負を立てる
いよいよ今年もあと一週間・・・。毎年この時期(厳密に言うと12月になると)自分なりに抱負を立てており、さらには親しい友人(同じく自営業)に「今年の抱負は?」と聞き、嫌がられている(苦笑)。抱負とは辞書的には「心に抱いている決意や志」となるのだろうが、個人的には漢字をジーッと眺めつつ「そうだよなあ・・・、自分の希望や夢を達成するための負荷を抱くことだよなあ」と思うのである。棚からぼたもちののごとく、突然に幸運が降ってわいてくることもあるかもしれないが、基本的にはそれは少なく、昨日も書いたように「うまい話には裏がある」というぐらいの気持ちを持つ方が安全。自分に負荷をかけることによって頑張ることが大切か。年内に抱負を立て、年明けに具体的に目標に向かって邁進しようというスタンス。では今年は抱負を達成できたか?と聞かれると…まずまずといったところ。で、来年の抱負のうちのいくつかをここで宣言することによって有言実行!頑張らざるを得ない状況に持って行こうと計画中。①来年は「書く」という仕事の幅を広げていこうと思っている②他分野とコラボして新企画、この2点を抱負として掲げている。具体的なことは今後、目標を立てて動いていくことになり、詳細はまだ公表できないが・・・。あ、来年の今頃「去年たてた抱負をすべて達成しました」と報告する!という抱負も付け加えておく。
2016/12/25 12:32
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うまい話には裏がある
「うまい話には裏がある」という慣用句的な表現がある。あまりに自分にとって都合の良い話を持ち掛けられた場合、その話には表に出ない隠れた事情が潜んでいると疑うべきだという意味。この表現はいわゆる処世術の教えとして使われるのだが、国語の「ひっかけ問題」にも当てはまる。「傍線③の説明として正しいものを選び、記号で答えなさい」という問に対してアが正解だったとする。ひっかけの答えとしてイ(本文の表現をそっくりそのままの内容)があり・・・ごく一部の生徒はイと解答してしまう。本文の内容に合うものを選ぶ問題ならばアとイの両方が正解になるのだが、今は傍線③について聞かれているので、いくら本文に書かれているからといってもイは答えにはならない。つまり、14歳の中学二年生に対して「君の名前は?」と聞いた時に「14歳です」と答えるようなもの。本人にとって14歳という年齢は確かに間違いではないが、聞かれているのは年齢ではなく名前なので「山田太郎です」といった具合に答えるべき。日常生活における当たり前のこと?だと答え方を間違えることはないが、国語の長文の場合だと、ついつい「あ、本文に書いてあった!ラッキー!分かった!」となりがち。小学生のうちは素直に本文の表現そのものが答えになることが多いが、中学高校となると「本文そっくり」には落とし穴があることが多い。まさに「うまい話には裏がある!」と心して疑った方がいい。①問の答えとしては適さない②因果関係が逆になってる、などなど。国語って人生の縮図?!と思う今日この頃。
2016/12/24 03:07
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作文=自己アピール文
特別推薦枠の入試では面接+作文が試験内容のため、今週から急きょ「作文対策」に切り替えた某生徒。自分なりに出題されそうなテーマをピックアップして作文を書いてきた。ちなみに彼が受ける学校では次のようなテーマが多い。「私が技術者となり、日本の未来のためにできること」「高校でどんなことを学び、どんな仕事をしたいか」など。彼は高校で「機械」について専門的に学び、将来はその知識を生かした仕事を!と考えており、作文では「機械化に対する将来性」「機械化による弊害」など良い面、悪い面両方を書いたうえで、将来は技術者になりたいと書いていた。機械化に対して多面的な視点を持った点は評価できる。が、が、が、良い点と悪い点が平等に書かれており、自分の意見がどっちなのかがはっきりしない結果に。良い点悪い点ありつつも、良い点の方が上回っている⇒だから自分は「機械化」に将来性を見出し、将来は技術者になって世の中に貢献したいとまとめるべき。つまり、自分にとっては2面性のうちどちらを重視しているか?またどれだけの熱意を持っているかを明確にすることが大切。推薦入試で作文を課すということは、いかに本人にやる気や熱意があるかを見るわけであって、決して専門的な見解を期待しているわけではない。そもそも専門的知識を高校で学ぶわけであって・・・・。言い換えると「作文」=「自己アピール」なのだ。そのことを念頭において作文練習をするよう、2、3のテーマを課題として出した。作文にもいわゆる「書き方」といった型があり、それらを学んで自分の物にすることは大切だが、入試となると何を求められているか?をきちんと把握し、「ブレないテーマ、意見」をしっかりと確認することも大切。
2016/12/23 01:05
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「ありのままで」と「いまのままで」
1年分の資料を整理していたところ、映画「アナと雪の女王」のテーマ曲「ありのままで」の古文訳が出てきた。古文を毛嫌いしている女生徒に少しでも興味を持ってもらおうと、当時ヒット曲だったものを古文訳したのだ。懐かしく見ながら・・・次のようなことを思った。「ありのまま」は大切だけど「いまのまま」とは違うよなああと。「ありのまま」とは「ありのままの自分を受け入れ、自分らしい自分となって自分の力を活用すること」で、映画中に出てくるエルサについて言うならば元々持っている魔法を使える力を封印しようとするのではなく、受け入れて自分らしく活用することが大切。現実世界で言うならば、日本人に生まれた事、背が低い、高い・・・といったことを受け入れそれらをどう生かすか?だろう。例えば背が低い人は低いなりに似合うファッション、高い人はその高さを生かすファッションをすると言った具合に。「ありのままで」という言葉を「このまま、今のままでいい」と広義にとらえすぎて誤解すると成長しなくなる。元々もった特性を受け入れ、それを生かしつついかに成長するかが大切。特に勉強に於いてはシビアに点数や評価が出ているので、決して止まることなく成長するよう努力、工夫が不可欠。自戒を込めて。
2016/12/22 10:55
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冬至
今日は冬至なので冬至の諺を紹介する。「冬至かぼちゃに年を取らせるな」【意味 かぼちゃは保存がきき、保存中の栄養素の損失が他の野菜に比べて少ない。そのため、冬至の時期の貴重な栄養源でもあった。しかし、長く持つからといって、春まで保存してしまっては栄養素が減ってしまうので、保存も冬至までが限度という意味。】成程なあと感心する。日持ちするものはどうしても「まだ大丈夫」と油断してしまい食べ頃を逃してしまいがちだが、具体的に「冬至」と指定されると忘れずに覚えておくもの。何事もタイミングというものがあるわけであって・・・。さて、なぜ冬至にカボチャを食べると良いか?中国や日本では冬至は太陽の力が一番弱まった日であり、この日を境に再び力が甦ってくることから陰が極まり再び陽にかえる日で、「一陽来復」とも言われる。この日に「ん」が重なる食べ物を食べると運が得られると言われることから「ん」が重なる食べ物とはナンキン(南瓜)を食べると良いらしい。また、カボチャはカロチンやビタミンAが豊富なので風邪予防という栄養学の面からも理に適っている。さて、冬至にカボチャを食するのと同様に、今の時期をしっかりと有意義に勉強に取り組むと良い結果が得られる。先にも書いたが「何事にも時期やタイミング」があるわけであって・・・、今週末から始まる冬休みを上手に過ごすことが大切。具体的に「国語の記述を演習する」「古文克服」「文法復習」といったように具体的に計画を立ててやってみるちょうど良い時期。
2016/12/21 14:05
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丁寧な字
昨日、読書感想文の最終審査会が行われた。自分が担当する学年については他の審査員の方々と意見が一致することが多く、最優秀賞や優秀賞はほぼ満場一致でスムーズに決定。つまり「素晴らしい内容」の作品は平等に(?)人の心を打つということか。さて、文章の審査の基準は「内容」であることは当然のことだが、実はそれ以外に「字の丁寧さ」「字の濃さ」も影響する。町内の中学生は「手書き」指定のため、どうしても作品をパッと見た瞬間に「字」の持つ印象が強くなってしまう。コンピュータが審査する、あるいはすべての作品がパソコンで書かれているものならば同じ条件での審査になるが・・・。これは「達筆」が良くて「悪筆」が悪いと言っているのではなく、「字の丁寧さ」「濃さ」から伝わってくる「字」の持つパワーというか印象というものが存在し、審査員の心象に影響を与えると言いたいのだ。たとえ字が上手ではなくても一生懸命、一文字一文字書いている作品からはその熱心さが伝わるもの。これは、人間に当てはめても同じで、初対面の人が美人か美男子かよりもその人の持つ雰囲気が素敵かどうかで第一印象が左右される。いくらルックスが素晴らしくても能面のような表情でつんけんした態度の人には好印象は持たない。読書感想文は時間制限のある中で書くわけではなく、夏休みというまとまった時期に取り組むものなので、出来るだけ清書は「読む人がいる、読んでもらう」という謙虚な気持ちを持って「丁寧な字」を心がけてほしい。それが読み手に対するマナーであり、そういった心掛けは必ず読み手に伝わり、結果としてその頑張りが入賞につながる。
2016/12/20 00:20
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