めむろ国語専門塾
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小さな国語塾のつぶやき
傍線部を含む文
国語でよくあるパターンの問いが、傍線部は「どんなことですか?」や「同じ意味の表現を抜き出せ」など。すると、生徒たちは傍線部を見た瞬間に必死になって「同じ意味の言葉や表現はどこか?」と探し始めるのだが。。。正直言って誤答の連発。なぜか?傍線部しか見ていないから!傍線部を含む文を読んで、内容を把握し本文中から答えを探す必要があるのだが傍線部だけがパッと視野に飛び込んでくるためそこだけを意識して、早くしなくては!とばかりに答えを探し始めて、撃沈するのだ。例えば「心が刷新され、まさことわたしの関係の間に、ジャストタイミングで、颯爽と風がおこったこと。」という表現があったら、心が刷新されたのは「風がおこったとき」という事をきちんと把握しておくべき。問が「本文前半の回想部分で、このときの感覚をどのように表現していますか。文中から十字で抜き出しなさい。」なので、まずは長い文章中の前半部分に絞られる。前半部分の回想部分のうち後半部分のキーワードが「風」!そうなるとたったの数行に絞られてくる。さらに「心が刷新され」るのは誰か?を考えた場合に主人公と分かれば、絞られた数行内で主人公の行動や気持ちを表す部分を探して・・・十字になるように抜き出せばよい。実際の問題文を目の前にして細かく説明していくと全員正解になるのだが、目標は自力で答えにたどり着くこと。この作業は知らない場所に行くために前もってネットや地図で場所を確認するというのと同じ。住所だけ聞いて家を飛び出したところで迷わずに行ける人はほとんどいないだろう。本題に戻るが、傍線の問題は傍線を含む文、特に述語の部分をきちんと読み込むことが大切。
2017/02/27 01:09
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可能性5パーセント
突然だが「1年後生存率が5%」と宣言されたらあなたならどうするか?①治療をあきらめて緩和ケアをする(つまり死を受け入れる)②リスクはあるが最新の治療、代替治療などなど出来る限りのことをする(最後まで生きることをあきらめない)、大きく分けてこの二通りの選択を迫られると思う。どちらが正しいか?どちらも正しく、人それぞれだろうが自分だったら「生」に執着して「何かまだ出来ることがあるのではないか?」と今なら②を選ぶ。30年後ならば①だろうが。なぜ突然にこんなことを書いたかと言うと、同じ「可能性5パーセント」と言っても志望校合格率の方が可能性をアップさせるのが楽で、正直言って重みが違うなあとふと思ったから。つまり現段階の可能性が少なくても勉強に関しては1年間あれば努力によって合格率を100近くにできる。社会に出ると自分の努力だけではどうしようもないことが沢山あり、ある程度の年齢になると「勉強は努力でなんとかなるから楽だなああ」と感じる。まだ生まれて14,5年の中学生にはそういった実感がわかないのは当然だが、たとえ少ない可能性でもかけてみたいというタイプの生徒には応援を惜しまないのが教育産業に携わる人の共通点。時にはキツイことを言ったり負荷をかけたりするだろうが、それでも「志望校合格」を手に入れたら頑張った1年間の辛さは良い思い出に変わること間違いなし。さっさと入れる高校に!という①タイプはそれはそれでよし、最後まであきらめないという②タイプは可能性を応援してくれる指導者と共に頑張ることをお勧めする。
2017/02/26 02:17
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「能力+人柄」が大切
刺繍作家として活躍している友人が、オーダーしていた作品が出来上がったとのことでわざわざ自宅まで持って来てくれた。折角だから・・・と強引に自宅に引き込み一緒にお茶を飲みながらおしゃべりしていた時に彼女から衝撃なことを聞いた。なんと彼女は何年か前に、就職面接時に提出する書類に「販売業希望」と書くべきところを「負売業」と書いてしまったとか。むろん本人は気づくわけもなく、面接担当者から指摘されたらしい・・・。ちなみに結果は合格!ウーン(゜-゜)!!!まあ、テストでは誤字は完全に×、読書感想文の審査においても誤字があった段階で最優秀賞から外すが、「人柄」という要素が合否にかなり影響する就職試験においては誤字もありということか。さて、教育産業においては流石に履歴書に誤字があったら不採用にすべきだろうが、かといって履歴書が完璧だからと言って即採用というのはいかなるものか?と思う。学歴のみならず人柄を重視して採用すべきだと言いたい。きちんとした教育産業では①履歴書②筆記試験③模擬授業④面接と言った具合にハードルが高いが、いい加減な塾では人手不足の場合だと学歴だけ、下手すると電話一本で採用ということが起こっている。「学歴至上主義」という経営者の好みや方針と言えばそれまでだが、そのことによって生徒がかなりの被害をこうむっている。講師自身は頭脳明晰だとパッと問題を解くことが出来るが、なぜ生徒が躓くのかが分からない、教え方の「お」すら分からない、挙句の果てには生徒に対して上から目線。昔、自分がお世話になった教育産業は恐ろしく学歴が高いというタイプが多く、試験はあってないようなところが大半だったが・・・今はそういういい加減な組織は淘汰され、少なくなっていることを祈るばかり。友人の過去の微笑ましい?就職面接の話から、自分の過去のことを思い出すと同時に先のようなことを思った次第。
2017/02/25 02:51
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ら抜き言葉
「ら抜き言葉」とは動詞を「~できる」という可能の意味を持つ形にするときに「られる」をつけるべきところ、「ら」を省いて「れる」だけをつけてしまった言葉。具体的には、動詞の可能形「食べられる」「出られる」「見られる」などが「食べれる」「出れる」「見れる」などになった表現。日本語の乱れとして取り上げられることが多く、先日のラジオトークの話題は「ら抜き言葉」で楽しく盛り上がり・・・その時にも言ったが個人的には「ら抜き言葉」に対して目くじらを立てる必要はないと思っている。というのも、例えば「先生はその料理を全部は食べられなかった」という文があった場合、「尊敬」なのか「可能」なのかを咄嗟に判断することはできず前後関係から見極める必要があり読み手にとって、ある意味負担であるから。最近浸透しつつある「ら抜き言葉」で表現するならば「先生はその料理を全部は食べれなかった」とするならば「可能」と分かる。ただ、表現としてはなんとなくぞんざいな感じがするのは否めない・・・。そうなると究極は「可能」を表現するには「れる、られる」よりも「~できる」を優先して使う方が無難か。「ら抜き言葉」を非難する人が世の中には沢山いるが、そもそも「言葉は生き物」で時代と共に変化していくということを認めることが大切だと思う。ちなみに「歩いている」「立ってる」「運んで」は元々は「歩きて」「立ちて」「運び」が音便変化したもので言葉が時代と共に変化した例の一つ。
2017/02/24 02:22
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浮かされる、うなされる
昨日は月に一度のラジオ出演!いつも書いているように、担当者M様がとっても素敵な方なのでお目にかかり、トークするのが毎回楽しみである。さて3日ほど前に打ち合わせのメールやりとりで、M様が先週ずっと高熱に浮かされていたとあり、少々心配だったが現在はすっかり回復されて元気な様子だったのでホッ。声は大丈夫だったとのことで高熱にもかかわらず仕事はされていたそうで本当に頭が下がる。さて「熱に浮かされる」は① 病気で高熱のためにうわごとを言う。② 前後を忘れて夢中になる。のぼせ上がるという二通りの意味があるが、①の意味からか「熱にうなされる」と誤用される場合が多い。確かに悪夢を見て、うなされ、うわごとを言うこともあるかもしれないが「高熱」≒「熱が上がる」、「夢中になる、のぼせる」≒「上がる」となり「上がる」という意味を表す「浮かされる」が正しい。ちなみに自分自身は生まれつき強靭な肉体を持っているおかげで(何と言っても保育園、幼稚園、小中高と一度も休んだことがない!大学時代はやたら自主休校が多かったが)熱に浮かされることは一度もないのだが、正直言って悪夢にうなされることはしばしば。最近は少しはマシにはなったが・・・。まあ、悪夢にうなされることによってメンタルのバランスをとっているのかな?と良い方向に解釈し、少なくとも高熱に浮かされることがないのは有難いことだと言い聞かせている。
2017/02/23 00:20
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対比の文章
「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」【読み】くんしはわしてどうぜず、しょうじんはどうじてわせず【意味】すぐれた人物は協調はするが、主体性を失わず、むやみに同調したりしない。つまらない人物はたやすく同調するが、心から親しくなることはないということ。(論語より)。全くその通りだなあと実感し、漢文は対比が使われていることが多くリズミカルなので頭にすっと入ってくるので個人的に大好きである。とはいえ、漢文だからこそ暢気なことを言えるのであって日本語の現代文だとそうは言えない。漢文に限らず、現代語の評論文や説明文では「対比」が使われていることが多く・・・中学生泣かせ。というのが、漢文は文字数やリズムが完璧に一致していることが多いが日本語の場合は「内容が対比」しているだけで、文字数などはバラバラ!しっかりと落ち着いて考えないと、空欄を埋める必要がある穴埋め問題では見事に逆の言葉を入れてしまうという事態が!何人もの中学生がひっかかり、全く真逆の言葉を入れてしまったというのを目の当たりにした。正しく穴埋めするためには①空欄の前後、述語をしっかりと把握する事②空欄を含む文の言いかえを探すこと、この二点に尽きる。この二点を守ったとしても出題される穴埋め問題には、本当に頭を悩ますことが多い。難問に立ち向かうには先の二点を意識しつつ、日頃から対比の文章を見つけたらしっかりと読み比べたり、教科書、テキストやテストで少しでも興味を持てそうな文章があったら熟読して内容を理解しようと努めることが一番の確実な近道。
2017/02/22 00:11
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見直し、解き直し
早いもので、2月も下旬・・・。この時期は受験生にとっては最後の追い込み、それ以外の学年では学力テストや期末テストが終盤を迎え見直しの時期に入っている頃。解き直しや見直しが大切ということは、あらゆる先生から言われている事で、どの生徒もよく分かっていると思う。とはいえ、ただ単に解説を見て答えを直して…ではもったいない。見直しをすることによって自分の弱点を見つけて今後の課題にすることが大切。小説が苦手、古文が苦手、漢字が苦手、小説は大丈夫だけど説明文が苦手などなど。また、大半の生徒が「記述」を苦手としているのだが、どんな風に苦手なのか?を把握することが今後の点数アップにつながる。聞かれていることを把握していなかったのか、指示内容を完全に勘違いした、不必要に語順を変えてしまった、省いてしまった・・・など、複数のテスト結果内容を見ると個々人の「癖」が見えてくる。自分の「癖」を見つけようという意気込みでテスト直しをするとよい。自分では分からない…という場合は学校の先生や塾の先生に見てもらうのが一番。そしてその「癖」をきちんとメモをし、随時意識して克服していくように努めてほしい。これは国語の勉強に限らないことで、いわゆる自分の中の短所と呼ばれる部分を「直そう」と思わないと直らないのと同じ。塾生に関しては随時、個々人に声掛けしておりアドヴァイスをしているが、それ以外に臨時で見てほしいという方は応相談。※料金改定のお知らせ。国語塾を開講してから3年間、入会金や教材費は一切いただかない方針だったがサービス向上のため新年度から入会金のみ5000円に設定、また個別指導に関しても若干の値上げをさせていただく予定で、詳細はぜひお問い合わせを。(3月末までに入会の方は入会金はかからない)。
2017/02/21 15:42
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塾か家庭教師か?
年度が変わる頃になると「塾に入るか」「塾を変えるか」「家庭教師をつけるか」など迷う時期。塾講師も家庭教師も共に長年経験した観点から言うと、結局は本人のタイプで選ぶのが一番というありきたりな答えになってしまう・・・。ただ一つ言えることは「自分に甘い」「人懐っこすぎる」タイプは家庭教師には向かないということ。理由は簡単で①家庭教師の場合、料金は指導回数のみに発生することが多い(休んだら料金はかからない)ため「自分に甘い」タイプはちょっとした理由ですぐに休む②宿題はしない、宿題をしないことを咎められても人と比べられるわけではないため全く気にしないことが多い。③自室に先生に来てもらう場合、自分の宝物などを見せておしゃべりすることによって無意識に勉強から逃げる。④気が合う若い先生やノリのいい先生が担当になったら我が儘放題になる。厳しく指導すると先生を変更する、主にこの4点の理由から「自分に甘い」「人懐っこすぎる」タイプは家庭教師ではなく塾をお勧めする。正直言って家庭教師を依頼するタイプの半分近くが、いわゆる「向かない」タイプだった。知人のお子さんと言った場合は、こういった問題は起こりにくいが、そうではない場合は・・・大変だった。そんなこんなで、国語以外の科目を不定期で教えてほしいという依頼は特例(塾を変える予定で、次の塾が見つかるまでの間だったり、塾で未消化の部分有りと言った場合)を除き今は一切引き受けていない。やる気があって、通常の国語+αマンツーマンで国語という個別指導は喜んで随時引き受けているが。自分は、自分の子供は「塾」「家庭教師」のどちらのタイプかをじっくりと見極めてから新年度の準備をしてほしいと切に願う今日この頃。
2017/02/20 10:29
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「しない後悔よりした後悔」
「しない後悔よりした後悔」というタイトルに思わず釘付けに。これは心理カウンセラー中園暁子先生の昨日のブログタイトル(「中園暁先生のブログを検索し、ぜひ読んで頂きたい)。実は金曜日の午前中(すっかり引きこもっていた日)に某専門家と電話で延々と長話(相談)をしていた時に全く同じことをアドヴァイスされた矢先だったので(@_@)!基本的には「しない後悔よりした後悔」を長年実践してきたのだが、とあることに関して「突き進むか、さっさと方向転換するか」と迷っていたところ「しない後悔よりした後悔」と別々の方法で、メッセージを受け、ダブルパンチを受けたような気分。おかげで迷いが消え、突き進むことに。と同時に人間はほんの些細なことで変われるということを中園先生のブログを読み実感。そのきっかけというのは後になってから分かることも多く、だからこそ選択するときに迷ってしまう。中学生にとっては進学先を選ぶことは人生において大きな選択で、迷うのは当然。迷ったら自分の「希望」をとりあえず貫くべく努力した方が「しない後悔」をせずに済む。進路変更するのは入学願書を出す直前で良いので、現中3生以外はまずは目の前のこと、やるべきことをしっかりとこなすことが大切か。具体的に何をどうすればいいかが分からない時は親、学校の先生、塾の先生などに頼る・・・と何かきっかけがつかめるかも。とにもかくも前進あるのみ。
2017/02/19 01:06
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終わりよければ・・・(汗)
昨日は完全に引きこもりで、生徒をお見送りするときのみの外出・・・。どんな暗い?生活を送ってるのかという心配ご無用(誰も心配していないって?!)。夕方に最高に嬉しい報告を聞くことが出来た。何事にも前向きに一生懸命に取り組み、ギリギリまで面接の問答集を作って頑張っていたT君!合格発表は月曜日と思っていたところ、金曜日に早まったとのことで、学校帰りに「合格」報告をするために寄ってくれた!!!生徒さんが来るまでの少しの時間、教室に入ってもらい面接時の話を聞いたところ・・・。T「志望動機などは全然聞かれなくて、長所と短所を聞かれました」私(フンフン。よしよし!ばっちり練習したよね)T「そして、それ(短所)をどうやって克服しましたか?と聞かれた時に『克服』という言葉でナス(先日のSとの面接練習時のエピソード。ブログ「神ってる」を参照)が出てきてしまい・・・。昔はナスが嫌いで食べられませんでしたが、今は克服して・・・と答えると面接官に『そんなことを聞いてるんじゃない』と言われました(笑)」私「え?」(絶句。汗、汗、汗)➡大爆笑。受かったから(彼は成績抜群、人柄の良さがオーラからにじみ出ている…などなどから若干、面接の受け答えでミスってもほとんど影響なしとは思っていたが)笑い話だが、もしももしものことがあったら・・・と思うと「先日、余計なことをしなければよかったかなあああ」と少し背筋が寒くなった。何はともあれ、そういうヒヤリとすることがあっても「終わりよければすべてよし」!おそらく一生の笑える思い出になるだろう。それにしても・・・最後の最後までやらかしてくれて、大いに笑わせてくれたT君!本当に一生感謝!
2017/02/18 18:05
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