めむろ国語専門塾
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小さな国語塾のつぶやき
魚心あれば水心
「魚心あれば水心(うおごころあればみずごころ)」という諺がある。意味は「魚に水と親しむ心があれば、水もそれに応じる心がある意から、相手が好意を示せば、自分も相手に好意を示す気になる。相手の出方次第でこちらの応じ方が決まること」。この諺には様々な解釈があり、相手の出方次第で…なんて言うとまるで「ギブアンドテイク」のような計算高いイメージが浮かぶ人もいるかもしれない。個人的この諺は人間の本質を表していると思っている。人間は感情の生き物だから、こちらが良いと思って接してもも相手によってはそれを不快に思うこともあり、そういったことを意識しながらコミュニ―ションをスムーズにしていくための処世術と思っている。さて、昨日も中学生徒に「先生って贔屓しますよね!」と言われた。先ほど「も」と表現したように実は何人かに言われる(汗)。自分は贔屓されていると思っている本人達から言われるのである。さらに昨日の生徒は「そりゃそうですよね。贔屓しない人っていませんよね!贔屓していない子にはどんな態度ですか?」と自分が贔屓されているという自覚があるからか、余裕の発言(ちなみにその生徒は、いつも中学校の○○先生は女子ばかり贔屓すると憤っているが)。「贔屓って言うと言葉が悪いけれど、全くやる気がなくてこちらの言うことが通じない、良かれと思って注意しても逆切れするような生徒には一切注意せずにそっと放っておく(見捨てる)。」と答えると「確かに!僕にはよく注意しますよね。」とのこと。人を変えることは出来ないが自分を変えることは出来る、そういう意味でも「魚心あれば水心」は理に適っていると思っており、今後も各自に合わせた対応(それを贔屓と言われるならばそれはそれでOK)としていく予定。※現在は贔屓されないような生徒は教室に存在しないということを特筆しておく。
2017/03/09 12:12
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対義語
2月の学力テストの中一の問題で「理想」の対義語を答えさせるというのがあった。答えは「現実」なのだが、答えられなかった生徒。実は国語教室では2年生になってからカードやプリントを使って対義語を勉強するのため、残念ながらテストには間に合わなかった・・・。早速本人の希望も有り、先週は対義語のカードを使って神経衰弱のような感じでペアを見つける作業を行った。最初は難しかったのだが、テーブルに載っているカードがどんどん少なくなるにつれて正答率はアップすると同時に、何となくの傾向を自ら見つけていった生徒。今週はプリントを使って学習予定である。対義語はテストでよく狙われるのでぜひとも押させておきたい分野だ。では、どうやったら覚えることが出来るか?一番いいのは日常的に使うことだが・・・なかなかそういったチャンスはない。そんなわけでお教室では①まずカードで神経衰弱のようにしてペアを作る②プリントを使って対義語を手で書く③講師が一枚ずつカードを見せて、そのカードに書かれている熟語の対義語を口頭で答えさせる、あるいはノートに書く、と言う三段階を踏んでいる。それでも日がたつと忘れてしまうので折を見て何度も何度も繰り返す。何が言いたいか?人間は目にしたり聞いたりする頻度が高いほど記憶に残る、また変化を付けて少しでも単純作業ではない楽しい作業の方が興味がわくという性質を利用して三段階の手順を踏んでいる。対義語にまずは興味を持ったならばせひとも日常生活でもどんどん意識して使ってほしいと思う。さて、自分にとっては「理想」と「現実」と言う対義語は対義語にあらず・・・。なぜなら理想とは現実にするための目標だから。
2017/03/08 15:11
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「時は金なり」
「時は金なり」という諺がある。時間はお金と同じように非常に貴重なものなので無駄に浪費してしまうことなく、できる限り有意義に使いましょうといった意味合いの言葉で、似たような諺に「光陰矢の如し」などがある。「時は金なり」という言葉は英語から来ており「光陰矢の如し」は中国語が語源だ。つまり「時間は大切」と言う意識は世界各国で共通で、忙しい大人たちはもちろんのこと子供たちも「時間の大切さ」を感じているだろう。さてこの「時は金なり」は、政治家、作家、物理学者として多方面で活躍したベンジャミン・フランクリンが「Time is money(タイム イズ マネー)」と言ったものが日本にやって来たときに日本語に翻訳されたそうだ。単純に「時間はお金です」と訳さずに「時は金なり」と断定の助動詞を使って訳した人に敬意を払いたくなる。ところで、昨日は午後4時に来客の予定だと思い込み3時半までにあらゆることを終えようと時間を逆算して朝から必死で業務をこなし、予定通りの3時半頃になんとか終わりホッとしたところ・・・何気にカレンダーを見て愕然とした。なぜならば来客予定は来週だったからだ。単に自分の勘違いだったわけだが、勘違いと分かった瞬間に気分は最高になった。予定外の1時間をプレゼントされた気分になり、空いた時間には日頃から気になっていたけれど手つかずのままという仕事などをして過ごした。予期せずプレゼントされた1時間に、仕事が進むこと進むこと!!!いつもならば「うわーっ!時間がない!」と追いたてられているのだが、昨日はある意味「余裕のある時間」だったわけで、1時間という枠でいかに多くのことが出来るか!まさに「時は金なり」をいい意味で実感した。のんびりする時間も大切、そういう時間も含めて「時間は貴重な物であり、まさに金なり」と肝に銘じて生活していこうと改めて思った。
2017/03/07 00:03
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善は急げ
「善は急げ」とは「良いと思ったことはためらわずに直ちに行動すべきだ」という意味だが、塾選びにはこの諺はピッタリだと思う。なぜなら①新年度が始まる前に塾選びをする方が時間的、精神的に余裕があるから②新年度が始まるまでに入塾を決めた場合、入会金が安くなったり無料になったりすることが多いから。新学期はクラス替えがあったり、ましてや新入生は全く新しい環境になるのでまずは学校生活を優先してから塾を選ぶという考え方もあるだろう。が、だからこそ3月中に複数の塾の見学や体験にとりあえず行っておくのが賢明だろう。新学期が始まってからバタバタと見学、体験となると何かと焦る。さて、国語塾では3年間料金据え置き(入会金なし)だったのだが先日も書いたように新年度からは入会金(5000円)をいただくことにしたので、興味がある方は3月中に見学、体験していただき入塾希望の意思があるならばそれを伝えてほしい。仮に5月から~という場合でも申し込みは3月ということで入会金はかからない。ところで先週、中学1年生の男子と保護者が見学・体験に来てくれ、授業終了後に「入塾」を即決。正直言ってとってもとっても嬉しかった。それは単純に生徒が増えるから・・・ではなく、とってもやる気があって真面目そうなタイプの生徒だから。国語塾は一人で運営し、1クラス4名まで、生徒の「質」には実はかなりこだわりがある。やる気のあるタイプ大歓迎!
2017/03/06 00:12
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まじめ➡おもしろい
「聴き手が笑う場面であればあるほど、落語家は真剣に、まじめ顔で演ずるということです。(中略)おもしろいと読者が思うのは、描かれている内容自体がおもしろいときであって、書く人がいかにおもしろく思っているかを知っておもしろがるのではありません。」(出典「中学生作文技術」本多勝一)という文章を国語テキストの中で見つけた時には思わず、解く手を止めて「成程なあああ」と大きくうなずいた。確かに「時をかけるゆとり」(文春文庫 朝井リョウ著☜直木賞作家)というエッセイは真面目に書かれているから読者にとっては抱腹絶倒になるのだ。本当の本当に真面目に真面目に、素晴らしい筆力を生かしてご自分の体験やエピソードを書いてるのである。つまり、書いている本人がおもしろく思っているという要素を全く見せていないのだ。あまりにもおかしいので、気分転換したい時にはちょこちょこっと読み返しては大笑いしている(絶対に周りに人がいる場所では読めない・・・・)。また、以前に友人からパソコンに送られてきたメールがあまりにも可笑しく、そのメールをいつでも読むことが出来るようにと自分の携帯に転送し、ことあるごとに読み返しては笑っている(一通ではなく複数!)。携帯に転送したメールを書いた本人に見せたところ「え?そんなこと書いたっけ?」「そんなに面白い?」と言われる、つまり書いた本人はいたって真面目なのだ。だから面白い!人を笑わせようと必死になってあれやこれやと工夫を凝らした笑いは正直言って薄っぺらく感じてしまい、あまり面白いとは思わない自分にとって、本人自身はいたって真面目なのだが実は面白いことを言ったり書いたりしているという才能を持っている人は貴重である。
2017/03/05 00:53
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3ステップ
「『3』は神の数字。物事はすべて三つに分類、整理。アイデアやプレゼン材料は3点で決めるアイディアの神が降りてくる」と斎藤孝先生は著書(「3」の思考法 朝日新書)の中で述べており、興味深く何度もこの本を読み返している。さて、勉強内容を身に付けるためには3段階あると思う(←出た!3)。①分かる②出来る③慣れる、の3段階で、②までたどり着くのだがついつい③をおろそかにしてしまうことが多い。自力で分からない問題があっても解説を読んだり、説明を聞くと「あ、分かった!」となり、直後に解き直ししたり類題を解くと取りあえず出来るのだが、残念ながら3日以上何もしなければ見事に忘れてしまう。場合によっては3日どころか数時間後には全く出来ないという事態も!(自分自身にとっては高校時代の物理がまさにこの状態。授業中は魔法にかかったように「分かった」気になるのだが、家では解けない)。むろん②③が同時に出来るという羨ましい人も世の中には存在するが、自分がそういうタイプではないと自覚するならば結局は反復することによって慣れるしかない。何回繰り返せば慣れるかは個人差があるので何とも言えず、厄介なことにこの作業が面倒なのだ。とっても苦痛だろうが、このことは勉強に限らず仕事においても同じ・・・つまり生きていくうえで①分かる②出来る③慣れるという3段階を踏むことは常に必要なことなのだ。勉強をするということは言い換えると「考える力、生きていく力を付けることだ」と、勉強で悪戦苦闘している若い子たちに言いたい。ファイト!
2017/03/04 01:45
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後の問が前の問のヒントに!
国語テキストは学年別に編集されているものと、そうではなく「標準」「上級」といった分類のものもある。さて、今週は「難しい抜き出し」というテーマで小学生の授業を実し、学年別ではないテキストを使用し小学4年生、5年生、6年生に挑戦させた。問4がとっても難しかったのだが結論を言うと小学6年生のS君だけが迷わずパッと解けた!お見事!!!実はこの問題をまともに解こうとすると、ヒントとなる文がすぐに見つかるのだがどうしても「十字で抜き出し」という字数に合わない!小学5年生は「おかしい!こうなったら解答欄にマス目を増やそう!」と自分でマス目を書き足す始末・・・。一瞬「答え」だと思う部分の字数が合わない場合は、その文章の言いかえを探すように指導したのだが、探すのに難儀していた4年生、5年生。ちなみに6年生のS君は早々とその問題を飛ばして、次の問題に取り掛かったそうだ。すると「あれ?」と前の問題の答えが見えてきたらしい。つまり、一つのテーマについて延々と書いてあるのが国語で、数学と違って後の問題が前の問題のヒントになることは意外と多いのだ。数学では逆に、問2は問1の答えを利用しなくてはならないという場合が多い(特に関数では、正しく座標を求めないと次の面積を求めることが出来ないなどなど)。そんなわけで解ける問題から取り組み、難解な問題は後から考えるということをぜひ実行してみると時間短縮にもなり正答率も上がる。小6のS君ならばおそらく解けるだろうなあという見込み通りで嬉しい出来事でもあった。
2017/03/03 01:21
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名作文学
日本人として、日本の名作と言われる作品の名前、冒頭部、あらすじ(こちらに関しては出来ることならばという限定付き)、さらに言うならば世界の名作を知っておくべきだと思うのは時代遅れなのか?自分が中学生3年生の時は、塾の国語のテキストの一番後ろに有名な作品、冒頭部文(2,3行)、あらすじが一覧になって掲載されており、勉強というよりも楽しくてそれらを読んでいた。超ラッキーなことに私立入試で完璧にそれらが出題された(川端康成の「雪国」、樋口一葉「たけくらべ」、芥川龍之介「羅生門」、志賀直哉「小僧の神様」などなど)!!!あの時の嬉しさ(?)は今でもよく覚えている。さて、2月中旬に推薦入試で合格した某生徒に対して2月下旬は長文演習ではなく「日本人としての教養として・・・」と文学史のプリントを準備して演習させたところ、全く手も足も出ない・・・。この状態は1名だけではなく複数名で、どの生徒も「一度も見たことも聞いたこともない」と言う。彼らは英語が得意なので「将来的に外国の人とコミュニケーションをとる時に日本の文化を知っている方が話が弾むので、せめてノーベル文学賞を受賞した川端康成の「雪国」ぐらいは覚えておいてね」と伝えた。以前にもブログで紹介したが集英社の「日本の名作文学案内」「世界の名作文学案内」(監修 三木卓)は有名作品の冒頭部、漫画であらすじが紹介されておりお勧めである。ただ、残念なことに2冊とも絶版になっているため入手が困難だが、図書館に所蔵されていることが多いのでぜひとも手にとって読むことをお勧めする。
2017/03/02 02:09
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体言止め
「〈新版〉日本語の作文技術 本多勝一」という本を最近読んでいる。これは1982年に刊行された「日本語の作文技術」を再編集したものであり、言い換えると30年以上売れ続けているロングセラーの本だ。P273,274に「体言止めの下品さ」というタイトルで、「例外的な場合とか特別な目的がある場合は別として、第一級の文章家は決して体言止めを愛用することがない」とあり、成程なあと妙に納得した。以前、プロの方に文章を添削してもらった時ににことごとく体言止めをチェックされたことを思い出した(字数内に納めなくてはという強迫観念にかられ、体言止めを多用したのである)。和歌や俳句や詩では「体言止め」≒「強調、感動の中心」をいう技法として使われるが、正式な文章で使うといわゆる「尻切れトンボ」のようになってしまう。例えば、本来は動詞である「感動する」という言葉を「感動」と表現するとなんだか軽い感じがする。かくいう自分自身はブログでは体言止めを多用しており、本多氏の本を読んでドキッとした次第である。ある意味、ブログは直接的な対話と正式な文章の中間に位置すると思うので決して体言止めが悪いとは思わないし、今後も使うことが多いだろう。が、基本的に体言止めは正式な文章において多用すると下品になるということは具体例を示されるとよく分かった。いやはや改めて、日本語は難しいと感じると同時に、だからこそ自分にとっては飽きずに勉強したくなるものなのだ。
2017/03/01 13:08
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反復学習
国語塾に来てくれている生徒さんの大半はダブルスクールで頑張っており、他の総合塾でも国語の授業はあるため使用テキストが全く同じということが起こりうる。そのため、来年度のテキストを大幅に変えるかどうかの相談を保護者様にさせていただいた。すると、2回同じ問題を解けるので今まで通りのテキストで問題ないとのお返事を頂き、そのお返事と共に「同じ問題を2回やっても理解できていない?ということがあり、自分の子供は理解力不足なのか?」というご意見をいただいた。正直言ってその方のお子さんが「理解力不足」だとは思わないし、一度解いた問題だから二度目は完璧に解けるという人の方が少ないと思う。計算方法を学んだからと言ってどんな計算でも完璧に解けるかというとそうではないのと同じで、もしも一回ですべて理解して解けるようになるならば塾も学校もいらない。たとえ今日、正解した計算問題でも明日になると計算ミスをしてしまうなんてことは日常茶飯事。そのミスをなくすために必死で反復し速く正確に解けるように努力するわけである。ましてや国語はパッと見て解き方を思いつく…訳ではなくまずは文章を読んで考えてから解かなくてはならない。確かに2回目に取り組む時は「あ、この文章見たことがある!だから読みやすい、理解しやすい」ということにはなるが、完璧に理解できるかと言うと個々人の差がある。正直言って、自分が中学生の頃は1冊の問題集を日をあけて3回解いた。2回目でパーフェクトにはならなかったから3回も取り組んだのだ。他の科目同様に、国語も反復学習が必要。
2017/02/28 00:14
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