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小さな国語塾のつぶやき

スプリングコンサート

昨日、帯広市民文化ホールで夕方6時から帯広三条高校の吹奏楽部のスプリングコンサートが開催され、初めて行ってみた。友人の娘さんが吹奏楽部で頑張っており、お誘いを頂き張り切って伺った次第。演奏、パフォーマンス、選曲など、どれをとっても素晴らしかったのだが一番感動したのは顧問の先生の最後のご挨拶。一言で言うと「熱血」なタイプの先生とお見受けし、本当に生徒のことを良く見て、大切に思っているのがヒシヒシと伝わってきたのだ。「え?感動場面はそこ?」とツッコミを入れられそうだが(苦笑)。先生は挨拶内容を考えた上で舞台に立たれたと思うのだが、生徒たちの頑張りぶりに感動し、感極まってしまい何を言うべきかを忘れてしまい途中で詰まるという場面も。ある意味、だからこそ我々観客に先生の熱意がヒシヒシと伝わってきたのだ。あの場面の先生のセリフを紙に書いて、それを読んだとしてもあそこまで感動したか?と言われると自信がない。つまり、伝えたい内容、言葉のトーン、動作などあらゆる要因が絡み合って感動が伝わる。逆もしかり?!で取り繕った表面上の意識だと相手の心には響かないのだ。当国語塾では対面授業を行っているため、こちらから伝えたいことをどうやったらもっと伝わるかを工夫する余地はまだまだあるなあと勉強になった。貴重な時間とお金を費やして通塾している生徒に対して、一つでも二つでも「来てよかった」と思える授業内容、雰囲気作りを大切にと自分に言い聞かせるきっかけとなった。

2017/03/19 01:02

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Mちゃん見事合格!!!!!

昨日は公立高校の一般入試の発表日。朝からソワソワしていたところ、Mちゃんのお母様から「合格」メールが!!!さらには、見事合格を果たしたMちゃんの将来の夢は「ジェットコースターを作る事」だと合格の報告と共に初めて教えていただいた。本当の本当に嬉しくて思わず誰もいない部屋で一人で飛び上がって喜ぶと同時に、Mちゃんをはじめとする教え子たち全員の今までの頑張りがジェットコースターのように?頭の中を猛スピードで駆け巡った。本当に一人ひとりそれぞれのドラマがあったが「合格」の二文字でそれらがすべていい思い出になった瞬間だ。もしも高校受験で失敗したとしても人生が終わるわけではなく、ましてや人生そのものが失敗と言うわけではないが、指導する側としては第一志望に合格して喜ぶ姿を見るのは嬉しいもの。そして老婆心ながら、可愛い可愛い教え子ちゃん達にはジェットコースターのような浮き沈みの激しい、時には恐怖を伴うような人生は歩んでほしくないと願うのだ。ジェットコースターはスリルがあるから魅力的で自分自身も幼いころから大好きだが、アトラクションの場合は安全装置、シートベルトなどがあり安全が保障されているからこそ恐怖を楽しめる。人生のどん底から這い上がってきた人はとても魅力あふれるタイプだろうとは思うが、這い上がれずに・・・というタイプには魅力はおそらく感じないだろう。小心者の自分は人生におけるジェットコースターには乗る勇気はないが、優秀なMちゃんが開発にかかわるであろう絶対に安全なジェットコースターに乗るという新しい夢が出来て最高だ!

2017/03/18 04:29

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再会

昨日の夕方にHちゃんと4,5年ぶりに再会し、彼女の成長ぶりにびっくりするやら、変わらず素直で可愛い様子に嬉しくなるやら・・・。Hちゃんは友人の娘さん。お互いに4年前まで同じアパートで暮らしており、仲良くさせていただいていた。4年前、自分はアパートのすぐ近くに一軒家を建てて国語塾を始め、友人は帯広に引越し・・・。去年の夏にに友人がヨガ教室の案内を持って我が家に来てくれたことから嬉しいお付き合いが再開し、彼女の娘さんが国語に興味を持ってくれたことから体験、入塾と言う嬉しい流れに。体験授業に来てくれた時点で本人に「知り合いだから断ってはいけないとか一切思わないでね」等々はお伝えした上での体験授業。元々利発だった彼女、本当に熱心に初めての授業に取り組んでくれて帰り際には入塾を即決。久しぶりに再会できて嬉しかったうえに今後は二人三脚で一緒に勉強をすると思うと嬉しさが倍増したのは言うまでもない。と同時にいい意味でのプレッシャーも感じているが・・・。本当に春はお別れと出会い(再会を含めて)が目白押しでワクワクする時期、過去のちょっとした出会いが実は細い糸のようにつながっておりそれが太くなるということもあるなあとつくづく感じる日々であり「出会い」「再会」に感謝!ちなみに友人はヨガのみならず食についても日々研究、活動をしており彼女から学ぶことが多く、月に2回のヨガ教室では超出来の悪い生徒だが優しく指導していただいている。

2017/03/17 12:52

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格助詞に注意!

現代文では「抜き出し」の問いは点数源!といつも生徒達には口酸っぱく言ってるし、このブログでもちょくちょくそのように書いている。なぜならば「抜き出し」は本文中に必ず答えがあるから。では、簡単かというと決してそうではなく、かなりひねった形式で出題される。穴埋めの「抜き出し」の場合は設問に示されている文章の内容がどの段落に書いてあるかを探すことがまずは大切。ここまでは大半の生徒がきちんと間違えずに出来る。問題はここからで・・・。例えば、設問には「(  ①  )託されたAの(  ②  )失望状態にあることを理解すること。」とあり、本文の2段落に「言語記号、Aは自分のある内的状態を託して表現する。」「それに託されたAの内的状態を解釈する・・・・」という表現がある。すると「託して」という表現を見た瞬間に「ラッキー!とばかりに(①)に「内的状態」と入れてしまう。語順的には「内的状態」「託す」となっているが、よく読めば①は「~に託された」という受け身で、②は「~が」と主語になっているから①には「言語記号」②に「内的状態」が入る。つまり「て、に、を、は、が」といった格助詞に注意を向けていないとうっかり騙されてしまう。中学2年生の英語で「受け身」を学ぶとイメージしやすいが、英語では普通の文章を受け身にした場合に主語の位置が逆になる。でも日本語の場合は語順はそのままでも格助詞の使い方で受け身になったりするので厄介なのだ。一文字違いで大違い!ゆめゆめ「一文字」をおろそかにせずに、大切に読みこんで意味を取ることを意識してほしい。

2017/03/16 04:48

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卒業

今日は十勝地方の中学校では卒業式が行われる予定で、心から彼らに「中学校卒業おめでとう!明るい未来への第一歩だね!」というメッセージを贈りたい。さて「卒業、卒業する」という言葉は基本的には学業を終える時に使うが、最近ではアイドルがグループから抜ける時、辞めるときなどにも「卒業する」という言葉が用いられるようになっている。昭和の途中までは「解散する」「脱退する」が一般的だったのだが・・・。使い方が正しいかどうかは別として言葉から受けるイメージが「解散する」「脱退する」「辞める」というよりも「卒業、卒業する」の方が未来へとつながっているようで断然、後者の方がいい。というわけで何らかの事情で物事を方向転換する、辞める場合には「おめでとう、卒業だね」と励まし?に用いることも十分「あり」だと思う。自分自身に関しても迷った挙句に方向転換したり、辞めたりするときに必要以上に自己嫌悪に陥りそうになると「前向きな卒業」と言い聞かせている。さ、本年度もあとわずか!来年度に向けて色々と方向性を考えつつある今日この頃、何をいくつ卒業しようか?そしてどんなことを始めようかと計画する時間や思考は本当に楽しいものだ。ちなみに「卒業」の対義語は「入学」、特定の学校に通ったりすることだけが入学ではなく、何かを終えたらまた新しい学びが始まる。月並みな言葉だが「終わりは始まりの一歩!」、あらゆる人々に明るくて素敵な春が来ますように!

2017/03/15 02:41

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視察に具す

内装業を営んでいる知人は、家族で外食するときにメニューではなく、まずは店内の内装を見て「ああだこうだ」と言うため周囲から「食べに来てるのに・・・」と呆れられるそうだ。いわゆる職業病というもので、かくいう自分も文章の内容よりも漢字に目がいってしまうことがしばしば。昨日、歴史の本をパラパラと読んでいた時に思わず「あれ?岩倉具視(いわくらともみ)って本名?それとも後から付けたペンネーム?これってすごくない?」と一人で大興奮してしまった。なぜなら「具視(ともみ)」という熟語にレ点をつけて意味を解釈すると「察するために具す(連れて行く)」となる。岩倉具視とは言わずもがな、岩倉使節団の正使。岩倉使節団は明治維新間もない明治4年(1871年)から6年(1873年)にかけて明治政府からアメリカ、ヨーロッパ諸国に派遣された。派遣の目的の一つに「西洋文明の視察、調査」があったそうだ。「具す」は古文で「連れて行く」という意味となり「具視」は先にも書いたようにレ点を付けて下から読んで解釈すると「視察するために連れて行く」となる。一瞬ペンネームかと思って調べてみるとそうではなく単なる偶然のようだ。岩倉具慶の養子になり、朝廷儒学者である伏原宣明によって「具視」と名前を選定されたらしい。おそらく「具慶」から一文字取って命名されたのだろう。名は体を現すと言うが、もしも「具視」ではない別の名前を付けられていたら岩倉使節団の正使になってなかったかも?と空想中。歴史に「もし~たら」はないのだが、空想は自由!

2017/03/14 02:29

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おすすめ本

最近のおすすめ本はズバリ「日本文学のススメ」(関根尚著 学研 2015.3.31第一刷発刊)である。日本文学史上に残る偉大な文豪たちのエピソードを漫画で紹介している。正直言ってこれを読むと文豪たちのイメージがかなり変わる(崩れる?)・・・・。例えば、ノーベル文学賞を受賞した川端康成は、あのギョロリとした目力で泥棒を撃退したことがあるとか、石川啄木に対しては貧乏なのはある意味当然?本人は「はたらけどはたらけど…」と言っているけれど働いてるの?とツッコミを入れたくなったり(むろんこれらの感想は個々人によるもの)。かなりドン引きしたことは、夏目漱石が猫が死んだときに自筆の死亡通知書を弟子に送ったこと。猫の死亡通知書をもらった側としてはかなりビビっただろなあと想像すると笑える。と同時に夏目漱石のお茶目な一面に触れるとなんだか親近感すらわいてくる。ちなみに本人はいたって真面目で真剣だからこそ、後世の人間には笑えるエピソードなのだ。先日も書いたが、本人が周囲を笑わせようとしているのではなく自然にごく普通にふるまっているからこそ周囲はクスッと笑える。さて個性が強すぎると何かと周囲とぶつかることが多くなりプラス面ばかりではないが、少なくとも素晴らしい作品を生み出すための一要因ではあるだろう。強烈な個性を持っているからこそユニークな発想やひらめきが生まれ、そこから文学史上に残るような作品が生み出されることになったと言えるかもしれない。自分自身もかなり個性的だと思うが、ここまで・・・ではない?!個性はもちろんのこと「ひらめき」という才能などなど、どう考えても足りない物ばかりで小説を書くということはこれからも今後もないが、文豪たちも「普通の泥臭い人間味あふれるタイプだった」という点では共通する。

2017/03/13 10:38

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習い事・・・

先週、習い事先で「なぜ、その方法を選んだのかを述べること。何となく・・・という答えはダメ」という条件を出された。正直言って劣等生の自分は毎回「適当、何となく、フィーリング」で行っていたため思わず顔面蒼白に。しどろもどろになりながら、頓珍漢な答えを言いながらの作業をしていった。実は去年の10月から週に一度の割合で「頭を使う」某習い事をしており、その一コマである。興味があるから習い事をしているわけだが・別の分野だがプロの教え方を学ぶことが出来る・生徒の気持ちが分かるようになる・視野が広がるといった理由もあって楽しく通っている。話は戻り、先日学んだことが二つある。①「なぜ?」と理由を考えて学習すると、その時は時間はかかるが必ず上達する②分からない、あるいは勘違いしている生徒に対して正しい解説をすることが大切、と言う二点だ。①に関しては授業で習ったことを実践しながら家で学習すると明らかに結果が違ってきたのだ!いかに今までいい加減な独断で行っていたかと大反省。言い訳と分かりつつ敢えてコメントするならば、今までは「真面目にやっているつもり」だったのだ。あくまでも「つもり」なので上達するわけがない。②に関しては理路整然とした正しい説明を聞くとストーンと頭に入ってくるのだ!これに関しては、単に答えを言うだけではなく「分かりやすい、理由を含めた説明」が必要である。日頃から生徒に「なぜこれを選んだ?」と時々質問したり、間違い個所を見て「~~という理由から間違い、○○の部分がおかしいので間違い。正しくは・・・」と説明しているつもりだが、自分が生徒になることによって改めて自分の指導の方法や態度が果たしてベストかどうか?と反省する機会にもなった。多角的視点を持つということは大切であり、その時々に応じた勉強を必死で頑張ることは豊かな人生を歩むうえで欠かせないだろう。

2017/03/12 03:51

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S君卒塾

今週の木曜日で中三のS君が卒塾となった。1月下旬にすでに進路が決まったが、3月ぎりぎりまで頑張る~と来てくれていた。今月の中旬には十勝を離れての生活予定で何かと忙しい日々が待っている。他の生徒達は卒塾したとはいえ、家が近いのでどこかで見かけたり、彼らが困った時などは声がかかるかなあという期待があるがS君の場合は物理的に離れるのでなかなか会う機会がなくなる(とはいえ、来週S君をはじめとして卒塾した何名かと会う予定があるが)。さみしくなるなああ、もしかすると「空の巣症候群のような感じになる?」(注 空の巣症候群とは子供が成長して独り立ちした頃に、両親が経験する一時的な症状)とチラッと思ったのだが、寂しさよりもS君を始めとして本年度卒塾した彼らの将来への期待と楽しみの方が大きい!学生時代にアルバイトでお世話になった塾では、生徒が卒塾することへの寂しさに耐えらない・・・という講師が存在し、自分はアルバイトだからそこまでの思い入れはないのか?自分が専任講師や経営者になったらこうなるのかなあと感じたことがあるが、全くの杞憂であった。自分って冷たい?と一瞬思ったが将来性のある彼らが巣立つことを喜ばない、喜べない方がおかしい?!と都合よく解釈している。さて、話は戻るがS君に関しては技術者になるという夢があるので数年後にネットで名前を入れると「○○プロジェクト」といったページに名前がヒットするかも!という淡い期待感すらある。可能性を秘めた若い子たちの巣立ちの場面にほんの少しだけだが、立ち会えることに感謝する今日この頃である。

2017/03/11 03:24

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同窓会

北海道支部における、大学の同窓会が再来週開かれるという案内を先日いただき、初めて参加することにした。今まではスケジュールが合わないことばかりで、大学の同窓会のみならず高校の同窓会にも一度も参加することが出来なかった。あくまで北海道支部だけの同窓会なのでいったいどの程度の規模なのかは分からないが、今から楽しみである。さて、同じ学校を卒業したメンバーのことをなぜ「同窓生」と言うのだろう?と不思議に思い調べてみた。すると「窓」という漢字には「学問をする場所」という意味があるからということが判明した。漢字の作りの由来も調べてみたのだが、そこからは学問に通じる意味は読み取れなかった。でもよくよく考えてみれば「窓」とは内部と外部をつなぐ部分で、光を取り入れる機能を持つという重要な場所で「窓」が「学問をする場所」と意味を持つようになったことに納得。とはいえ、自分の中では「窓」という漢字は「窓際族」(出世コースから外れて閑職についた中高年サラリーマンを揶揄する言葉)のイメージが頭に強くこびりついており何となくいい意味とは長年思えなかった。さらには「同窓会」と言う言葉から「同じ学校で勉強する」というのは何となく分かるのだか頭の中のイメージでは「窓際でボケーッとしている」という画像ばかりが浮んでいた。これは自分がどんな学生生活を送ってきたかという個人的見解がほとんどだろう。何はともあれ中学校は義務教育だが、高校から先は自分で選べるので悔いのない選択をすると将来同窓会が楽しみになるよ~!今は大変でもファイトと老婆心ながら若い子に伝えたい。

2017/03/10 13:25

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