めむろ国語専門塾
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小さな国語塾のつぶやき
語彙を増やす(その2)
昨日のブログでは語彙を増やすことが大切と書いた。地道な方法としては知らない言葉が出てきたら、調べて覚える、さらには使うことだと述べた。とはいえ、今後絶対にこんな言葉使わないだろう~という言葉も出てくることがある。特に昔の名作と言われる作品にそういう言葉が多い。例えば「歔欷(きょき)」(すすり泣き)という言葉が「走れメロス」に出てくるのだが、あまり日常的に使われる言葉ではない。作品名は忘れたが自分自身が高校時代の教科書に「朴念人(ぼくねんじん 頭が固く物分りが悪い人。または無口で無愛想な人のこと)」という言葉が出てきて、友人と「僕、ニンジン(だから固いの)」といってふざけていたことが今となっては懐かしい思い出。とはいえ、知ってて損はなく難解語を沢山知っているというのは一種の優越感にひたれる要素?!さて、ここからが本題。ではどうやって効率よく語彙を増やすか?最近は「語彙力」の本が複数、市販されているのでそれらを用いるのが一番の近道だろう。ちょうど英単語を覚えるような感覚で用いる。生徒たちに実際に見せて好評だったのが「15歳までに語彙をあと1000増やす本」(アーバン出版)、「国語力を伸ばす語彙1700(吉岡哲著)」(文英堂)の2冊。前著は文庫本も出ており持ち運びに便利、漫画形式になっておりとっつきやすいという点でおすすめ。逆に漫画形式には興味がなくきちんとした形式の本で…という場合は後者の方がお勧め、赤シート付きなので本当にきちんと暗記したい、勉強したいというタイプにはぜひともお勧め。参考書などは自分に合うかどうかといった相性があるので、ぜひとも実際に手に取って吟味して手に入れ語彙力アップの努力をしてほしいと思う。
2017/03/29 00:20
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語彙を増やそう!
「昔は・・・」「昔の方が・・・」とはあまり言いたくないのだが、最近の子はあまりにも語彙が少ない!それは本人の責任ではなく、語彙を増やすチャンスが少ないからだ。先日、体験にお越し下さった小学生の保護者とそのことで盛り上がった。昔は教科書の内容で分からない言葉をピックアップしてノートに意味調べをするという宿題が出ていたと。むろん地域にもよるのだろうが、たまたまお話した方とは育った環境が良く似ていて話が合い、子供が「まだ~?いつまで話してるの?」という事態になり反省した(ちなみに彼は4月から国語塾で学ぶことに!親子共にとっても熱心でやる気があるタイプなのでとにかく楽しみである。)さて、話は戻るが「分からない言葉を調べる、知ろうとする」というチャンスがあまりないため、知らない言葉が出てきてもそのままスルーしてしまう小中学生が意外と多い。先日も中学生のテキスト内で「理想郷・・・」という表現があり、それはある地名を指していたのだがそれに気づかない生徒。「理想郷って具体的にはどこ?地名は?」と聞いたのだが「???」もしかして「郷」の意味が分からないのかも?とピンと来たので聞いてみた。案の定で・・・。「郷」とは場所と言う意味なので「理想郷」=「理想の場所」「故郷」=「昔の場所、つまり自分が生まれ育った場所」と説明し、その後に「郷に入らば郷に従え」という諺を紹介し、本人に辞書で調べさせた。日本に住んでいるからといって日本語の語彙が増えるわけではない、最低限の日常会話は出来る様にはなるが語彙を増やすためには努力が必要だ。つまり英単語や英熟語を覚えるかのように意識して新しい言葉をピックアップして覚えるよう努めることが大切だ。
2017/03/28 07:28
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比喩の利用
文章を書く時はもちろんのこと、会話においても長々と延々と述べるよりもズバリ一言で表現する方がお互いに相互理解が可能となる。「そんなこと分かっているけれど、それが出来ないから困ってる・・・」という声が聞こえてきそうなので、今日はおすすめ方法を2点挙げる。①同類の比喩を用いる②対比の比喩表現を用いる、この二点だ。①に関しては「お店を繁盛させて継続するには、根気が要り、苦労が報われないことも多いものだ。」を「お店を繁盛させて継続することは、まるで子育てのようなものだ。」と表現すると長々と説明しなくても聴き手や読み手にスッと伝わる。また②に関しては・・・先月に実際にあった会話から具体例を挙げる。保護者(M様)が「先日、ブログを見たんですけど。。。(質問が続く)」それに対して「あ、ごめんなさい。キツイことを書いてしまって、不安にさせてしまったみたいですね。あれは非常識な人に対する牽制の意味を込めてのメッセージなので気にしないでください。現在通塾して下さってる方々には、変更点などありましたら個別で随時連絡していますので大丈夫です。」と答えたところ、保護者「え???非常識ない人って・・・?」とポカンとしている。そこで「Mさんとは逆のタイプの人です」と一言申し伝えた。生徒の保護者、Mさんはとっても気が利く常識の或るタイプで、何気ないブログの内容にも反応(?)してきちんと確認して下さる。人間は自分を基準に物事を考えがちで、それはそれでいいのだが、其れゆえに国語塾の方針と合わないとなると・・・お互いに長続きはしないわけであって。何はともあれ、少々保護者の方を脅かすような「毒舌ブログ」を書いてしまったが「貴女とは逆のタイプに対してのメッセージです」と一言お伝えし、納得していただけてホッ。ある意味具体的に長々と説明することは、個人情報のこともあり出来なかったので「逆の比喩表現」を使った次第である。この2点の表現を意識して使ってみると会話がスムーズに進むので、ぜひお勧めである。
2017/03/27 00:00
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少し先取り
高校受験の合格発表が終わり、ほとんどの中学校卒業者が自分の進路が決まって期待と不安でいっぱいの時期だろう。自分自身もン十年前の今頃、不安と期待で胸が膨らんでいたことを懐かしく思い出す(どちらかというと期待の方が大きかったか?)。と同時に、ようやく高校入試を終えてホッとしたのも束の間で入学式の翌日に控えた課題提出にアップアップしていたことも今となっては懐かしい思い出だ。とりあえずスタートが大切とばかりに張り切ったのだが、高校入学後に衝撃を受けた。何にか?高校の勉強のあまりの難度の高さ+古典の面白さにだ。古典の文法などなどを学ぶと、今まで全く訳が出来なかった古典作品がスラスラと頭に入ってくるではないか!つまり、その時に「中学時代の古典と言うのはあまりにも手薄だ」ということに気付き、自分が教える立場になった今は少しだけ高校で学ぶ内容を授業に取り入れている。そうしないと古典が全く分からないから。ほんの少しだけ先取り勉強することによって、高校入学後に「あ、知っている」という感覚になり古典に興味がわくという利点もある。最近は解説が詳しい、高校で学ぶことを少しだけ取り入れた問題集が市販されており羨ましいような嬉しいような気分になる。そうはいっても現役中学生が多くの解説の中で「あ、ここが重要」とピンとくる確率を考えると。。。。楽観はできず手放しでは喜べない。ある意味、だからこそ国語塾の存在意義があると信じているわけである。世間からは高校入試が終わり、春休みになって塾産業は一息つける?と思われがちだが、実は実は新年度の準備などなどでバタバタ状態、よいスタートを切れるようファイト。
2017/03/26 00:34
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いかにして言い換えるか?
新中学3年生の今週のテーマはズバリ「記述」。特に今週は実験結果、実験目的を一言で表現しなくてはならない記述や、比喩的表現をいかに分かりやすく表現するかという難度の高い記述問題を生徒に課したので生徒の大変さは尋常ではなかったと思う。ではいかにして解くか?①まずは比喩的表現の言い換えを本文中から探す。②どうしても本文中に「これぞ!」という表現がない場合は極端な話、小学生が読んでも分かるぐらいに分かりやすく書くことを意識する、この二点に尽きる。例えば「通俗道徳の臭みが伴っている」という表現を記述で使っていいか?となると・・・これは使わない方が良い。なぜなら「臭みが伴っている」だと「は?通俗道徳って臭いの?え?そもそも匂うの?」と突っ込みを入れられる。つまりこの表現だと意味不明なのだ。解答を書く本人としては前後の文章からなんとなく理解できているため違和感は感じないだろうが、いきなりこの文だけを読む側としては「??」となる。だから「道徳通俗の臭み」を言い換える必要があり、本文中の「教訓じみた」という表現が言い換えだと気付けばこちらの表現を使うべきなのだ。が、が、が「教訓じみた」という言葉の意味が分からない、あるいはそれが言い換えだと気付かない場合は苦肉の策でとりあえず「道徳通俗の要素があり」といった風に一般的な、少しでも分かりやすい表現に言い換えることが大切。最初から模範解答のように書けないだろうが、模範解答を見てなぜそうなるのか?どこの表現を用いているかをチェックすること、日頃から何気ない比喩的表現を言い換える練習をすることが上達への近道。授業では、この難問を解いた後に同じ文中の「胸にしみいる」を言い換える演習を行ったところ、難しい言い換えを考えた直後だったため全員すぐに「感動する」と正解した。今後もちょっとした言い換えの演習は継続予定だ。
2017/03/25 02:42
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素敵
昨日は同窓生札幌支部におけるお食事会(同窓会)が開催され、初めての参加した。2時間弱の滞在でバタバタ状態だったが行って良かった~~~~!というのが本音である。自分の親よりも年上の方、自分よりもかなり年下の方など年齢層はバラバラだったが同窓生という共通点があるだけで、とにかく楽しいのだ!一言で言うと皆さん本当に「素敵」なのだ!!!例えば、席が隣になった先輩は、年が上だからといって偉そうぶることなくとても細やかなお気遣いをして下さり最高に居心地が良く、また話題が楽しいのだ。先に一人だけお暇する際には幹事の方から手作りの羊毛フェルトの指人形までいただき感激した。さて、こうしてブログに「素敵」と書きながら、なんで「敵」という漢字?「適」の方がいいのでは?いやいや、「素(もと」のままで十分「敵う(かなう)(匹敵する)」からこの字でいいのかなあ?と思いながら早速調べてみた。すると元々は「素晴らしい的」→「素的」という字で使われていたのだが、昭和に入ってから「素敵」という漢字が当てられたらしい。つまり「敵」とは特に意味はなく当て字だとか。特に意味はない…とは言いながらも「敵」が当てられたのは「素晴らしすぎて敵わない」という意味からだという説もある。ウーン、確かに皆さんあまりにも素敵で、自分はとうてい敵わないなあと実感しつつ、同時に感謝の気持ちでいっぱいである。来年からもスケジュールが合えばぜひ参加しようと今から楽しみである。
2017/03/24 02:54
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「まさか」
昨日、久しぶりにセルフではないガソリンスタンドに立ち寄った。ガソリンを入れてもらっている間に料金を準備しようと財布から千円札を何枚か出した時にふと「まさか・・・・」という言葉が浮んできた。千円札のモデルは野口英世、そんなことは誰もが知っていることだが、彼が知人恩人から多額の借金を重ねながらもほとんどを踏み倒したというエピソードは意外と知られていない。ある意味お金にだらしなかった野口英世氏にとっては、まさか自分が後世でお札のモデルになるとは思っていなかっただろう。また、野口氏の母シカさんは学問も無く字が書けなかったが、息子に一目会いたさに囲炉裏の灰に指で字を書く練習をしながら手紙を書いた。それが後世まで残され、博物館に展示され多くの人々に読まれることになろうとはまさか思わなかっただろう。「まさか」とは、そんなことはあるはずがない、思ってもみなかったという気持ちを強める言葉で「想定外だった」という意味をこめた言い方だ。「まさか」は「真逆」と書かれることもあるが、これは当て字で「まさか」の「まさ」は視線の向いている方向、「か」は場所を意味し、「まさか」は本来「目前」「現前」ということであり「目の前に重大事が迫っていて、いまさら手のうちようがない」という意味あいの言葉であったそうだ。さて、自分自身に関して言うならば先ほどブログを書き終えて後はアップするだけという状態の時に「まさか」のエラー、書いたものが突然すべて消えてしまったのだ(ガーン)!でも気を取り直して、今日は「まさか行けるとは思っていなかった」大学時代の同窓会に出席すべく札幌へ行ってこよう!
2017/03/23 02:48
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福武書店・・・
今日のラジオトークのテーマは「お疲れ様」「ご苦労様」、その他挨拶の歴史などなど。そういえば大学時代に福武書店(現ベネッセ)の「疑問すっきり解決隊」のリポーターをやってたなあと思い出し、古い資料をガサゴソと書庫から出してきた。その中で日本人は挨拶するときに「お辞儀」をするが、それは下を向いて相手から視線をそらせば自分は相手に襲いかかれない➡敵意がないことを示す➡挨拶になったという記事を発見した。編集後記などを読むと、レポート提出と大学の後期試験が重なっていたり、また当時はネットがない時代のため厚かましくもあちこちに電話をかけまわったり(個人情報云々が厳しくなかったおかげ)と我乍ら頑張ってるなあと懐かしく思う。まさか○十年後にガサゴソと自分が書いた記事を出してきてこうしてブログでアップしたりラジオのトークのネタの参考にするなんて当時は夢にも思っていなかった。そもそもが若かりし頃は自分が「年を重ねて中年になる」なんてことすら想像が出来ていなかったわけで、ましてやましてや、まさか関西を離れて北の大地北海道で「国語塾」を主宰することになろうとは。いやはや、人生って分からないから面白い!!ただ、少なくとも自分に関して言うならば「国語が好き」であれやこれやと色んなことに首を突っ込んでいたことがすべて今につながっているんだなあと言うこと。福武書店といえば手を真っ赤にしながら進研模試の採点をしていたことも、○十年経った今も生かされている。将来、何がどう役立つか分からないが、「今」を一生懸命生きていると必ず無駄にならないだろう。
2017/03/22 00:10
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ぼたもち
昨日3月20日は春分の日だった・・・。幼い頃は母親が行事の度に色々と準備をしてくれていたものだが、最近は後になってから「あ、今日は○○の日だった」ということがしばしばで少々反省。正直言って春分の日の時期に食べるとされる「ぼたもち」はあまり好きではないから忘れてしまう・・・。春分の日を境にして前後7日をお彼岸といい、お彼岸に欠かせないのが御先祖様のお墓参りや供養、食べ物で言えば「ぼたもち」。個人的には苦手な食べ物だが、昔の人、特にお寺で修行をしている小僧さんにとっては甘くてカロリーがたっぷりの「ぼたもち」はごちそうだったに違いない。宇治拾遺物語に「稚児のそら寝」という有名な話がある。和尚さん達が「ぼたもちを作ろう」と話し合っているのを聞いた小僧さん、楽しみにしながらも出来上がるまで起きておくのも変だと思い、寝たふりをする。ぼたもちが出来上がった時に和尚さんが稚児を起こそうとするのだが、一回で返事すると「待っていた」と思われるのも・・・と寝たふりをしたところ、折角寝ているのだから起こすのはかわいそうだとのことで稚児を起こさない。和尚さん達がぼたもちを食べ始める音だけが響き、我慢できなくなった稚児は呼ばれてからかなり時間がたってから「はい」と返事をし、皆でおかしく笑ったという話で、相手が稚児だから和尚さん達は「可愛いなあ」と微笑ましく笑ってくれた。が、これはある意味大人の場合だと・・・・そもそもが時間を経ってから「ハイ」とは言い出せない、仮に後から「ハイ」といったところで誰も笑ってくれないだろうと想像するとぞっとする。何が言いたいか?遠慮することは美徳とされているが、遠慮し過ぎるよりも素直に本音で(ただし限度はあるが)生きた方が本人にとっても周囲にとってもやりやすいのではないかということ。この、限度といったバランスが難しいのだが。ふとお彼岸≒「ぼたもち」から説話を思い出し、そこからふとそんなことを考えた春の一日であった。
2017/03/21 00:00
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漢詩
今年の入試では久しぶりに「漢詩」、しかも何と何と教科書に掲載されている作品が出題された。生徒たちは「これって出題者側の怠慢ですか?それともサービス問題ですか?」と口々に言っていたが、教科書内容をきちんと理解している学生にとっては最高のサービス問題であったことは間違いない。さて「漢詩」は①漢詩の形式(五言絶句、五言律詩、七言絶句、七言律詩)②押韻の場所③起承転結、という3点を覚えておくことは不可欠だが、それ以外にも有名な3名(むろんテストにも出やすい)を覚えておくと理解が深まる。その3名とは、詩聖と呼ばれている杜甫、詩仙の李白、「春眠暁を覚えず・・・」の書き出しで有名な「春暁」の作者、孟浩然。詳細は授業で話しているが、杜甫の無常観は「方丈記」の作者である鴨長明や「奥の細道」の作者である松尾芭蕉へと受け継がれているからである。中学3年生の教科書で漢詩を学ぶのだが、杜甫の作品と李白の作品が一遍ずつしか載っていない。国語塾では杜甫の別の作品も紹介することによって彼の作品の特徴や無常観について実感できるよう心がけている。また、教科書に掲載されている李白の作品は「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」(←これが入試に出題された)だが、この孟浩然こそが有名な「春暁」の作者なのである。「春眠暁を覚えず」はまさに今の時期に使う慣用句となっているぐらいに有名な言葉。「春眠暁を覚えず」という言葉だけが有名になっているが、作者、さらには作者である孟浩然と李白が友人同士だったと知ると、味気ない、学ばされている「漢詩」が少し楽しく思えることだろう。何事も関連して覚えていくと理解が深まり、しかも興味がわくという一石二鳥。
2017/03/20 01:28
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