めむろ国語専門塾
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小さな国語塾のつぶやき
鉄は熱いうちに打て
「鉄は熱いうちに打て」と言う諺がある。【意味】人は柔軟性のある若いうちに鍛えることが大事だという教え。また、物事は時期を逃さないうちに実行しないと成功しにくいという教え。この諺は生き方指南として用いられるが、勉強や仕事に関しても言える。ご周知のとおり国語塾のブログは更新時間はバラバラだが、毎日欠かさずに書いている。ではなぜ更新時間がバラバラか?さらにはなぜ深夜、下手すると朝方に更新するのか?理由は資料作りの後にブログを更新するから。授業終了後に次回のやるべき課題などが頭に浮かび、それを忘れないうちにイメージが鮮明なうちにすぐ!と資料作りを始める。その後にブログ更新となるため深夜、早朝の更新となる。さすがに眠くなると書きたい内容をメモだけしておき日中に更新している。授業中に「意外と生徒たちは○○の部分が理解できていないなあ、だから強化しなくては。それならば○△□のレイアウトで、こういう内容を盛り込んだ資料を作って・・・」とある程度頭に浮かび、それをすぐに具現化する。それらを作り終える頃にふとブログに書きたい内容が頭に浮かぶのだ。煮詰まったり、ミスを許されないような?大切な文章を書く時は寝起きの方がいいのだろうが、自分としては折角のアイデアを忘れないうちに具現化、つまり鉄は熱いうちに打っておこうと思うのだ。エビングハウスの忘却曲線という超有名な実験がある。20分後に42%、1時間後に56%、1日後に74%、1週間後77%、1ケ月後79%が忘れてしまうとか。だから学習直後の復習が大切であり、仕事上などでアイデアが浮んだらとにかくすぐに最低限メモだけでもしておくことが大切。昼夜逆転のような不規則な生活を若い子たちに推奨するつもりは全くないが、学習直後の復習、アイデアを思いついたら即メモ、時間が許すならば具現化≒鉄は熱いうちに打つよう心掛けると物事がスムーズに運びやすいということを伝えたい。
2017/04/21 02:09
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「道しるべ」
保護者の方から勉強のことで相談を受けることが時々あり、状況に応じて宿題や復習を一緒に取り組んでもらうよう伝えることがある。なぜなら国語教室で勉強するのは週に一度、50分でそれ以外の時間の方が圧倒的に長いからだ。週に一度50分だけ勉強するだけでは到底力がつくわけがない。むろん理想は子供が自主的に宿題や復習をすることだろうが、年齢が低ければ低いほどなかなかそうはいかない。折角張り切って課題に取り組んだとしても分からない箇所が出てくると「もう嫌だ」と投げ出してしまうこともあるだろう。親がすべてお膳立てしたりスケジュール管理をすることによって自主性が育たないという意見もあるだろうし、むろんそれは正しいと思う。かといって完全に野放し、放任することはまるで子供に地図や情報を与えずに知らない土地に放りだすようなもの。つまり最低限の「道しるべ」を大人が示し、基本は見守る、困ったときに手助けをするということが大切…と書きながらもそのバランスが難しいということも重々承知している。だからこそ、生徒の性格や個性によって保護者に伝える内容が変わるのだ。子ども4人すべてを東大理Ⅲに入れた佐藤亮子さん、通称「佐藤ママ」のコメントをテレビで見たり、著書「受験は母親が9割 灘→東大理IIIに3兄弟が合格! (朝日新聞出版)」を読み、親(大人)が子供に「道しるべ」を示すことが大切だなあと改めて感じる。佐藤ママの発言はまっすぐで正直なため批判が相次いだりネットで炎上しているようだが、彼女の基本姿勢や子供に対する愛情は間違っておらず(それが証拠に結果を出している)「道しるべ」の示し方が完璧だったんだなあと思う。各自にピッタリの「道しるべ」を模索しながら日々前進したいものだ。
2017/04/20 01:54
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まさか・・・「真逆」
昨日は強風と雪で大荒れのお天気だった北海道。十勝地方では4月中旬以降の降雪は8年ぶりだとか・・・、まさかこの時期に雪が降るとは?!と一瞬思ったがまだスノータイヤのままだったので車の運転に関しては支障をきたすことなくホッ。早い人だとスノータイヤから夏タイヤに交換している時期なのだが、自分自身は8年前の記憶(ちょうど北海道に来た年にGW明けの降雪)の記憶が鮮明なためタイヤ交換はGW明けにしている。さて、生きていると「まさか」はつきもの。だから「最悪の事態を想定しておくことが大切」という指南の言葉がいろんな場面で用いられる。確かにその通りで、様々な事柄、特に最悪の事態を想定しておけばアクシデントがあっても慌てることなく対処できる。そして「まさか」の言葉は「予期しない緊急の事態」という意味で使われることが多く何となくニュアンス的にマイナスイメージが強く、この意味で使う時の表記はひらがなで「まさか」となる。でも、いわゆる「まさか!最悪」だと思えるような出来事が実は後になって完全に逆転してラッキーな出来事になるということも有りだなあと思う今日この頃。敢えて「まさか」に漢字をあてるならば「真逆(まさか)」としたい。「真逆」は「まぎゃく」と読むが「逆」は「逆上がり」と使われるように「さか」と読むので「真逆」を「まさか」と読むのはどうだろうか?「まさかこんなはずでは・・・」を反転させて「まさかこんなにラッキーな出来事につながるとは」という出来事が日常で増えるとワクワクするなああと思う。今日は午後から「まさかあの時の出会いが!」というチャンスを下さったメンターにラブコール予定で今からワクワクしている。
2017/04/19 08:34
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重ね言葉(擬音語 擬態語)
改めて、日本語は便利な言語だなあと思う。なぜなら音を重ねることによって情景がありありと浮かぶような表現が可能だから。例えば「雨がしとしと降っている」「雨がザーザー降っている」と表現する方が「雨が少しだけ降っている」「雨が激しく降っている」よりもイメージが湧きやすい。また「ジメジメしている」と言うと感覚的に分かるが、「湿っている」と表現すると思わず濡れたタオルやおしぼりをイメージするかもしれない。擬音語や擬態語とを重ねるとリズムが良くなるという利点もある。と、ここまで書いたところでふと「あれ?そういえばパンダの名前って重ね言葉が多いなあ。リンリン、カンカン、ランラン、ホアンホアン、トントン・・・なぜ?」と思い早速調べてみた。「1972年、日本に初めてやって来たパンダの名前は、中国名のまま「カンカン」と「ランラン」でした。以来、日本でも同じ音を繰り返す中国風の名前が主流になったと考えられます。ちなみに中国では、繰り返す名前には日本語で言う“○○ちゃん”のような相手をかわいがるニュアンスが含まれているそう。」(HNはてなニュース2012.4.5付けより)。つまり、パンダの名前は必ずも音を重ねなくてはならないというルールがあるわけではないが、昔は日本女性の名前は最後が「子」で終わることが多かったのと同様に音を重ねる名前を付ける傾向があったのだろう。さて、国語塾と同じ町内に「しんしん」という名前のベーカリーカフェがあるらしい。隠れ家的存在の店(宣伝なし、金土日のみの営業、畑のど真ん中にある)らしく…近々探検方々行ってみて名前の由来を聞いてみようと張り切っている。ちなみに最近の自分を重ね言葉で表すと「ドキドキ」「ワクワク」「ガクガク」「すやすや」「グーグー」といったところか。
2017/04/18 02:37
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国語辞典の遊び方
今日のブログタイトルはおすすめ本のタイトルの一部である。一押しの本の正式名称は「学校では教えてくれない!国語辞典の遊び方」(角川文庫 サンキュータツオ著 平成28年11月25日初版)である。「国語辞典の選び方」ではなく「国語辞典の遊び方」と言うタイトルになっているのがポイントで、とにかく内容が面白い!各社の国語辞典の特徴を面白おかしく紹介してあり、極めつけは国語辞典を擬人化してイラスト化しているところ。例えば「岩波国語辞典」については「都会派インテリメガネ君!岩国君」というキャラクターで登場させている。ちなみに彼の性格は「無駄が嫌いな天才肌」「ルールに忠実で正論が好き」となっている。成程確かに・・・。国語辞典は頻繁に買い替えるものではないし、ましてや最近は電子辞書、スマホ、パソコンでパッと知らない語句を調べることが出来る。だからこそ国語辞典を引くというよりも国語辞典で遊ぶという感覚で身近に国語辞典を一冊おいておきたいなあと思わせてくれる一冊。しかも著者本人の後書きがまた素晴らしい。国語辞典を集めているという少々変わった趣味を人に言うのをずっと控えていたそうだが、ラジオ番組で「国語辞典が好きだ」とカミングアウトされてから、ご縁が広がりあこがれの辞書編者の方々に会えるチャンスに恵まれたとか・・・。自分自身に関してもそうだが、何事も興味があることは口に出してみること、言ってみることが大切だと改めて思わされた。興味あることを一言口に出すことによって、それがまるで湖に投げた小石によって水面に同心円状に波が広がっていくかのようになることがあるから。さ、久々に倉庫に眠っている種々の辞典を引っ張り出してきて遊んでみようと思っている。
2017/04/17 11:44
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お客は家族
「お客様は神様です」という有名な言い回しがある。歌手である故三波春夫氏が述べた言葉で、本人の真意とは別方向に言葉だけが独り歩きしており下手するとクレーマーに都合よく使われてしまう。ちなみにこのセリフを言った真意は次のようだ。『歌う時に私は、あたかも神前で祈るときのように、雑念を払って澄み切った心にならなければ完璧な藝をお見せすることはできないと思っております。ですから、お客様を神様とみて、歌を唄うのです。また、演者にとってお客様を歓ばせるということは絶対条件です。だからお客様は絶対者、神様なのです』三波春夫著『歌藝の天地』(1984年初刊 2001年文庫化 いずれもPHP研究所)より。正直言って、お商売をしている自分にとって生徒はお客様ではあるけれど神様だとは思っていない。大切な存在ではあるけれど、お互いに上下関係が生じるのおかしいし・・・でもこの関係を表現するピッタリの言葉が見つからないなあと長年思っていた。そんな矢先に「『お客は家族』社員徹底」という吹き出しで、熊本市・鶴屋百貨店の紹介がされている記事をを15日付の十勝毎日新聞で読んだ。近年、全国的に百貨店が苦境に立たされている中、鶴屋百貨店は躍進しているという内容の記事。実はン十年前に熊本県に住んでいたことがあり、鶴屋百貨店には何度も足を運んだことがあるが…当時も今も変わらず居心地がいい素晴らしい百貨店だと思うと嬉しくなる。と同時に、その居心地の良さは「お客は家族」という信念によって保たれているんだなあと納得する。成程「お客は家族」という言葉が自分の仕事にもピッタリかも・・・そしてそう意識することによって今後の指導方針などが見えてくるだろう。
2017/04/16 03:11
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イメージをする工夫
漫画は読むけれどなかなか本は読んでくれない、読まない・・・という声をよく聞く。字ばかりだと読むのが面倒だからというのが理由の大半だろう。ではなぜ面倒に感じるか?⇒本文を読んでもイマイチ内容が理解できないから。では、なぜ本文を理解出来ないか?⇒頭の中で本文を図式化したりイラストとしてイメージしたりすることが出来ず実感がわかないから。⇒ますます本嫌い、国語嫌いになる・・・と悪循環になりがち。大人側からすると、子供が幼いうちは経験が少ないからこそ名文に触れさせたいと思う、逆に子供側にとっては経験不足のため文章をイメージすることが出来ないというギャップが生じる。そんな場合はちょっとしたきっかけを見つけることが大切になるだろう。昨日、小学4年生にとってはかなり高度な内容の説明文を演習した。前半がリンパ、後半から白血球、白血球とリンパのつながりについての文章内容。飽きないようにと段落ごとに読み手を変えたりしながら読み進め、途中で「ちのはなし」(福音館 堀内誠一著)の絵本を用いて白血球の絵を見たり文を読んだりしてから、テキストに戻った。すると利発なT君は、自ら絵本にある白血球をノートに写しリンパを自分で想像して描き、それらを結び付けて・・・と本文を図式化し始めた。ついでにオマケとして赤血球まで書きこんで色まで付けていた。内容把握を問われている選択肢も「あ、これ違う。書いてない」「あ、これだ」とパーフェクトの解答!先週、自力で少し予習をさせた時はチンプンカンプンでご機嫌斜めだったが今日は文章内容をイメージすることが出来て、やる気スイッチが入ったようだ。毎回このようにじっくりを取り組むことはできないし、どんなに工夫してもやる気スイッチが入らないこともあるだろう。でも、ただ単に「読みなさい」「解きなさい」では国語を面白いとは思えない、イメージや図式化しやすくなる工夫、訓練が必要だと実感した。
2017/04/15 01:16
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私情を挟まない事!
国語に限らずだが・・・テストでの解答には基本的には「私情を挟まない事」が鉄則!例えば答えのヒントとなる箇所が2つあった場合は自分にとっての常識ではなく、世間一般的の常識や世間一般的にどちらの表現の方が分かりやすいかを基準に選ぶ必要がある。例えば、傍線部⑤について「・・・どのような時ですか」という問に対してヒントとなる文章が次の二つ。①いい加減がまんがしきれなくなったとき②久しぶりに「見ぬ世の人を友とする」とき、客観的に①②を見ると大抵の人が①の方が分かりやすいと答えるだろう。が、が、某生徒は②の方が分かりやすいと答えたので「『見ぬ世の人』って一般的表現?この言葉から受けるイメージって死者か未来の人?何のことかよく分からないよ。そもそも何の話?幽霊の話?とツッコミたくなる」と伝えたところ、ようやく納得していた。また、別の生徒は「曲がったキュウリよりもまっすぐのキュウリを欲しがる人が多い⇒そのため、農家は手間暇かけて味は変わらないけれど、見かけが良いキュウリを作り始めた」という内容の文章に対して「え~、別に曲がっててもいいよ。僕は曲がってるキュウリでも平気で食べるし買うよ!」とポツリ。それに賛同した別の生徒も「そうだよね~」とのこと。オイオイ、今は君たちのことを問われているわけではなくて、あくまで文章の内容から選択肢を選んでよ~~~と内心思いながら様子を見ていた。キュウリで盛り上がっていたダブルS君たちは、とっても純粋で性格が良いタイプ、彼らのような人間ばかりだったら世の中は平和になるだろうなああと思うのだが、そうは問屋が卸さない。いわゆる世間一般の人は「まっすぐなキュウリ」を求めていると本文にあるし、実際そうなのだから仕方がない。とにもかくも自分の常識と世間の常識が違う場合は注意し、私情を挟まずに、書いてあることに忠実に!
2017/04/14 03:56
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心象風景が大切
物語や小説では個性的な表現を分かりやすく言い換える必要があると昨日のブログで書いた。さらには物語や小説では「心象風景」から、どんな場面からのスタートなのかをきちんと把握することも大切!!心象風景とは、読んで字のごとく登場人物の心情を象徴した風景。例えば「荒れる灰色の波」「ねんど色の低い空」「海岸の黒っぽい砂」など(佐藤多佳子「黄色い目の魚」より 小学6年生テキストから抜粋)という表現が冒頭部に散りばめられていると登場人物の気持ちや置かれた状況は○△×で表現するならば△や×となる。ちなみに「花火の残骸」という表現から「私」のどんな気持ちが想像できますか?という問では「ものさびしい気持ち」が正解になる。ところが心象表現を意識せずに「花火の残骸」の「花火」にだけ反応してしまった某生徒は「燃え上がるような気持ち」を選んでしまった。問われている傍線部だけに着目するのではなく、全体を見る、「心象風景」を見つけたらチェックしておくとよいだろう。とはいえ、すべてにチェックをすると傍線、チェックだらけになってしまい見づらくなる危険性もあるので、取りあえず物語の最初に○△×と書き込むように指導している。さて、別の物語では出だしの部分に「巨大なクエに、尊敬する父の命をうばわれたあと・・・・」という表現があり、この文章だけを見ると一瞬「暗い話?」△か×?と予測するだろうが、第一段落に「嵐さえもはねかえす屈強な若者になっていた」「水の感触が心地よい」「光が・・・輝きながら交差する」(立松和平「海のいのち」より)という表現があるので、これは登場人物の様子、心情としては○からの始まりと判断した方が良いだろう。物語は表現法が多岐にわたるので難しいが、だからこそ心象表現を見つけて登場人物のおかれた立場を把握することが大切。
2017/04/13 01:15
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貪欲に・・・
現代国語の記述問題は受験生泣かせである。特に小説における記述は、作者のオリジナルの表現を分かりやすく一般的に言い換える必要があるので厄介極まりない。普通の小説として読むのには「おおっ、変わった表現で面白い~」となるが、いざそれを分かりやすく、しかも決められた時間内、字数内で答えるのは本当に大変だ。例えば第153回 芥川賞を受賞した「火花」(又吉直樹著)のP7~8には次のような表現がある。「僕は一瞬で心臓に痛みを感じ、どうか何も言いませんようにと何かに願った。」この文の前後を読むと登場人物が心臓病を患っているわけではなく、ましてや何者かにナイフで心臓を一突きされたというわけではないことは分かる。が、が、が、そうはいってもこの文だけを見せられると一瞬「え?心臓病?」「刺された?」と思う人がいても不思議ではない、つまり解答としてこの表現をそのまま使っては○はもらえず「僕はショックを受けて」と言った具合に言い換える必要がある。さて、ようやくようやく本題に入る。適当な言い換え表現を思いつかない場合は、記述問題とは別に選択問題があったとするならば、ぜひともその選択肢の表現を参考にすることをお勧めする。選択問題に使われている文章はとってもよくまとめられており、ほんの一部だけを誤りにして有りひっかけ問題になっている。つまり、一部だけを除きその他は本文内容と一致しており、本文の内容をうまくまとめてあるのだ!これを使わない手はない!具体的にはお教室内では見本を見せて演習を行っているが、見本なしで文章で書いたものを読んでも理解しづらいとは思うが・・・何はともあれ使えるものはなんでも貪欲に使って果敢に問題に取り組むことが大切だ。
2017/04/12 13:06
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