めむろ国語専門塾
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小さな国語塾のつぶやき
ヤル気スイッチ
演習問題を答え合わせをする時は、敢えて〇や✗をつけずに解説しながら「じゃあ、君が選んだこの答って合ってると思う?それとも間違ってる?」と聞くことがある。なぜそのようなことをするかというと理由は二つ。①やる気をなくさせないため②適当に答えて合っている可能性があるから。①に関しては正答率があまりにも低く、明らかに本文の内容を全く分かっていないと思われる⇒相当読むのが苦痛だったろうと想像ができる⇒この上、ほとんどに✗にするとますますヤル気がなくなる⇒この演習に限らず国語そのものが嫌いになるという図式が想像できるので、本文を一緒に読みながら絵や図を書き、情景を説明しながら解きなおす。その時に「これってどうかなあ?合ってるかな?それとも違う答えのほうがいいかな?」と聞くと大抵、正解を書くことができるのでその時に大きく〇をつけている。②に関しては、「なんだ~。最初から合ってたじゃん」と生徒からブーイングがとぶことがあるが「でも、適当にヤマカンでやってたでしょう?」とつっこむ。「そんなことはない」と言われるがそれは無視(苦笑)。①に関しては、甘いという意見もあるだろうが小中学生にとっては「嫌だけど、しなくてはならない」「嫌だけど、頑張らなくてはいけない」といった理性が大人ほどには働かないので、まずは「ヤル気スイッチ」を入れることを優先している。ちなみに理性が働かないのは子供たちのせいではなく、状況的に「困ってないから」。例えば大人だと「嫌だけど会社に行かなくては・・・。無断欠勤を繰り返すと会社をクビになりお給料をもらえなくなるから」といった切羽詰まった現実問題を目の前に突き付けられているから理性を働かせる。というわけでまずは子供たちの「ヤル気スイッチ」をいかにして入れるか?ということ念頭に置きながら工夫していくことが大切だと思う。
2017/05/21 01:54
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記述は難しい?!
今週の中学生授業では「記述」の方法について細かく学習した。「記述」は皆が最も苦手とする分野で、手を変え品を変えて指導し、資料も何枚も作って生徒たちに渡して頻繁に練習している。それでも今週の課題には全員手こずっていた。なぜなら今回の課題は字数指定がなく、ただ「文中の言葉を使って書け」という条件だったから。さて、難問に一人で取り組むときなどはさっさと模範解答を見て「なぜこのような解答になるのか?」と分析することが大切で、そのことは皆百も承知。とはいえ解説が詳しい解答を見たとしても自分一人で完璧に理解できるかというと「ノー」であることが多い。それが証拠に自分自身が中学生時代、国語の記述を勉強するために解説が詳しい問題集を購入し頑張っていたが・・・。解答には「〇行目に・・・とあり、△行目に・・・と書いてあるので」というヒント、確かにその部分を工夫して組み合わせれば模範解答になるんだろなあとは理解ができた。が、が、がここで問題が生じたのだ!そもそもなぜ〇行目と△行目がヒントになるわけ?という疑問が出てきたのだ。そんな堂々巡り的なことをしながら「ああ、文末に『である』や文中に『こそ』などがあるから強調したい内容、つまり重要な部分なんだ」とかキーワードが複数入っている」「結論を導く接続語があるのでこの文は重要」などと徐々に理解できるようになった。こういった自分の経験が「国語はやり方さえしっかりと見つければ決して難しくない、楽しい科目だ」ということを今の若い子たちに伝えるための原動力になっている。そんなこんなで今週は「記述するためのヒントとなる文章をどうやって探すか?さらにそれらをどんなふうにして組み合わせて、意味が通じる文章にするか」という2点に焦点を絞った。来週も今週の復習方々、それらを「まとめ」た資料を作成し配布予定。塾生諸君は、塾以外で使用しているテキストやテスト類の記述でも疑問点があったらいつでも遠慮なく聞いてほしい。
2017/05/20 03:43
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国語だから・・・
昨日、流し読みをしてしまったら・・・について書いた。(実はブログを書いたもののアップするのを忘れており、たった今アップしたので併せて読んでいただけたら幸いである。反省!)。これは学年や通塾歴にはあまり関係なく、いかに本人が「気づくか?」「意識するか?」にかかっている。とはいえ国語は、当たり前だが日本語で書かれているためとりあえずぱっと見た瞬間に文字としては理解できるので内容をきちんと分析することを忘れてしまう。これが、例えば数学の計算だったらどうか?8×5の場合、小学2年生以降でいわゆる九九を習った人間であればパッと「40」と答える。でも、8×358は?と聞かれたら暗算派と筆算派に分かれるだろう。ただ、見直しの手間を考えると筆算にして記録を残しておくほうが絶対に良い。にもかかわらず、自分は計算が得意だから・・・と計算途中を書かないというタイプは学年が上がるにつれて挫折する可能性が高くなる。それと同じで、文章が簡単なうちは印をつけずに読んで解いても大丈夫だが、文章が複雑化すると白紙の状態で正答率を上げるというのはかなり厳しくなる。それは複雑な計算を暗算でこなそうとするようなもの。むろん、計算に関しては「暗算10段です」のような特殊技能を身につけている、文章に関しても「一度読んだ文章は忘れません」というならば話は別だが。さらに言うならば数学では中学3年生になると1~15、できたら1~20までの平方(二乗)については毎回計算するのではなく、13の二乗=169という結果を暗記するように言われることが多く、それは正しいと思う。国語もしかりで、内容を理解して正しく解答するためには本文チェック、書き込み(筆算)+暗記(平方の結果を暗記)という作業が大切になる。先にも書いたが、国語はとりあえず通常の状態で文字として難なく認識できてしまうため、あらゆる作業を忘れがちだが、日本語だが数学的作業が必要ということを肝に銘じてほしい。
2017/05/19 13:17
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ノーチェック、流し読みをすると・・・
昨日は少なからずショックなことが!国語が大好きで、いつも一生懸命に授業を受け、宿題も完璧にしてくる某小学生。先週3講分の宿題を出し、むろんそれらをきちんとこなしてきていたのだが・・・。「論説」2講分の正答率は90パーセント以上で「分からなかった」と空白にしてある問については、文中に矢印などを入れて図式化した途端に「あ、分かった!」と本人がサラサラと答えを出した。気をよくして残り1講「随筆」のページを開けた瞬間に・・・。ショック!何がか?まずは正答率のあまりの低さ、さらには本文が真っ白なことにショックを受けた。思わず「どうしたの?何かあったの?いつもちゃんと段落分けして、キーワードや接続語にチェックしてあるのに・・・」と本人に問うと「うーん、どうしたんだろう?あ、この日は転んで手が痛かったからさーっと読んでやったんかなああ」との返事。お迎え時に保護者の方に、論説の宿題を一緒に解いてくださったのか?日ごろはどんな様子かなどを伺ったところ、国語塾の宿題以外では本文をノーチェックのことが多くそれゆえに時と場合によっては正答率が低いとのこと。つまりは、国語塾で出す宿題に関しては「あ、本文をチェックしなくては!」とスイッチが入るためか、本文図式化⇒正答率が高いとなるのだが、それ以外は「自分自身の慣れたやり方」をしてしまうため時には悲惨なことになる。この現象はこの生徒に限ったことではなく、他の生徒にも当てはまる。「つい」「うっかり」と本文に何も記載せずに流し読みをしてしまう。確かに、いろいろと細かいチェックをすることは慣れるまではかなり骨が折れるだろう、が、が、が、学年が上がれば上がるほどノーチェックで解くと正答率が下がる。それが顕著に現れていたのが昨日の生徒。チェックすると正答率が高く、ノーチェックだと正答率が低かった・・・。面倒だけど正答率を上げる方法をとるか、ノーチェックという一見楽そうな方法を維持して正答率が芳しくない方法をとるかじっくりと自問してほしい。
2017/05/18 02:29
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名は体を表す2
今日は2回、近所のセブンイレブンに行った。一回目は、コピー、自動車保険の払い込み、買い物で2回目は・・・買い忘れたものを買うため、固定資産税を払うため(一回目に書類を持参するのを忘れていた)で、自分のいい加減さにあきれると同時に「いや~~~コンビニって本当に便利だなあ。買い物はもちろんのこと、支払い、コピーまで出来て最高!」と気分は晴れ晴れ。ところでセブンイレブンは、もともとは午前7時から午後11時前の営業時間だったころから「セブンイレブン」と命名され、まさに「名は体を表す」状態だったのが、今や「セブンイレブン」=「コンビニ」となり、コンビニの代名詞となっている。最初は「名は体を表す」だったが、今や名前だけが別の意味を持って独り歩きしている。さて、教室からコンビニまでの短い距離の道筋には白樺の雑木林がある。本物の白樺の木を見たのは8年前に北海道に引っ越してきた時が初めてで今でもあの感動がよみがえってくる。白っぽい樹皮ですーっと空に伸びている姿がなんとも美しいのだ。そしてその時に、大正期の純文学「白樺派」はまっすぐな思想で、なおかつ美しさを兼ね備えている白樺をイメージしたの違いないと勝手に想像していた。(白樺派を代表とする作家は志賀直哉、武者小路実篤、有島武郎など。)が、が、が、実は「白樺派」の命名由来は、実はかなりいい加減だったらしい。最初は「麦」「草」という候補があったらしいが、誰かが「白樺」が良いと言い出して、それを志賀や正親町が内心で「白樺という木が好きだから賛成」と思い、一方で武者小路は内心で「白と樺の色の配合が面白いから賛成」と思って、それぞれ違う思惑で賛成した結果「白樺派」となったとか。何はともあれ、もともとある固有名詞を別の物事に名づける時は、例えそれがいい加減な?理由で名付けたとしても名前の持つイメージから自由に発想できる、発想する余地が残されているのは興味深い。知らなければよかったということもあるが。
2017/05/17 14:50
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良文を活用しよう
二日前に、国語の問題を解く時は「自分の主観を入れないこと。」と書いた。なんだか味気ないのが受験国語・・・だが、問題を解き終わった後にプロが書いた良文を生かし、時々親子で「発展」させて考えることはいろんな意味でいい訓練になる。最近の傾向として、小学生向けのテキストでは動物の能力について取り上げられている文章が多い。例えば犬の嗅覚がいかに優れているか?人間が緊張すると突然体から「におい」を発する(人間は気づかない)、その「におい」によって自分に敵意を持っていることを察知し、吠えるという内容の文章があったとする(小学4年生「香りの世界をのぞいてみよう」の内容から)。そこから発展し「最近は犬の嗅覚を利用して『がん』を早期発見する、という試みもなされている。山形県金山町が健康診断に導入している。」と子供に伝えたり、「どうして文明は悪魔と天使の二面性を持つようになったのだろうか?」で終わっている文章に対しては、その理由を一緒に考えるなど。犬の嗅覚を病気の早期発見で利用する試みについては先週のニュースにあったのだが、仮にそれらを知らなかったとしてもネットなどで「犬、嗅覚」と子供と一緒に検索すれば様々なことがヒットする、また哲学的な内容に関しては答えはなく、難しいならば「文明の悪魔的な面はどこか?天使的な面は?」といったことをあれやこれやと考えるだけでもお勧め。つまり、答えを導き出すときはあくまでも「作者の考え」「出題者の意図」が重要だが、興味を持てる文章に出会ったときは「考える」練習として利用することはお勧め。国語塾の授業でも「お、これは・・・」と思う文章があったら、そこから派生して話題を提供することがある。おそらく生徒たちは「単なる雑談」としか思ってないだろうが(苦笑)。
2017/05/16 14:45
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「花より団子」<「花言葉」
「花より団子」という慣用句がある。意味は「風流よりも実益、外観よりも実質を重んじることのたとえ。また、風流を解さない人を批判するときの言葉。」批判の意味があるので、自嘲気味に使うのは問題ないが基本的には他人に対しては使い方を気を付けたほうがいいだろう。さて実益は無論大切だが、花が少しあるだけで気持ちが和み幸せな気分になるので個人的には「花より団子」はあまり当てはまらない。理想を言うならば「花と団子」の両方がベスト?!冗談はさておき、先に書いたような個人的趣味で?お教室内の一輪挿しにはいつも花を欠かさないようにしており、先日は「母の日」にちなんでカーネーションを2本だけ購入し自己満足していた。すると!なんとなんと土曜日に生徒の保護者様から赤いカーネーション、ピンクのカーネーション、赤黄のチューリップの花束をいただき最高に嬉しく気分は最高潮!!!早速玄関に飾らせてもらっているので塾生たちは幸せを堪能できるはず。ちなみに赤いカーネーションの花言葉は「母の愛」「熱烈な愛」ピンクのカーネーションは「感謝」「温かい心」チューリップ全般の花言葉は「思いやり」だとか・・・。おおっ、自分にぴったりではないか~!と勝手に喜んでいる。花は愛でる楽しみのみならず「花言葉」を知る楽しみもあり、大好きだ。むろん毎回「花言葉」を調べているわけではないが、自分が好きな花をいただいたとき、逆に人様に贈るときなどに調べてみる。花という現物も素敵だが、花に込められている「言葉」の持つ力も大きいなあと思いながら今日もニヤニヤとお花に話しかけている。
2017/05/15 03:46
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読み手の主観はタブー
国語の問題を解く時は「論理的に」「自分の主観を入れずに文中からヒントを探す」「パズルのように解く」と常日頃から言ったり書いたりしている。ではなぜパズルのように解けるか?というと「上手な文章ほど前後がつながっており矢印でつなぐことができるから」「矢印で結ぶことができるような文章ほど人を説得できるから」。例えば保険のセールストークとして①日本人の2人に1人がガンに罹患し、3人に1人がガンが原因で死亡する=(つまり)あなたも「関係ない」わけではない⇒(だから)ガン保険について検討したほうが良い⇒(また)ガン罹患率の高い年齢層は70代~⇒(だから)70歳以降も保障してくれるプランを選ぶのが賢明・・・といった具合にきれいにつながっていく。こんな風に言われると「そうかなあ」「そうだよなあ」と納得してしまうだろう。が、が、が、国語の文章では抽象的だったり哲学的な内容だと「=、⇒で結ぶ」と言われてもなかなか難しい。なぜなら作者の「主観」が中心となった文章なので必ずしも「1+1=2」という美しい図式にならないから(作者の中では「1+1=2」と言っている。)某生徒が「問では『○○はなぜですか?』と聞かれているけれど、⇒で結んだ箇所は理由ではなくて単なる言い換えですけれど」という鋭い突っ込み。とはいえ、本文中では接続語などを利用すると(原因)⇒(結果)という図式になり、しかも「~から」という表現になっている。つまり、図式は成り立つけれど「1+1=1」状態になってるというブーイングだが、作者としては「1+1=2」と言っている、あるいは出題者にはそう解釈できたのだ。詰まるところ、読み手の主観を入れずに文中に書いてあることを客観的につないでいく(パズルのように)ということを忘れずに実践することが重要。「この論理はおかしい、作者というよりも出題者がおかしい」などなど突っ込みを入れていると時間切れ、誤解答。。。ろくなことがないので、そのあたりは割り切ること!
2017/05/14 05:05
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必要とされる喜び
「世の中に必要とされない人はいない」とはよく使われる言葉。そうは言っても「本当に必要とされているんだろうか?」「都合よく利用されているだけでは?」「どうせ自分なんて・・・」と思ってしまうことは誰もが経験することだろう。逆に「必要とされている」と自覚できることって意外と少ない(単に気づかない)もの。さて、昨日の夕方に日頃は滅多に鳴らない携帯が鳴り「生徒からの欠席連絡かなあ?」と思い着信を見るとなんとなんと卒業生のS君!!!学校の授業が終わり、寮に帰宅、そこからの電話…結論を言うとSOS電話。ちなみに国語についてのSOSではなく、別件での緊急のSOS(彼は高専なので数学、英語、物理は超大変だが国語は楽勝だとか。)で平身低頭(へりくだって恐縮する様子)。正直言ってこちらとしては「よくぞ頼ってくれた~」と「必要とされる喜び」を感じていた。個人情報なので内容は詳しくは書けないが、親に頼った場合は短時間で解決するかどうかは分からない上に間違いなくお説教を食らうだろう(苦笑)。ほとぼりが冷めてから親に報告するならば笑い話で済みそうだが。というわけで、助けてくれそうなぴったりの人?と候補に挙げてもらった次第。正直言って生徒や卒業生の頼みならば何でも聞くのか?と聞かれると自信をもって「ノー!」。もし万が一、こちらをただ単に都合よく「利用しよう」という下心があるならば即座に「ノー」とお断りする。「下心」ありで相手を「利用しよう」としか見ていない時は仕草、雰囲気、言葉などですぐにバレるもの。昨日はむろんそういった「下心」なしで純粋に困ってるので頼ってくれたS君。取り急ぎ先ほど対処してメールを送った・・・。S君の安眠妨害していないことを祈りつつ今日は結果待ち。吉と出ますように。
2017/05/13 01:28
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朱に交われば赤くなる
「朱に交われば赤くなる」という諺がある。意味は「人は関わる相手や環境によって、良くも悪くもなるという例え」で・・・だからこそ、今の時期はとりあえず「自分にあった校風の、行きたい高校」を目指したほうがいいと昨日のブログで書き、最後の最後まで生徒たちにはあきらめずに・・・・と発破をかけている。つまり、少しでも本人にとって「よい環境」に身を置いたほうがいいと思うからだ。少なくとも自分自身は環境に左右されやすいという自覚があるので、常に上昇志向で生きてきた。とはいえ無理してレベルの高いところに入ったものの、勉強についていけなかったり校風になじめずにちょうどこの時期(5月のGW明けごろ)からふっつりと学校に来なくなる(行けなくなる)というパターンがちらほらというのも事実。逆に本人にとって不本意なところ(滑り止めの学校など)に進学することによって、上位を保ち推薦枠でそれなりの大学に進学することもあれば、井の中の蛙で終わってしまうこともある。結局は無理な上昇志向がいいのかほどほどの分相応がいいのか・・・正解はない。ただ、一つだけ言えることは「ある環境」に身を置いたときに客観的にどんな状況なのかを判断すること、自分自身で無理ならば客観的視点で判断してくれる第三者(指導者)の存在が不可欠なのかなあと思う。客観的視点で判断できる第三者の存在を見つけるためには学外(予備校や塾といった教育産業、ネット)を利用するという選択もありだろう。大学受験において「下剋上」をなし遂げた知人、友人達は勉強へのモチベーションを保つため上位高の友人に交じって一緒に図書館で勉強したり、予備校に通うなどしていたことをふと思い出した。「環境」「モチベーションを保つ応援をしてくれる第三者の存在」、この2点は外せないなあと改めて感じる。自戒を込めて。
2017/05/12 03:24
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