めむろ国語専門塾
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小さな国語塾のつぶやき
塾(お店)選びは的確に
「電波時計の調子が悪いので修理に出してほしい」と家族に頼まれ、腕時計を帯広の時計屋さんに持って行った。今は製造中止になっているような時計でもネジから手作りして直すという名人の店がある、と知人から聞いていたので張り切って帯広の時計屋さんに行ったのだが・・・。年配の店主は、差し出された腕時計を見た瞬間に「え?電波時計?しかもカシオ・・・。説明書は?え?持ってきてない?!これは説明書があっても大変な作業なのに、ましてや説明書がないとなると無理。うーん、説明書を探して持ってきて」とのこと。思わず(え?何年も前の時計で説明書は紛失してるよ~。でもカシオのHPを開くと取扱説明書が載ってるよ!それを見ながら、家族が必死で直そうとしたけれど無理だったから持ってきたのに。)と心の中でつぶやきつつも「ハイ、説明書を探して出直してきます。」と言って、お店を出た。結局、家の近くにあるチェーンの時計屋さん(芽室)に腕時計を持参したところ受付の若いお姉さんが「カシオの電波時計の場合ですとHPでも説明書を見ることが出来ますが、どうなさいますか?こちらで修理となると○○円かかりますが。」と親切におっしゃったので、自力では無理なので持ってきた旨を伝え時計を預けた。その後買い物を済ませて30分後に自宅に着いたとたんに「修理完了しました」と、時計屋さんから電話がかかってきた!おおっ、素晴らしい~!と感激すると同時に最初にお店の選択を誤ったことを反省した。つまり、昔ながらのいわゆる「大きな古時計」の場合は前者の時計屋さん、最近の時計はチェーン店に持参するべきだったのだ。これを国語に当てはめてみると、入試向けのテキストやテストを、「源氏物語」について何十年も研究し、大学で教鞭をとっている教授に聞きに行ったようなものだ。つまりは何も考えずに「有名な先生だから」という理由で、あまりきちんと調べずに、全く畑違いのものをもってお伺いを立てに行ったようなもの。もっと言うならば、フランス料理の名人に「美味しい中華料理を作ってください」とお願いしているような感じか?くれぐれも、貴重なお金と時間を無駄にしないように塾(お店)選びは慎重に的確に!を心掛けたいものだ。
2017/06/10 00:05
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紛らわしい表現
勉強、特に国語という科目はいかに正確に文章を把握するかに尽きる。むろん本文すべて、一字一句正しく・・・とまでは言わないが、少なくとも選択問題で要注意だ。因果関係が逆だったり(矢印の向きが逆)、本文の一部しか言っていないなどの見分け方は授業でも取り上げているし、かなり以前にブログでも紹介したことがある。が、が、が、究極は文章が何を言いたいのかを自力で理解しなくては解けない。半数以上がひっかかり、幸いにして昨日の生徒は「これ、どれも正解に思える~~」と言いながらも全員正解した例を挙げてみる。「見ぬ世の人を友とする」は次のどれが正しいか?ア「会ったことのない昔の人と、書物を通して心を通わせること。」イ「会ったことのない国の人を書物で知り、友となること。」ウ「すでにこの世にいない昔の友を、書物を読んで思い出すこと。」、正解は本文の内容から考慮してアとなる。つまり「見ぬ世の人」が「いにしへの人(昔の人、故人)」という意味で使われているため、イは明らかにおかしい。また、イだと「気に入った外国書の著者へメールや手紙を書いたら奇跡的にお返事をもらえた、あるいは著者の講演会に行き、それがきっかけで友になる・・・。」ということ。ウは「自分の友」「思い出す」がおかしいので不正解。特にイに関しては具体的に説明すると皆大笑いして「それ、変~~」となるのだが、文章そのものはおかしくないため引っかかってしまう。つまり目の前の文章は文法的には正しいため違和感がなく、その文章はどういうことを主張しているのかと具体的にイメージをしないと間違ってしまう。選択問題は記号だから楽勝!とばかりにテキトーに勘に頼ることはくれぐれもせずに、きちんと具体的に何を目の前の文章が言っているのかを理解する訓練が必要だ。
2017/06/09 13:44
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腹いせ
ある日生徒から「腹いせってどういう意味ですか?」と質問を受けたので「怒りや恨みをほかに向けて気を晴らすこと。例えば、イライラや怒りが収まらずどうしようもなくて椅子を蹴ってみる・・・つまり関係のないものに八つ当たりをして一時的にスカッとする、みたいなこと」と一応一般的な意味を伝えた。それから後にいくつか例文を挙げてみたのだが、納得したような納得しなかったような。そもそもが説明する側が「腹いせ」の語源を知らなかったので納得させようがない。というわけで急きょ、語源を調べてみた。語源は2通りあり、①「腹を居させる」から転じて「腹居せ」というふうになった。つまり「腹が立った」状態から「腹を居させる(座らせる)、落ち着かせる」という意味。②「腹癒せ」からきているというもの。「癒せ」というのは言わずもがな、癒すという意味で立腹した腹を癒す、慰めるということで「腹いせ」というわけだ。うーん、どちらの説も正しいようにも思えるし、そうでもないように思え、どちらを信じるかは本人次第。さて、実は「腹いせ」の語源を調べるまでは由来を自由に想像しており、そのうちの一つが「腹いせ」→「払いせ」(腹が立つことを払う、どける)だとか、「いせ」→「伊勢」という漢字に勝手に変換し「そっかあ、立った腹を伊勢まで飛ばしてしまうと怒りが静まるかなあ。江戸時代は伊勢参りというとあこがれだったよなあ。」などと楽しんでいた。むろん、さすがにこの説はあり得ないだろうとは思っていたが(苦笑)。ただし、発想は自由!腹が立ったら八つ当たり行動をするのではなく、意識や視点を変えたり他にそらせるというのが有効か。この時に、真面目にあれやこれやと「どうやって意識をそらせよう」とするのではなく、あくまで軽い気持ちで自由な発想にというのがポイント?!体は一気には移動できないが発想は無限大?!
2017/06/08 15:52
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徹夜覚悟
今週の木曜日、ほとんどの中学校で中間テストが実施されるため生徒たちは必死で頑張っており、いい傾向だなあと思いながら見ている。さて、先週の木曜日の授業終了後にS君が仲良しのM君に(彼らは同じ学校、同じ学年)に「今日はオール(徹夜)しようかなあ?Mもしよう~!」と発言した。結局、自問自答しながら「あ、やっぱり今日はやめておこうっと、明日眠くなってしまうから。」と自己決定し、翌日の小テストに向けて自主的居残りをしていた(やはりというべきか?M君も道連れで居残り勉強 笑)。この発言に対してはこちらからは何のコメントもしなかったのだが、内心では拍手をしていた。徹夜することは、翌日に脳の活動に与える影響などを考えると決して良いとは言えないし身体へのダメージも大きいだろうが、徹夜覚悟で頑張ろうという意欲に対しては大賛成したのだ。そもそも徹夜しようと思ってても気づいたら寝てしまうのが人間(レポートの締め切りがあるといった特例は除く)で、仮に徹夜したとしても意外と興奮状態が続いて1、2日は頑張れるものだ。むろん積極的に徹夜を勧めるわけではないし、それぞれの体質や体力との相談になるのだがとにもかくも「本気で頑張ろう」という意欲を持っているタイプが大好きだ。さて、一万円札のモデルであり「学問のすすめ」の著者である福沢諭吉氏は、枕がないと思ったら、枕をして寝たことがなかったからと気づいたと「福翁自伝」で書いている。やはり同じくお札(千円札)のモデル、野口英世氏もいつ寝ているのかと言われるぐらいだったとか。何が言いたいか?「頑張ろう」と本気で思って行動するならば毎日とは言わないが、時には徹夜(実際にするかどうかは別問題)するぐらいの覚悟を持つことが出来るタイプは応援したくなるし将来有望だろうということ。ちなみにS君をはじめとして、現在通塾中の生徒たちは皆、素直で頑張り屋さんなので将来が楽しみである。
2017/06/07 01:51
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「塾選び」に思うこと
6月ともなると塾の夏期講習の案内が入り始めるころ。国語塾でも必要に応じてチラシを配布しており、今年は配布するかどうか?配布するとしたらどんな内容にするか?時期をいつにするかを検討中。正直言って「とりあえず儲け重視!どんな生徒でもいいから(?!)人数が欲しい」というのならば迷いなくチラシを大量に配布するが・・・。なにせ指導者は一人、自宅の一室、一クラス4名までという小さな規模のお教室ということと、自分自身のポリシーとしては「量より質」を重視し、過去の失敗例と照らし合わせて試行錯誤中。塾を選ぶ側としては①通塾すると成績が上がりそうなところ②短時間だけ、分からないところを中心に指導してほしい③②とは逆に全科目指導、しかも長期休みなどは長時間毎日を希望(家で子供だけで過ごさせるよりも勉強する場所に入れておく方がベストとばかりに、学童保育代わりにとらえる)、などいろいろと希望があり、それに応じて塾選びをするだろうし、むろんそれは当然のこと。とはいえ、塾側にも「生徒を選ぶ権利」はある。だからこそ塾によっては入塾試験を行ったりするところもあるわけで(人数調整の意味もあり。)教える側と教えられる側とのベクトルが一致して初めて、成績が上がると思う。新学期が始まってから2か月、暦で言うと1年の半分という今の時期、ちょうど「そろそろ塾を変わろうか」「塾に行ってみようか」となりやすく大切な時期。今から新しい塾を・・・と考えてる方々はくれぐれも塾選びを慎重に、逆に自分自身としては安請け合いをしない、したくない仕事は引き受けない(ちょっと意味深?!苦笑)というスタンスを崩さないようにと強く強く言い聞かせている今日この頃。ぜひぜひ「やる気のある子」「国語に興味があるタイプ」の入塾、紹介は大歓迎なのでぜひぜひ候補に入れていただいたり、人様にお勧め願いたい。それ以外はぜひほかの塾へ。
2017/06/06 14:08
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語学の天才
国語のテキストやテストによく用いられる文章として、金田一春彦先生の「日本語を反省してみませんか」がある。有名な一部を紹介する。「日本では、共通語と方言の違いが相当激しい。これがヨーロッパあたりへ行くと、スペイン語とポルトガル語の違いは、青森県の言葉と福島県の言葉ぐらいの違いしかない。(中略)青森県の言葉と共通語が話せるということは、もっと違った言葉を使い分けることができることなのである。よく日本人は語学が下手だと言われるが、大間違いで、日本人のほうが語学の天才かもしれない。」これを何年も前に読んだときは「ふーん、そうなんだ」ぐらいにしか思わなかったのだが、確かに共通語と方言がいかに違うかを最近になって改めて実感した。さて、方言の特徴としては大きく分けて二通りあると思う。一つ目は文末とイントネーションが共通語と違うだけ。二つ目は全く独自の言葉が方言として存在すること。前者はコミュニケーションをとる人間同士がそれぞれ別々の地方出身だったとしてもさほど問題なく意思疎通ができるが、後者は正直言って難しい。さて北海道弁で「なまら」という言葉があり、意味は「とても、非常に」となるのだが・・・、長年勝手に「なまじ」と同じだと思い込んでいた。「なまじ」は日本古来からある言葉で「生強いる」から派生した言葉、読んで字のごとく「中途半端なさま、無理にしようとする。あることを仮定して、それをしないほうがむしろ良いという意味」となる。今までは「なまら」をこの意味で訳してもさほど問題がなかったのだが、最近「なまら」を「なまじ」の訳を当てはめるとどうしても意味が通じない場合が生じたので、調べてみたら全く意味が違っていた。まだまだ道産子には遠い自分である。ふーっ。英語でも国語でもわからない言葉は前後から判断して文章を読むことは大切だが、時にはきちんと意味を調べることも大切だなあと感じる。いやはや、方言と共通語両方をつかいこなせる日本人は間違いなく語学の天才だろう。
2017/06/05 13:57
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楽しくなくなった時が引き際?!
中学生が苦手とする熟語に「さいげんがない」がある。正しくは「際限がない」となるのだが、そもそも中学生は「際限」の意味が分かっていないので「際(さい、きわ)」は「ぎりぎりのところ、端、境目」という意味があると伝えて説明している。さて、「際」が「きわ」という読みで使われている言葉に、去り際、散り際、別れ際、窓際、瀬戸際、土俵際などがある。「際」はとかく人の本性がむきだしになるところ、だからこそ誰もが自分の美学にそった納得できる引き際をと願う。さて、自営業の場合は引き際を自分で決めることが出来るのだが、自分は「仕事が楽しくなくなった時」≒「仕事の引き際」だととらえている。むろん、こんな甘い?考え方は自営業ならではだと自覚している。逆に言うと、自営業は「楽しい」という気持ちを持続できなければ、続かないものだと思う。その楽しさとは、人から見ると「苦労」でも自分の糧とし、後々に振り返ってみて「あの苦労も含めて楽しかった」といえるようなもの。さて、昨日は前から行ってみたいと思っていた中華料理屋さんに、迷いながらも到着。スマホ、ナビなしなので、やむを得ず店に電話して道案内をしてもらったので帰り際に、お料理が美味しかったことと道案内をしていただいたお礼を申し上げた。すると、店主がわざわざ厨房から出てきて下さり延々と30分以上、中国での修業時代の話、はたまた蒋介石と毛沢東の関係性、その時代の財宝の話(今にも食べることが出来そうなぐらいに精巧に作られた翡翠製の白菜や北京ダックの話)を楽しそうに教えて下さった。料理人の道に入って50年、お店を開いてから26年目だとか・・・。「え?言葉の壁など大変だったのでは?」と申し上げたところ、「元々メニューは中国語だし、絶対に普通では見ることのできない財宝を見たりして、それはそれは楽しくて・・・」とのこと。まだまだお元気そうなので「引き際」は先になりそうで、今後も食べに行こうと楽しみだ。と同時、どの業界でも長く続ける秘訣は「楽しい」と思えることだよなあと改めて実感した。さ、おいしい中華でパワーを補給したのでこれからも「楽しく」仕事しよう。
2017/06/04 14:13
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上手な「作文」を書くには。
学校の広報誌に掲載される予定の、運動会作文を必死で書いていたHちゃん。ただ単に書いて提出・・・というわけにはいかないため本人なりにああだこうだと試行錯誤しながら頑張っていた。その時の彼女の鋭い発言は次の通り。「時系列で書くと単なる日記になってしまうし・・・でも練習のことと当日のことを両方書きたいし、どうすればいいかなあ~」と。「おおっ」と思わず内心拍手。皆、行事作文、特に運動会の作文となると「書きたいこと」「ネタ」が多くなるため、ついつい「~しました。」「次に・・・しました。」「そして・・・」といわゆる「て、て、て、」作文、あるいは日記になってしまいがち。ではどうすれば「作文」になるか?大まかにいうと①書き出しを工夫する②表現の工夫をする③自分が感じたことを入れる、の三点を意識するとよい。①は会話文から、自分の気持ちから、結論から始めることによって「何月何日に○○をした。」「今日は・・・。」で始まる日記とは差異をつける。②では、「不安だった」→「不安が湧き上がってきた」という具合に。③に関して言うならば「事実」「気持ち」、「事実」「気持ち」といったように交互に書くというイメージ。とはいえ、①や②に関してはどうしても自分の癖が出てしまいがちで、さらにはスマートな表現は思いつかないのが普通のこと。だからこそ、指導者、大人や辞書にアドヴァイスを求め、初めて聞く表現、言葉、慣用句を覚えて今後どんどん使うことによって語彙を増やすことが大切だ。また、日ごろから「良書」を読むことによって自然に美しい日本語が身につくと言える。とはいえ時間がなくて、読書する時間を取れないという場合は教科書の中の表現で「おっ、これいいなあ。」「素敵だなあ」というものを見つけると自分専用ノートにメモをすることをお勧めする。「作文」を書くことは正直言って難しい!いきなり今日から上手になるというものではなく、日ごろからの心掛けが大切になるが・・・素敵な「作文」を書けるための努力をすることは感性を磨くことになり、決して無駄な努力ではない。日々精進。
2017/06/03 15:53
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「諦める」「諦めない」
「諦める技術 伝説の勝負師が極めた強さの本質」 (桜井章一著 ポプラ新書 2017.2.8) 、「何をやっても続かない自分を変える あきらめない練習」(植松努 大和書房 2017.5.17)という2冊の新刊がある。お二人とも知る人ぞ知る有名な方。桜井氏は麻雀界においては知らない人はいない、20年間無敗を続けたという「雀鬼」、植松氏は北海道赤平市でロケット開発に挑戦している日本人でドラマ「下町ロケット」のモデルでは?と言われている※植松氏も池井戸氏も否定しているが。本の題名だけ見ると、まるで逆のことを言っているように思える。片や「諦める」ことを勧めているようで、もう一方は「諦めてはいけない」と言っているようだが…内容を読んでみると分かるのだが、実は「諦めること」も「諦めないこと」も両方大切なのだ。例えば「世の中のみんなから好かれること」「老いて体力が落ちること」などなどは「諦めること(受け入れる)」ことによって生き方が楽になると桜井氏は説き、「夢や希望」に関してもに諦めろ!とは言っていない。つまり目の前の事象によって「諦める」方がいいのか「諦めない」方がいいのかが違ってくる。正直言って最近の自分はいい意味で「諦める」「引き算」をすることが課題になっているが・・・。さて受験勉強に関してはとりあえず秋までは「諦めない」姿勢が大切で、それ以降はいい意味で「諦めて」ベストの進路を考えるのがいいのか?と感じる。つまり、「諦めない」ことと「諦める」ことは表裏一体で、バランスが大切なのだろう。思わず題名に惹かれて手に取った本だったが、ともにお勧めで一読されてみてはいかがだろうか?植松氏に関してはネットで講演の動画を見ることが出来、こちらもお勧めである。※決してお二人の回し者ではないことを念のため記載しておく(苦笑)
2017/06/02 23:00
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石橋を叩いて・・・
昨日、子供をお迎えに来た保護者が「先日のブログ見ました。ネガティブ80パーセントってまさに私そのものです」とのこと。思わず「ネガティブが悪いわけではないですよ~~」と延々と持論を展開してしまい、拘束してしまった・・・・。Mさん🙇ゴメンナサイ。さて、30年ほど前はネガティブな感情を否定して何でもポジティブにとらえるのが良い、といった考え方が流行ったが最近は感情の種類に良し悪しはないという考え方が主流になってきた。詳細は横に置いておいて、自分自身が思うことはネガティブな感情を持つことが悪いのではなく、それに対してどう向き合うかが大切だということ。不安があるから「石橋を叩く」、そしてその不安を取り除くべく努力や対処をして「石橋を渡る」ならばネガティブ感情サマサマ、その感情のおかげで危ない橋を渡ることなく、ベストの方法をとることが出来たといえる。逆に「不安だ、不安だ」と「石橋を叩いて壊す」になって、結局何も行動しない、動かないという状態こそが問題だと思う。ちなみに昨日の保護者は間違いなく前者のタイプで、ネガティブな感情があるからこそ「石橋を叩いて渡る」を実行し、素晴らしいなあといつも拝見している。逆の「石橋を叩いて壊す」というタイプは次のようなケース。実際にあった3日前の習い事先での出来事を紹介させてもらう。Aさん(60歳女性)は口を開くと「え~、無理。」「は~~っ。なんでこうなの?ダメだわ」と作業をする段階になると毎回毎回ひたすらネガティブ発言をする。最初は戸惑ったが、人様のことを悪く言ってるわけではないからまあいいかっ、と知らん顔を決めていた。すると、たまりかねたBさん(60歳女性)が「先生~!Aさんはずーっとネガティブ発言ばかりです~~~。なんとか前向きになるようにご指導をお願いしまーす。」とおっしゃった。場の空気を壊すことなく、でも意見をきちんとおっしゃるというBさんの対応には内心で拍手を送った。つまり、不安だ不安だと言い続けても何も行動しないというのは本人のみならず下手すると周囲にも不快感を与える。「石橋を叩いて渡る」ことを心掛けつつも決して「石橋を叩いて壊す」ことのないようにしたいものだ。
2017/06/01 15:27
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