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小さな国語塾のつぶやき

味がある

全国で「命の授業」をなさっている腰塚勇人氏のメルマガに「味がある人」という表現が出てきた。この言葉、久しぶりに見た!「味がある」とは「独特の趣や面白さが感じられる様子」と辞書にあり、一言でいうと「良い意味での個性」と訳すことが出来る。また、頭山満(とうやま みつる 江戸末期~昭和にかけて活動した国家主義者)の言葉にこうある。「世界にはいろいろな料理がある。中華料理、西洋料理、日本料理、どれもうまいけれど、この世で最高の味と言えば、それは人間味(にんげんみ)という味だ。料理の味は腹の中に入ったら忘れてしまうが、人間の味は人々の思い出の中だけでも生き続ける」(感奮語録・致知出版)より。確かに「人間味」といった人の個性とは強烈で、よくも悪くも長年にかけて影響を与え続け、逆に影響を受ける。だからこそ良い味に巡り合いたいと誰もが願う。ただ、折角美味しい味の料理を目の前にしても、それを味わえる舌、味覚、さらには嗅覚がなければ「良い味」は台無しになる。鼻をつまんだ状態で美味しいお料理を食べたとしても美味しさを感じることが出来ない。つまりは味を提供する側のみならず、それらを味わう側も責任を持たなくてはならず、美味しさを楽しむためには提供する側とそれを理解できる舌を持った人間、ともに大切なんだなあと感じる。人生の半分近くを生きてきた自分自身は、味を出すこと、さらには味を楽しめる感覚を持つという両方を大切に意識していきたいものだ。ちなみに腰塚氏の講演をぜひとも芽室で!と願い、それが実現できたのはかれこれもう5年も前になる。ご本人にお目にかかり、とっても味がある方だなあと感じたこと、講演会の司会のお手伝いをさせていただいたことを懐かしく思い出す今日この頃だ。ただし、「5つの誓い」を実行できているかと聞かれると・・・自信が全くない。(「5つの誓い」については腰塚氏のHPなどを参照いただきたい。)※本来は昨日の記事だったのだが、「公開」ボタンを押すのを忘れていた・・・。

2017/06/21 02:00

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「因果応報」と「陰徳陽報」

「因果応報(いんがおうほう)」という有名な四字熟語がある、意味は「よい行いをすればよい報い、悪い行いをすれば悪い報いがあるということ。」、ある意味「悪いことをしては結局は自分に返ってくる」といった半ば戒め的な意味があり、この熟語を見ると身が引き締まる。さて、似たような四字熟語で「陰徳陽報(いんとくようほう)」という熟語がある。意味は「誰にも知られないように善い行いをすると、だれの目にも分かる良い報いがあるということ。」で、こちらは「善い行いだけ」の事で「誰にも知らないようにと」いうところが、この四字熟語のポイントか。今日、この熟語についてブログで書こうと思ったのは昨晩に頂いたメールがきっかけである。開塾する前からお付き合いさせていただいており、現在は子供さん二人を国語塾に預けて下さっているMさんから、昨日とある用件でメールを頂いた。Mさんはとても教育熱心で(いい意味で)、自分の子供だけよければいい・・・ではなく、皆でいい方向にというタイプの方。だから自ら率先して情報を集め、正しい情報かどうかを吟味し、問い合わせし、それを惜しげもなく皆に共有し・・・という姿勢の方なので気持ち良いお付き合いができる上にいろんな意味で応援したくなる。同時にだからこそ、こちらから提供する情報、意見には責任を持たなくては!と心して返信をした。さて、昨日のメール内容はここでは書けないが、メールを読んだ瞬間に「陰徳陽報」という熟語がMさんにぴったり当てはまる~と感じたのだ。「因果応報」は似ているけれどMさんにかぎっては「悪い行い」は・・・おそらくないのでやはり「陰徳陽報」がぴったりだと一人で納得したという次第である。うーん、自分には「因果応報」がぴったりきそうだ。

2017/06/19 02:07

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「虹色のチョーク」

今、手元に「虹色のチョーク 働く幸せを実現した町工場の奇跡」(小松成美著 2017.5.20初版)という本がある。図書館にリクエストして入れてもらった本だ。以前、友人から頂いた「チョークと黒板セット」を作った会社、日本理化学工業株式会社について書かれている本だ。といってもピンと来ないかもしれないが「日本でいちばん大切にしたい会社」という本で紹介されたり、従業員の7割が知的障碍者ということで注目を集めている会社というとピンとくる方も多いだろう。話題になっている本だが、いわゆる「光」の部分だけにスポットをあてて、会社を称賛しているだけの本ならば読むのを辞めようと思っていたが、結論を言うと一気に読み切った。著者が本書22ページで次のように書いている。「メディアによって報じられる華やかな賞賛の陰にあるはずの困難や絶望すら言葉にしてほしい、と伝えたのだ。」と。彼女の言葉通り、つぶさな取材に基づく、きれいごとだけではない葛藤なども書かれており様々なことを学ぶと同時に考え込んだ。ただ、一つだけ言えることは何事にも光があれば影がある、一見、成功しているように見える人も陰ならぬ苦労や努力があったことは間違いないこと。逆もしかりか?また、相手と信頼関係を結ぶためには、最初からお互いに伝えるべきことは伝えることが大切だと改めて自分に言い聞かせるきっかけとなっている。基本的に相手の貴重な時間やお金を無駄にしないために、当国語塾の方針、メリット、デメリットを伝え、入塾するかどうか検討していただくよう心掛けているつもりだが・・・。逆に、保護者様からも最初にある程度の情報を頂かないと、後々問題が起こる・・・・。本を読んで何を感じ取るかは人それぞれだが、いろんな意味でお勧めの一冊である。

2017/06/18 01:30

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国語講師の特権

かなり以前に「先生ってもしかしてテキストはすべて解いてるんですか?一体どのぐらいの量の文章を読んでるんですか?す、すごすぎる・・・」と生徒から言われたことがある。国語講師があらゆるテキストを読んで解くのは当たり前のことで、そもそもそれが仕事なのだが彼にとっては「膨大な量の文章を読んで解く」ことが新鮮だったようだ。確かに国語のテキストやテストの文章を読むことに対して苦手意識を持っている、苦手とまではいかなくても「面倒だ」という気持ちがあるならば国語講師のやっていることは新鮮、なおかつ信じられない~という気持ちになるだろう。むろんすべての文章に対して共感できるわけでもなければ、興味がわくわけではないが、かなりの割合で「へ~、なるほど」「これ、面白い」という文章に出会える。考えてみれば国語の教材として使用されている文章というのは一冊の本のうちのたったの1、2ページ分、しかもそれは何百ページのうちで一番面白い、メインの部分であることが多い。つまり、国語の題材を読むことによって「本のいいとこどり」をしているとも言え、さらには膨大な量の文章を読むことによって、広くて浅いが様々な分野の知識が蓄積される。これぞ国語講師の特権!!!と得したような気分になれる!正直言ってこの快感さは、自分自身にとっては他の科目では味わえなかった。さて、この特権が意外とちょこちょこと役立つのだ。例えば「自然と科学」についての意見文を書きたいという生徒に対しては「あ、あのテキストの○○さんの文章を彼に見せよう、絶対に参考になるはず」とか、別の生徒には「今の君には教科書にも登場している△△氏のプロフィールや考え方が参考になると思うよ。」といった具合に指針を示すことが出来る。広く浅く・・・だが、膨大な文章や知識に触れることが出来る今の仕事が、本当に有り難くて楽しい日々だ。

2017/06/17 04:41

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字数制限なしの要約

国語の記述は誰もが「難しい」と感じる分野。昨日、中学生男子から「先生にとっても記述って難しい?」と問われ、すかさず「もちろん」と答えた。むろん、何十年も教える仕事をしたり数えきれないぐらいに国語の問題を解いているのですぐに解答はできるが、それでも難しいと感じる。ましてや中学生にとっては・・・、というわけで昨日は記述対策として「字数制限なしの要約」を実施。課題文が複数あり、条件は「できるだけ短い文で要約する」というもの。やはりというべきか、個々人の特性が見事に現れ、本当に教えがいがあった。字数制限がある場合は、マス目に埋めようと本文中の言葉をとりあえず切り貼りしたりする生徒たち。本人たちはマス目を埋めたので部分点ぐらいは貰えるだろうと期待するのだが、実は主語と述語が合っていない、格助詞の使い方がおかしいなどの理由から点数がもらえないことも。それらの原因をさぐり演習をするには「字数制限なし」の要約が一番。なぜなら、本当に理解していないと要約が出来ないから。さて、出来上がった文章を大きく分けると見事に二極化する。①とりあえず2文をつないだだけで、ほとんどが本文丸写しの場合②言葉を削りすぎて本質だけをズバッと言い当てている場合、と完全に二極化する。①のパターンで書いた2名は、きちんとキーワードなどをチェックしたところまではOKだったのだが、それに付随する修飾語などを削る勇気がなかった。逆に2のパターンの2名は、例えば母娘の会話文の課題では会話文をきちんと一言で言い換えて表現した!これは見事であったが・・・結論のみになってしまい理由などが省かれていたり。ただ、少なくとも会話文を一言で表現できる能力は小説における記述では本当に役に立つ。4名中、2名ずつに2極化し「やはり・・・」と思いながら今後の指導方針を計画していた。さて、ずばりと一言で言い表せることが出来るS君は、日ごろから物事の本質を一瞬で見抜き、的を射た表現をするタイプだ。そのことを交えながらほめると・・・・最後の問題では「うけ」を狙って自分の都合よく本文内容を変えて要約。サービス精神は嬉しいが、事実を捻じ曲げないように~!と昨日も和気あいあいあと楽しく中身の濃い?!時間を過ごさせてもらい感謝。来週以降は昨日の反省点を踏まえつつ、少しでも彼らにとって役立つ、身に付く授業内容にしようと張り切っている。

2017/06/16 13:55

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「幸せ」であることに感謝!

やってみたい仕事、ワクワクする仕事を出来るということは本当に幸せなことだとつくづく思う。突然だが、昨日は最高に嬉しいチャンスが巡ってきた。詳細は後日に改めて担当の先生とお話しするのだが、7月下旬に某高校での研修会に講師として招かれたのだ!う、嬉しすぎる~!というのが、今年の仕事上の目標として「ほかの教育機関の先生方とコラボする」「大人の方々と勉強会をする」というのがあったからだ。正直言ってまさか叶うとは思っていなかったので、オファーのメールを見た瞬間に固まり、その直後にはアドレナリンが全開!最後まで読み終わらないうちから「ぜひ仕事をさせてほしい!」と心は決まっていた。正直言って、初の試み、仕事に対してのプレッシャーがないと言えばうそになる。が、だからこそ全身全霊で取り組み、なんとか双方にとって「一緒に仕事してよかった」と思えるように頑張ろうと大張り切りなのだ。と同時に、数年前に図書館の職員の方から突然にお電話を頂き「読書感想文の審査員をしてほしい」と言われた時のことを思い出した。当時は国語塾は主催していなかったのだが、「面白そう!自分の勉強になる!」と、何も条件を聞かずに即決で引き受け、後日に実は図書券を頂けると知り(無償のボランティアだと思っていた)二重で嬉しかったことが脳裏によみがえってきた(もちろん、今年も張り切って審査員をさせていただく予定だ)。つまり「やってみたいこと」「是非させてほしい」と思えることに対価を頂けるとは最高だと感じるのだ。他の方々はどうかは知らないが、少なくとも自分自身は「ワクワクする」「自分自身が成長できる」「やってみたい」仕事に取り組むことが幸せで、正直言って時給効率が良くても「気分が下がる」ような仕事はあまりやりたくない・・・。むろん、とんでもなく贅沢なことを言っているなあと自覚はあるのだが、学生時代のアルバイトを含めると…数々の仕事をしたからこその自分の中のポリシー。ようやくようやく最近、自分のポリシーに従ってお仕事をさせていただけることが増えてきて、あらゆることに感謝の念がわいてくる今日この頃だ。

2017/06/15 04:17

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紛らわしい表現

今、手元に夏期講習用のテキストの見本がドーンと積まれている。国語だけの薄いものもあれば五科目すべてが一冊になったものもあり、パラパラと楽しくめくっていたのだが・・・。改めて「日本語って難しい」と感じた。というのが、同じ内容が別の表現(日本語)になると慣れないうちは全く別の内容だと勘違いしたり、似たような言葉をごちゃごちゃにしてしまうだろうと思うからだ。数年前まで国語以外の科目を教えており、その時に中3の生徒は必ずと言っていいほど「平方」と「平方根」で混乱していた。彼らには、まず面積の単位である「㎠」を日本語で言ってもらい(平方センチメートル)、面積の単位は必ず2回掛け算する→平方とは2回掛け算する→2乗、だとイメージして覚えるように指示した。そして「平方根」に関しては「平方の根本」→「二乗のもと」→「二乗してこの数字になるものを考える」といった風にかなり無理があるが、日本語から連想するように説明した。さて、理科では次のような文章があり、きちんと読まないと間違える。①「エンドウの種子のまる・しわのように一方しか現れない2つの形質のことを何というか。」答えは「対立形質」、別の問題集では①の下線部が「同時に現れない二つの形質」となっている。つまり「一方しか現れない」=「同時に現れない」が同じ意味だと気づかなければ「?」となったり別のことを答えてしまう。また、別の問で②「子に一方の親の形質だけが現れるとき、現れないほうの形質をなんというか。」答えは「劣性形質」。よく読めば分かるが、①と②は使われている言葉が似ているためパッと読んだだけで「あ、分かった~」と判断すると間違った答えになってしまう。クイズの早押しではないのだから、きちんと最初から最後まで文章を読んで「何を問われているか?」「言い換えるとどういうことか?」と意識しながら新しい知識を取り入れる工夫が大切だろう。

2017/06/14 01:04

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言葉の重み

最近、読者登録をし読ませていただいているririonririonさんの昨日のブログ記事には思わず考え込んでしまった。一部抜粋させてもらう。「自分でも覚えておきたい。今後、仮にも心理学を勉強し、発達障害や精神障害、身体障害も含めて人様のお役に立ちたいと思うなら、クライアント(相談者、お客様)のパワーを相談後に奪っていたら、内容はどうであれ失敗だ。まして、子どもの相談を受けて、保護者の力を削いではならないと痛感した。たとえ、どんなに本音で言いたい事があったにしてもだ。」自分自身も一体どれだけ「言葉」によってパワーを奪われたか、ダイナマイト級の一言で何日もずっしりとした重みを抱えることになったことも数知れず。。。逆にどれだけパワーをもらったかしれない。「言葉」には底知れぬ重みと影響力があるからこそ使い方を誤ると恐ろしい武器になってしまうのだ。さて、数年前に知り合いから「塾の面談で塾長に延々と絞られた・・・。昨日は落ち込んでしまって眠れなかった、もう無理!子供に塾を辞めさせたいんだけどどうしたらいいかなあ?辞めるというと強く引き止められそうで憂鬱なの。」と相談を受けたことがある。その時に①塾長がいない時間を見計らって事務の方に電話連絡する。②「辞める」と言わずに「休会したい」と伝え、休会制度がないならば再度入塾する際には入会金払います~と伝える③とにかく下手に出て、こちらの都合で辞める(休む)ことを強調(くれぐれも塾長とそりが合わないとは言わない)することによって、復帰するかもしれないときに備える!と3点の意見を伝えた。結局、一時退会、のちに塾に復帰したようだ(その時にはパワーを奪う塾長は転勤でいなくなってたらしい)。このケースは塾講師の立場としてどう思うかとアドヴァイスを求められたわけだが・・・、話を伺ったときに、某塾の塾長の熱意と善意が痛いほど分かる、逆に保護者の言い分も分かるため中立の立場を意識したが「言葉って重い」「人の振り見て我が振り直せ」と思ったものだ。「言葉」を良い意味で武器として使えるようになることは自分の一生の課題になりそうだ。

2017/06/13 03:59

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船頭多くして船山に登る

「船頭多くして船山に登る(せんどうおおくしてふねやまにのぼる)」という慣用句がある。意味は「指図するものが多すぎるとまとまりがつかず、かえってうまくいかないものだということ」。組織内で仕事をする場合、複数の上司がそれぞれが違うことを指示・・・というのはよくあるパターンだ(若かりし頃に何度も経験済み)。仕事上に限らず、日常生活においても時々こういうことが起こりうる。良かれとばかりに色々とアドヴァイス(指図)してもらえるのは有り難いが、時と場合によってはそれが重荷になり、まさに慣用句のとおり「かえってうまくいかなくなる」こともある。そうならないようにどうするか?自分自身に関しては、色々と指図する人の通りに実行してみて、失敗した時に責任を取るのは誰か?と自問する(当然だが、大抵は自己責任となる)ことによって自ずから答えが出てくる。こういうスタンスなので、人様に対しては「あなたは結局どうしたいの?」と確認するようにしている。先日、某中学生が将来の夢を熱く語ってくれ、そのことを学校の先生にどうやって理解してもらえばいいか?と聞かれた(その生徒は普通科の高校ではなく専門的な方向に進みたいという希望を持っている)。学校の先生に直接会ったことはないので人柄など分からず、何とも言いようがなかった。ただ、一つだけ伝えたことは「学校の先生が何と言おうと、あなたの将来や進路に関して責任をとれるわけではない。未成年なので金銭的なことも含めて、責任を持つのは親だよ。だから、まずは親に自分の意見を言ってみて、あなたの進路に賛成してもらえるならば学校の先生には強気の姿勢でいいんじゃない?」という意見を伝えた。高校はとりあえず普通科に行って、それから専門的なコースに行く方がいいという意見もあるだろうが、そんな一般論を言って若者の夢を阻止するようなことをしたところで責任をとれるか?と問われると「否!」だ。将来の夢がまだ定まっていない・・・と相談を受けたら「じゃあ、普通科に行って色々と勉強したら?」と答えるが。人それぞれ考え方があるが、責任をとる(とれる)のは未成年の場合は親であり、究極は自分だというスタンスが大事かなあと思う今日この頃だ。

2017/06/12 04:07

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個性的な発想・視点

個性的な発想や視点を持てるタイプは魅力的だと思う。なぜなら、話してて楽しく、ワクワクし、勉強になるから。とはいえ、なんでもかんでも「個性」だから!と許されるわけではなくそのあたりの線引きが難しいところだ。例えば、「実は自分は学校行事というものは嫌いなんです。でもそんなことを学校では言えないですけど。」と相手を見て、打ち明けるという場面に出くわし、詳しく話を聞くと「なるほど、そういう風に感じるんだ」「そんな考え方もあるんだあ」と感じる。確かに世の中、全員が行事を好きなわけはないし、好きになる必要もない。が、「お疲れ様、今日は総合練習だったんだよね?頑張ったね~」と何気に生徒に声をかけた途端に「え?誰から今日の総合練習のことを聞いたんですか?自分は学校行事は嫌いなのでそういう話はしないでください!」と頭ごなしに突然言われると正直言って戸惑ってしまい、個性うんぬんよりも「その口の利き方ってないんじゃないの?」と思ってしまう。むろん、それ以降はこちらとしても相手の好みが分かった段階で話題を選ぶが。さて、夏休みの課題である「読書感想文」に向けて着々と準備を進めている小学4年生のT君。彼は4年生ながら冷静な物の見方をでき、しかもきちんと相手を見て行動できるタイプの生徒。彼は野球少年団で野球を頑張っており、読書感想文用に選んだ本が野球に関する絵本。一番印象に残ったページ、なぜそのページかを聞いたところ・・・。主人公がバッターとして活動している絵が不思議だからだとか。この立ち方だと打ちにくい。。。などなど。なるほど、さすがは野球少年!普通ならばそういうところには気づかず、「苦難を乗り越えながら頑張る主人公はすごい」で終わりそうなところ。先にも書いたように個人的に、T君タイプは大好きなので、彼の意見を尊重しつつ、どうやったら読み手に誤解を招かないような表現をし、前後と結びつけるかがお互いの腕の見せ所!だとワクワクしている。

2017/06/11 01:05

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