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小さな国語塾のつぶやき

「私の願い」

7月7日(地域によっては8月7日)の七夕には、願い事を短冊に書いて笹につるすという習慣が日本にはある。さて、この短冊に願い事を書くときにはどんな風に書くだろうか?おそらく大半は「100点をとれますように」「宇宙飛行士になれますように」「医者になれますように」といった具合で、願い事を分かりやすく端的に書くだろう。小さな紙上に書くわけだから、長々と書くことができないからというのが一因だろうから、そういった要因を除いた場合も考えてみる。例えば親が子供に「夏休みはどこに行きたい?」と希望を聞くと子供たちは「ディズニーランド!」「おじいちゃんの家」「プール」・・・といった風に答え、「思い起こせばかれこれ1年近くも田舎のおじいちゃんやおばあちゃんに会っていないので、今年の夏休みは会いに行きたい。」という文章で答えるタイプはほとんどいないだろう。何が言いたいか?作文のテーマが「私の願い」「私の希望」という場合は、結論をいきなり書いた方が読み手に伝わりやすいということ。現在添削中の文章で次のような作品がある。「僕は朝が弱いです。年齢のせいか、なかなかパッと起きることができず目覚ましをとめてから2度寝してしまいます。だから会社ではフレックスタイムを取り入れてほしいです。」(個人を特定できないように趣旨は変えずに内容を少し変更している)。これはこれで間違いではないのだが・・・。朱を入れるかどうか迷いながらも、2つ目の願いについてはいきなり結論から始めている作品なので思い切って「僕の願いは、働いている会社にフレックスタイムを取り入れてもらうことです。なぜなら僕は朝が弱く、なかなかパッと起きることができないからです。目覚ましが鳴っても・・・」と語順を入れ替えるべくして朱書きした。文章は数学の計算のように答えが一つだけというわけにはいかないが「相手に自分の意志を伝えたい」という場合は、結論から書くのが良いだろう。

2017/07/10 01:20

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夏期講習

先日、有名芸能人がガンで亡くなり追悼番組などの特集がテレビで組まれたようだ。それだけで済めばよかったのだが・・・、その方の治療方針について様々な意見が出ているようで、正直言って「もしも~たら、れば」はないのだから、そっとしておいてあげればいのにと思うと同時に、近藤誠医師が提唱する“がん放置理論”を思い出した。近藤先生の主張は「がんの手術は寿命を縮めるだけ、抗がん薬は効かない、検診は無意味、がんは本物とがんもどきに分かれる」というもので、それに対して「近藤理論を信じて、折角早期で発見できたがんを進行がんにしてしまう患者が後を絶たないという」専門家も多数いる。どちらが正しいかは分からないし、おそらくどちらも正しいのだろう。つまりケースバイケースで、大切なのは自分自身で正しい選択をすることか。やたら、前置きが長くなったが、自分自身が正しい選択をすることが大切だということは夏期講習にも当てはまる。通塾している教室において「夏期講習は絶対に受けるべき、年間カリキュラムに取り込まれている」と強制されるならば、ある意味迷う必要がないが(?)、自分の意志で夏期講習を受けるかどうか?さらには何科目受けるか?などを決めるときは慎重にすべき。なぜなら夏休みという貴重な時間と、お金を無駄にしてしまうからだ。すべての人に合う塾や先生はいない、他人にとってベストの選択が自分にとっては最悪の選択ということがしばしば起こりうるのだ、まさに病気治療の方針を決めるのと同様である。夏期講習をどうすべきか?で迷ったとして、自分が通う塾の先生に相談した場合にあらゆる科目、高額なコースを問答無用で勧められたとしたら・・・その場合は「単なるもうけ主義」の可能性があるので別の人間に相談するのが良いだろう。熱心に生徒の弱点を洗い出したうえで勧めてくれるならばもちろんGo!

2017/07/09 04:08

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意見文の書き出し

①女子高生「先輩!好きです!付き合ってください。」②女子高生「体育祭の頃から先輩のことが気になっていました。もしよかったら付き合ってください!」③女子高生「先輩って好きな人いますか?」「え?いないんですか?じゃあ、どんなタイプの女性が好きですか?年下は嫌ですか?」・・・。昨日は七夕ということを少し意識して告白バージョン3種類挙げてみた。①~③のパターン、どれがいいかは個々人の好みだが、どれも結論は「付き合ってほしい」ということを主張している。さて、今週の中学生授業は「意見文の書き出し」について具体的に作業を進めている。某生徒が「○○することが好き」という内容で意見文を書こうとしており、何気に「僕は○○することが好きです。なぜなら・・・」というオーソドックスに書き始めた。むろん悪くはないのだが、①「○○が好きです。僕にとって〇〇することは・・・」②「○○すること、ゲームをすること・・・など僕には好きなことがいくつかあり、そのうちの〇〇することについて述べてみようと思います。」③「○○すると聞いて皆はどんな風に感じるでしょうか?僕は○○することが大好きで、は生活の一部です。」といった風に丁寧にパターン分けして、好きな書き出しを選んで書き始めるよう指示した。何が言いたいか?主張を書く時にはパターンがあり、大きく分けると「結論型①②」「問題提起型③」となる。ある意味「僕は〇〇することが好きです。」は結論型で、先にも書いたように間違いでは決してないのだがインパクトが弱く、意見文というよりも作文という感じがする。どの生徒も字数が埋まらない~と四苦八苦しており、なおさら「書き出し」を工夫しつつ字数を稼ぐことをお勧めする。

2017/07/08 03:05

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天王山の夏

今日は夏らしい気候の十勝地方、最高気温が34度の予報・・・。本州ほど湿度が高くないので、うだるような暑さとは言わないがそれでも暑い一日で「夏だなあ」と感じる。さて、夏と言えば「天王山の夏」!これは受験生などに向けて、よく使われるキャッチコピーで「夏を制する者は受験を制する」といった意味で使われる。この言葉の由来は、豊臣秀吉が天下をとる過程における天下分け目の戦い「山崎の戦い」において、明智光秀との勝敗を分けた局地戦「天王山の攻防」からきているそうだが、史実は異なるとか・・・?!つまり史実を横において、言葉だけが独り歩きしているといった感じか。これは漢字の持つ意味が大きな役目を果たしているからだろう。「天」「王」「山」どれをとっても「上昇」「トップ」「登る」といったまさに受験生にぴったりの意味を持っている。もしも「阿蘇山」「六甲山」「比叡山」などなど別の山だったら受験に結び付くキャッチコピーとはならなかった?と想像する。さて、このキャッチコピーはある意味正しいような気がするが、登山同様に気を付けなければならない。どんなに準備万端だったとしても登山中に山の気候が急変し下山を余儀なくされることもあるれば、自分の体調不良になり登頂できないということは日常茶飯。つまり、「夏だけ頑張れば受験に成功する」のではなく「夏(特に夏休み)を頑張れば受験に成功する確率が高くなる」というだけのこと。逆にいうとここでサボると・・・・。考えてみればこれは受験に限らず、少なくとも教育産業に携わっているものにとっても関係がある。夏(特に夏休み)は仕事がハードになり、ここで実績を上げるか上げないかで今後の仕事の方向性というものが決まるといっても過言ではない。受験生、さらに受験生を応援する側としては、暑い夏を熱く乗り越えていきたいものだ。

2017/07/08 03:05

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本のテーマを見出す

読書感想文を書くにあたって、その本の「テーマ」はなにか?作者は著書を通じて何を読者に伝えたいのか?を正しく把握することが大切だ。感想文だから、感想をメモしようと大張り切りの子供達はページを読み進めるうちに「うわー、こんな事初めて知った。」「え~、なにこれ?」「かわいそう~~~」「すごーーい」等々、当然のごとくページや書かれている内容によって感想は変わり、それらを必死でメモしている。そのままの状態でいざ感想文を書こうとすると「主人公が○○した時は本当に嬉しかったです。」「主人公が△△の時は本当に可哀想でした」「最後は〇△□となってよかったです」といった文章、場面ごとの紹介+その場面に関する感想で終わってしまい、これでは到底「読書感想文」とは言えない。本全体を通して何を感じ何を学んだかを書く必要がある。作者は著書を通じて読者に伝えたいことがあるはずで、それが何なのかを意識しながら読むことが大切だ。とはいえ、必死で読んでも本全体の「テーマ」が分からない時は「あとがき」を参考にすると答えが書いてあるので試してみる価値あり(いわゆるカンニング…汗)。感想文は「テーマ」は何か?と問われているわけではなく、テーマに対して自分がどう感じ、学んだか?を意識して書くことが要求される。だから姑息?な手かもしれないが、「あとがき」などから「テーマ」を理解し、それに対して自分は「その通り」なのか「分からない」…なのかを書けばよい。例えば、戦争に関する本を手にしている生徒、どのページも悲惨なことばかり書いてあるため「かわいそう」というメモが多いが、そもそも作者は「かわいそう」と同情をしてもらうのが目的ではなく、結論を言うと「こんなひどい、悲惨な戦争は二度と起こしてはいけない」というメッセージを込めているのだ。そういったメッセージに気づくことを意識して取り組んでほしい。

2017/07/06 02:37

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「天晴れ(あっぱれ)」

「天晴(あっぱれ)」という言葉を知っているだろうか?時代劇通にとっては「当然でしょ」と思われる言葉で、その昔、ちょっと頭の弱い殿様が臣下の無鉄砲な働きを「あっぱれ、剛の者であるぞ」などとほめるのに使う。つまり「あっぱれ」とは「すばらしい!」「みごと!」など、賞賛や感動を表す言葉。とはいえ、元々は「あっぱれ」は嬉しいにつけ悲しいにつけ感動を表す「あわれ(あはれ、哀れ)」が促音化した言葉で、「あはれ」は感動したとき自然に発せられる「ああ」という感動詞が変化したもの。敵の首を切り取って持ってきた武将を誉めるのに「あはれである」ではまるで力が入らないので力強く促音化したものと考えられ、すでに平家物語などに見える言葉である。つまり「敵ながらあっぱれ」という表現をするが、単にその武勇を称えるだけでなく死んでしまったことを悲しむ、そんな意味も込められていたようで、それが時代と共に完全に二つに分かれていったらしい。つまりは最近の若者言葉である「ヤバい」の逆バージョンと言えるか。先日ラジオでも話したが「ヤバい」は元々は「良くない」意味で使われていたが、最近は良い意味でも使い、良きにつけ悪きにつけ「程度がはなはだしい」「とても」という意味になっている。たまたま本を読んでいるときに「天晴れ(あっぱれ)」という言葉を見つけたので気になって調べてみた次第だ。「あっぱれ」は平仮名表記だと長年思っており、まさか漢字があったとは!何か意味があるの?と思いきや「天晴れ」は単なる当て字だとか。たとえ当て字であったとしても「お天道様(太陽)がニコニコと晴れやかな顔」をして誉めてくれているようで、字を見ただけでなんだかワクワクする。「天晴れ(あっぱれ)」はある意味上から目線の誉め言葉だが、お天道様に認めてもらい誉めてもらっていると思うとなんだか嬉しいもの。「おおっ、天晴れ」と自分で自分に言えるように一年の後半を過ごしていきたいものだ。

2017/07/05 03:09

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両刃、諸刃の剣

最近、意見文のテーマを決めるようにうるさく生徒たちをけしかけ、付箋メモを作りをしているおかげで、早い子は原稿ノートに下書き段階まで来ている。生徒たちにとっては大変な作業だろうが、こちらとしてはこの時期はとってもとっても楽しいのだ。なぜなら各自の考えや発想を知るという特権を与えられているからであり、毎年「若い子って大人が思っている以上にしっかりしているなああ~~~」とか「この発想面白い!」とワクワクすることの連続だ。さて、トップバッターで下書き段階に入っているY君は「自然と科学」について自分の視点で考察している。このテーマは複数の専門家が文章を書いており、一言でいうと「自然と科学」の関係は「両刃の剣(りょうばのつるぎ)」、「諸刃の剣(もろはのつるぎ)」だという論が多い。彼は結論をこのような一般的なことにとどめるか、自由な発想でまとめるか・・・と現在思案中。さて、「両刃の剣(りょうばのつるぎ)」、「諸刃の剣(もろはのつるぎ)」は共に「両辺に刃のついた剣」を表す。そのような剣は、相手を切ろうとして振り上げると自分をも傷つけるおそれがあることから、非常に役に立つが他方では大きな害を与える危険もあるものの例えとして使われる。これはある意味「自然と科学」に限らず様々な場面で当てはまるだろう。一番身近な例としては、勉強や仕事・・・。これらを頑張れば頑張るほど成果は上がりやすくなるが、頑張りすぎると体調を壊すことにつながるわけであって、そのバランスをとるのが難しい。「両刃、諸刃の剣」を経験せずに大成功を収めているという人生の名人がいたらぜひ会ってみたいし、そういう方を知っているならばぜひご紹介いただきたい。自分はあらゆる場面で「両刃、諸刃の剣」状態だが、言い換えるとだからこそスリルがあって面白い人生を歩ませてもらっている?!とも思う今日この頃。

2017/07/04 02:25

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付箋活用法

長い文章を書く時には基本的に準備が必要で、その準備とは下書きだったり、メモ書きだったりするわけで、この時に大活躍するのが「ザ、付箋!」。名刺サイズよりも少し小さいぐらいの付箋を沢山準備し、書くべき文章のテーマについて思いつくまま、とにかくメモをする。この時に一枚の付箋に一つのメモというのがポイント。例えば「自然と科学」というテーマについて書きたいならば「科学を優先させると自然破壊が進む」「科学の恩恵は計り知れない」「エアコンなしの生活は考えられない」「エアコンを使いすぎると二酸化炭素排出してしまう」「エアコンを使わない生活⇒熱中症」といった具合に。そして、それらを文章に起こすときにどんな順番にするかを考えて概念化していく。単なるメモ用紙だと折角並べてもそれを保管することが難しいが、付箋は何度でも取り外したり貼ったりすることが可能なので保管にも便利。概念化する作業中にいらないメモ(付箋)ははずせばよく、足りなければ書き足す。小学生のうちはきちんとしたワークシートを作成し、そこに読書感想文や作文のテーマ、意見、感想などを書き込むようにしたり、マップを作ったり、原稿ノートに短い文章でメモをすることも大切だが、中学生以降になるとまずは「時間がない!」のだ。だから、いかに効率よく上手に文章を書くかということも意識する必要がある。(学校によっては読書感想文、意見文、人権作文、などなどが夏休みの課題として出される。)とはいえ入塾直後の生徒にとっては、付箋にメモをしたもののそれらをどんな風に並べて文章の起こせばいいか分からない…ということは当然起こる。むろん、付箋メモを作る前に文章の書き方やメモの方法などの資料を配り説明はしているが、それでも実際にやってみると壁にぶち当たることも。その点は、塾生に関してはきちんとフォローしており、文章の大枠の参考例などを個々人に作成し、一緒に学習しているのでご安心を。何においてもそうだが、一度きちんとしたノウハウを学ぶと一生使えるスキルになる。十勝限定になるが、ぜひ国語教室に興味がある方はご一報を。

2017/07/03 00:26

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対比・・・

国語においては①対比②言い換え③因果関係、この3点は基本的な構成。社会的生活においては「比べる」ことはよくない場面もあるが(例えば兄弟間で比較するなど)、国語では対比は不可欠。例えば「国語という教科は難しい」という意見文を書く時に、ただ単につらつらと「・・・だから難しい」「○○だから難しい」と書くよりも「数学と比べて…な点において国語は難しい」といった風に書くと読み手に取って分かりやすく、しかも納得しやすくなる。つまり同等の別物を比べるという手法。プロの物書きの人たちはそういった基本的な原則を知っているからこそ、論説や説明文では二者を対比させて論を進めている文章がほとんど。小説などでも「主人公」対「キーパーソン」、「前半」対「後半」などなどの対比構成になっている場面がテストやテキストに用いられる。さて、先ほど実生活では「比べる」ことはよくないこともある…と書きながらも人間は感情の生き物。ついつい無意識のうちに比べてしまう。昨日、知人(決して友人ではない!)から「7月〇日と△日はどおですか?」というシンプルなメールがきた。こちらの職業を知っているため、日中は暇だと思っているらしく「時間の指定なし」「どうですか?がどおですか?」になっている、そもそもが相手にお願いごとの提案ならば「いかがでしょうか?」とすべきでは?などと内心で突っ込みを入れ、少々(いやかなり)気分が盛り下がった(それが証拠にまだ返信していない)。そのメールの後に、逆にこちらから生徒さんの親に日時の提案、相談のためにメールを送った。こちらとしては「この日ならば何時でも大丈夫」という意味で「〇日、△日、□日ならば都合がつきます。」とメールしたところ、すぐに「〇日なら大丈夫です。3時~は・・・なので午前中か午後の早い時間にお願いしたいです。」といったご丁寧なメールが届いた。おおっ、素晴らしい~~~と、数分前のモードが下がるメール内容との真逆さに感激した。ある意味モードが下がるメールのおかげで保護者様のメールがいつも以上に光って見えた(苦笑)。対比ってインパクトがあるなあと実感する出来事であった。

2017/07/02 01:42

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絵の正しさ・・・

古文でよく出題されるものの一つが「私可多咄(しかたばなし)」中の名人の話。簡単に内容を紹介する。「唐(昔の中国)の絵描きに戴嵩という人がいた。牛を書くことを最も得意としており上手だった。 ある時、角を振りあげ尾を立てて牛達が闘う様子を描いた。それを牛飼いの童に見せたところ、童はこれを見て次のように言って笑った。『牛が闘う時は、尾を立てるのではなく腹に尾をつけているものだから、この絵は牛が尾を立てているので、まちがっているよ。』 戴嵩は驚いて成程と感じ入り、その絵を破いてしまった。本当に名人という者は戴嵩のような人を言う」いった内容。さて、2本の読書感想文を書く!と張り切っている2名の内の1人、T君!昨日は一冊目の本のまとめ作業。野球に関する絵本なので、内容はもちろんのこと絵を見て色々とコメントしながら書き進めている。彼自身が野球少年なので「あ、これは右バッター、これは左バッター!主人公は両方で打てるんだ~、上手なんだね。僕も両方頑張ってるよ」と絵を見ながら的確なコメントが次々に出てきて面白い!それらを織り交ぜながら、内容についても様々な視点で順調に感想を書いていたのだが・・・。授業終了後、いざ絵本をかばんに片付けようとした瞬間に「あれ?この絵おかしい。グローブをはめていない」とコメント。主人公ではない選手の絵だったのだが・・・。「きっと試合が終わって外したんじゃない?」と言うと「いや、審判がこの場所にいて、ユニフォームを着てるからまだ試合中のはず。なのにどこにもグローブが描かれていない、おかしい」と指摘するT君。おおっ、さすが野球少年!と思いきや、さすがに「絵がおかしいです、間違っています」とは感想文には書けないので「良く気付いたね~。さ、お迎えの方がいらっしゃってるよ。」と適当にお茶を濁しつつ、ふと先に紹介した私可多咄を思い出した。話の内容によっては想像上の架空の状況を描くのは当然有りだが、彼が選んだ本は実話が元になった絵本。もう少しきちんと正確に描写してほしいなあと思うと同時に彼の洞察力には感心した出来事であった。

2017/07/01 02:05

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