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小さな国語塾のつぶやき

「新しい博物学」

中学三年生の国語の教科書に「新しい博物学」(池内了著)が掲載されている。内容は「人類の長い歴史の中で培われてきた文化や叡智が、理科系と文科系に分断されている。が、これらの壁を取り払い、総合的な観点でものごとを見直せば、それぞれの分野において新たな気付きや発展が起こりえる。」というもの。最近の傾向として、池内氏の文章が国語の題材としてテストにもよく出題されている。その理由としては①専門的な分野を一般人にも分かりやすく噛み砕いて説明している②考え方が斬新、という二点の理由から好まれるのだろう。ぜひチャンスがあったら池内氏の文章に触れてみてはいかがだろうか?さて、先の「新しい博物学」は個人的に興味がある。なぜならそこから昔の平安時代の陰陽師の偉大さが読み取れるからだ。「新しい博物学」に登場する「明月記」(平安時代に藤原定家が書いたとされる日記)には超新星の出現記録がある。 この記録が、科学だけでは解明できなかったことへの解明の糸口となったという内容がある。ちなみに明月記は陰陽師・安倍泰俊から聞いた古い記録を定家が書きとめたものとされている(さすがにこれは「新しい博物学」では触れられていないが)、つまりわが国の陰陽師の観察力、観察眼んが偉大なのだ。陰陽師とは呪術を操るイメージが強いけれど実は星や雲の動きから宮殿の異変や遠方での吉凶を言い当て、天皇に報告する仕事をしていたれっきとした公務員。陰陽師は理論に基づいた方法+おそらく修行あるいは生まれつき備わっていた特別な能力を駆使していたと思われる。そういう陰陽師の仕事、役目にあこがれを持っているためアメーバブログでのハンドルネームを「日本語大好き陰陽師」としている自分にとって、陰陽師の偉大さを証明するような国語の文章や記録に出会うと嬉しくなるのだ。と同時に「科学で証明されていない≒ありえない」のではなく、古代から日本人が大切にしてきた思想(言霊思想など)は実は理にかなっており、近々科学で証明されるかも・・・と期待している。実際に「言霊」≒「波動」という概念で説明されつつあるようだ。

2017/07/19 23:06

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演習は不可欠

一流スポーツ選手の動きをDVDやテレビで見たり、スポーツに関するマニュアル書をしっかりと読んで正しいノウハウを自分の中に落とし込むというイメージトレーニングは大切で、それをすることによって実際に身体を動かしたときにうまくプレーができることがあるだろう。が、が、が、自分の身体を動かさないことには筋力はつかない。何を当たり前のことを言ってるの~?と思われるかもしれないが勉強も全く同じことが言える。ジーっと教科書や参考書を見つめたり読むことも大切だが、それらの知識を実際に使ってみないことには脳は鍛えられない。つまり演習を必ずする必要がある。だからお教室では必ず自力で問題解く、記述においてもヒントを与えた後に本人に必ず書かせるということを徹底している。さて国語教室を開く前に、細々と家庭教師をしていた時期がある。家庭教師を頼むタイプというのはとっても勉強が得意、逆に勉強が超苦手という両極端な場合が比較的多く、たまたま自分が担当したのは勉強が超苦手なタイプばかり。彼らに共通することは「これでもか~~~?」というぐらいに演習を嫌うことだった。①問題を解こうとしても解けない→面白くない→ますます問題を解かない②間違えるのが嫌(妙なプライドがある)③楽な方法で成績を上げることを夢見ている→自分のやり方を曲げない、というこの3点の要素を勉強が超苦手な子たちは全員持っていた。で、彼らはどうするかというと、こちらが出した宿題は一切やらずひたすらひたすらノートに何度も何度も語句を書いたり、まとめたり。別にお習字の時間でも美術の時間でもないと言いたくなるのだが・・・。漢字に関しても昔は何十回も書いて覚えるというのが「よし」とされていたが、それよりも漢字を見る→空中を見て漢字を思い浮かべる→確認→紙に書くといった方法の方が確実に覚えることが出来る。何百回も書くと手が自動的に覚えるだろうが、あまりにも時間がかかりすぎることと下手すると漢字の意味や読みを意識せず、ただ「書く」という作業で終わってしまうことも。実際に3~5分漢字を10回ずつ書かせた後に確認テストをすると、全く書けないという生徒もいた。要するに①暗記するときは「暗記しよう」という意識をもって行うこと②暗記できてるかどうか演習を行うことによって確認する、この当たり前に思える2点こそが勉強において大切で、決して美しいノートを作ることや何回も何回も書くということが大切なのではない。

2017/07/19 04:26

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大人のサポート

着々と「子供新聞」のコンクールに出すべく作品の準備を進めている小学6年生2名。本州の塾の先生からのエールを伝えるとますますやる気アップ!さて、そんな矢先に保護者の方が「誰の新聞かしら?親の新聞?!」と自嘲気味におっしゃった。資料集めやインタビュー先を探すなどなど子供たちのために必死で動いてらっしゃり、そのことを指しておっしゃったわけだが、個人的には本当に素晴らしい保護者の方々だなあと思っている。子供たちに手を出しすぎる、口を出しすぎると過干渉、人様にとってはモンスターペアレントになりかねない。かといって完全放任することは、これまた問題が生じることがある。この両者のバランスが難しいのだが国語塾に通ってくれている生徒の保護者は全員きちんとした方ばかりで助かっている。さて、子供たちの自主性に任せることは大切で子供たちが完全に「放っておいて!自分たちで頑張るから」という場合はわざわざ親が口出しする必要はないだろうが、そういうパターンは意外と少ないだろうし、完全に子供たちだけに任せておくと出来具合は…言うまでもない。それはそれでよい経験だが、親(大人)がアドヴァイスやサポートすることによって明確な方針が見えてくることもあり、そうやって物事の道筋や進め方を学ぶのだと思う。そのあたりを上手にサポートしたことで有名なのが4人の子供を全員東大に入れた佐藤ママ。子供の体調管理から勉強の方針などなどをしっかりと管理をしており、それに対する賛否両論はあるだろうが少なくとも子供に対する愛情は本物で、しかも結果が伴っている。逆に完全放任は、教える側としては正直言って本当に困る。塾内で困っていること(例えば毎回毎回テキスト類を一切持ってこないなど)を伝えても知らん顔、挙句の果てには逆切れされたり、こちらがよかれと思ってアドヴァイスしても生返事というケースが以前にあった。そういうケースは結局は辞めてもらうよう伝える・・・・という羽目に。何はともあれ「自分って手出ししすぎ?」と気にするようなタイプの方に限って常識的なタイプがほとんどで、今後も適度に子供さんの様子を見ながらサポートをしてほしいと願う。

2017/07/18 03:21

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「猛」

昨日の午後から雨が降ったおかげで一気に気温が下がり、ようやく猛暑が落ち着いた十勝地方。ほっと一息。さて、この「猛暑」に使われている「猛」という漢字は平家物語の冒頭部で「猛(たけ)きものもついには滅びぬ・・・」とあるように「強い、激しい」という意味がある。また「猛暑」「猛烈」「猛毒」「猛者」という熟語が示すように単なる程度の度合いというよりも「荒々しさ、強すぎる」といったニュアンスが含まれているようだ。では、なぜ「猛」が「強い」という意味になったのかが気になって調べてみた。国語教育者である下村昇氏によると「猛」という漢字は「」(けものへん)と「」(初めて生まれた子)との合わせ字で、「」は「」と「」であり、「皿」は養う意味だとか。皿の上に乗っている子というのは、衣食住に不自由なく大切に育てられている子で元気のよい子のことで、そのうちに「激しく外へ発散しようとする勢いのある様」を表すようにも使うようになった。そこで「孟」と「「犭」とを合わせて「気力や勢いが激しいさま」をいうようになったものらしい。なるほど確かに子供はエネルギーの塊というイメージがあるし、実際にエネルギーを持て余し、若干好ましくないような行動で発散している状態のこともしばしば見受ける。うーん、ある程度の年齢や時期になったときにはそのエネルギーを正しく使うならば大きなことを成し遂げることが出来るだろうなあと妄想する。今や猛烈に何かをしたいと思っても気力、体力ともに昔に比べると劣って(落ち着いて)しまった自分にとって「猛」はある意味うらやましい響きだ。とはいえ、これ以上の猛暑はお断り、生徒たちが「猛勉強」するのは大歓迎!

2017/07/17 02:39

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「幽霊」とは

猛暑日が続いている北海道。あれ?北海道って冷帯だよね~?日本で一番寒い地域じゃなかったけ?なぜ日本で一番暑い日が続くわけ?と思いながら過ごしている。さて、暑い夏にはやはり「怪談」「幽霊」話がつきもの!?先日、面白い文章をみつけたのでここで紹介する。【「幽霊」という言葉は、多くの方がご存知だともいます。(中略)まず、長い髪がなびいているのは、過ぎた過去に執着していることを意味し、だらんとした手を下にぶらさげているのは、未だ来るか来ないかわからない未来に余計な心配をし、取り越し苦労していることを意味ししています。そして、足がなく宙に浮いているのは、現実に目を向けず、「今」という時間を大切に生きていないことを意味しているのです。このような三つの特徴を持つものを「幽霊」と呼ぶのです。】(訳せない日本語 2017.4.30初版 P135より抜粋)なるほど、「今」を生きておらず地に足がついていない状態≒幽霊≒怖いのだ。確かに・・・・。ではどうすればよいか?地に足をつける≒ひとつひとつ目の前のことをこなす→今を生きることにつながる→怖さがなくなる・・・。試験が近くなると不安になるのは100人いたら100人に当てはまるが、その不安を軽減するには目の前のできることをとにかくコツコツやるしかないんだなあ、これ以外には方法はどう考えても、長年模索したけれどないよなああああとつくづく思う。パッと効く特効薬のようなものがあればいいのだが、残念ながら不老長寿の秘薬がないのと同様にこちらも存在しない。逆にいうと何もしない状態が宙ぶらりんで一番怖い!暑さを吹き飛ばすためには怖さは有効?だろうけれど不安や怖さが大きくなりすぎるとメンタルをやられてしまう。とにもかくも足を地につけることを意識して今日からもひたすら精進。

2017/07/16 15:39

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題名が先か?

去年に続き、今年も新聞コンクールに応募しようと大張り切りの6年生女子2名。前回は2人で協力して新聞を仕上げて北海道のコンクールに初出品したところ見事入賞し、今年も同じように2人で共同で書き上げる予定だ。前回はかなりの応募数の中からの入賞で、当然今年も入賞、できることならば去年よりも上の賞を取ってほしいと心の中で呟きながら応援している大人たち。保護者の方から「新聞のタイトル、題名などを先に決めてから記事を書いた方がいいですか?」と聞かれ「結論を言うと子供たち2人で記事を書いた後に題名を決めた方がいいのでは?」と答えた。基本的に題名が先でも記事が先でもいいと思うし人によって違うだろうが、今回は先に題名を決めることによって制約がかかりそうだったので、後の方がいいと答えた。というのも今は彼女たちは自分たちで某分野の専門家に沢山インタビューを終えている段階、これからインタビュー時のことを思い出しながら一番伝えたいことや印象に残ったことをまとめる作業に入っていく。ある意味先に「題名(タイトル)」という制約を設けることによってピックアップするほうが楽といえば楽だが、そうすると折角の彼女たちの自由な発想や感想が封印されてしまうと思うのだ。また、題名(タイトル)は内容をきちんと表しつつもインパクトがあることが必要→要熟考なので、時間が許すならば急いで決める必要はないと思う。ちなみに自分自身がブログを書く時は「題名(タイトル)」を書いてから記事を書く時もあるが、大半はブログを書いてから「題名(タイトル)」を決めている。そういえば最近の新聞記事で「おおっ」と思ったタイトルは十勝毎日新聞に掲載された「うん、このドリルはいいね」だ。うんこ漢字ドリルが本屋さんですごい勢いで売れているという記事についたタイトル。「うん、この」≒「うん(賛成)、このドリル・・・」「うんこ」と二通りにかけており、さすがだとうなった。

2017/07/15 13:18

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大切な3点

最近、添削の仕事が相次いでおり、それらの仕事を通じて気づいたことを紹介する。文章上達の秘訣は次の3点、①第三者に読んでもらい、添削してもらう。②自分自身の中で結論が出ていない、出ないテーマで意見文を書く時は書き方を工夫する③②とは逆にAかBかについて論じるときは自分の立場をはっきりとさせて、首尾一貫する。①に関して言うと、主語と述語、表現がおかしいところをチェックしてもらえるというのが一番の理由。先日、某生徒が「先生の背中を走るのが好きでした」と書いており、思わず「あの・・・亀の親子じゃないんだから(笑)。どうやったら先生の背中を走れるわけ?踏みつけるの?怖すぎ~」と突っ込み、生徒と二人で大笑い。本人としては「先生の背中を見ながら、走ることがが好き」と言いたかったらしい。②は「なぜ生きる?」「なぜ勉強する?」「なぜ自殺はだめか?」といったようにテーマが大きすぎて、自分の意見があまりまとまっていないという場合。自分自身で分かっていないからこそ、そのモヤモヤ感を意見文として書きたいという気持ちがある場合は「問題提起型」で書くことを勧めている。「○○〇に対して皆さんは疑問に感じたことはありませんか?僕(私)は・・・で、はっきりとした答えが出ません。出ないからこそ自分なりに考えてみます。結論は、答えはやはり出ないけれど、だからこそ○○〇をやめるのではなく、頑張って続けます。自分から逃げたくないので。」といった感じか。③は簡単そうだが、意外と書いているうちになぜか結論が違ってるというパターンが多い。例えば本人は「AとBではAがいいと思います。なぜなら・・・(↼ここまでは順調)。ところが、「確かにBにもこんないいところがあります・・・。だから結局はAもBも両方それぞれいいです。」と終わるという事例が多い。①に関しては適任者が見つからないこともあるだろうが、②③に関しては自分で今から意識することによって大幅改善可能。ファイト!

2017/07/14 11:49

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「絵本」の感想文

「絵本」と聞くとどんなイメージが浮かぶだろうか?子供が読むもの?!と思っているならばもったいない。絵本は奥が深く、意外な発見があったりするので最近は大人も楽しめるものとして認知されつつある。とはいえ、高学年以上の学年になったときに読書感想文の題材として絵本を選ぶ場合は書き方に工夫を凝らした方がいいだろう。なぜなら、短い文章+絵を深く掘り下げてテーマを見つけていかないことには「楽だから絵本を読んだ?」と思われる可能性があるからだ。では、具体的にはどんな風な視点で感想文のテーマを見つけるか?①幼いころ読んだ時の感覚と、現在、再読した時の感覚を比べて、自分なりの成長ぶりを書く。②絵や色に込められたメッセージを読み込んで感想文に盛り込む。この二点を意識するととっても奥が深い作品になる。とはいえ②に関しては「絵や色」そのものがメッセージになっているものを探すか、偶然に(?)気づいたらラッキー!という要素がかなり影響する。さて、小学6年生の生徒が挑戦してみようと持参した絵本がまさに②の要素を含む絵本であった。外表紙は水色一色で、ページをめくっていくと水色一色から始まり、赤一色になったり、黒と白の二色使いになったり・・・・。「色」によって場面の状況を表すべくして「短い文章」+「シンプルな絵」という構成。ちなみに内容のテーマ自体は普遍的なものなので本来ならば自分が見たり聞いたりした体験と絡めて書く方向性もあったのだが、それではインパクトが弱い・・・ということで「色」が表す意味を絡めて書くよう指導した。テーマが普遍的なもの(例えば、命は大切、差別はダメなどといった内容)は書きやすい反面、オリジナリティーに欠けやすいのでそれを補うべくして先に挙げた二点を意識して工夫するとよいだろう。

2017/07/13 01:53

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「完璧に」は不可能

先日、本屋さんにふらりと立ち寄ったところ時節柄「読書感想文の書き方」といった本が所狭しと並んでいた。目次をさーっと見たところ、なるほど大切なコツのオンパレードでさほど目新しい内容はなく、どの本も似たり寄ったりであった。それを見ながらにふと「まるでこれって風水みたい・・・」と笑ってしまった。例えば運気アップ!と張り切って風水の本を買ってきて実行しようとするが当然完璧に風水を実行できる人はほとんどいない。新しい土地に自分たちで設計して家を建てるという場合ならいざ知らず(それでも土地自体に何らかの合わない条件というのが出てくるだろう)、建売やマンションの場合、また家族構成などなどから完璧に「よい」とされる風水を守ることは不可能に近い。決して風水の考え方を否定しているわけではなく「良い」とされることを実行しようという心がけそのものはよいと思っている。例えば有名な風水としては「トイレ掃除をすると金運アップ」「玄関はきれいに」などなどは実行すること自体が気持ちが良い。話を戻すと、読書感想文のコツといったものをすべて実行しようとすることは不可能に近く、あまりにも意識しすぎると逆にちぐはぐな文章になってしまう。何が言いたいか?いわゆる「決まり事」も大切だが、そこにこだわりすぎず実行できそうな部分をいくつかピックアップする。そして結局は基本的なこと「本のテーマ、それらから感じたこと」という軸をしっかりと持ち、可能ならば第三者(できれば大人)に読んでもらって冷静な意見やアドヴァイスをもらうことだろう。

2017/07/12 03:00

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エアーキャップをぷちぷち

仕事、勉強ともにやるべきことや苦手箇所が多い場合どこから手をつけていいか分からなくなる・・・のは誰もが経験済みだろう。結局は一つ一つこなしていくほかはないのだが、そんな場合「ハ~ッ、しらみつぶしに一つ一つやっていくのかあああ・・・・」といつもいつもモードが下がり、表情は苦虫を嚙み潰したような状態になることが今も昔もよくあるパターンの自分自身だ。そんな中、同業者の先生がエアーキャップの画像付きでブログを書いてらっしゃり、それを見て「おおっ、そうかああ」と感心した。ブログの内容自体とっても深く、考えさせられることが多いのだが、まずは画像に目が釘付けになり足踏みしてしまった。「しらみつぶし」というとどうしても語源となった「虱(しらみ)」という好ましくない小さな小さな虫を思い起こすが、同じ作業に対して「エアーキャップをつぶす」と言い換えるとテンションが上がると思ったから。しかもエアーキャップを一つずつつぶしていくと、楽しくてやめられなくなる。実は勉強も全く同じで、やっていくうちに理解できると面白くなるのが本来あるべき状態で、そもそもそれらを「しらみつぶし」に苦手な箇所を勉強する・・・と表現してなんとなくしっくりきていなかったことに気づいたのだ。というわけで今後は自分の中では、時と場合に応じて「しらみつぶし」を「エアーキャップをつぶす」と置き換えることにしようと心に決め、改めて言葉の持つパワーといったものを感じる。今日の夕方は、苦虫を噛み潰したくなるようなことが待ち受けているのだが、苦虫ではなくエアーキャップをつぶすようイメージして乗り切ろうっと。ちなみに先に紹介した先生は「ひさぺー」というハンドルネームでブログを書いてらっしゃる。ぜひ検索してみることをお勧めする。

2017/07/11 03:13

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