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小さな国語塾のつぶやき

「夏の思い出」

「夏の思い出」という作文を原稿用紙1枚程度書いて、それを19日(土)の道新花火大会時のラジオ中継時に読み上げてくれる子供たちを紹介してほしい・・・という依頼の電話が昨日の夜に入った。むろん、電話を下さったのは「やるなら今だよ国語の時間」のコーナー担当のM様。正直言って明るくて素敵なM様の声を聴いただけでテンションが上がる(笑)。3名ほどとのことで速攻で小学生の生徒たちに連絡し、すぐに2名は快諾頂き1名は本人がすでに夢の中・・・のため朝にお返事を頂けることになった。この企画に参加すること自体が「夏の思い出」になるだろうなあと思いながらこのブログを書いている。スケジュールが合わない、人前で作文を紹介するのは恥ずかしいなどなど諸所の事情が重なるかもしれないけれど、もしも条件が許すならばこれは本当にチャンスだろう。ラジオに出演、しかもいわゆる「良いこと(上手な作文を読む☜出演してくれる子たちにはもちろん添削する予定)」で目立つことは本人の自信につながる、親戚中に対しても「ラジオを聴く」という楽しみを提供できる・・・まさにこういう機会ってゾロ目がそろわない限りめったにないと思うから。とか何とか言いながら一番楽しんでいるのはこのブログを書いている本人かもしれない。塾という仕事柄、冬はのんきに「思い出・・・」と言っている余裕は全くないけれど意外と「夏」は多くの思い出ができる頃。去年の今頃のことも本当に懐かしい楽しい(生徒にとっては苦難の)思い出が盛りだくさん。今年も既に何人かを呼び出し・監禁(読書感想文、意見文、作文仕上げ)し生徒それぞれの個性や良さを発見するというチャンスに恵まれ、さらには今年は生徒たち何人かの「晴れ舞台?!」に立ち会えるというチャンスに恵まる予定でワクワクしている。そういえば自分自身のラジオレギュラー出演のお話を頂いたのもちょうど去年の夏(7月・・・)。北海道の短い夏をまだまだ思う存分楽しもうと思う今日この頃。※「楽しむ」≒生徒をいじめるというわけだが・・・・(苦笑)。

2017/08/09 00:08

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「怒り」の奥底には・・・

「怒り」と一言でいっても実はここにはいろんな感情が混じっていたり、心理学においては複数の定義があるだろう(この辺りは詳しくないので省略)。例えば、友人に貸したお金を返すように要求したとしても、無視された…という場合だと純粋に「怒り」の比率が高いだろう。でも大好きな人に裏切られたら当然のごとく「怒り」の感情がわいてくると同時に「悲しみ」もあるかもしれない。さて、そんなことに気付いてそれを読書感想文に組み入れたのは中学生男子Y君。Y君はとってもまっすぐで几帳面で、感性が豊かなタイプ。彼が読書感想文に書くべき題材として選んだ小説は舞台が中学校のいわゆる青春小説。一番印象が強かった場面を挙げてもらったところ、次のような内容。「主人公がお気に入り入りの若い女性教諭は『先生』という仕事を長く続けると宣言していたにもかかわらず、恋人の海外転勤についていくことになったため、近々結婚し仕事を辞めることになった。けれど主人公には言いづらくて黙っていたのだが・・・」当然というべきかそれらを知った主人公は烈火のごとく怒り先生に食って掛かる場面。この場面を読んだ時に思わず自分は「主人公の気持ちも分かるけれど、先生だって事情があるんだよ。それを一方的に怒って感情的になってくってかかるってなんなのよ~~~」と思わずツッコミを入れたくなったのだが、Y君は違う。「主人公の気持ちがよく分かる。なぜなら二重に先生に裏切られて・・・。」と書き始めた。ウンウンさすが中学生!と思いながら、意地悪な質問をY君に投げかけてみたところポツリと一言「怒りの奥底には悲しみがあった・・・」と。オオッ!さすがY君!感性が素晴らしい~~~「忘れないうちにそれを書いて!」と書かせた。単に「○○の場面が面白かった、楽しかった。」ではなく中学生ともなるとさらにそこから深く掘り下げてみると新しい発見があり感性が豊かになるだろう。単なる「感想」を卒業し「感想」≒「主人公の本当に気持ちを理解」につながる。下書きがほぼ完成、あとは清書を残すのみのY君!頑張れ~!

2017/08/08 15:50

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「足る」「足が出る」

「足るを知る者は富む(たるをしるものはとむ)」【意味】満足することを知っている者は、たとえ貧しくとも精神的には豊かで幸福であるということ。【注釈】人間の欲望にはきりがないが、欲深くならずに分相応のところで満足することができる者は心が富んで豊かであるということ。『老子』に「足るを知る者は富み、強めて行う者は志有り(満足することを知っている者は富者であり、努力している者は志ある者であると言える)」とあるのに基づく。(故事ことわざ辞典より)。深い・・・。本当に人間の欲望はきりがなく、また一度いい思いをするとなかなか下には下がれず、常に良い状態でいられるに越したことはないがそうではなくなった時が怖い。だからというわけではないが、あれば便利だけどなくても困らないというものには自分は手を出さない(例えば車のナビなど。。。職業柄あちこちに車で移動するならば間違いなく必要だけれど今の職業や生活においては必要性が少ない)。そういえば「足が出る」という慣用句がある。これは計画していた予算がオーバーしてしまった時に使う表現、つまり「足りない」「不足」という意味。この「足が出る」は老子の言葉と関係があるのかと思いきや、「足が出る」の語源は「お金」。「お金」は世の中を駆け回るという意味から「お足」と呼ばれる事もあり、「足が出る」というのはこの「お足」という言葉からきているという説がある。別の説としては、着物を作る時に生地や仕立てがきちんと計画的に行われておらず仕上がったら寸足らずで足が出たという事から、予算内ではちゃんとしたものを作る事ができないという意味で使われる事もあるらしい。どちらにしてもきちんと「足」を意識しておかないと気づいたら「足るを知らない」「足が出る」・・・・「不足」の事態に陥ってしまうもの、しっかりを足を意識しようっと!自戒を込めて。

 

2017/08/07 15:56

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「名作」に思うこと

読書感想文の時期になると「名作を読ませるべきですか?」「名作を読ませたいんです」と言われることが多い。でも、頻繁にブログで書いているように「むろん名作を読むことはとってもいい経験にはなりますが、それよりも本人が読書感想文として書きやすい、読みやすい本にしてください」と伝えている。大人たちの気持ちはよく分かるけれど・・・「では、あなたはあらゆる名作に共感できますか?好きですか?」と聞きたい気分。自分自身に関して言うと、たいして好きでもないのに背伸びしようと頑張った時期があったり一応知識として入れておこうと張り切ったこともある。その結果分かったことがある。それは自分は海外文学が苦手だということ。生粋の日本人気質の自分には理解しづらい点が多くあまり共感できないからだ。正直に言うと世界三大ファンタジー小説といわれる「指輪物語」「ナルニア国物語」「ゲド戦記」、頑張って読んだけれど途中から苦痛だった。これ以外も外国の名作と言われ超ロングセラーになっている作品の数々に対して「・・・」状態。日本の古典は(むろん現代語訳バージョン)すっと頭に入ってくるしどんどん読み進めたいという意欲があるのだけれど。でもだからと言ってそんな自分がダメかというと全くもってそんなことは思っていない。それぞれ好みがあるのは当然であって、名作を読む、さらにはそれらを理解しなければ豊かな人生を歩めないということには決してならないから。例えば、夏の代表的な野菜であるトマト。リコピンたっぷりで抗酸化作用、血糖値を下げる、ダイエット効果があるというなんとも優秀な野菜!たまたま自分自身はトマトは大好物だけど、むろん「トマトは苦手」というタイプも世の中には多く存在する。トマトが苦手なタイプの人はわざわざ無理してトマトを食べる必要はなく、それ以外の優秀な野菜から栄養を採ればいいだけの話でトマトを食べない≒不健康という図式は成り立たない。とはいえ、読書や野菜というものを完全になくすと間違いなく、豊かな人生や健康を手に入れることは不可能に近いだろう。というわけで適度に頭と体に栄養を採るよう心掛けていきたいもの。

2017/08/06 04:17

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本選びは慎重に

連日、「読書感想文」「人権作文」(意見文は無事に全員終了)を書くべくして通塾、居残りしている中学生たち。「先生!明日も来ていいですか?」「書けるまで居残りしていいですか?」とやる気満々で本当に素晴らしいのだが、問題点が一つ・・・。彼らの何人かが「まだ本を読み終えていない」!!!というゆゆしき事態が!え???とこちらも絶句なのだが、とりあえず「書き方」の工夫に始まり今までに読んだ箇所で印象に残った場面をピックアップするよう伝えている。そもそもなぜ「まだ読み終えていないか?」→「興味のない本を選んでいるから」。彼らなりに必死で本を選んだつもりなのだが、それがミスチョイス。一人は図書館の中の課題図書コーナーに行き過去の課題図書をチョイス、もう一人は親にお勧めの本を準備してもらったのだが二人に共通するのが「名作を選んでいるけれど自分にとっては全く興味がない」ということ。だから読んでも面白くもなければ感動もないわけで、「先生、本を変えてもいいですか?」というセリフすら出てくる。むろん「もちろん!本を変えてもいいよ」と言ったのだが結局、初志貫徹することにしたらしい。自分で選ぶときは「課題図書」「名作」ではなく「読んでもいいかな」と思える内容、「興味のある分野」「書きいやすそうな本」を意識してほしい。そして親が子供に選んであげる時も「自分にとって面白い本」ではなく、子供にとって「興味をもてるかも?」「面白いか」で選んでほしい。このことをきちんと意識しで子供に本を選んだ保護者が一名いらっしゃる。おかげで、子供は何日もに分けて読書感想文の下書きをし、それをいざ清書する時になってまた新たに「そういえば○○だよね」という鋭い意見を出し、下書きにはなかった内容だけど清書に付け足した。それが評価につながるかどうかは別として個人的には「おおっ、また新しい発見があった!素晴らしい!」と感じると同時に感想文そのものも良い出来だと思って見ている。くれぐれも本選びは慎重に。

2017/08/05 16:02

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作文≒意見文、読書感想文

某中学校の夏休みの課題は①意見文②読書感想文③人権作文、税金作文・・・となんと3本も文章を書かなくてはならない!そんなわけで連日居残りしながら頑張っている生徒たち。一応それぞれの特徴や書き方を資料で配り、黒板で説明し、さらには個別で文章の構成を一緒に考えて頑張っており、頑張っているからこそ「あれ?意見文のつもりが作文になっちゃった。作文と意見文ってどう違うの?」という疑問があちこちから聞こえてくる。結論を言うと読んで字のごとく作文≒文章を作る≒意見文、読書感想文、つまりそれぞれが完全に独立しているわけではなく共通部分がある。図でたとえるならば色の三原色のイメージ!と伝えた。つまり、それぞれの文章に特徴があるけれど重なり(共通部分)が存在する。別のたとえで言うならば人間(作文)≒男(意見文)、女(読書感想文)といった感じか。この説明が絶対とは思っていないし別の専門家にとっては別の見解があるかもしれないが、とりあえず生徒たちが混乱して「書けない~~~」とならないように必死で対応中。要するに、自分の書きたいことを文章で表しつつ絶対外せない文章の特徴を入れることを指導している。先の「あれ?意見文のつもりが作文になってしまった・・・」と言った生徒の作品は①きちんと自分の意見が書かれている②想定されるであろう反論、さらには反論の反論がある③意見に対しての根拠が組み込まれている、以上3点をきちんと満たしているので立派な意見文だと説明した。ちなみに自分の意見の根拠+具体例として自分の体験話を長々と書いたため生徒は「あれ?作文?これではいけない?」と思ったようだ。テーマによりけりだが、自分の体験談を入れすぎると読書感想文や意見文からかけ離れてしまうこともあるのでバランスには注意が必要。

 

2017/08/04 02:45

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必ず見直そう

最近の息抜きは、直木賞作家である朝井リョウ氏のエッセイ1本ずつ読むこと。その名もずばり「風と共にゆとりぬ」(2017.6.17初版)。マーガレット・ミッチェルの「風と共に去りぬ」をもじっているわけだが、かの有名な終わりのセリフ「明日は明日の風が吹く。(意味)先のことを案じても始まらないので、成り行きに任せて生きるのがよいということ」も意識しているのだろう。朝井氏本人の自虐的な失敗談や日常生活を面白おかしく書いている。その中に、朝井氏がサラリーマンと作家の二束わらじをやめて専業作家になるべくして退職を決めた時のエピソードがある。退職する日に社内一斉メールで「右も左も分からない僕を支えてくれて・・・」と書くべきところを「右も左も分かる・・・」と書いてしまったそうだ。一斉送信した後に気付いたけれど後の祭り、各部署にあいさつ回りをしたときに周囲からニヤニヤされたとか。現役のプロの作家でさえも「誤字・脱字」の状態でメール送信してしまうことがあるんだなあと少し安心しつつ、誤字・脱字だらけの自分を慰めている・・・ではなく反省している(ブログ上で誤字や脱字を後日に気付くとすぐに訂正している)。さて、昨日の午後10時半ごろに元教え子からメール、そこには「先生は12000文字の読者感想文を書けますか?」とある。思わず「怖すぎメール…笑」というタイトルで「12000字ではなく1200字(原稿用紙3枚)の間違いでは?さらには読者感想文ではなく読書感想文だよね?こんなに誤字脱字が多かったら呼びつけて補習するよ~~~!」と脅かしたところ、日付が変わった午前1時30分ごろに「誤字ではありません。本当に12000字です。過去の読書感想文の最高記録が原稿用紙29枚だそうなので、それを超えることが出来たら面白いなあと思いました。」とのこと。ヒエーッ!12000文字、原稿用紙30枚なんて言うとまさに作家の世界!さすがに無理無理~と思いつつ、もしもやる気があるならば協力は惜しまないという内容で返信した。誤字脱字と疑って申し訳なかった!しかも、彼は昨日は国語の定期試験、今日は化学の試験があるため「夜分に申し訳ありません。たった今まで勉強していました。」とのこと。勝手に人様を疑ってしまった自分を反省しつつ、自分が書いた文章や文字にはきちんと責任を持つべくしてきちんとチェックを怠らないようにしようと思った出来事であった。必ず内容、宛先などなどは見直ししよう!

2017/08/03 03:09

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質が悪い

「質(たち)が悪い」(物事の性質がよくないことを表す表現)という言葉がある。今までは何も考えずに「質が悪い」を「たちがわるい」と読んでいたけれど、なぜ「質」を「たち」と言うのだろう?とふと疑問に思ったので調べてみた。すると次のような事実が。「たち」は元々から日本にあったいわゆる「やまと言葉」なのだそうで、「人や物の性質、傾向」の意味を表している。後に中国から意味の似ている「質」の漢字が入ってきたというのがその流れだとか・・・。ちなみにこの「質が悪い」という言葉は最近の自分自身に当てはまるような当てはまらないような?!ちょっとした出来心から結果としてある方を混乱させてしまうことになり。。。。少々(いや、かなり)反省中。幸い、相手の方は思っていた通りのとってもとっても心の広い方で結果オーライ( ^ω^)。さて、冗談抜きで「質が悪~」と思うのは人のブログやメルマガをそっくそのまま完全にコピペしてまるで自分が書いた記事のように書いている人がいること。見たことがあるなあ~と思って調べると案の定、某人のメルマガをそっくりそのままコピペ。さらには複数の人のメルマガなどなどをコピペ・・・一言でいいから「○○先生によると・・・」と書けばいいのにと思ってしまう。たった一言を書かないことに対して人間性を疑ってしまう、と同時にそれでも教育者?と軽蔑したくなる。とはいえ、その方に別にケンカを売るつもりはなく「人のふり見てわがふり直せ」と思いコピペ専門の方のブログからは当然のごとく自分自身は読者登録を外している。さて、国語に話を戻すと「夏休み」と言えば「読書感想文」「意見文」「作文」で皆が苦しむ時期。ネットや人の文章を参考にするのは構わないけれど決して全文丸写しはしないように!あくまで参考にし、一部変える、自分の意見を入れるなどの工夫をすること!

2017/08/01 21:49

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見本は必要?!(イエス)

先日の高校での先生方対象の研修会、本当に楽しく(少なくとも自分は…笑)今だに余韻に浸っている。というわけで今日の記事も研修会時に先生から出された質問について書いてみる。若くていかにも熱意がある!という雰囲気の男性教諭からこんな質問があった。「小論文を生徒に書かせるときに、もちろん最初に書き方などを説明します。が、さらにプラスアルファとして小論文の見本を配った方がいいですか?」と。個人的意見として聞いてほしいと、前置きをして「はい、配った方がいいです。実際、国語塾でもプロが書いた見本の文章を複数、生徒に配ります。さらには目の前の問題集や教科書を開かせて具体的に文章の型を説明したり実感させたりしています。やはり見本を見ることによって先の説明を実感できるからです。」と答えた。見本がなくてもサラサラ書ける子もいるだろうけれど、果たして内容は?となる。ネタに困らずに上手に書けるタイプにとっても見本の文章の存在はありがたいもの。また、全く書けなくてどうしていいか分からないという生徒にとっては見本は必需品となる。理由は①見本を見ることによって先生が説明して下さったであろう内容を実感できる②真似しながらでもいいので書く練習ができる。③後日に何度でも「正しい文章」を見直しができる、この3点が大きな理由。自分自身が小論文授業を高校時に受けたときは残念ながら見本はなかったけれど、大学の卒論を書く段階ではゼミの教授ご自身の卒論をお借りして文章構成など参考にさせていただいた(一言でいうと真似をした)。おかげで本当に楽に?進めることができ、あの見本がなかったとしたら一体どうやって何十ページの論文をまとめることができようか?と言いたい。資料を準備するには膨大な手間暇がかかるけれど(まずは見本となる文章を探す、それらを生徒分コピーする)手間暇以上の価値があると信じている。ちなみに今日の授業で使うべき見本の文章はすでに準備済み!

2017/08/01 01:41

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君子危うきに近寄らず

「君子危うきに近よらず」(くんしあやうきにちかよらず)という慣用句がある。【意味】「君子」は見識や教養、徳のある人格者。君子は自分の身を慎み、不用意に危険なことに近寄ろうとしないということ。さて、これは文章を書く時にも当てはまる。結論を言うと、結果を表す接続語「だから」の代わりに最近は話し言葉の「なので」を使う人が多くなっており・・・「なので」は書き言葉としてもほとんど市民権を得ているため間違いとは言い切れない。それでも「なので」に関して違和感を持つ人間が多いのも事実。先日、高校教諭に「なので」は使っていいのかと質問を受けた。「先生はどう思われますか?どうお感じになりますか?」と聞き返したところ「私はこれは話し言葉だと思っており、あまり使わない方がいいと思います。」とのこと。この先生のご意見には自分自身も全くの同感で、生徒には「間違いではないけれど、文章を読む人間というのはちょうど君たちの親世代かそれより上の可能性が高いよ。となると・・・・答えは出るよね。わざわざ減点される、心証を悪くするかもしれないというリスクは取らない方がいいよ。」と伝えている。これもまた、先日の高校での研修会でもお伝えしたことだが「理由は~からです。」については厳密にいうと間違い。「理由は~」は主語なので正しくは「です。だ。」で終わるべきなのだ。となると志望動機などをどんな風に書くか?単純に「~からです。」「~だから志望しました。」とした方がベターだろう。細かいことを言い出すときりがないし、うっかり轍を踏むのが人間の性だが前もって避けるための工夫をすることが大切だろう。と、偉そうなことばかり書いている自分は気が付くと危うきに近づいている・・・。うーん、これはもはや修正不可能の習性か?それとも修正可の習性?

2017/07/31 02:14

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