めむろ国語専門塾
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小さな国語塾のつぶやき
月に一度の楽しみ
月に一度の楽しみと言えば・・・「ラジオ生出演」!昨日も本当に本当に楽しく、今もまだ余韻に浸っている状態で、ただただ担当者M様には感謝の気持ちしかない。さて、昨日のテーマは「読書」!北海道はすっかり秋、秋と言えば「読書の秋」ということでお互いにお勧め本などを何冊か紹介しつつ番組は進行。M様がお勧めしたのは「ふしぎな110番」(彩図社)、「今日から歌がうまくなる!広瀬香美 歌い方教室」(ディスカヴァー・トゥエンティワン)の2冊。こちらが紹介した本は「日本文学のススメ」(学研)、「職業は忍者」(新評論)。それぞれ1冊目はまさに「事実は小説より奇なり」を地でいくようなエピソード満載の本。思わず「警察の皆さまお疲れ様です、有難うございます!」と言いたくなる一冊だったり、「え?文豪って実はこんなお茶目な(?)一面を持っていたの?」という新発見が出来る内容になっている。それぞれの2冊目は実際にその職業に就く、あるいは技能を磨くばかりではなく日常生活において参考になる「生き方」「考え方」「行動」について分かりやすく書かれている。打ち合わせ時では小説やエッセイについても話題に上ったのだけど時間制限があることや様々な年齢が聴いてるであろうラジオでは無難な?先の4冊の紹介となった。自分自身は読書が大好きだけれど、どうしても好きな作家やジャンルに偏ってしまいがち、また歌うことが苦手・嫌いの自分には人様から紹介されない限り絶対に「歌い方」の本を手に取ることはないだろう。でもたまたまラジオ出演ということをきっかけに新しいジャンルの本も読んでみようという気持ちになり(実際、先月お勧めしていただいた本をすぐに読んだので昨日感想を言い合い盛り上がった。)ますます読書熱がヒートアップしそうな予感。ところで、来月は10月…本州だと運動会シーズンという場合もあるだろうけれど北海道は5月末~6月に運動会を終えている、学祭等は9月という状態で・・・。結論を言うと来月のネタを何にしようかとお互いに検討中。国語ネタで「ぜひこのテーマを」というのがあればコメント、メッセージ欄でぜひご一報いただけたら幸いである。
2017/09/28 15:57
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尊敬する人
皆は尊敬する人はいるだろうか?先日、ブロ友でもあり同じく塾を経営されている方が「尊敬する」についてブログを書いてらっしゃり思わず考え込んだ。自分自身にとっての尊敬する人は「自分の父親」と声を大にして言うだろう。若かりし頃は目の前の先輩(単なるあこがれ?)だったり、上司だったり・・・だが、この年になって振り返ってみると「自分の父親」以外には考えられない。父はとにかくまっすぐな人で曲がったことが大嫌い。「言い訳」や「約束をやぶる」ことを最も嫌う人!!自分自身、少なからず影響を受けており、そのように育ててくれたことには本当に感謝している。例えば「できなかった言い訳」をすることはとっても簡単、逆に「言い訳」をしないことは本当に難しく、だからこそ自分の中で「言い訳をしない」で済むように・・・と思うと頑張れる。むろん頑張りすぎたり、度が過ぎるのは絶対によくない。だからこそ、自営業である自分にとってある意味「言い訳」をしなくても済むように体調管理などなどあらゆる面に気を配るという習慣が出来ている(と言いながらこのブログを書いているのは一体何時?とツッコミを入れたくなるけれど…笑)。さて、尊敬する理由としては大まかに①家族のためにどんなに辛いことがあっても歯を食いしばって42年間一つの仕事をやり遂げた(👈コロコロと仕事を変えてきた自分には父は神様のよう…笑)。②努力している姿を絶対に人に見せない(真夜中にこっそりと起きだして昇進試験への勉強をしていたことも)、偉そうにしない③余計なことは一切言わない・・・などなど上げるときりがないけれど、この3点は本当に素晴らしいと思う。そんな父なので、時々ぽそっと発言する言葉が身に染みる。実は「父の一言」でスイッチが入り突然に目覚めて頑張ったというエピソードは自分の中では数えきれない。父にそのことについて感謝の意を伝えると「え?そんなきついことを言ってしまった?!申し訳ない。苦労をさせた。」となぜか謝られてしまうのだけれど。まあ、先日書いたように「感謝」と「謝罪」はともに心の重荷を下ろすという点で共通しているので良しとしよう。若い人はこれからどんどん広い世界に飛び出し、多くの出会いを経験する。そんな中、一人でも二人でも尊敬できる人を見つけることが出来るといいなああと思う。たまたま自分にとっては「尊敬する人=父」だけれど、今後の出会いで順位が変わるかも?!それはそれで楽しみだ。
2017/09/27 03:14
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注意を惹きつけるには
「大切なことは、カリスマ的なリーダーになるほど、言葉を超えたメッセージを発する力が重要だということです。トランプは身振り手振りが大きく派手ですが、あれは力強さを演出する基本的なスタイル。加えて、彼は言葉の<ため>がとてもうまい。スピーチは<ため>を覚えるだけで、相当上達します。普通の人は、正しいと思っていることをだらだらと話す。」・・・これは内閣官房参与も務め、ダボス会議で数多くの世界の指導者と接してきた田坂広志さんの言葉。成程なあ~と興味深くこの文章を読んだ。公演会等を聞きに行く際に、話の内容はもちろんのこと、その方のプレゼン力、魅力というものを観察することが多い自分自身。確かに魅力的な話し方と言うのは究極は「言葉を超えたメッセージ」に行つく。だからこそ、舞台俳優たちは厚塗りの化粧(遠くの観客にも見えるように)をし、大げさな動き、でも無駄がない仕草で演じる。まずは注目、人の意識を集めないことには主張は伝わらない。そういえば知人も講演会に呼ばれていく時は、サラリーマン風ではなく派手目の格好で行くそうだ。さて、話す場合のみならず見る場合もやはり「第一印象」「インパクト」が大切だと常日頃思っており、資料を自作する時はどんな風なレイアウト、内容にすれば一番理解しやすいか?文字が多すぎる、いわゆる参考書と同じならば意味はないし…と常に考えている。昨日、ようやくようやく「修飾語」と「品詞」についての資料が出来上がりほっとしている(長い前置きで、実はこれを言いたかった?!笑)。ずーっと必死で毎日毎日暇さえあれば考えていた会心の作(?!)。とはいえ、以前にも書いたように必死で作った資料が自己満足で終わってしまうこともあり、逆にササッと作った資料の方が受けることもある。でも、仮に生徒に受けなくても、なぜ受けなかったか?を分析し次の資料の工夫へとつなげることが出来るので良しとしよう。
2017/09/26 00:07
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頑張っている?!高校生
昨日、実姉から「おかげで○○(姪の名前)の読書感想文が入賞しました!○○は一文字も書いていないけれど。。。例年、少しだけ先生に添削されるのだけど今年は全く直されていなかったよ~。当然だよね。」というメールが。以前からこのブログを読んでくださっている方々はもしかすると記憶にあるかもしれない。姪(高校2年生)はとても文章が上手で毎年自力で読書感想文や作文を書いて入賞し、小学生時代には全国の新聞社主催のエッセイコンクールに入賞するぐらいの腕前なのだけれど、今年は忙しさにかまけて夏休みの読感想文という宿題を放置。思い余った姉が怒りに任せて代わりに書き、それを添削して欲しいという要請があったのだ。料金までもらってしまったのでなんとしても完璧な文章にしなくては!と内容そのものは変えずに表現を工夫したり段落を入れ替えたり・・・とこちらも必死だった。それが入賞し、さらには一文字も添削されなかったとか・・・・それはある意味当然のことで、添削されたとしたら少々こちらのばつが悪かっただろう。まあ、それはそれで反省材料となっていいのかもしれないけれど。ふーっ。なぜ今年は忙しかったかは一応聞いており、まあ高校生活を楽しく頑張ってるんだなあと遠くからエールを送っている。少々複雑な気分だけど。ところで、3日ほど前には今年3月に卒業したS君から最高級に嬉しいメールが届いた。読書感想文のアドヴァイスをもらったおかげで(読書感想文にかける時間が少なくて済み)化学のテストで高得点を取りました!と具体的な素晴らしい点数を知らせてくれた!思わず「え?国語は?当然高得点とったよね??」と聞くと、実は国語のテストはなかったらしい。理系の学校なので化学、物理、数学のテストのみだったらしくすべて高得点をはじき出したS君。素晴らしい~~~(パチパチ)。あちこちで、大切な大切な思い入れのある高校生たちが頑張っているのは本当に本当に嬉しいもの。これで今週も頑張れる~!とニヤニヤしている。
2017/09/25 02:14
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時代背景を理解しよう
前回は「名作」だからといって鵜呑みにする必要はないと書いたけれど、「こころ」は「名作」だということは間違いない。もしも「名作」ではないならば、こんなにも長く読み継がれることはないはず。さらに言うならば「理解できない」のが悪いのではなく、昔の「名作」を読むことによって、その作品が書かれた時代背景のことを知る、思いを馳せるということが大切なのだと思う。さらにさらに言うならば理解したうえでその時代の「傾向」なるものを覚えておく必要がある、受験をクリアするためには。典型的なのが漢文における漢詩。「黄鶴楼にて孟浩然を広陵に之くを送る」(李白)や「元二の安西に使ひするを送る」「臨高台 黎拾遺を送る」(王維)はすべて友人との別れを惜しむ気持ちが書かれている。でも現代の中高生がテーマについての4択では「友人との別れを惜しむ、悲しむ」と「友人の栄転を喜ぶ、期待する」でかなり迷ってしまう。大体が半々での正答率で、正解した生徒も「迷った・・・・」という。確かに友人の「栄転を喜ぶ」という気持ちもあっただろう。でも今とは時代が違う!飛行機、列車、バス、車といった交通手段が発達しているわけではない時代、しかも日本の何倍もの国土面積を誇る中国大陸。一度別れると二度と会えない可能性が高いのだ!そう考えると「別れを惜しむ、悲しむ」>「栄転を喜ぶ、期待する」という図式が成り立つことは理解できるだろう。というわけで時代背景を知った上で漢詩については「友人との別れを惜しむ」がテーマとなっている場合が多いと覚えておく必要がある。何事も時代とともに「正解」「基準」が変遷していくのはある意味仕方がない。文学に限らず、美人の基準が今と昔では大きく違い・・・お教室ではそのことが笑い話として持ち上がり・・・・挙句の果てには「先生!いつの時代だったら美人だったかなあ?」という有難い一言まで頂戴している今日この頃。
2017/09/24 03:42
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夏目漱石「こころ」
ある方から夏目漱石の「こころ」のテーマは一体何なのでしょう?高校生の娘が「暗い、暗すぎる」と申していますが・・・という意見を頂戴した。は高校生の教科書に今も昔も載っている定番中の定番「め・い・さ・く」だけれど・・・。果たしてこれを理解できる中高生って一体どれぐらいいるのだろうか?逆に「完璧に理解しました。この世界観、最高です!」などと言われようものなら人生半分を生きている自分ですらドン引きするに違いない。今も昔も自分はとんでもないキャラだと自覚があるので、きれいごとで「ハイ、あの作品は素晴らしいです!よく理解しましたね」とは口が裂けても言えない(そもそもこの段階で国語教師失格か?!)。とはいえ、ではあの作品のテーマは一体何なのか?専門家の間でも意見が分かれているようだが・・・。とりあえず万人にとって一番理解しやすい解説を見つけたので紹介する。【「女性の謎」とは「心」の問題です。しかも、『こころ』の「先生」は「思想」は「固有の経験」から生まれるものだと言います。ここには「人は誰でも一生に一篇は小説を書くことができる」という近代的な小説観の起源があります。すなわち、『こころ』によって、近代文学は「個人に固有の経験と内面」という無限のフロンティアを手にしたことになります。】(NHK解説委員HPより抜粋)正直言って、うまいこと言うなああとこの解説を見て思う。とはいえ、それでも中高生にとっては「こころ」≒「訳わからない」「暗い、暗すぎる」「意味不明」という感想は変わらないだろうし、そのような素直な(?)感想を持つタイプに対して自分は敬意を払う。さすがに試験の解答や感想文において本音炸裂で先のような感想書くことをはマズイし、そのあたりは「空気を読んでね」と言いたいけれど。専門家がAと言ったからA、名作と言われているから名作なんだ!と主体性を持たずに同意する姿勢の方が怖い、問題ありだと思う。今日のこの記事は批判覚悟で書いているが、「表現の自由」「思想の自由」は保証されている国に生まれてよかった~~!一応「公共の福祉」には反していないよね?と自分で自分に言い聞かせている(苦笑)。最後まで読んでくださり感謝。
2017/09/23 18:27
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卒業生T君
昨日、美容院に行くと店長が開口一番「T君から伝言を承ってます!T君が先日髪を切りに来れて、陰陽師先生に伝えて欲しいとのこと。先日のテストで国語が2番だったそうだよ。(後略)」。思わず店長とともに大喜びしたことは言うまでもない。本年度の初めに偶然にもT君と同じ美容院に行っていることが判明し、お互いに定期的に美容院には出入りすると分かっているために先のようなシチュエーションに。T君は昨年度のブログに何度も何度も登場した(時には某生徒と記名)印象深い、数々のエピソードを残したナイスガイ。今年3月に卒業し、どうしているかなああ、頑張っているだろうなあ。彼ならば油断せずにきちんと勉強しているだろうなあと思っていた矢先だったので本当の本当に嬉しい。と同時に「便りがないのは良い便り」【意味便りがないのは無事に暮らしているということだから、心配しなくていいということ。】と内心ニヤニヤ、幸せな気分になった。むろん卒業生から便りがあったり顔を見せてくれることは嬉しいけれど、基本的には過去の塾のことなんて忘れるぐらいに今の生活を楽しんで充実させてほしく、困った時やふとした瞬間にチラッと思い出してくれるだけでいいと思うから。で、実際に忘れたころに連絡をくれる卒業生と言うのは・・・大抵が困った時(笑)。それはそれで「ああ、よくぞ思い出してSOSを出してくれた~」と嬉しくなって大張り切りするけれど。ちなみT君は、勉強面はもちろんのこと自分が入りたい部活が充実していること、将来の進路への近道などなどを考慮して当初考えていたところではない進路へ変更し、結果としてはランクを下げた。ランクを下げた場合に最初は(前期)は上位を保ちつつも夏以降には油断して成績が下降するというパターンもある中、きちんと油断せずに頑張っている点が素晴らしと思うし今後もこの調子で突き進んでほしいなあと思う。卒業生が頑張っている様子を知ることが出来るのはお教室運営している醍醐味である。
2017/09/22 13:23
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人間の「器」
某中学校の2年生の国語授業では「平家物語(敦盛の最期)」に入ったらしい。当然?生徒は「平家物語、難しい~~」とぶつくさ言っており、その気持ちはよーくよーく分かる。でも今は分からなくても何十年か先に無常観や熊谷の直実の気持ちが分かる時が来るかもしれない、決して学んだとは無駄ではないよと心の中でエールを送っている。実際に自分がそうだったから。それは国語を教える仕事をしているからではなく、純粋に「今だから」「この年だから」平家物語の良さが分かる。ところで仕事柄「古典」を読むことが多く、「古典」を通して「器」について考えることがある。「器」とはその人自身の性質で「器の大きい人」といった風に使われるけれど、大きさはもちろんのこと「器」の種類がそれぞれある。例えば「平家物語(敦盛の最期)」に登場する直実は敵に情けをかけるような心持ち、さらには出家してしまう≠「侍の器」「大将の器」と言えるだろう。でも、人間としての器はとっても大きいと思う。また、中学国語に出題された題材として「身分の高い人が臣下を連れて狩りに行き、子鹿を仕留める。その子鹿を持って帰るように臣下に指示したが、臣下は母鹿が子鹿を呼ぶのをみてかわいそうになり小鹿を逃がす。すると指示に従わなかった罰として解雇される。でも1年後に身分の高い人が、動物の子供でも大切にするのだから信頼できる!と、自分の息子の教育係として臣下を再び採用する」という話がある。この身分の高い人はまさに「上に立つ人の器」だなあと納得する。各自の器を超えたことをしたり、器の形に合わないものを入れようとすることは大変というよりも理にかなっていないだろう。自由自在に大きさや形を変えることが出来るわけではなく大きさや形がある程度定まっているので、自分の器ってどんな感じかなあと想像すると楽しい秋。
2017/09/21 05:01
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雨だれ石を穿つ
台風の影響からかかなりの強い雨が、断続的に月曜日、火曜日と降った十勝地方。たかが雨、されど雨・・・車を運転していると雨粒の大きさや威力にびっくりさせられたことも。それを見てふと「雨だれ石を穿つ(あまだれいしをうがつ)」という諺が頭に浮かんだ。意味は「雨のひと滴(しずく)でも、一定の位置に長い間したたり続ければ、固い石にも穴が出来る。弱い小さな力しかなくても、長く根気強く努力すれば、やがては成功することの喩(たと)え。何事も粘り強く辛抱すれば、きっと実を結ぶという教え。」同義語には「点滴石を穿つ(てんてきいしをうがつ)」というものもある。確かに小さな小さな一歩一歩の努力でも続ければ大きな力になるのは納得。たとえば一日たったの5分間、漢字を覚えるというのを毎日毎日続けたとすると、1週間で5分×7日=35分。1か月だと35分×30日=105分・・・。たったの5分とはいえ1か月だけでも2時間弱、これを1年と考えると恐ろしくなるような時間。とはいえ、例えば大きな石の上から10センチのところから小さな雨粒(水)を落とし続けたとしても石を触っただけでスーッと水は流れてしまうか、ポツンとしずくが石の上に残るもののあっという間に蒸発するだろう。それがもしも10メートル上からだったら雨粒一滴の重力に距離が加わりかなりの力になる。つまり何が言いたいか?雨粒の大きさというよりも距離、あるいは距離が短くても大きな雨粒(負荷)をかけないと石はびくともしないということ。一日たとえ短時間であっても内容が濃い負荷が必要なのだということ。勉強においても楽な方法で短時間だけよりも、続けられそうなギリギリの範囲内で最大の負荷をかけることによって効果が出るのかなあと考えた。ぜひ自分にとっての負荷とはを検証してみてはいかがだろうか?自戒を込めて。
2017/09/20 14:11
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旅は道連れ世は情け
先日、知人から出張土産を頂いた。岐阜へ仕事(学会出席だとか?聞いたけれど忘れた…笑)で行かれていたそうで、同じ会社から同行する人はいなかったものの他の組織の方、しかも同郷の方と北海道からずっと一緒だったらしい。仕事とはいえ「旅は道連れ世は情け!楽しかった」とのことで、「良かったですね」と言いながらふと弥次喜多道中(ドタバタ喜劇の旅物語、正式名称は「東海道中膝栗毛」作者は十返舎一九、江戸時代の滑稽本)が思い浮かんだ。正直って中年男性二人の旅・・・うーん、なんだか本人たちはしっかりしているつもりでもどこか間が抜けてそうなイメージが(苦笑)。さて、「旅は道連れ世は情け」とは【意味】旅は仲間と一緒に行けば何かと助け合うことが出来るということから、人は互いに助け合うことが大事だということ。確かに一人よりも二人の方が、なにかトラブルがあった時にでも対応しやすく後々トラブルが良い思い出にもなることもあるか。とはいえ、道連れにしたい「旅」はあくまでも前向きな「旅」に限る!良いこと、楽しいこと、前向きな「旅」にはぜひ同行したりあやかりたいものだ。さて、以前から噂は聞いていたけれど米トイザらスが破産申請したとのこと。日本トイザらスは直接影響はないとしているが・・・くれぐれも旅は道連れにならないようにと祈るばかり。お商売をしているとどうしても経営の波や時代の流れの影響を受けることは仕方がない。とはいえ、おかげさまで国語塾はもうすぐ満4年目を迎える…・ひとえに皆様の応援のおかげとただただ感謝!久しぶりにHPを変更(ページや写真を増やしている)したのでお時間やご興味のある方はぜひのぞいて下さることを期待している。
2017/09/19 15:42
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