めむろ国語専門塾
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小さな国語塾のつぶやき
元(もと、ガン、ゲン)
昨日の中学生授業、相変わらず楽しかった・・・。いつも中3生には漢字ワークの宿題を出し、自己採点後に預かり、チェックし返却。預かった漢字ワークに「元来(がんらい)」の読み方に「げんらい」と書いて丸が入っていたのを訂正し、それを昨日、本人に解説して返却。「元」は「もと、ゲン、ガン」と読むけれど「ガン」という読み方はあまりなじみがないので間違えるのは仕方ないとは思うけれど・・・。思わず「元来(がんらい)」に対して「確かに鎌倉時代に元(昔の中国の名前)が日本に来た→元来(げんらい)と言いたくなるけれど、あれは「元来」ではなく「元寇(げんこう)」という、れっきとした名前があるよ。これは『がんらい』。元旦(がんたん)のように『ガン』という読みもあるので気を付けてね。」と伝えた。本人も納得してくれたけれど。。。そう言えば「元」はどんな時に「ガン」と読むのかが気になり、調べてみると「はじめ」という意味のときには「ガン」、「もと、ねんごう、第一の人」のときは「ゲン」の場合が多いようだ。「ガン」→「元金(がんきん)」「元旦(がんたん)」「元祖(がんそ)」、「ゲン」→「元気(げんき)」「元服(げんぷく)」「元首(げんしゅ)」「元老(げんろう)」「元始(げんし)」・・・。とはいえ、これを見比べると分かるように「元始」は「始まりの元(もと)」だから「ゲン」と読むと解釈するか、それとも「似たような意味の漢字の組み合わせ」として解釈するならば「ガンシ」という読みのほうが正しい?となってしまう。つまりは大まかに「はじめ」≒「ガン」、「もと、ねんごう、第一の人」≒「ゲン」というくくりはあるものの明確な線引きはないと言える。結局は面倒だけど、一つ一つ丁寧に覚えていくのが一番の近道か。これは何事にも当てはまることで大まかなことを知ったうえで結局は細かい項目に関してはきちんと一つ一つ、しらみつぶしに丁寧にしていくことが知識を自分のものにできる方法だ。何事も大まかな枠組み、細部のこと、どちらかに偏らないようバランスを取りながら前向きに取り組もうっと。さて、生徒たちは次回はどんな楽しい出来事、エピソードを提供してくれるか?そのことによって自分自身が学ぶことができるので楽しみだ。
2017/11/18 01:03
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赤い鳥居
昨日は子供の成長の節目を祝う「七五三」の日だったことから「年齢を祝う」という題材を今週の小学生の授業でとりあげた。還暦(60歳)、古希(70歳)、喜寿(77歳)、米寿(88歳)、白寿(99歳)に始まり、而立(30歳)、不惑(40歳)・・・・などなど。読み方、意味、由来など伝えたところ、大半の生徒たちが還暦については意味はよく知らなくてもお祝いの行事に参加したことがあるとのこと。還暦祝いのときには「赤いちゃんちゃんこ」を着るというのが昔からの習わし(最近は赤いお洋服など)で、そこにはいくつかの意味が込められている。そのうちの一つが「赤(朱)」は神道では1.朱色が魔力・災厄を防ぐ色と考えられていた2.神様のお力を高める役割りがあるとされていたことに由来する。つまり「赤(朱)」は生命の躍動を現すとともに、古来災厄を防ぐ色としても重視されることから、古くは御殿や神社の社殿などに多く用いられてきた。さて、そんなことを説明しながらふと自分が高校3年時の出来事を思い出した。クラスメートのKちゃんが一足早く指定校推薦で進学先が決まり、これから受験を控えている仲間を応援するためにサランラップの芯や折り紙を利用して「赤い鳥居」を工作して学校へ持ってきた。これがまあ、お見事としか言いようがないぐらいに精巧に作られておりクラス中が大盛り上がり!早速黒板の上の高いところに設置し、自由にひもを引っ張って鈴を鳴らして願掛けをするという風景が毎日繰り広げられ「皆で受験を乗り切ろう」といったような明るい雰囲気だった。が、ある日「倫理・政経」の授業時に何気にその鳥居を見つけたF教諭が「公立高校ではこういうこと(神道)のグッズを飾るというのはいかがなものか?」と問題提起。確かにおっしゃることは分かる…と皆納得はしたものの「それでもKちゃんの応援する気持ちが有難い。このグッズのおかげでクラスの雰囲気が受験に向けて盛り上がっているから大目に見てほしい。」という旨を伝え、担任も生徒たちの意向をくんでくれたのだけれど、まっすぐなF教諭は授業にお越しになるたびに鳥居について提議をなさり・・・。結局はこれ以上物議を醸しだしたくないと、Kちゃんはそっと鳥居を外して持って帰った。F教諭は「もしクラス内に神道ではない確固たる信仰を持っている人がいたら、鳥居を毎日教室内で見て皆で盛り上がるのは嫌だろう。」ということもおっしゃった。少数意見を大切にしつつも「集団生活」を送る上では全員が納得いくということは難しい。我々生徒たちが気づかない視点からの提議は本当に有難いこと、ただし正義を振りかざすのみならず生徒たちの「気持ち」を大切にしてほしかったと今でもふと思う。もしかすると赤い鳥居を見て嫌な気分になる生徒がいたかもしれない、でも問題提起をしてそれを長引かせることによってKちゃん、クラスの大半が嫌な気分になったことも間違いない。自分がF教諭の年齢になった今、言動には気を付けようと思える出来事をふと思い出したので忘備録としてつづった。
2017/11/16 14:48
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舞台
「清水の舞台から飛び降りる」という慣用句がある。意味は「強い決意をして思い切って物事に取り組むときの気持ち」だ。この「清水(きよみず)」とは京都にある清水寺ののことで、いつも観光客で賑わっている名所だ。清水寺は宝亀9年(778年)に、延鎮(えんちん)上人が夢の中で「この地に寺を建てよ」とお告げを受けて建立したといわれ、征夷大将軍坂上田村麻呂も十一面観音を安置し、崇敬していた由緒ある寺。その清水寺の舞台は、断崖の上に高さ13メートルで、通称「地獄止め」といわれる139本の組木が縦横に組み合わされた構造で建てられており、有名なフレーズ通り本当にこの舞台から飛び降りた人は少なくないそうだ。「宇治拾遺物語」に、一番初めに飛び降りた人のことが記されている。検非違使(今でいう警察官)が、見回りのときに数人の若い無頼の者と遭遇し、多勢に無勢で追い詰められてこの舞台から飛び降り難を逃れたという。また「今昔物語」には「清水に参りたりける女」という話があり、女性が誤って赤子を清水の舞台から落としてしまう。この高さだから命はないだろうと思いながらも熱心に観音様に「助けてください」とお願いしたところ願いがかなったのか赤子は無事だったという話。ちなみに、この今昔物語の話は国語のテキストやテストでよく出題される有名な問題なので生徒たちに解かせてみるのだけど意外と正答率が悪い。それは「清水寺」「清水の舞台」のことを知らないから情景が目に浮かばないということも原因の一つと考えられる。当然「清水の舞台から飛び降りる」という慣用句を知っているかどうかを尋ねると全員「知らない」とのこと。取り急ぎ、口頭と黒板に簡単なイラストを描いて説明するのだけど・・・、その後パソコンやスマホで「清水寺」を検索するよう伝えている。実際に足を運んだり映像を見ると分かるけれど、13メートルの高さというのは本当に迫力があり恐ろしい。あんなところからは到底飛び降りることはできないなあと感じる。むろん本物の清水の舞台から飛び降りると命の危険があるので飛び降りないけれど、慣用句通りの「強い決意をして思い切って物事に取り組む」ということは幸か不幸か何度もある、というよりもそうせざるを得なかった。実は2時間ほど前に車中のラジオから「あなたの『晴れ舞台』についてのテーマをラジオ局までお寄せください」というアナウンスが聞こえてきた時に「うーん、晴れ舞台・・・あったのかなかったのか?でも清水の舞台から飛び降りたことは何度もあるよなああ」と内心でつぶやき、それを今日のブログネタにすることにした。今後、清水の舞台から飛び降りることによって新たな「晴れ舞台」に立てるよう夢見ている。
2017/11/15 15:37
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飲める文庫
「飲める文庫 舞姫」が届いた!「飲める文庫???」と袋を見るとコーヒー!なんて「粋なんだ~~~」と大喜びしてまずは香りを楽しみながら、森鴎外の「舞姫」を連想している。実はこれ、「やなか珈琲」が発売している「日本名作小説AI(人工知能)に日本の純文学を読み込ませ、その読後感を5つの味で表現させて、 やなか珈琲がそれぞれの味わいをブレンドコーヒーで再現しました。コーヒーの味わいで感じる純文学6作品。数量限定の特別企画商品です。」だそう。関西在住の友人からのサプライズで、彼女は夏目漱石の「吾輩は猫である」を飲んでみてなかなか納得~だったそう。う、嬉しすぎる!コーヒー党+文学好きと知ってるからこそ選んで送ってくれた彼女のセンスも「粋だなあ~~」とただただ感謝!香りはほろ苦く・・・まさに林太郎(森鴎外の本名)。。。っと、ではなく豊太郎とエリスとのロマンスが苦い結末に終わることを予感させるような。。。素晴らしい!(ご周知のとおり「舞姫」は森鴎外自身がモデルの小説である。ちなみに結末はかなり違う・・・小説ではエリスは発狂するが、実際はドイツ留学中に鴎外はエリスを妊娠などさせてはいないし、彼女は発狂もしていない。それどころかエリスは鴎外を追って日本を訪れるが、エリスと鴎外の関係を快く思わない鴎外の家族はエリスを帰国させ、早々と鴎外に結婚を薦めて結婚をさせる)。さてさて、早速きちんとしたペーパーを買ってきて「舞姫」小説を傍らに置いて味わおうと思っている。ちなみに小説そのものを読んだことがない人にでも分かるような簡単なあらすじがきちんと袋に記載されている。「舞姫ブレンド 森鴎外 留学先で知り合った踊り子との恋情と、自らの将来との間で揺れ動く主人公のロマンスをコーヒーに。伝統的な味わいになるよう非水洗処理したブラジル豆に、甘未の強い東ティモール産をプラス。美しい文体で描かれた若い恋が、チョコレートの様な甘味と滑らかでソフトなボディでよみがえります。」という注釈付き。それにしても嬉しすぎる!読書+香り+味覚の秋を堪能しようっと。ところで「コーヒー」と「文学」は一見関係なさそうだけど実は合う・・・「理系」と「文系」の垣根がなくなりつつあると最近よく言われることだけど「まったく真逆、あるいはまったく関係ないようなもの」でも意外な結びつきがあったり、合ったりするものだなあと。だからこそ様々なことに興味をもってどん欲に知識を増やすと楽しいだろうなあと感じる。学ぶことには無駄はない?!
2017/11/14 20:52
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「のむ」
昨日「飲める文庫」というタイトルでブログを書き、「飲める」=「drink」の意味だったのだが、まさかそんなはずはない?!とタイトルだけを見たときには比喩的に解釈してくださった方が多かったようだ。確かに日本語で「のむ」「のめる」は飲食以外に「息をのむ」「条件をのむ」「のみこみが早い(理解が早い)」など様々な使い方がされるので、文字だけを見ると違った解釈をしてしまうのはある意味当然か。ところで自分自身、日ごろは漢字までは意識せずに使っていたのだが調べてみると「飲む」と「呑む」がある。「飲む」はダイレクトに飲食を意味すること、「呑む」はかまずに丸のみにする。受け入れる。あなどる。こらえるという意味があるそうだ。なるほど、だから「ヘビが卵を呑む」「濁流が家屋を呑む」「要求を呑む」「清濁併せ呑む」「相手を呑んでかかる」「涙を呑む」「固唾(かたず)を呑む」「息を呑む」などの表現があるわけだが、これらの「呑む」はどちらかというとマイナス的なイメージで使われる。ここで疑問が。「呑」という感じは「呑気(のんき)」(性格や気分がのんびりとしていること。こせこせしないこと。また、そのさま。)にも使われており、なんとなくイメージが違う。実は「呑気」の「呑」は当て字にすぎないらしい。さて、このブログを書いている途中・・・つまりたった今、元教え子の保護者から電話が入った。3年前まで教えていた女の子の保護者様からで、元教え子は現在は高校3年生。彼女は「高校卒業後は公務員になりたい」と高校入学後から頑張っており、「この度、道職員、国家公務員試験ともに合格しました!」という嬉しい報告のお電話だった。頑張り屋さんの彼女、時々お母様と町で出会った時などに彼女の頑張りぶりなどを聞いていたので合格報告は想定内?!で、とにもかくも最高に嬉しかった!が、今までの頑張りぶりやエピソードを聞くうちに思わず「は?」と息を呑むような場面もチラホラ。それはお母様も同様だったらしく・・・。日ごろの模試では一般教養が惨憺たる状態で学校の先生もあきらめ顔だったらしいのだが、なんと本番では8割近く取れたとか・・・。思わずいい意味で「え?」そんなことってあるの?と息を呑んだ。何はともあれ「息を呑む」ようなことがあっても終わりよければすべてよし。嬉しい報告を聞いてますますパワーアップ!
2017/11/14 20:52
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「社会常識」「ルール」は大切だけど・・・
上田秋成の「雨月物語」(江戸時代の作品)の中に「菊花の契り」という有名な作品がある。あらすじは「左門がご主人から病で苦しむ客が来たから対応してほしいと頼まれた。その客の名は赤穴宗右衛門。看病のかいあって元気になった赤穴と左門は兵法で語り会い次第に仲良くなり義兄弟の誓いを立てた。しかし、出雲がどうなっているか気になり赤穴は一時出雲に戻ることにした。そして必ず9月9日に左門と左門の母のところに戻ると約束したが……。出雲へ帰ったものの、かつて仕えていたた塩谷の部下たちは皆、尼子に鞍替え、従兄の赤穴丹治に尼子へ会わせてもらったが思っている人物ではなかった。9月9日に義兄弟と会うため去ろうとしたが尼子は面白くないとして城内に監禁した。赤穴は霊魂になれば一日千里を行ける、つまり9月9日に戻るという弟の約束を守れる!と、自害し霊魂となって戻ってきた。弟が準備したお料理には霊魂のため手を付けることができないが、最期に赤穴は左門に母を大事にせよと伝え消えた。十日後、赤穴の仇を討つため左門は赤穴丹治に会い殺害、左門は行方をくらませたが、尼子は左門と赤穴の義の厚さを認めて追わないとした」。今は11月だが・・・ふと「菊花の契り」を思い出したのは訳がある。先日、某方からメッセージをいただいた。その内容はまさに自分自身が感じていたことと全く同じで・・・「社会常識」「ルール」は大切だけど、杓子定規にどんな場合にでも「社会常識」「ルール」を振りかざすのはいかがなものか?それは人間としてどうなのか?という内容。本当にその通りだと思う。例えば今のご時世、義務教育だからとはいえ何らかの事情で子供が通学できない状態のときに首に縄をつけて行かせるべきか?となるともちろん「NO!」という理解が広がりつつある。それと同様で「社会常識」「ルール」は大切!それらがあるからこそ世の中が平和になる・・・でも、例外もありでは?と言いたい。さて話は戻るけれど、赤穴にとっては尼子は尊敬できる人物ではなかったため寝返ることはせずに監禁されてしまうわけだが、そんな尼子でも部下(赤穴丹治)を殺されても左門を追わなかったという点で人間としての「心」をきちんと持っているよなあ、と思うのだ。もちろん殺人を容認するわけではないけれど事情を考慮して今回はおとがめなし・・・。「菊花の契り」というと主人公の二人の結びつきばかりがクローズアップされるけれど、昔から読み継がれている古典には人間の生き方、生き様のあるべき姿が書かれているなあ~と久々に読み返した。※本来は昨日アップ予定だった記事、手違いでアップが遅れた・・・。後ほど今日のブログをアップ予定。
2017/11/13 03:45
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「地獄に仏」はいるか?
「地獄に仏」という諺がある。意味は「地獄で鬼の責め苦にあっている時に、仏様に救われるように、非常に困った事態に直面しているときに思いがけずも救いの主が現れることをいう」。さて、果たして「地獄に仏」はいるか?個人的には「いる」と断言する。ただし、魑魅魍魎がうようよしている世の中・・・仏はほんのほんの一部だけ、甘い言葉につられてフラフラとついていくと命を落とすことになり、仏になってしまう?!いや成仏できず仏になれないか。話を戻して「地獄に仏」を実感したエピソードが、先日「五里霧中」を「夢中」で駆け抜けたという例の「峠」での出来事。前回はA県からB県に向かうために峠を越えるときに「五里霧中」になったけれど、後日にB県からA県に向かうために早朝、まだ夜が明けきらない午前4時に峠下で地図を広げていた。峠道を迷うとA県どころかC県に行ってしまう可能性があるため、真剣に地図とにらめっこ。迷わずにA県に入れるならば友人3人との待ち合わせ(午前7時30分)よりも1時間以上早く着くことができる。つまり迷うことを想定して早めに出発したのだが・・・。周囲から見るととっても怪しい光景、峠下で車中で地図とにらめっこしている人がいるなんて・・・。すると窓をコンコンとたたく音。ふと見ると知らないおじさんが立っている。「どこまで行くの?」と聞かれたので「A県の○○港です。」と伝えると「ちょうど自分もA県まで行くのでついておいで」とおっしゃる。迷ったけれど結論を言うと後ろからついていき、途中無人のパーキングエリアで缶コーヒーをご馳走になり(☜おいおい逆だろう、こちらがご馳走すべきだろう!)「これから、僕が合図をする場所で、君は右に進んでひたすらまっすぐ行くと○○港に着くから。僕は左に行くけれどね。」とのこと。助かりました!おかげで迷うことなく午前6時30分に○○港に到着!あの時はまさに「地獄に仏」だった・・・。実はこのようなエピソードは数知れずあり、それゆえに目に見えない偉大な力、サムシンググレートなるものには畏敬の念を抱いており、昔から言われている諺の数々を実感している。とはいえ、今から思うと本当に危険と背中合わせで恐怖心しかわいてこない。今ならば前日にB県入りして宿泊すること間違いない!若気の至りというか無謀なことばかりしていたなあとつくづく思う。以来、人(特に若い無謀な子たち)が困っていたら手助けしたい、仏になりたいなあと心掛けている(実行できているかどうかは怪しいけれど)。
2017/11/11 03:40
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「こむら返り」
今朝、久しぶりに睡眠中に「足が攣(つ)った」・・・そう、つまり「こむら返り」を起こした。「あ、マズイ」と思ったところで攣っている最中はどうもこうも手の施しようがないのでせいぜい深呼吸をしたり、痛い部分に手を当てて痛みが治まるのを待つしかないし今回もそのように対処した。さて、「足が攣る」と漢字で書くと「攣る」≒「痙攣(けいれん)」とイメージがわくのでどんな状態かが分かりやすい。でも「こむら返り」と言われても…幼い頃「???」だった。思わず「小村帰り?」などと訳分からない連想まで始める始末・・・。実は「こむら」ふくらはぎの古い言い方である「こぶら」が、転じたものと考えられてるそうだ。つまり、こむら返りは、「ふくらはぎが裏返るような痛みを持った症状」を言い表した言葉。医学的には「腓腹筋痙攣(こむらふっきんけいれん)」と呼ばれ、この「こぶら」という呼び名は江戸中期頃に使われなくなり、現在では「こぶら」が転じて「こむら」と東京では呼ぶようになったらしい。大阪ではこの古語の「こぶら」がそのまま残り「こむら返り」のことを「こぶら返り」と呼んでいるそうだけれど、大阪に隣接する兵庫出身の自分は「こぶら返り」とは言わない。これまた「こぶら」→「コブラ?(蛇)」と変な方向に行ってしまいそうになるので今までもこれからも「こむら返り」という表現で自分の中では定着。さて、何とか激痛が治まったものの鈍い痛みが続いているではないか!はてさてどうしたものか?中高生時代は「痛いとき」→「サロンパス」あるいは「冷やす」という対処をしていたけれど、以前に「冷やす」べき時にそうとは知らずにご近所の方の温かいアドヴァイスに従い「温めて」しまいひどい目にあったという苦い経験から、今回はきちんとネットを駆使し「こむら返り」「対処法」と調べてみた。すると・・・「温める」のが有効だとか。危ない危ない、もう少しで「冷やす」ところだったと思わず肝を冷やした(汗)。結局、タオルを温めるのが面倒、温シップ、お灸なるものが近くにはない、ということで意を決して「自然治癒力」に任せることにした。これが一番安上がりで信頼できる?!ハイおかげさまで今は事なきを得て、痛みはほとんどなくなっている。さて、久々に「こむら返り」を起こしたことで次の二点を学んだ。①「こむら」とは「ふくらはぎ」を意味する「こぶら」が転じた言葉②対処法を間違えてはいけない、という2点。とにもかくも起こってしまったことや現状を嘆いても仕方がない。では、今後どうすればよいか?を前向きに考えて正しく行動を起こすことが大切。勉強もしかり・・・。特に受験生。今の現状を後悔するのではなく、今後どんな風な方針(進路)がベストか?そのためには正しい選択、方針を吟味して動くべき。
2017/11/10 16:51
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読書感想文審査
今日の午後に、預かっていた読書感想文の原稿を図書館に届けてホッとしている。締切期限はまだまだ先なのだけど中学生たちが必死で書いた読書感想文の数々を預かるのはかなりのプレッシャーだった。ようやく資料をお返し出来て一息ついたという感じ。最終審査は12月中旬で、ほかの審査員の方々と話し合いながら最終決定する。さて何十年もオペラ講座を受講している友人から次のようなメールが来た「オペラ講座で、熱の入った先生の授業を受けてきました。新聞によく講評を載せている音楽評論家がいますが、そういう人は文学の専門家が多く音楽面で??という文章の人が多いようです。先生は講義するオペラの台本、楽譜を読み込んで資料を作りますから細部まで頭に入っています。音楽家や演奏家の立場として物を考えることができますので例えば講評の中で立派な演奏だったが、一部に乱れがみられたというような文章には怒りで体が震えるそうです。演奏家からしたら一部ってどこ?と知りたいでしょう。具体的なことを書かず批評するのは卑怯だと言いたいようです。オペラに限らず感想文もそうでしょう?大変な仕事をなさってますね。」と。彼女が思ってくれているほど大変ではなくむしろ楽しい作業だけど、彼女の言い分は理解できる。つまり大人、指導者、審査員たちは次年度の目標や書き方を「具体的に」生徒たちに示すべきだと思う。また生徒たちも「具体的な感想」を意識して書くといいだろなあと思うのだ。どんなふうに「すごい」と感じたのか?などなどまさに「具体的に」表現するともっともっと深い文章になるだろうと言いたい。複数の学校から応募されており、おそらく学校によっては「読書感想文の書き方」といった指導が入ったように感じる。なぜなら「印象に残った場面は〇つあります。一つ目は。。。。二つ目は。。。。」という書き方の文章が目立ったから。それはそれで素晴らしいので、来年度からはさらに踏み込んで「具体的にどう感じたか?」「具体的にどんなふうに感じたか?」という「具体性」を入れるよう学校側で指導してほしいと思う。どの文章もひたすら場面説明、そしてその後に「かわいそうだと思った」「すごいと思った」で終わっているのだ。正直言ってもったいない!例えば「場面説明+主人公の勇気は誰にもまねできないぐらいだ。自分だったら絶対に無理であきらめるだろう」といった具合に「具体的に」書かないと読み手に感動が伝わらない。。。と伝えるべきだと感じた。審査や指導する側が「具体的に書こう」といったところで通じない、「具体的」という言葉を使っているだけど実はあやふや、抽象的。つまりは指導者側、読書感想文を書く側ともに「具体性」を意識することが大切か。
2017/11/09 22:09
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「一番」と「一流」
以前に、ある文章で「一番ではなく、一流を目指せ」というセリフを読んだことがあり、それがずっと頭に残っている。そもそもが「一番」と「一流」の違いを考えたことほとんどなく、自分が学生時代は当然「一番」「トップ」を目指して頑張っていた。でも確かに「一流」と「一番」とは違う・・・、明らかな差異は「一番」とあは母体数があってその中で序列をつけた場合のトップと言えるけれど「一流」とは漠然としているという部分だろう。「一番」を目指し「一番」になることは難しく、貴い!それ以上に「一流」になることは難しい・・・なぜなら絶対的な基準がなく、人が「一流」と認めても自分の中では「まだまだ…」ということは日常茶飯で逆もしかりだから。つまり「一流」とは常に求め続ける道なのか。「一流」の定義は人それぞれだろうけれど、自分の中では中島敦の「名人伝」とオーバーラップする。あらすじは「紀昌は弓の名手を自認していたがその道で一番になりたいと思うようになり弓の名人と噂される飛衛のところに行き弟子入りする。師匠の言われたままに修行しますます腕を上げていく紀昌は自分が一番になるには飛衛が邪魔だと考えるようになり密かに倒す機会を狙っていた。そして偶然路上で相対し紀昌は飛衛に弓を引く。そして飛衛も弓を引いたがお互いの弓が当たって落ちる。飛衛は紀昌に目標を持たせたほうが安全だと思い甘蝿老師を訪ねろと言う。紀昌は1ヶ月かけてやっと山に登りつき甘蝿老師に会い腕前を見てもらおうと了解も確認せずにすぐ腕前を見せる。(中略)その後、9年修行し下山するが紀昌は以前のようなふてぶてしい顔ではなくなっていた。そして何の表情もなく久々に飛衛に会ったところ『これぞ本当の名人だ』と喜んでくれる。また紀昌は人に頼まれても秘儀を見せなかった。その代わり夜中になると紀昌の家の近くでは弓の音がし盗賊が打ち落とされ鳥さえも飛ばなくなった。甘蝿老師と会ってから40年後に紀昌は亡くなったがある妙な話が広まっていた。それは彼が死ぬ12年前にある日知人の家に行ったら弓を見て弓は何かと尋ねたと言う。」短編小説で内容は分かりやすいがラストの解釈が難しい。無我の境地に至ってその道を極めるということなのか?弓を抜かなくなったら弓自体も忘れてしまい、それが最終目標であり達成できた、と言いたいのか?あまりにも非現実的だけれど、「一流」を目指すとは究極は無我の境地を目指すことなのか?結局は「一番」、「一流」ともに成し遂げることは難しいけれど、ただ一つ言えることは「一流」は永遠に答えが出ないもので常に求め続ける道なのかなあということ。自分の中で「一流」を目指したいもの。
2017/11/08 18:18
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