めむろ国語専門塾
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小さな国語塾のつぶやき
「おすそ分け」「お福分け」
毎年この時期(収穫の秋が過ぎる頃)になると全国の美味しいものをいただくことが多い。とっても有難く、美味しいからこそ人様にも「美味しいからぜひに」と差し上げることが多い。何十年か前までは人様に何かを差し上げるときはへりくだった謙虚な気持ちを込めて「つまらないものですけど・・・」というのが挨拶としての決まり文句だったが「つまらないものを人に差し上げるのはおかしい」という考え方が広がり、最近は「美味しいから是非食べて下さい」といったダイレクトな挨拶が主流になってきた。謙虚な気持ちは大切だけれど、へりくだりすぎるよりも前向きな「美味しいから」という声を聞く方がいただく側としても気持ちがいいだろう。さて、人様に何かを差し上げるときに使われる言葉として「おすそ分け」がある。これを漢字で書くと「御裾分け」となり、「御」は丁寧な表現をするときにつける接頭語、「裾(すそ)」とは、着物の裾(すそ)のことをさす。着物の裾とは、着物の下の方の縁(ふち)のことをさし、「下の方」⇒「つまらないもの」という意味に使われている。つまり「おすそ分け」とは「つまらないものを、他の人に分ける」ということになる。これが、さらに転じて「もらった物で自分がいらない、よぶんな物を、他の人に分ける」がおすそ分けの語源になったそうだ。実際には「いらないから、他の人に分ける」というつもりで、おすそ分けという言葉を使う人はいないだろけれど、実は目上の人に使うべきでない表現なのだ。では、一体どのような言葉を使えばよいか?実は便利な表現がある。それは「お福分け」という言葉。「めでたい時にいただいた物を分けますよ」⇒「めでたい福をお分けしますよ」という意味で、縁起の良い言葉となる。ビジネスで成功している知人が口癖のように「運がいい人と付き合うことが自分の運気を上げるコツです!」としょっちゅう言っている。確かに・・・。マイナス発言ばかりする人と付き合うとこちらまでテンションが下がるけれど、運がよくてパワーがある人と話すとこちらも元気になる。それと同じで、「いらない、つまらないもの」をいただくよりも「めでたい福」をいただく方が気分が良い。ましてやそれが美味しい食べ物であれば、「お福分けです」といただくとますます美味しさがアップするように思える。たかが言葉、されど言葉・・・折角だから気分が良くなるような素敵な言葉を使っていきたいものだ。
2017/12/07 13:23
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「生きる」「活(い)きる」
「秀吉の活」(木下昌輝著 2017.11.25第1刷発行)の序章に「そうじゃ、日吉。同じ〝生きる〝なら、〝活きる〝でないと駄目なのじゃ」という弥右衛門のセリフがある。(※弥右衛門とは日吉の父、日吉とは後の豊臣秀吉のこと。☜陰陽師注釈)「つまり、同じ〝いきる〝でも全然違う。ただ鍬を振るにしても、土のことを考えずに耕すのと、土のことを考えてやるのとでは、秋の実りが全然ちがうようにな」「つまり、たくさん考えて、他人に気配りして、一生懸命働くのが、活きるとゆうことだ」と続く。(本書P6~7より引用)。この言葉を読んだ瞬間にハンマーで頭を殴られたような気がした。確かに・・・畑仕事、勉強、何気ない日常生活をただただ淡々とこなすのと、あれやこれやと一生懸命に考えて工夫するのとでは結果は大きく違ってくる。先に「日常生活」と書いたけれど、「生活」という熟語は「似たような意味の組み合わせ」。厳密にいうと「生」は「生存する場合においてオールマイティー」に使うことができる。それに対して「活」は「単に生きるのではなく、影響を及ぼしながら生きる」「有効に働く」という場合にのみ使われるそうだ。ちなみに「活」という文字には、本来「カツ」という読み方しかない。常用漢字でないとはいえ、日本人なら誰でも書いた覚えのある「活(い)かす」という文字、「素材を生かした料理」VS「素材を活かした料理」とあったら「素材を活かした」の方がなじみがあるだろうし、実際に「影響を与える」という意味を持つ「活かした」の方が良いだろう。そんなこんなで日常的に使うのは全く問題ないけれど公用文などでは基本的には使用しないよう注意が必要である。話を戻して、勉強に関して言うならば「させられている」「仕方なく」「試験があるから」という理由で取り組むのと「今、習っていることを今後に活(い)かすぞ~」という意気込みでするのとでは結果は‥‥言うまでもない。ましてや国語は今後生きていくうえで切っても切り離せない必要な教養を学ぶべき学問。正直言って仕事柄、ついつい見る目が厳しくなってしまい「ああ、この人はもっと国語を勉強しておけばよかったのに・・・」などと思うこともちらほら。それは自分に対しても同様、だからこそ常に見たり聞いたりする物事、出来事を今後「活かせないか?活かそう」と必死である。それゆえ、リラックスのつもりで読書を始めるのだけどあちこちで足踏みしてしまったり、ブログネタとして使えないか?活かせないか?と常にアンテナを張っている。「生きる」「活きる」ともに大切だけど、特に「活きる」を意識したいもの。
2017/12/06 03:01
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SOMEDAY いつかはきっと・・・
いつもお邪魔させていただいている 花ゆき先生のブログタイトル「Someday -いつかきっと」を見た瞬間に「SOMEDAY いつかはきっと」という絵本を思い出した。誰でもが持っている「こうなったらいいなあ」という願いを想像しているエレン。次から次へと願い事を想像し…後半には「いつかはね・・・クリスマスツリーだって すきなように かざらせてもらう。パパも ママも おにいちゃんも てつだいっこ なしよ。」と、素敵な素敵な大きなツリーを飾り付けて満足している魔法使いエレンの絵が。最後のページは「だけど いまは・・・・ あーあ もう ゆうごはん。」と現実の世界に戻る。現実の世界に戻るからと言って決して不幸なわけではない、むしろ夕飯を作ってもらえる家族がいて平和な日常だと言えるだろう。ある意味、平和な日常を送れるからこそ楽しい未来を想像できるのかも・・・。そしてその楽しい未来と言うのは自分に対してのことであったり、あるいは人様の未来であったり、とにもかくも、たとえ今は「まだまだ・・・」だったとしても「いつかはきっと」と信じることが出来たらきっと素敵な未来が待っているかなあと思う。花ゆき先生はブログで次のように書いてらっしゃる。「相手がこちらの思うように伸びてくれなくても、いつか必ず伸びる、いつか芽がでる時が来る、そう信じ続けることです。いいですか、決して諦めてはいけません。いつかその日が必ず来ると信じてください。
いつかーという未来を思い描き続け、教えてきました。明日はきっと、いつかきっとと信じ続けて教えています。Somedayーと信じ続けたら未来の世界もよりよいものに変えていけるかもしれません」(引用終わり)。おっしゃる通り、多くの可能性と未来を持っている若者や後進者などと関わる楽しみはまさにそこ!なのだ。若者達を見ていると、たとえ今躓いているように見えても「彼らにはどんな未来が待っているだろう?ぜひ夢をもって、いつかはきっとその夢をかなえてほしい。その途中過程において少しだけ、少しだけこうして一緒に歩んでいけることは幸せだなあ。いつかきっと・・・・。」と常に感じている。同時に自分自身は、実年齢は決して若者とは言えないけれど気持ちはいつまでも「若い」つもり。そう、自分自身「いつかはきっと・・・」と常に常に夢と野望を持ち続けている。☜それゆえに周囲から怖いと言われるのだけど(苦笑)。「いつかはきっと・・・」を信じて常に前進あるのみ。
2017/12/05 20:48
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漢字派?ひらがな派?カタカナ?
貴方は漢字派?それとも平仮名派?片仮名派?むろんどれが正しいとかはなく、一言で言うとその人の好みで使い分けたり、ケースバイケースで使い分けるのがよい。例えば、動物を見て「可愛い~」と表記するのと「カワイイ~」と表記するのを比べると「カワイイ~」の方が優しい印象で、言っている本人の感情や様子が想像しやすいだろう。さて、自分自身はと言うとズバリ「漢字派」!!!昔から漢字が大好きで、ついついなんでも漢字で表記する癖があり・・・それゆえ意識しないと固い感じの表現に偏ってしまうため友人への連絡などは「美味しい」と表記せずに「おいしい~~~」と言った風に平仮名や片仮名を使うような工夫をしている。さて、先日から入院生活を送っている友人が今週には無事に退院できるそうだ。そのことを知り、嬉しくなって「無事に娑婆に戻ってこられる日を楽しみにしています。」とおふざけメールを送ったところ・・・。【※娑婆とは仏法では人が生きる世界を指し、世界四苦八苦の苦しみに耐える自由のない世界としている。しかし俗語的に娑婆は刑務所に入っている人にとっての外の自由な世界を意味する。俗語的意味で娑婆がよく聞かれるのはドラマなどの出所シーンにおける「シャバの空気はうめえ」というセリフ。また、日常生活でも合宿中の生徒や新入社員、人里離れた地で勤務する人など自由のきかない生活をしている人が「早くシャバに戻りたい」といった形で使用する。】彼女は「娑婆」と言う熟語を見た瞬間に「婆婆」と勘違いし「婆婆」☞「ばあばあ」☞「ばーば」に変換して文章読み進めたらしい。当然、全く意味不明の文章が長々と続き・・・さすがにおかしいと感じた彼女はもう一度漢字をしっかりと見ると「婆婆」ではなく「娑婆」となっていることに気づく。ようやく「娑」☞「しゃ」☞「娑婆」=「しゃば」=「シャバ」と気付いたそう。つまり最初から「シャバ」と書けば誤解をまねくことはなかったのだけど、漢字で書いてしまったため良からぬ、意味不明の妄想をさせてしまい猛省!とはいえ、お互いにこのことをメールでやり取りして大笑い!さらには想像・創造・妄想力を兼ね備えている彼女。娑婆☞シャバ☞シャバダバダ~♪シャバダバダ~♪(「男と女」のテーマソング)が脳裏に浮かんできたそう。そのメールを読んだ瞬間から、こちらも怪しげな音(シャバダバダ~)と流れている。怖い怖い。「男と女」 フランシス・レイ - YouTube
2017/12/04 03:02
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リブログ
いつもお邪魔させてもらっている若松若水 のブログ(12月3日付「受験生へのメッセージ」。先生、先生の教え子の言葉、生き方・・・。涙なしでは読めない深いもので、多くの方々に読んでいただきたいと思いリブログさせてもらう。余計な言葉は必要ない、むしろ邪魔だと思うので今日は陰陽師特有の「長々文章」は割愛する。明日からはいつも通りのブログ予定。こうご期待?!
2017/12/03 17:25
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志望動機を書くこと
昨日、高校入試の推薦願を持ってきた生徒がいた。一応下書きをしたものを担任(国語担当)に見せ朱を入れてもらった状態で、国語塾でも添削をお願いしたとのこと。ちなみに最終締め切りは4日(月)。①志望動機②自己アピール文③中学3年間の活動についての3個所書く必要があり、②と③に関しては本人が最初からきちんと書いていた。細かい接続語などを担任が訂正しており(さすがは国語教諭、自分も全く同じように直すだろうなあという表現に訂正済み)、お教室では、さらに内容を変えずに表現法を変えることによってスマートな文になるようアドヴァイスした。さて問題は①!!!本人は一生懸命に大量のメモ書きをしており、担任の先生に「要約」的なアドヴァイスをもらうつもりだったのだろう。ただ・・・正直言ってテーマが完全にずれている!志望動機を書かなくてはいけないのに、自分が学校を選ぶまでの過程がつらつらと書いているのだ。「うわっ、まずい!これは全部書き直し」と思いながら生徒に「ちなみに先生のアドヴァイスや修正後の文章はどれ?」と聞くと、なんとなんと「思い切ってすべて書き直しましょう」という一言のみ。内心「ああやっぱり・・・・、そりゃそうだろう。」とは思うと同時に「え?それだけ?それ以外のアドヴァイスは?」と少々肩透かしを食らったような気分。担任にいつ訂正してもらったのかは分からないけれど、締め切りが月曜日!書き直して担任に見てもらう時間がない!もしかすると担任としては「どうしても書き方が分からなかったら個別で聞きに来ればいい。すると教えてあげる。」というスタンスだったかもしれないが、生徒は担任ではなく国語塾の指導者を頼ってきたという次第。早速どこがどうマズイかを説明し、「この学校に入りたい」と思えたきっかけやエピソードを箇条書きにさせた。次に志望動機の書き方の一般的な「型」、「型」に当てはめることによる利点などなどを説明。つまり彼にとっては「志望動機」を書くのは生まれて初めてで、いわゆる「書き方」を知らなかったのだ。「知らない」なりに一生懸命書いて担任にみせたものの「自分で考えろ」的なアドヴァイス・・・。確かに「自分で考える、調べる」という行為はとっても大切で指導者側としても「教えすぎる」ことはよくないと思う。とはいえ、極端な話ひらがなを全く知らない人に自分で「ひらがな」について調べて勉強して、自力で簡単な絵本を読めと言う?いや言わないでしょう~。つまり、たった一言でいいからもう少し「行きたい理由を明確に」というアドヴァイスをしてあげてもいいのでは?と彼の担任の先生に対して感じた。とはいえ、指導者それぞれのポリシーがあり、だからこそ学校外の教育産業が存続できるわけなのであまり偉そうには言えないか。将来を左右する(?)高校入試、担当している生徒が合格するためにはベストの応援をしようと思っている。
2017/12/02 17:17
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「まずはやってみる」「勘を養う」
今日の午後、ふとしたきっかけから幼児~中高生対象に英語を指導している方と話す機会があった。年齢が低い、海外移住はおろか海外旅行の経験すらないような子供たちを英検4級以上に合格させるスーパー指導者。中学生たちは準2級はもちろんのこと現在2級を目指して頑張らせているとのこと。自分自身を振り返ってみるととりあえず就職に有利かもしれないので最低限2級ぐらいは取得するかあ~という軽い気持ちで大学時代に英検2級を取得したけれど、中学生の頃は3級でやっとだった。中学生以下が2級を目指すためのコツは何かを聞いたところズバリ①勘を養うこと②①のためには語彙力、単語力を増やすこと、この2点が大切だそうだ。むろん指導者によって考え方や指導法が違うだろうけれど、少なくとも英語の先生の話には納得。先生がおっしゃるには「中学生の段階で高校の文法を完璧に理解しようとすると膨大な時間がかかる☞英検2級取得に何年かかるか分からない☞語彙力を磨くことによって頭の中で英語を入れてみて違和感がないものを選ぶ☞正解のことが多い(勘が養われているからこその技)。」「日本語も同様にいちいち、えっと・・・この場合は助動詞の『は』かな?『の』かなとは考えないでしょう?だから慣れが必要なんです。」とのこと。フンフン、なるほど~~~。英語も国語と同じだなあと感じる。①「知識を完璧にしてから実践」ではなく「最低限の知識を頭に入れたら、とにかく実践をしてみること。そして体に覚えこませること。」②語彙力を増やすと勘が養われる、以上2点。最初新しい単元を学習したときに問題を解いてみようとすると手も足も出ないから嫌だ・・・まずはノートをまとめて!というタイプ、過去問は知識を完璧にしてから解くというタイプがいるけれど、その方法にこだわりすぎるとタイムーオーバー。受験生限定で書くならば過去問を解いてみて撃沈したとしたら、そこから抜けている知識を入れていくことが大切。あくまでも過去問は傾向を知る、弱点を知るというものだから。インプットとアウトプットのバランスが大切で、そのバランスを取る方法としては「ある程度の段階になったら、まずはやってみること」「完璧を目指さず、勘でもOKと考える。勘を侮ることなかれ。」この二点を改めて認識した出来事だった。
2017/12/01 17:01
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大和撫子
先日、ある女性のことを説明するために「一言で表現すると大和撫子(やまとなでしこ)のようなタイプ。」と生徒に言ったところ「??」の反応。つまり「大和撫子(撫子《ナデシコ》の花のように、繊細で可憐だが芯は強い女性のこと、女性に対する誉め言葉。)」を知らない・・・。慌てて「大和(やまと)は昔の日本の呼び名で、撫子は・・・・」と拙い絵を描いて必死で説明したのだけれど( ゚д゚)・・・。ああ、今の子は「なでしこジャパンサッカー(日本女子代表チームの愛称、日本女性を表す「大和撫子(やまとなでしこ)」という言葉から、世界にはばたくことを願い大和をジャパンにかえてつくられたもの)」は知っていても語源となった「大和撫子」は知らないんだなあとジェネレーションギャップを感じた。当然「日本男児」も知らない、かろうじて「光源氏」に関してはアイドルグループではなく「源氏物語」の主人公ということを知っておりホッ。☜ゲームの登場人物として出てきたらしい。新しい言葉が次々生まれ、古い言葉は死語になっていくのは仕方ないと思うけれど・・・それでも美しい言葉やいわゆる「大和言葉」は残し、使っていきたいものだと個人的に思っている。さて、年上の友人の中にまさに「大和撫子」という表現がぴったりの女性(関東在住)がいる。とにかく何でもお出来になり、それを決してひけらかすことなく、気配りが本当にお上手で美しい大和言葉をお使いになる方。彼女と共通の友人(こちらは北海道在住)が近々病気治療のため入院するという話を我々は共に聞いていた。どのくらいの期間の入院なのか等の詳細は分からないため自分自身は、敢えてそっとしておこうと決めていた。すると関東在住の大和撫子は入院期間など分からないけれど、もしも長期に及ぶならば退屈するだろう、でも体調によっては本を読む気力もないだろう・・・等を考慮して病気治療予定の友人が興味を持っており、間違いなく喜びそうな写真集、作品集を送ったそうだ。そのことを、送られた友人のブログで知り、大和撫子タイプの彼女に「○○さんのブログにプレゼントのこと紹介されており、とっても喜んでいました!」と伝えると「良かったです。差し出がましい(おおっ、でた!『余計なこと』と言う意味の大和言葉)かしらと気にしていましたが、それを聞いて安心しました。」というお返事が。病人に対してそっとしておくのも思いやりと高をくくっていたけれど、関東在住の友人の計らいにはただただ脱帽する。本当に見習いたいべき点が多い素敵な、人生の先輩でもある大和撫子である。
2017/11/30 03:50
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即断即決
【ビジネスはスピードが命。「即断即決」ができないと、大きな成果を得ることはできません。日本IBMのシニア・プロジェクト・マネジャーとして数百人のメンバーを抱える木部智之氏は「即断即決ができないと、チーム全体の効率や生産性が落ちる」と言い切ります】(東洋経済オンライン 11月29日付より抜粋)。「即断即決(そくだんそっけつ)」の意味「その場で直ちに決めること。間髪をおかずに決断を下すこと。▽「即断」「即決」はともに物事の判断をすぐに行うこと。「即決即断(そっけつそくだん)」ともいう。確かにビジネスにおいて「即断即決」は基本だと思う。なぜなら即断即決することによって相手の時間を大切にする☞信用につながるから。実際に仕事のことで何かを依頼した時に相手から即断即決していただくと本当に気持ちがいいし、スムーズに物事が進む☞二回目も同じ担当者、会社を利用しようとなる。自分自身、仕事上に限らず基本的には即断即決のタイプで例えば外食するときにはメニューを見た瞬間に決めている。洋服類の買い物も店に入った瞬間に実は決まっているし、お教室内の壁紙や床の色などを決める際にはカタログを開いた瞬間に決めている。それゆえ「陰陽師さん!真面目に考えて下さい!」とまで言われる始末・・・。思わず「ハイ、ちゃんと考えています、これでも。ご心配なく!後で後悔したりしませんし、ましてや○○さん(担当者)の責任にはしませんから。」と伝えた。とはいえ、どんな場合でも「即断即決」がいいかというとそうでもないので要注意。よくあるパターンとしては「急いで結婚ゆっくり後悔」という言葉もあるぐらいで・・・。また「即断即決」することによって相手を傷つけてしまう?こともなくはない。実は某人に対して「あること≒不許可」という判断をしていたのだけど、念のため某人の共通の知人に相談したところ、知人も即断即決で「ダメ!」とのこと。「ハイ!分かりました~。そのように伝えます。」と言った瞬間に知人は「くれぐれも、ものすごおおおおく迷って迷って迷った挙句に苦肉の策で決断していたと伝えて下さい。自分は意地悪な人と思われたくないので。」とおっしゃる。「は~い!『即断即決でダメって言ってたよ』と伝えます。大丈夫です。某人は貴方のことを恨んだりするようなタイプではないですから。しかも二名の意見が一致したということで納得すると思います。」と伝えた。この件に関しては自分自身が即断即決をしていたけれど、時間・別の人にも相談するというワンクッションを設けた。ただし最初にも書いたけれど相手の時間を大切にするという意味においては時と場合を考慮しつつも「即断即決」は大切だと思う。
2017/11/29 19:20
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雨降って地固まる
「路面凍結で事故多発 十勝管内5署で29件」という記事が新聞に載っていた(十勝毎日新聞11月27日付)。実際にあちこちの道路が凍結しており、冬用タイヤでもハンドルを取られてしまうという状況で何人かの知人は、車2台が横転しているところを目撃したとか・・・。まさに「雪降って地固まる」≒「超危険」だよなあなと、ふと思った。北海道に来てから早9年目、ようやく路面凍結の状態に慣れてきたとはいえそれでも恐い・・・。予期していないところが凍結していたりする・・・。さて、「雪降って地固まる」と先ほど表現したけれど、正式な諺が「雨降って地固まる」。「揉め事の後は、かえって良い結果や安定した状態を保てるようになること」として使う諺で、由来は「雨が降ることによって地面が水分を含み柔らかくなるが、その後晴れることによって雨が降る前よりも地面は固くなること」。つまりは雨の後に「晴れる」ということが必要!ちなみに路面凍結の状態から元に戻る、積雪がなくなるころには・・・アスファルトの表面にひびが入ってしまうことが多い十勝地方。雪に関しては春になって「晴れる」ことがあっても地面が固くなる(良い状態)とは到底言えない。つまり「雪」に関しては「雨」とはかなり事情が違う・・・けれど外に出ると一面銀世界、空気が澄んでいる北海道、個人的には気に入っている。さて話を戻して、「雨降って地固まる」の使い方の例としては「仕事をおざなりにして遊んでばかりいたあの人は会社をクビになったそうだけど、今では仕事に専念して出世するほどになったそうだよ。雨降って地固まるだね。」「雨降って地固まるで、以前まで暴走運転をしていた若者が事故に遭ったことによって今では交通ルールをしっかりと守るようになったそうだよ。」などで、第三者の介入があって事が落ち着くという意味で使うのは間違った使い方。結局は何か目の前の事象に対して自分にとってプラスの出来事に変えるのは自分次第ということか。全く同じ意味で使われるのは「災い転じて福となす」がある。雨や災いをそのまま放置しておくと、道はぬかるんだまま、自分自身は不幸のまま・・・「晴れる」≒「自分の心がけ、努力?」をもってして取り組むことが大切・・・。言うは易く行うは難しだけど。
2017/11/28 17:57
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