めむろ国語専門塾
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小さな国語塾のつぶやき
ノーベル賞受賞について
赤崎・天野・中村氏がノーベル物理学賞を受賞し、同じ日本人として本当に嬉しく誇らしい気持ちになる。中でも中村修二氏が受賞されたことに対しては、個人的になんだか感慨深いものがある。というのが、過去に、青色発光ダイオードの製法についての中村修二氏と日亜化学工業の訴訟については、ノーベル賞を受賞した田中耕一が引き合いに出されて、中村修二は貪欲であるという非難がなされたからだ。単に個人的にバッシングだけならいざ知らず、別の研究者と比較して非難されたわけであり、日本人の中にはそれらをうのみにして彼に悪印象を持った人も多いに違いない。国語において必須な「対比」を用いるとインパクトが強くなるということが裏目に・・・。ちなみに、これについて田中耕一は、「自分の発明は会社の売り上げにあまり貢献しなかった」と状況が全く違うとして、中村修二を擁護する発言をしている。←田中氏は本当に冷静で素晴らしい人柄だということが想像できる。が、だからといって中村氏が「難あり?」とはならない。
2014/10/08 12:02
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漢詩
「漢詩」が面白い!時間があったり、心が折れそうになったら(?)ちょくちょく漢詩を読んでいる。むろん書き下し文の口語訳なのだが。なぜ面白いかというと①字数が決まっている、韻をふんでいることからリズムがよい②先人の気持ちを味わえるの二点に集約される。どんなに偉い人でも色々と悩んだりした、また自然を前にすると自分が色々と思い悩んでいることは実は小さいことなんだと改めて実感できるのである。とはいえ、よほどのマニアックな?タイプではない限り、なかなか「漢詩」を眼にすることはないだろうが、実は漢詩の一部が慣用句として使われている。例えば有名なものとしては「少年老い易く学成り難し」「人間至る処 青山あり」「春眠暁を覚えず」などなど。ぜひチャンスがあれば漢詩に触れてみてほしい、新しい発見があるかも。
2014/10/07 12:17
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判官贔屓
「判官贔屓(ほうがんびいき)」という言葉がある。意味は、人々が鎌倉時代の武士、源義経に対して抱く客観的な視点を欠いた同情や哀惜の心情のことであり、さらには「弱い立場に置かれている者に対しては、敢えて冷静に理非曲直を正そうとしないで、同情を寄せてしまう」心理現象を指す。源頼朝は弟、義経を死に追いやった悪い人だといわれていまいそうだが、日本で初めての本格的な武士の政権をうちたてた、非常に功績のある人物である。弱い方や不利な方を応援しようという気持ちは、日本人の優しさを象徴しているものだと思うが、国語の問題を解くときには自分の主観は持ち込まないように。また、今後長い人生を生きていくうえでは(冷たい人間」ではなく「冷静な判断を出来る人間」になるためにも、客観的視点の訓練は役立つこと間違いなし。
2014/10/06 13:18
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稽古
「稽古」の「稽」とは「考える」という意味があり、「稽古」とは「古の道を考える」ことであり、古書を紐解いて古人の教えを学ぶ、それが「稽古」の本来の意味だ。安土桃山時代から戦国時代に活躍した茶家、千利休も「稽古」の何たるかを喝破している。「稽古とは一より習い十を知り十よりかへるもとのその一(稽古というのは、初めて一を習う時と、十まで習い元の一に戻って再び一を習う時とでは、人の心は全く変わっているもの。)」この言葉は真理をついていると思う。稽古すればするほど新しい課題が見えたり、発見があり、だからこそ楽しく、稽古が続くのである。十までに習うまでは正直言ってつらく面倒くさいという心が起きるのだが、それを乗り越えると必ず何かをつかめると信じて日々精進
2014/10/05 02:55
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眠れない夜には・・・
作家、阿刀田高氏は「ややこしいことを単純化して覚えることが好きだ。昨今は、源氏物語は七・五・三と略して悦に入っている」と言っている。源氏物語の中核となる光源氏の女性関係について、かかわりが深い人七人、少しだけの関係が五人、なびかなかった女性が三人と要約し眠れない夜はこの数を基にストーリーを復習するらしい。なるほど、これは眠れない夜には使えるかも!と膝を打った。ちなみに自身はというと眠れない夜は①楽しい妄想をする。②楽しい妄想が無理な時は諺や四字熟語を別の漢字に置き換える、などして遊んでいる。たとえば「千載一遇(二度と来ないかもしれないほど恵まれた状態)」を「繊細一隅(気が弱いため、相手に対して強い態度で臨むことができず隅でいじけている)」と置き換えるなど。←中間管理職の気持ち?!幸い、個人事業主の自身はというと仕事においては中間管理職の悲哀を味わうことがなく恵まれているなあと実感。
2014/10/04 04:20
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砂時計
かの発明王エジソンは、ある人に成功の秘訣を問われた際に「部屋から時計をかたづけなさい」と答えたと言われている。つまり、時間を気にしながら仕事をしているようでは、偉大な仕事は出来ないということを伝えたかったと思われる。が、エジソンのような特別な人間はさておき、「普通の人間」特に「学生」は時間を意識することで、集中力を高めることができる。特に中学生はテストを受けるときには限られた時間内に多数の問題を解かなくてはならないのだ。というわけで、日ごろから目の前に時計を置いて時間を計って問題を解くということを実践するとよいだろう。ちなみに当塾では、つい最近までは「何時何分までに解いて」とやっていたのだが、集中していると壁際の時計をみるということはなかなか困難。かといって目の前にタイマーをおいてもデジタルなので、どれだけ時間がたったかはあまり実感できないということが判明。よって最近は5分間の砂時計を使用している。これが、意外とヒットで砂が落ちるまでに・・・と結構モチベーションが上がるようで、ぜひ皆さんにもお勧めの一方法。
2014/10/03 11:50
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鏡=鑑
「吾妻鏡」という歴史書がある。平安末期の源氏の挙兵から始まる、鎌倉時代の歴史を描いたこの書は、その後多くの武士に広く読まれることとなった。そもそも「鏡」=「鑑」という語には、お手本という意味がある。つまり、昔の武士は歴史書をお手本として、そこから学ぼうという意欲に満ちていた。現代では「鏡」という言葉を使った諺には「子は親の鏡」がある。ストレートな意味は(親の考え方や言動が、そのまま、鏡のように、子供に映しだされる)となるのだが、この「鏡」をお手本として解釈してもきちんと意味が通じると感じる今日この頃。子供たちの純粋な発想であったり、態度、様子などを親をはじめとして、大人がお手本とすることが多い。常にお手本となるものから学ぼうという意欲を持ち続けたいものだ。
2014/10/02 15:41
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HPリニューアル
今日は10月1日、年度の後半が始まると思うと気が引き締まる思い。さらには開塾したのが去年の10月!アニバーサリーを記念して?HPを大幅リニューアルしていただいた。決して前のページが気に入らなかったわけではなく(むしろ気に入っていた)、印刷し周囲の方々に案内として配るというコンセプトだったのを、ネット上で集客というコンセプトに変えたためのリニューアル。今回も担当のMさんには多大なるご協力を頂き、ただただ感謝。いつも書いているようにMさんは本業が別におありで、ほとんどご厚意でHP作成をしてくださっているのだ。そういう事情から締め切りなどは設定せずにお願いしていたところ、迅速な対応、10月1日からリニューアルという粋な計らい。お時間のおありの方はぜひHPへ。
2014/10/01 11:43
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Mですっ笑。この~ほめ上手っ☆早めの対応の裏返しは「忘れっぽいから忘れちゃやばい!」というだけなんですよ。実は…。
それはそうと、もう一年…まだ一年しか経ってないんですね?!もっと長く感じます。2年目はさらにパワーアップして楽しんで頑張ってください(^-^)2014/10/2 17:38 返信
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ウワッ、ご本人からコメント嬉しすぎす。有難うございます!!!いやいや、本当に本当にMさんの誠実さ、マルチぶりには見習う点が多く・・・あちこちで自慢してます(自分のことは誇れるものは少ないので、人様の自慢ばかりです~)。くしゃみしてません?ところでそうなんです、まだ一年。どの生徒も可愛くてもっと前から知っているような感覚に陥ってます。
2014/10/2 23:38 返信
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「右」「左」の書き順
「右」という字は一画目は「ノ」、二画目が「一」だが、「左」という字は一画目が「一」、二画目が「ノ」が正しい。どちらの字も人間の手から出来た漢字で、右(みぎ)も左(ひだり)も、指を表す部分を先に書いて、腕(うで)にあたるところをあとに書く。つまり「右」という漢字は指に当たる部分が「ノ」となり、「左」は指の部分が「一」となったのである。ネットなどで探すとイラストが出てくると思うのでぜひ探してみてほしい。とはいえ、いくら手のイラストを思い浮かべたとしてもそこから崩して漢字に・・・となるとなかなか覚えにくい。「ノ」「一」どちらがさきだったか?と迷った時は・・・かなりこじつけなのだが、右:ノ→ 一 の順番に 連続的に指で書くと「右回り」。左:一 → ノ の順番に書くと「左回り」と覚えると間違いにくく、特に筆で書くときには流れるような美しい字が書けること間違いなし?!
2014/09/30 02:35
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馬の耳に念仏
日曜日に、帯広在住で「馬」を撮り続けて60年!という写真家Mさんに色々なお話を聞かせていただいた。いかに「馬」が利口な動物かという内容が中心で、本当に興味深く勉強になった。自分自身も馬を見かけると、つい可愛くなって色々と話しかけるのだが(周囲からすると奇異に映るらしい)、正直言って小学校低学年の児童よりもじっくりと人間の話を聞いてうなずいてくれるような気がする(実際にいいころ合いで首をさげてくれ、まるで返事をしているよう)ので、昨日の話には大いにうなずいた。さて、「馬の耳に念仏」という諺がある。【意味】馬の耳に念仏とは、馬に念仏を聞かせても、そのありがたみがわからないことから、人の意見や忠告に耳を貸そうとせず、少しも効果がないことのたとえ。ここで注意すべき点は、念仏のありがたさがわからない愚かな奴の意味が含まれているため、目上の人に用いるのは誤りで、その場合は「馬耳東風」を使うとよい。確かに馬に念仏を聞かせても分からないだろうが、ほかの話はきちんと理解できている・・・とツッコミを入れたい気分。
2014/09/29 10:15
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