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小さな国語塾のつぶやき

老人力

「老人力」という言葉を生み出した、前衛芸術家や作家である赤瀬川源平氏が26日に77歳で亡くなった。「老人力」とは高齢化することにより陥る、もの忘れなどのマイナス面を、逆に老人にしか獲得できない「力(能力)」と肯定的に解釈して、その状態を余裕をもって楽しむことを提案したもの。斬新な視点、常にユーモアを絶やさない点にはただただ感服。これらの才能はむろん天性のものだろうが、それらを保つためのたゆまない努力があったように見受けられる。『作品は肩の力が抜け緩そうに見えるが、2Bのシャープペンで書きつづる執筆では一字一句にこだわり、小さな修正も厳しく抵抗した。昨年夏、入院先で妻の尚子さんに「赤瀬川原平をやめようかな」と漏らした。脳卒中の後、友人には「言葉の面白さがわからなくなった」と話している。』(毎日新聞より)多面的な視点を養うためには常に「違う方向から見る」「何か面白いことはないか」とアンテナを張り、楽しむことが大切だと思う今日この頃。

 

2014/10/28 12:52

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可塑性

昨日の続きで・・・。「え?うちの子は作文、文章が苦手。原稿用紙を目の前にすると一文字も書けない。大学受験は絶望的?!」と先日の文部科学省の大学入試改革の記事を見て思われた親御さんが少なからずいることだろう。だが、慌てることなかれ。正直言って、スラスラと書ける=上手、一文字も書けない=絶望的とはならない。一文字も書けないタイプというのは「じっくりと考える」慎重派ともいえる。事実、本人や親御さんが苦手と思っている子に限って、ヒントを与えつつ文章を書かせるとキラリと光るセンスが見えることも。逆に戸惑いもなくサラサラと書いてる子に限って、一文が長い、ひたすら時間の流れを書いている、読書感想文の場合だとあらすじばかり・・・ということもある。小中学生は脳の可塑性があるので、いい方向へと導くチャンスを見つけてあげることが大切。

2014/10/27 03:28

ヒデ@マニュ

サラサラと書いてる子でした(^-^;
確かに我ながら、読書感想文はあらすじばかりになりがちだったなぁ、と思います。
「伝えたいこと」を過不足ない文章で表現する力は、今になって本当に必要だと感じますね。

2014/10/28 08:25 返信

スポット@めむr国語専門塾

素敵なコメントありがとうございます!サラサラと書いてらっしゃった姿を想像するとほほえましいです。過不足ない文章・・・難しいですが、まずは「サラサラ」が第一歩ですね。

2014/10/28 12:53 返信

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記述式

大学入試知識以外も評価「志望理由書・プレゼン・資格・・・」という見出しが昨日の朝日新聞の一面を飾った。学力を測る場合は、選択式だけでなく、「記述式、論述式」になるという。この記事を読んで、自分がやっていることは間違ってはいないと確信した。これらの方針に伴い、進学校では「小論文、記述」の授業に力を入れるようになると思われるが。。。。どこまで個々人の文章を添削指導してくれるかは指導者次第。そうなると対策として通信添削教材を利用する、塾に通う、得意な人に見てもらうなどなど、どうしても各家庭での工夫や取り組みが必要となってくる。しかも、大学受験間際になってからいきなり文章の練習となると受験生本人にとってもかなりの負担になる。時間的、気分的に余裕があるうちから楽しく文章力をつけたいという方々はぜひ当塾まで。

 

 

2014/10/26 04:02

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原作

古典名作に少しでも子供たちが興味を持つように・・・ということで、古典漫画、アニメDVDなどが沢山世の中に出回っている。絵が美しい、かいつまんであるので分かりやすいという利点があっていいのだが、原作からのズレが多い作品を見ると思わずがっかりする。と同時に、このアニメ、マンガを本物だと思ってしまい本来の原作を知らずに終わってしまう人間が増えると思うとぞっとする。例えば芥川龍之介の「蜘蛛の糸」をアレンジした某作品には「お釈迦様」が全く出てこないのである!ただただ、びっくりしてあいた口がふさがらない。タイトルに「異聞」といった一言があれば全く問題ないとは思うが・・・。漫画やDVDでおおよそのあらすじを知っておくというのは無論悪いことではないが、短編ならばぜひとも原作、本物にも触れることをお勧めする。

2014/10/26 04:01

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「花」=「梅」「桜」

「イモ」といえば北海道では誰もが「ジャガイモ」のことを連想するが九州、特に鹿児島では「イモ」=「サツマイモ」なのだ。九州に限らず関東辺りまではおそらく「イモ」=「サツマイモ」と連想するだろう。さて、西洋で「花」といえば「バラ」。ギリシャ・ローマ神話にはバラが登場し、古代ローマでは、「美」と「愛」がバラの属性となった。まさにヴィーナスのシンボルだったわけだが、中世ヨーロッパでは「聖」が属性となり、聖母マリアのシンボルへと変わった。では、日本ではどうかというと奈良時代までは「花」といえば「梅」、平安時代後期以降は「桜」をさすようになった。この歌から「花」は「梅」ではなく「桜」という区切りはないが、遣唐使の廃止以降は中国渡来の梅から、日本特有の花である桜へと感心が高まっていったと考えられる。何が言いたいかというと、時代、地域によってある言葉が特定の意味をもつということ。とくに和歌においては「花」=「梅」か「桜」ということを念頭に置いておきたい。

2014/10/24 11:12

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袖振り合うも多生の縁

先日、関西地区で「こだわりの品々」を置いている某食品店のオーナーと久しぶりに電話で話した。食べ物王国の道産子におすすめの食べ物をチョイスしてもらったのだ。北海道の食べ物のおいしさは日本一と言っても過言ではないと思うので、舌の肥えた道産子に差し上げるための美味しいものはどれがいいかと楽しみながら厳選。さて、そのオーナーとは20年近く前の塾の教え子の親戚。教え子ともまだお付き合いが続いており、本人のみならず親戚の方々ともお付き合いさせてもらっており、つくづく縁って不思議だと感じる。さて、「縁」を使ったことわざに「袖振り合うも多生の縁」がある。「多生」とは仏教の言葉で、この世に何度も生まれ出ること。道で人とすれ違い、袖が触れ合うようなことでも、それは何度も繰り返された過去の世の縁によるもの。「偶然」ではなく、縁によって定められた「必然」であるという考え方。よくある間違いが「他生」「多少」という表記。「他生」は誤用だと一言断ったうえで辞書に表記されることも。正しく覚えておかないと恥をかくことも?!

2014/10/23 13:26

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国語力

「社会に出てから文章を書くことの大切さを知りました。」「仕事で文章を書くことが多くなり、本当に苦労しました」という言葉をよく聞く。誰のセリフか?当塾に営業をかけてくる広告会社などの社員さんのセリフ。あちらも商売なので、なんとか広告を掲載してもらおうと「国語塾ってニーズがあると思います。」に始まり「折角いいHP持ってるのだからネット上でどんどん集客をしましょう!そのためのお手伝いを・・・・」という営業トーク。正直言って営業トークに関しては話半分なのだが、その中で時々本音が混じるのである。その本音というのが先のセリフ。また、当塾に問い合わせしてくださる保護者の方々の中には、ご自分が社会に出たときに「国語力」の大切さを知ったので・・・ということも。今、国際化が叫ばれており「早いうちから子供には英語を」という親御さんが多いとは思うが、日本人としてまずは「日本語」「国語力」を身につけることが大切ではないだろうか。

2014/10/22 12:58

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行事作文

先日の日曜日、音更、芽室地域の小学校で学芸会が開催された。「歌」「劇」「合奏」などにむけて先生、生徒が一丸となって毎日、毎日練習に明け暮れたことだろう。その頑張りを今週には「作文」にあらわすというクラスが多いと思うのだが。ここで気をつけることは二つ。一つは「読み手を意識すること」。今回の作文を読むのは学校の先生なので、多少分かりにくい表現があっても理解してくださるのだが、作文をはじめとして文章というのは基本的には「誰が読んでも分かる」ように書くことが大切。二つ目はあれもこれもと欲張って書かないこと。練習、本番での頑張りを主張したい気持ちは分かるが「~した」「~した」「~した」「そして~」「そして~」とただ、時間経過を書いているだけだと日記になってしまう。たくさんあるエピソードの中でどれが一番印象に残ったかを選んでくわしく書くことが大切。たとえば、書きたいことが5つあったとするならば敢えて引き算して3つぐらいに絞るとよい。

 

2014/10/21 12:35

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「~でよろしかったでしょうか」

「~でよろしかったでしょうか」という言葉に対して長年違和感を抱いている。飲食店においてオーダー確認、買い物のお会計時にかけられる言葉である。(「よろしかった」ってつい今しがたのことが過去?「よろしいでしょうか」の方が違和感ないのに、それだと上から目線と遠慮してる?)など様々な蘊蓄を頭の中でたれている。さて、この言葉について興味深い文章を見つけたので紹介する。「『よろしかったでしょうか』などと言われてしまったら、もう後戻りできないような気分にさせられる。(中略)異常なほどの配慮、恐怖感とでもいえるようなものの存在を感じる。結果として店が客に無関心であることと似てきてしまっているような気がする。」(金田一家、日本語百年のひみつ 金田一秀穂著)。客に対して丁寧な言葉づかいをする、店のマニュアルに従うということは大切だが、客に対して誠実な「気持ち」をこめて声かけするということが大切なのではないだろうか?

 

2014/10/20 12:03

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手紙の基本構成

縦書きの手紙の場合、どこに相手の名前を書くか?①書き出しの冒頭②本文の終わり③手紙全体の一番最後・・・・。答えは③メールや横書きの便せんに慣れているので意外な感じがするが、正式には本文、改行して日付、改行して下側に自分の名前(差出人)、また改行して相手の名前を上方から書く。実際の書式はネットや本で確認すると一目瞭然。なんとなく一行目に相手の名前を書きたくなるのが人情だが、縦書きの場合は要注意。横書きの場合は、大半の人が実行しているように、一行目の書き出しに相手の名前。本文が終わってから改行して日付、また改行してから右よせで自分の名前(差出人)となる。縦書きと横書きでは手紙の書き方が違うので間違わないようにしっかりと覚えておきたい知識。

2014/10/19 10:06

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