めむろ国語専門塾
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小さな国語塾のつぶやき
ジンギスカン
北海道で焼肉といえばジンギスカン。先日、某サークルのメンバーたちと一緒にジンギスカンを野外でいただいた。小雨の中、炭火で焼くアツアツのジンギスカンは本当に美味しかった。さて、ジンギスカンの漢字は「成吉思汗」でこれは原音に近い漢字をあてたと思われる。が、日本にはジンギスカン=源義経説が存在し、そこから「よしなりてすいかんをおもう」= 成吉思汗という由来も考えられたという。「よしなりてすいかんをおもう」= 成吉思汗「日本を出てついにモンゴルの王者(吉)と(成)った今、私は水干=(汗)をつけたあの人・静御前を(思)う」。このファンタジー説は江戸時代からのようだが・・・判官びいきの日本人独特の思想であり、ロマンチックな説だ。
2014/11/05 14:02
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菊
秋の花と言えば「菊」。帯広でも昨日まで「菊まつり」が開催されており、美しい菊の数々はもちろんのこと様々な地方の特産物あり、くじびきあり・・・と多彩な催しであった。昨日の午前中に「菊まつり」に行き、目の保養をさせてもらった。休日返上でがんばってらっしゃった東洋印刷のKさん、お疲れ様です。さて、菊を題材とした短歌を紹介しよう。「 心あてに 折らばや折らむ 初霜の おきまどはせる 白菊の花(凡河内躬恒)」(訳■もし手折(たお)るならば、あてずっぽうに折ってみようか。真っ白な初霜が降りて見分けがつかなくなっているのだから、白菊の花と。)朝の凛とした寒気、そして白菊の可憐な白さと誰も手を触れていない初霜の清楚な白さが合わされて、非常に高潔な美が描写されている一首。庭に咲いている菊を見て詠んだ一首だと思われるが、昨日の「菊まつり」の会場の素晴らしい作品を目の当たりにすると、正直言って「あてずっぽうに折ろう」という気はまったく起こらず、見事な形をいつまでも見ていたい気分にさせられる。
2014/11/04 12:23
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下の句かるた
「下の句かるた」という遊び方をつい最近になって知った。百人一首のカルタ遊びとしては北海道以外では、読み手が上の句から読み、取り手が下の句が書かれている取り札(紙製)を取るという形が一般的。北海道では読み手・取り手が下の句のみで行い、取り札は木製が一般的だという。「決まり字」というのを覚えておけば下の句が読まれる前に正しい札を取ることができるため、ん十年前には必死で覚えたものだが・・・。たとえば「む」とくれば「きりたちのぼる秋の夕暮」といった具合に。ちなみに1字決まりは「むすめふさほせ」の七枚。でも下の句だけが読まれて、それを取るならば普通のカルタと変わらないのでは?と思いきや、そう単純でもないらしい。なぜなら札は「変体仮名」と呼ばれる独特な書体が使われているから。「決まり字」を覚える必要がないカルタ遊びだが「変体仮名」を知ることができるチャンスでもあり、なかなか興味深い。
2014/11/03 03:19
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字の覚え方
中国から渡ってきた漢字をもとにして日本語の「音」に合うように作られたのが「仮名文字」(平安時代)。仮名文字とは「正式ではなく仮のもの」という意味で主に女性が使っていた。当時の子供たちは「天地の詞」=「あめ(天)つち(土)ほし(星)そら(空)やま(山)かは(川)みね(峰)たに(谷)くも(雲)きり(霧)むろ(室)こけ(苔)ひと(人)いぬ(犬)うへ(上)すゑ(末)ゆわ(硫黄)さる(猿)おふせよ(生ふせよ)えのえを(榎の枝を)なれゐて(馴れ居て)」で文字を覚えたという。四八の仮名を重複させずに全部使って作られており、「え」が二度繰り返されるのは当時ア行のエとヤ行のエが音節として区別されていたことを示す。平安後期になると「いろは歌」が広まった。「天地の詞」「いろは歌」ともに詞(ことば)が組み合わされた詩になっているのでイメージがしやすく覚えやすかったと想像する。文法を学ぶにおいては「五十音順」が便利だが、一字一字「あ、あ、あ、・・・」と書いて練習するよりも意味のある言葉として文字を覚える方がスムーズだろう。漢字を覚える時もしかり。最初は書き順などをきちんと確認し、その後は一字ずつひたすら書くのではなく熟語、文章を利用して練習するとよい。
2014/11/02 01:18
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行動力
※本来は7月29日付のブログだが、誤字を訂正したため11月1日付になっている。ご了承のほどを。
「即刻動いてよかった」と自分を褒める今日この頃。何を褒めているか?先週の木曜日に暑い中、生徒さんたちは汗だくで勉強。それをみて、翌日の金曜日に電気屋さんでエアコンを注文、土曜日に下見、日曜日に取り付けるという行動の早さを褒めている。いったん暑さは収まったが、またまた4日ほど前から連日の猛暑、昨日は芽室は34度越えだったとか。本州に比べれば最高気温、湿度どもに低いため過ごしやすいといえば過ごしやすいが、それでも暑さは体にこたえる。当初は来年から・・・と思っていたエアコンを早めにとりつけたことで少しは快適な空間で勉強できるようになった。(まだまだエアコンの使い方や温度調整が分からず、生徒に迷惑をかけているが)。何が言いたいのかというと、迷ったら「まずは一歩踏み出すこと」。早めに行動すれば失敗してもダメージが少なくてすむ。もう八月、やるべき宿題などなど「どうしよう、いつやろう?」と迷う暇があったらすぐに取り掛かるべし。
2014/11/01 22:43
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コメントありがとうございます。ハイッ、ビンゴです~!
2014/8/5 03:04 返信
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はなむけ
※7月3日のブログだが、誤字を訂正したため11月1日付になっている。ご了承のほどを。
当塾のHPを作ってくださったMさん(外資系保険会社の社員)が、転職されるとのことで引き継ぎのご挨拶に来てくださった。マルチ人間で人柄もよいMさん、他社から声がかかり色々と考えた末の決断だったようだ。近くにお越しになる際には時々顔を出してくださってたのが、なくなると思うとさみしくなるが新しい大きなステップを踏みだすことを応援したい。気の効いた「はなむけ」の言葉なんて思いつかなかったし、今後も個人的なお付き合いはさせていただくつもりなので「はなむけ」の言葉はなしとしよう。さて、「はなむけ」はお別れの時に使われる表現なのだが、「花を向ける」と思ってる人が多いようだ。しかし本来の意味は「馬の鼻むけ」の略。旅立ちや門出のとき、別れの宴を催したり金品や詩歌などを贈ったりして、祝ってやること。また、その宴や金品・詩歌など。旅立つ人の馬の鼻を行く方向へ向けた習慣から。くれぐれも「花」と「鼻」を勘違いしないように。
2014/11/01 22:42
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コメントありがとうございます!今年は午年(うまどし)。新しい門出にピッタリの年です~。今後のますますのご活躍、応援しています。
2014/7/4 10:00 返信
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読書の秋
「秋といえば『読書の秋』」とばかりに暇さえあれば本を読んでいる。最近読んだ本で印象に残っているのが「いつか、あなたも」(久坂部羊著)である。9月に出版された新刊で、久坂部氏の今までの著書と比べると「医療」がテーマという点は同じだが、今回はほぼすべて実話に基づいているという点が違う。だから六つの物語すべて、あまりハッピーな終わり方はしないのだが・・・。登場人物の年齢等々はすべて変えてあるが、内容はほぼ実話ということで、きれいごとでは済まされない考えさせられるテーマばかりで本当に勉強になる。読書のいい点は、多々あるがその中で一番は「疑似体験」ができることだと思う。違う立場を疑似体験することによって様々な視点、考え方を学ぶことができる。むろん映像でも違う立場を疑似体験できるが、読書は好きな場所や時間でできるのが素晴らしい。ぜひ皆も「読書の秋」を楽しんでほしい。
2014/11/01 03:18
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クイズ文
「『クイズ文』{(問題→結論→理由)=クイズ文}で書けば、自分の考えたことを読者に間違いなく伝えることができる。私の言いたいのはこの一言だけだ。」これは「非論理的な人のための論理的な文章の書き方入門」(飯間浩明著)の前カバーに書かれているコメントである。文章の書き方にはいろんな形式があるのだが、なるほど、まずは結論を書けば間違いなくこちらの意見を伝わると思い、仕事の連絡では「イエス」「ノー」をまず書くようにしている。先日、ある人から仕事の依頼、相談があったのだが・・・。先方とこちらではかなり考え方の違い?が感じられたので、電話では返事を保留し3日後にメール。①省略②結論、こちらの考えや条件③理由④別の提案(おまけ)という組立で書いた。①の「問題」に関しては今回は電話ですでに話してあるので省略。要するに「自分の考えを間違いなく伝えたい」ときはぜひとも「結論」から書くことをお勧めする。往々にして日本人は前置きが長いのだが、それはケースバイケースで。
2014/10/31 12:52
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溜飲が下がる
人は「心につかえているが、うまく言葉にできないこと」を他人に代弁してもらうと「そうそう、そうなんだ!そうなのよ」と溜飲が下がり(不平・不満・恨みなどがなくなって胸がすっとする)、 心がスカッとする。随筆の草分けでもある「枕草子」が千年以上たっても色あせない理由はそこにあると思う。つまり、普通だとなかなか口にできないことを清少納言ははっきりと言い切っているのである。たとえば「坊主はイケメンのほうがいい」「教養がない人は不愉快」といった具合に。昔々に書かれたことなのだが、読むと引き込まれ「そうそう、わかる!!!」「あるある、こういうことって」となるのである。古典の勉強のために仕方なく・・・ではなく、小中学生はだまされたと思って口語訳だけでも読んでみるといろんな意味で勉強になる。
2014/10/30 09:46
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「物の怪」
昨日からのどの調子が悪く、声がハスキーな状態になっている。咳、くしゃみ、鼻水は出ないので体調は悪くはないのだが、なにぶんすごい声なので周囲にはかなり心配をかけている。幸いにして今週は5週目で国語の授業はお休みなので(月4回の授業)生徒に迷惑をかけることなくホッ。さて、医学知識の未発達だった平安時代は、病気というのは「物の怪(生霊 怨霊 死霊)」による仕業だと考えられていた。人間の病気に対し、僧侶や修験者が加持祈祷を行い、「物の怪」を「よりまし」と呼ばれる別の者(主に女中、小童など)に一時的に乗り移らせることで、「物の怪」を調伏して病気を平癒されるといったことが行われていた。この様子は「枕草子」「源氏物語」にも描写されている。現代では病気を引き起こす原因として「免疫力低下」「ウイルス」「細菌」であり「物の怪」が原因ではないと実証されている。が、が、「病は気から」という言い回しがあるように「気持ち」が落ち込むと免疫力が下がり結果として病気になる。つまり「物の怪」が病気の原因ではないにしても加持祈祷を行うことによって「これで良くなる」と信じる気持ちが生まれ、その結果回復に向かったのでは?と思うのである。ちなみに周囲に「物の怪にやられてしまった」と冗談で言うと皆真剣に捉えてくれ・・・冗談はほどほどにと自分を戒めている。
2014/10/29 13:26
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