めむろ国語専門塾
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小さな国語塾のつぶやき
勉強法
12月上旬に迫っている後期中間テスト・・・。中学生の保護者から「短歌と古文の意味が全く分からないと困ってる」という連絡が。とっても真面目で頑張り屋さんの本人の困っている様子が目に浮かぶようだったので、早速次のように返事をした。「古文、短歌の意味が分からないのは当たり前。現代語訳をしっかりと読んで意味を把握するように。細かい決まり事や覚えておくべき古語になどについては次回の授業で」と。短歌や古文といった古典の意味(訳)は専門家の間ですら意見が分かれるぐらい難しいもの。学校の試験で和訳をすべて書くなんていう問題はまず出ないので、とにかく学校で習った現代語訳の内容をしっかりと頭に入れて、あとは演習あるのみ。それはほかの科目にも言えるだろう。例えば、社会の試験範囲をきっちり覚えてからワークをする、そのためには完璧な美しいノートを作って・・・なんてことをしていては間に合わない。たとえ赤ばかりになってもいいので、どんどんワーク類を解いて演習をしつつ覚えるというように少々強引?邪道?と思われる方法をとると効率アップになる。
2014/11/25 02:35
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俳諧と俳句
「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」は正岡子規の俳句で、松尾芭蕉の「古池や 蛙飛び込む 水の音」と並んで俳句の代名詞として知られている。が、厳密にいうと松尾芭蕉が生きた江戸時代には「俳句」というものは存在しなかった。俳諧というのは連句形式【和歌の上の句(五七五)と下の句(七七)をそれぞれ別人が詠むという遊戯的な試み】が主流であった。発句(最初の五七五)のみを独立して鑑賞するようになり、低俗なレベルから文学的レベルに引き上げたのが松尾芭蕉だと言われている。つまり、芭蕉の時代にはまだ「俳句」として独立した文学や言葉がなかった。しかし明治時代になると、正岡子規によって、従来の座の文芸たる俳諧連歌から発句を完全に独立させた個人の文芸として、近代の俳句が確立された。そんな功績もあり、松尾芭蕉と正岡子規という名前とその作品は誰もが知ることになった。
2014/11/24 11:04
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別人からの視点
「男もすなる日記といふものを、女もしてみむ、とて、するなり。(男だって書くという日記というものを、女の私も書いてみようと思って、書くことにする)」という出だしで始まる「土佐日記」。作者の紀貫之は、作中で朝廷から下ってくる国司についてかなり辛辣なことをズバッと書いている。国司である自らが実に冷徹な視線で書くからには、自分の顔や名前を出しては、いかにもまずかったであろう。ゆえに、女性という人物を仮想して書いたのではないかと言われている。事情はどうであれ、別の人間の視点から客観的に物を書くということはとても楽しかったのではないか?と勝手に想像する。先日、自分自身が高齢の女性として文章を書いたのでそう感じるのである。下書きができた状態のメモから、きちんとした文章をおこしてほしいという依頼を受けて書いたわけだが・・・。高齢の方はどんな風に考えるか?言葉遣いをするか?とあれやこれやと何度も推敲しながらの作業でとても勉強になった。生徒には「なりきり作文」として人間以外の視点から文章を練習させたことはあったのだが、今後は違う年齢、性別の人物を想定して練習するのも面白いかも?と思案中。ぜひ皆さんも頭の体操におすすめである。
2014/11/23 04:41
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読書感想文審査・・・
いよいよ毎年恒例、読書感想文の審査の時期が到来!!!最近の若い子たちはどんな風に感じてるのかなあとワクワクしながら読むのが楽しみなのだが・・・・。年々、子供たちの文章力の低下していることにショックを受けている。半分以上の作品が「文末不揃い、主語と述語が合っていない、副詞の呼応ができていない、誤字脱字」のオンパレード。内容に関しては・・・言うまでもない。これらは本人たちがサボっているというよりも、今まで文章を書くチャンス、添削してもらうチャンスがほとんどなかったからだと思われる。文部科学省は「英語を小学3年生から・・・」という前に全小中学校で「毎朝読書10分 必修」「文章つづり方」といった授業を盛り込むべきでは?と言いたくなる。我々日本人は頭の中で「日本語で文章を考える→英語に翻訳」というのが一般的。つまり、それなりの年齢になってから外国語を学ぶ場合、まず正しい日本語を身につけてからこそ初めて正しく外国語を身につけることができると思うのだ。
2014/11/22 03:18
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寝かせる
昔、「一晩寝かせたような美味しさ!」というキャッチフレーズでカレールーのCMがあった。このフレーズからすると・・・カレーは一晩寝かせた方が美味しいということになる。人それぞれの好みによるのだろうが、一晩たってからのカレーを美味しく感じる人が多い。ジャガイモなどの具材が溶けてカレーにとろみが出る、味が全体にしみこむというのが美味しく感じる理由。さて、文章もしかり。締切に余裕がある場合は、いったん書いた文章を寝かせた方が良い。ある意味、興奮状態になって一気に書いた時などは日を改めて冷静に見直した方が文章全体の完成度が上がる。ノッて書くのは素晴らしいことだが、その場合は客観的視点が欠落しがちなのでそれを補うためには「寝かせる」こと。
2014/11/21 02:04
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名作の冒頭部
「どっどど どどうど どどうど どどう」これを読んで、風の音だとわかる人は多くないだろう。が、何か分からないからこそ続きが気になり読みたくなる。また、「吾輩は猫である」といきなり書かれていたら「え?」となり、これまた続きが気になる。前者は宮沢賢治著の「風の又三郎」、後者は芥川龍之介の「吾輩は猫である」の冒頭部。作家は読者を引き付けるために最初の一文に対してかなり神経を使うという。つまり、名作といわれる作品の冒頭の文章というのは「魔法の一文」である。毎日とはいかないまでも3日に一度、名作の冒頭部をノートに書き写すという作業を続けることは文章上達への近道。実際に作家と呼ばれる人はそうやって文章力を鍛えてたというエピソードも。
2014/11/20 11:53
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転んでもただでは起きぬ
「転んでもただでは起きぬ」ということわざがある。【意味 たとえ失敗しても、そこで利益になるものを得ることのたとえ。また、どんな事態になっても必ず何か自分の利益になるものを見つけ出すという、欲深い人間のたとえ。】由来は信濃の守藤原陳忠(のぶただ)御坂(みさか)に落ち入るものがたり(今昔 巻28 第38)。どんな境遇にあっても利を忘れない役人を部下の目からも皮肉たっぷりに描いており、「転んでも・・・」は基本的には皮肉として使われる言葉。だが、最近はどんなに失敗しようがへこたれようが、そこから何かしらを学んで這い上がってくるというプラスの意味でも使われつつある。とはいえこちらはまだまだ少数なので人に対して「転んでも・・・」とは使わない方がいい。ことわざの意味のプラスマイナスはともかくとして藤原陳忠の反骨精神を揶揄するどころか学ぶべき点が多いと思う今日この頃。
2014/11/19 13:24
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ひっかけ問題
国語のテスト問題を解くことは、出題者側との知恵比べだといえる。選択肢問題などは必ず最後の最後で「どちらが正解か?」と迷う。ではどうするか?選択肢の場合は問いの文章を細かく分けて、本文とあっているかどうかを検証する。また、問そのものがヒントになっていることにも注目。例えば「問 台所のコンロの方に・・・について。①そこには何があるか?本文から抜き出せ②そこにあるものは何のために作られたか?」本文は「コンロの上には、この間と同じ大きな鍋が(中略)なかはサカナのアラとキャベツを似たものでいっぱい・・・」(中学2年生学力テストより)。つい、「大きな鍋・・・」と答えてしまいがちだが、正解は「サカナのアラと・・・」。ヒントは②鍋が何のために作られたか?となるか、お料理が何のために作られたか?と考えた場合に、前後の流れから料理の方を答えになることが分かる。ひっかからないようには練習が必要。授業で今後、ひっかけ問題対策をしていく予定。請うご期待。
2014/11/18 12:18
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アトムを探せ
神奈川県が「さがみロボット産業特区」をアピールするためにイメージキャラクター「鉄腕アトム」の歩行者用信号機を平成14年11月11日に設置した。楽しみながらクイズ感覚で場所を探してほしいとのことで、具体的な場所は公表していないという。その結果、違反や事故が減ったらしい。つまり、どの信号機がアトムなのか?と必死で信号を見る、探すためには必然的に安全運転・歩行になったというわけだ。どこかに必ず「アトム」の信号機がある!と思うと必死になる・・・。国語もしかりで、ほかの科目とは違い「必ず本文中に答えや答えのヒント」があるということを念頭に頑張って探してほしい。
2014/11/17 14:12
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文章講座参加
昨日は、幕別内で開催された「文章講座」を受講。定員20名のところ、8組ほどの参加(うち小学生が一人)。全3回コースなのだが、初回は参加できず2回目にあたる昨日から参加。テーマは「取材したことを文章にしよう」、初回は不参加だったため前もって知人にインタビューしたメモを持参した。一言でいうと、とっても新鮮であった。日ごろは教える立場なのだが、文章というのは客観的に評価してもらうことが大切だと思い参加した次第。久しぶりの生徒になったのでとにかくワクワクし、クイズ形式の簡単な問題は正解して当然と思いつつも、正解したらやはり嬉しいもの。後半は取材したメモを文章に起こす作業、来週までに提出し添削してくださるのだが、さっさと仕上げて提出した。時間内に提出したのは一人だけだったためびっくりされたが、果たして評価のほどは?何はともあれ初心を忘れず、日々研鑽。
2014/11/16 09:59
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