めむろ国語専門塾
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小さな国語塾のつぶやき
名歌は起承転結に
漢詩というものは字数、行数が決まっておりしかも起承転結になっていることは中学校で習う。まず一句でテーマを起こす、第二句でそれを承(う)け、第三句で一転する。そして第四句で全体を結んでまとめる。この構成を意識しながら文章を書くように指導されることも多いだろう。さて、国民的名歌は普段は一番だけ歌うということが多いので分かりにくいが、定型詩、しかも起承転結になっている場合が多い。例えば滝廉太郎の「荒城の月」。一番は「春 高楼の」と昔の春、二番は「秋 陣営の」と昔の秋というようにセット提示し三番は「いま 荒城の」と変わって現在の荒れ果てた姿。そして四番は「天上 影は変わらねど」と古今貫いて変わらない自然の姿をまとめている。また北原白秋作詞の「あめふり」、そう例の「あめあめふれふれ母さんが~♪」も見事な起承転結になっている。こういう発見をすると「おおっ」と思わずガッツポーズをしたくなるのである…ぜひ皆さんも昔の歌をたまには懐かしく思い出してみてはいかがか
2014/12/05 11:11
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やぶ医者
昨日に続き、今日も語源の話題。腕のよくないダメな医者のことを「藪医者」というが、病院が流行らないから家の手入れが出来ず周囲が草薮になっているというわけではない。「やぶ」は野巫であり、巫は巫女(みこ)という語があるように「神に仕えて、神おろしをすること」という。医学はその淵原にあって神に祈って病魔をおろすことと深くかかわっていた。現代は神術と医術は明白に異なっているけれど、こういう神がかりの巫の中で、野(野心)があるもの・・・「正規ではない、よこしまな」と意味をして、「やぶ」となったという。医術は神事に近いという思想からの言葉であるが、自身としては「医者と坊主には世話になりたくない(医者や寺社に世話にならずにすむ、健康で元気な生活を送りたい)」と常々思っている。
2014/12/04 12:01
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たそがれ
「誰(た)そ彼と われをな問ひそ 九月(ながつき)の 露に濡れつつ 君待つわれそ」(誰だあれはと 私のことを聞かないでください 九月の露に濡れながら 愛しい人を待っている私を)これは万葉集に収められている歌である。この「誰そ彼」は「黄昏(たそがれ)」の語源。「黄昏(たそがれ)」という言葉を聞くとなんとなくロマンチックだなあと感じる。自分自身はというと、たそがれるといった言葉とは縁遠い生活、性格なのだが。また個人的に「黄昏」と書くよりも「たそがれ」とひらがな表記の方が雰囲気が出ていいなと思う。「たそがれ」は、江戸時代になるまでは「たそかれ」といい、「たそかれどき」の略である。暗くなって人の顔がわからず「誰そ彼(誰ですかあなたは)」とたずねる頃合いという意味であり、英語では「Who is he?」がそのまま時間帯を表す名詞になったということに趣、日本人の感性の素晴らしさを感じるのである。
2014/12/03 12:39
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古文
昨日、違和感がある文として「の」が多い「一文が長い」と書いたのだが・・・。まさに古文がこれに当てはまる。とにかく「の」が多く、一文が長く、「」がなく、さらにやっかいなことには古文の「の」は主語の意味と所有の意味があるのでますます混乱する。どの場合の「の」が主語、所有なのかを見分けるには細かい文法を知る必要があるが小中学ではそこまではする必要はない。ただ、古文の「の」は主語の「が」と置き換えるとうまく意味が分かるということを覚えておいたら良い。また、見た目は日本語だが現代とは意味が全く違う場合があるので教科書で出てきた作品の古語は要チェック。特に「枕草子」は小・中学ともに教科書に作品が紹介されているので「つとめて」「さらなり」「つきづきし」「うつくし」「いと」「あはれ」「をかし」…最低限これぐらいは必ず覚えておくべし。
2014/12/02 15:09
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違和感のある文
「ぼく、私の将来の夢は学校の先生になり、生徒の気持ちを理解し、勉強の教え方を工夫するような先生になることです。」この文を読むと違和感が生じる。その違和感とは①「の」が多すぎる②「一文中に主語と述語が入りすぎて長々した印象」という2点の理由から。読む側に立つと「この文、何か変」とすぐに気付くのだが、書く側に立つと書くことに必死になってしまい意外と気づかない。実際に先週、某生徒の文章添削したときに上記のような表現になっていたので、訂正した。さて、上記の文をどのようにすれば良いか?ポイントは「一文を短くする」こと。「ぼく、私は将来学校の先生になりたいです。生徒の気持ちを理解し、授業内容を工夫できる先生になることが目標です。」といった具合に二文に分ける。また、文末を二文とも「~なりたい、したい」にすると重複するので極力そうならないように言葉を足すなり、別表現にすること。
2014/12/01 13:16
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継続するためには
このブログでちょうで300本目。毎日毎日よく続けたものだ・・・偉い!と自画自賛。何気なく書き始めたブログ。最初はとにかく3日、1か月、そして3か月と少し先の目標に向かってひたすらひたすら書いてきた。正直言ってネタがない!ということもあったが、とにかく「書く」ことを自分に課した。実を言うと昨日はネタがなくて何十分もパソコンの前でフリーズしていた。が、「とんとん」上段のプッシュされたブログ欄がすべて「国語塾」になっていたのを見ると、俄然パワーがよみがえってきた。自分だけの意思ではとうてい継続は無理であったことは言うまでもなく「読んでくださる方がいる、それが証拠に毎日律儀にプッシュしてくださる方がいる」ことが継続する一番の原動力となった。人間は「先が見えない」「成果が見えない」「孤独感が強い」場合にはどうしてもモードが下がる。だからこそ授業では「なるほど」「わかった」という実感ができるような内容、テスト等で国語の点数アップするような指導を心がけている。
2014/11/30 03:29
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300本!素晴らしい!勉強の方法、理解するためのコツなどが書かれていて、学生時代に知りたかった~。と思う内容が多く、楽しみに読んでます。子どもに読ませて、少しでも理解しやすいようにもさせてもらってます。\(^o^)/
2014/11/30 09:41 返信
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素晴らしい!
私は以前、ホームページ制作の際にお客様が「ブログもほしい」と言われた場合は「本当に続けられますか?書かないで放置になるなら、いっそのことないほうがいいですよ?!」とアドバイスしていました。たいてい、そこで不要となるのですが、継続できるなら話は別。あったほうがいいです。
またこれからも、コツコツ積み重ねてください(^-^)2014/12/1 12:03 返信
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スポット@めむr国語専門塾 → ゆかぽんさんへの返信
嬉しいコメントありがとうございます!!これからもゆかぽんさんからの暖かいメッセージを励みに頑張ります!
2014/12/1 13:03 返信
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スポット@めむr国語専門塾 → ヒデ@マニュさんへの返信
素敵なコメントありがとうございます。なるほど~。そうなんですね!言われてみると確かにHP上にブログがあれば、興味津々でクリックしますが・・・。長らく更新されていなければがっくり来ますよね。これからも継続頑張ります。
2014/12/1 13:05 返信
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古文の「む(ん)」
現代語と古語は同じ日本語ながら全く違うので難しい。例えば現代語で「これいる?(欲しい?)」に対して「いや、いらん(いらない)」「~してもいい?」「あかん(ダメ)」という会話の場合「ん」は否定の意味。この「ん」の使い方は関西弁では当たり前。が、古文で「む(ん)」は主に「~だろう」「~したい、しよう」という推量や意思で使われる。例えば「一目見ん」は「一目見たい、見よう」となり、決して「見ない」という否定の意味ではない。他にも古語と現代語では全く違う使い方をする助動詞がいくつかあるので、「同じ日本語」と侮ることなく一つ一つきちんと決まり事を覚えておくことが大切。
2014/11/29 04:35
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断捨離
「断・捨・離」は2010年の流行語に選ばれた言葉で、「断捨離(だんしゃり)」とは、不要なモノなどの数を減らし、生活や人生に調和をもたらそうとする生活術や処世術のこと。自分と物との関係だけでなく、仕事のすすめかた、人間関係にも断捨離を実践することをすすめる書物なども出版されるようになった。さて、昨日の小学生クラスで「要約」について勉強中に生徒が「先生、これって断捨離ですよね」という素晴らしい発言!まさにその通りだとつくづく感心した。要約という作業をするには余分なものをそぎ落とす、省略して本当に大切な部分を残す必要がある=文章の断捨離。また、作文を書くときにはあれもこれもとダラダラと書くよりも「何を一番いいたいか」に焦点を合わせて、それ以外の不要な部分を省くことが大切であり、そこにはまさに「断捨離」のノウハウが詰まっている。心地よい正しい断捨離を心がけたいものである。
2014/11/28 16:23
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コメントありがとうございます!!!素晴らしいです~(拍手)
大丈夫です。ヒデ@マニュさんはどんな服装でも素敵ですから!2014/11/28 21:36 返信
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転石苔を生ぜず
朝の番組では時々「今日の運勢は・・・」、女性雑誌に関して言うならばほとんどに関して「今月の運勢」といった占いコーナーがある。面白いことに占う手法や占者によって結果が全く異なることがあるので、自身は占いの結果はほとんど気にしない(厳密に言うと見てもすぐに忘れてしまう)。人生の一大決心(例えば、結婚、就職、転職などなど)のときには念のため?!時期がいいかどうかなど占ってもらかもしれないが。さて、転職といえば「転石苔を生ぜず」という諺がある。意味は①活発な活動を続けている者は,いつまでも古くならないことのたとえ②一か所に落ちつかない者は大成しないことのたとえ。と逆の意味をもっている。昔は②のような使い方がほとんどだったが最近は①のように、どちらかというとよい意味で使われることが多い。古くからの言い回しは時代とともに意味が変化し、人の運気も同様に変化する。あまり一喜一憂せずに自分を信じて進むのが一番か?
2014/11/27 09:45
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安全に関する諺
「急がば回れ」という諺は、「もののふの矢ばせの舟ははやくとも 急がば回れ瀬田の長橋」という歌がもとになっている。つまり「渡瀬船は早いけれど、強風時などは沈んでしまうという危険がある。急いでいるときこそ回り道のようだけれど橋を使いなさい」⇒「急ぐ時ほど安全で確実なやり方を選んだ方がよい」という意味。さて、確実な方法を選ぶという諺には「石橋を叩いて渡る」というのがある。「堅固な石橋を、さらに叩いて安全を確かめて渡ることから、用心の上にも用心をするという意味」。急ぐ時ほど安全な道(橋)を選び、さらには叩いて安全を確かめて・・・というのは完璧?だが「石橋を叩いて壊す」にならないようにしたい。ああだこうだと心配ばかり、さらには行動を起こさない言い訳ばかりを並べて動かないというのが一番よくないのではないか、動かないよりは多少危険を伴っても渡瀬船を使う方がマシ?と意地悪なツッコミを入れたくなる。ゆめゆめ(決して)「石橋を叩いて壊す」にならないよう心掛けたい。
2014/11/26 19:33
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