めむろ国語専門塾
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小さな国語塾のつぶやき
「人狼」(ジンロウ)
先日の中学生授業終了後・・・誰からともなく「ジンロウやろう!先生入れてちょうど4人だし・・・」☜一名はすでに帰宅。おもわず「JINRO?お酒?」と聞くと「は?何言ってるのこれだよこれ。」とご丁寧にスマホの画面を見せてくれた・・・・。が、が、が、ゲーム類について全くの無知の陰陽師には全く何のことかが分からない!思わず「あ、これって熊?!」と聞くと生徒は半ば憐れむような顔で「どこが熊だよ・・・。ほら、赤ずきんちゃんを食べた動物は何?」という的確な表現で教えてくれた。なるほど~、狼(オオカミ)イコール「ロウ」と読むから「ジンロウ」=「人狼(じんろう)」だとようやくようやく納得。その後、生徒達に手取り足取りルールを教えてもらい人生初の「人狼」ゲームを楽しませてもらった。いやはや、こういう場面にも「この仕事していると学べることが多いなああ」とつくづく感じる。さて「狼(オオカミ)」という字を「ロウ」と読む場合として「狼狽(ロウバイ)」という熟語があげられる。まさに先日は生徒達が何を言っているのか?と、彼らが話している日本語を理解できない自分に狼狽していた。「狼狽」とは「不意の出来事などにあわててうろたえること。」という意味。使い方としては「株価の急落に 狼狽 する」などなど。では、なぜ「狼(オオカミ)」という動物を表す漢字を「ロウ」と読むのか?早速調べてみた。以下引用。《「狼」も「狽」もオオカミの一種。「狼」は前足が長くて後ろ足が短く、「狽」はその逆。「狼」と「狽」は常にともに行き、離れると倒れるのであわてるというところから》(デジタル大辞泉より引用)。つまり「狼(ロウ)狽(バイ)」共に前後の足の長さが違うオオカミという想像上の動物のことらしい。「人狼」もゲームの名前として知られているけれど、元々の意味は「狼男」だという想像上の生き物。基本的に「狼男」という想像上の生き物がメインだけれど実は「狼女」もいる・・・とのことでそれらを総称して「人狼」と呼ぶそうだ。想像上の生き物が市民権を得て、さらにはそれがゲームにもなり世界中で楽しまれることに対して不思議な気がするけれど「人狼」ゲームそのものが心理ゲーム→想像力を養うということが興味深い。
2018/01/06 16:41
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「負け犬の遠吠え」などなど・・・
言葉の意味が時代と共に変化していくのはもちろんのこと、人間の生き方スタイルも多様化しているなああとつくづく感じる。十数年前に「負け犬の遠吠え」という酒井順子氏による随筆が大ベストセラーになり社会現象になった。それ以来「負け犬」とは「喧嘩に負けてしっぽをまいて逃げる犬。比喩的に、勝負、競争に負けてすごすごと引き下がる者。」という本来の意味に加えて「30代以上・未婚・子供のいない女性」のことをさすようになった。とはいえ「30代以上・未婚・子供のいない女性」が今の時代、「負け犬(敗者)」か?と聞かれるとNO!だろう。なぜなら生き方が多様化している今の時代「あえて結婚しない」「あえて子供を産まない」選択をしている人が増えているから。つまりは「結婚できない」のではなく「結婚しない」だけなのだ。ちなみ酒井順子氏の「負け犬の遠吠え」は未婚・子どものいない女性をあえて「負け犬と呼びつつ、自立する女たちへエールをおくる作品。また「負け犬の遠吠え」という諺の本来の意味は「弱い者が強い者の前では何も言えないが、裏では悪口をいったり、いばったりすること」を表す。つまり、時代と共に諺に意味が加わったり少しずつ変化、さらにはそれが時代とともにずれていき、今後さらなる変化をする可能性があるということ。かと思いきや昔の言い回し・意味で使われる言葉もまだまだ多く存在する。例えば「言わんとする」という表現は「言おうとしている、言い表そうとしている」などの意味になる。「言わん」は「言う」に意思や意図を表す助詞「む」が付いた語だから。漢文でよく出てくる「いかんせん」=「いかん+せん」で「どうしよう」という意味になる。でも現代語で「いかん」というと「○○してはいかん」=「○○してはダメ」という否定・禁止でも使われるため、若い子たちは当然混乱してしまう(大人もか?)。今日の中学生クラスでは長文読解のノルマ+犬に関する慣用句の説明が当初の予定より早く終わったので複数の意味を持つようになった諺、慣用句、言い回し、紛らわしい同音異義語などを練習した。未来を背負う若い子たちに少しでも日本の文化や言葉について知ってほしいなあと言う老婆心から。
2018/01/05 22:58
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4月1日は「石」の日
今日、1月4日は「石」の日らしい…何人かブログで紹介されていたので知った。なるほど「1、4=いし=石」となる。さて、日本には「石」にまつわる諺や慣用句が多くある。「他山の石」(意味:他人のどんな言動でも、たとえそれが誤っていたり劣っていたりした場合でも、自分の知徳を磨いたり反省の材料とすることができるというたとえ。)「金石の交わり(きんせきのまじわり)」(意味:金石の交わりとは、友情のきわめて堅く結ばれていることのたとえ。また、いつまでも変わらない交際のたとえ。)「雨垂れ石を穿つ」(意味:雨垂れ石を穿つとは、どんなに小さな力でも、根気よく続けていればいつか成果が得られるということのたとえ)「石橋をたたいて渡る」(意味:用心の上にさらに用心を重ねて物事を行うこと。)などなど、数え上げればきりがない。ただし「石」に関して共通しているイメージは「硬い、堅くて冷たい」と言うことか。硬いと言えば。。。「石頭」という表現がある。頑固で融通がきかないという意味で使われることが多く、自分自身も言われることもある。厳密にいうと人によって評価が分かれる。「石頭」と表現する人もいれば「柔軟」だと評価してくれる人もいる…どちらもきっと正しいのだろう。ケースバイケースと言うことで?!自分自身としては「意思が石のように硬いのだ」と開き直っている(汗)。さて、何事も行き過ぎるたり極端になり周囲に迷惑をかけてしまうレベルになると良くないけれど、基本的には「意思を石のように硬く、固く持つ」ことは大切だと思う。特にこの時期、入試が近づいてき、受験生は不安になったりすることがあるだろう。というよりもそうなるのが当たり前で頑張ってるからこそ当然沸き起こる感情。そんな時こそ「意思を石のように硬く!初志貫徹のつもりで」と最後の最後まであきらめずに意思を貫いてほしいと思う。むろん、受験生でなくても何か決めたら基本的にはブレずに意思を持ち続けることが大切だと思う。
2018/01/04 22:24
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ソウルフード
正月と言えば「お節料理」というのが定番。先日少し書いたけれど、お節料理とは一つ一つに意味や願いが込められており保存がきく日本の伝統料理。ただ、伝統料理とはいえ若い人たちにはあまり受けが良くない・・・。例えば普段は故郷を離れている人が正月に故郷に帰ったら食べたいものと言えば「お節料理」よりも「ソウルフード」の方だろう。さて、この「ソウルフード」という言葉を数年前に初めて聞いたときは「???」だった。「え?魂の食べ物?」と直訳して訳分からなくなってしまった。しばらく考えたら、何となくのニュアンスは分かったのだけど・・・。「ソウルフード【soul food】① アメリカ南部の郷土料理。アフリカ系アメリカ人が奴隷制時代に工夫して作り上げていった料理をルーツにもつ。牛や豚の内臓やとうもろこし・豆などが多く用いられる。 ② 転じて、ある地域やエスニシティー(あるいは個人)にとって、日常の食生活で欠かすことのできない食材や料理のこと。日本人にとっての味噌汁など。(大辞林より)」とのこと。十勝のソウルフードと言えば豚丼に始まり、もっともっと地域を限定するならば「インデアンカレー」という声が多いだろう。インデアンカレーと言うのは地元にあるカレーチェーン店のことで、素朴ながらも安くて美味しい、ホッと安心できる家庭の味に近いカレー。さて、自分にとってのソウルフードはと聞かれると「そばめし!」と答える。実際にお節に飽き、たまたまご飯が残っていたので早速今日は「そばめし」を作って食べた。いや~やはりソウルフードは自分のルーツにつながる食べ物。ホッとする。とはいえ「そばめし」と聞いても知らない人も多いだろうから紹介しておく。【神戸を代表するご当地B級グルメ「そばめし」。焼きそばのように、ご飯と麺を一緒にいためる神戸発祥の下町グルメだが今やその知名度は全国区となり多くのファンの心をとらえている。そんな「そばめし」は、半世紀以上前、神戸のとあるお好み焼き店に通うお客さんの声から誕生した。】ちなみに焼きそばとご飯を一緒に炒める際にはうまく絡むようにそばを短くカットするのがポイント!国語塾もそうだが、明日から仕事と言う方々が多いだろう。ソウルフードを食べてエネルギーチャージをして明日以降に備えよう。
2018/01/03 17:40
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「有名無実」「有言実行」
「有名無実(ゆうめいむじつ)」という四字熟語がある。意味は「名前ばかりが立派で、実質が伴わないこと」。今年は「有言実行」で「有名無実」にならないようにすること・・・が目標である。おかげさまで去年に立てた抱負はかなりの割合で実現できており(@_@;)するやら嬉しいやら。やはり宣言することが大切だなあと改めて感じる。宣言することによって追い込まれるというか・・・。頑張って実現しなければ「有名無実」に成り下がるという危機感がある。さて、この「有名無実」の「有名」は「名前をよく知られている」という良い意味とよりはむしろ「名前はあるけれど・・・」というニュアンス。年末にあるクラスで「対義語カルタ」を実施したところ「名目」⇔「実質」が最後まで残った(つまりは難しかった)。この「名目」こそが「名ばかりで中身を伴わない」という意味。「名目」⇔「実質」の説明方々「有名無実」=「名前はあるけれど、実がない→名前ばかりが立派で、実質が伴わないこと」と説明した。さて、話は戻るけれど今年の抱負は「去年同様に、ほかの教育機関とのコラボ」「エッセイを担当する」「教室以外の仕事を増やす」「SNSに挑戦する」四点を挙げる。果たして来年の今頃このうちのいくつを実現できているか?無事に「有言実行」となり、「有名無実」に成り下がっていないかが楽しみでもありプレッシャーでもある。そういえば先日の「声紋診断」の際に脳科学の専門家がおっしゃっていた。「以前は20歳を過ぎると一日に何十万個と脳細胞が壊れていくと言われていたけれど、その後の研究で脳細胞は何歳になっても工夫次第で成長できる」と。そういう訳で今年もさらなる飛躍を!と大張り切り!ちなみに普通にしていてもなかなか脳細胞は成長しないとか・・・。適度に、時と場合によって負荷をかけることが必要だとか。おかげさまであらゆる観点から負荷がかかる状況に置かれており、環境はばっちり?!何となく見た目は似ているけれど、皆もくれぐれも「有言実行」であって、「有名無実」にはならないように日々精進あるべし。
2018/01/02 18:44
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犬も歩けば棒に当たる
明けましておめでとうございます!皆さんはどのような年明けを迎えられただろうか?自分自身は昨日から必死でプライベート用の年賀状を印刷、一言コメントを入れる・・・の作業をし、終わったのが朝の5時前。さ、初日の出でも拝もうかとカーテンを開けると‥‥外は銀世界。そう、雪!そんなこんなで初日の出は拝めなかったけれど意を決してダウンコートを羽織り近くのポストへ。頭の中には「ゆきやこんこ、あられやこんこ・・・・犬は喜び庭かけ回り、猫はこたつでまるくなる~~♪」が流れていた。と同時に「今は犬が庭をかけ回るというよりも怪しい陰陽師が近所をかけ回り(車で)だよなああ~。」と相変わらずの年始だった。さて、今年は戌年!というわけで戌(イヌ、犬)についての有名な諺を紹介する。そう、皆もよーくよーく知っている「犬も歩けば棒に当たる」。意味は元々は「犬がふらふら出歩くと、棒でで殴られるような災難に遭ったりする。じっとしていれば良いく、余計な行動を起こすべきでないとの戒め。」だった。が、最近はそこから転じて「行動を起こすと、幸運なことでも災難なことでも何らかの経験をすることができる。じっとしていると、そのようなことはできないので積極的に行動すべきである。」という逆の意味としても使われている。一つの諺や慣用句が逆の意味を持つ・・・は矛盾しているようだけど、行動を起こすときにはリスクを負うからこそ成功するので矛盾していないとも言える。先日、親戚から志望校を変えるかどうかの相談を受けた。家族や本人の意思、学力はもちろんのこと経済的なことも絡んでくるため流石に迷い…返答を保留した。そしてメンターに相談してみたところ「難関の○○学校を受けないということはその瞬間に可能性がゼロになる(イヌが歩かなければ棒でたたかれることはないけれど、幸運にも巡り合えない)。○○学校を目指すからこそ頑張れるのでとりあえず○○学校はそのままにして、併願校を少しランクを下げるようにアドヴァイスしたらどうか?」と教えていただき、そっくりそのままを伝えた。確かに・・・受けないことには受からない!「犬は歩くからこそ棒(不幸にも幸運にも)出くわす。出来ることなら幸運に出くわしたいもの!」と言える。結果は…神のみぞ知る?!基地出るためには本人の努力+周囲のサポート次第。受験生は大変だけど頑張って「歩こう」!
2018/01/01 19:37
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四苦八苦
今日は大晦日(=おおみそか。12月31日)!ああ、一年が終わる・・・振り返ってみると本当に本当に今年も多くの素晴らしい出会いに恵まれ、楽しく、そして仕事面においては自分の能力のなさに「四苦八苦」の連続・・・・。でもこうしてあと2時間で無事に新しい年を迎えることが出来ることに対してはただただ感謝しかない。さて、ご周知のとおり日付けが変わり新しい年になる深夜0時をはさんでつく鐘のことを「除夜の鐘」と言い、除夜の鐘をつく理由は人の心にある煩悩を払うためだとか。その煩悩の数が108と言われるそうで、その数の由来は多くあるけれど個人的には「四苦八苦(4×9+8×9)=108の煩悩」=除夜の鐘をつく回数が108回という俗説がお気に入り。要するに「語呂合わせ」「意味づけすること」がお気に入り!日本では言葉遊び、語呂合わせが多く、例えば「おせち料理」の中身を一つ一つにもきちんと意味があり、語呂合わせバージョンがいくつかある。昆布☞喜ぶ、黒豆☞まめに働く・・・など。話を戻すと何か物事なそうとすると「四苦八苦≒苦労すること」はつきもので、苦労するからこそ成し遂げた時の達成感や喜びが大きいと感じる。知人が興味深いことをおっしゃっていた。四苦八苦☞しく☞49☞良くなる☞縁起がいいのだとか。知人は実業家である斎藤一人氏に影響を受けており、49に関しては斎藤氏が言い出したそうで・・・「成程なあ」と、その話を聞いて以来ますます「四苦八苦」☞49☞良くなる!と自分を鼓舞している。新しい年を迎えるとなるとワクワクする時期であるけれど、世の中の受験生はそんなことを言っている場合ではなくまさに文字通り「四苦八苦」しているであろう時期。でも必ず「四苦」が「良く」につながると信じてもう少しもう少し頑張ろうとエールを送りたい。そして自分自身にも・・・・。やり残したこと、取り(酉)落としたことなどなどをあるけれど、それらは新年に持ち越して戌(イヌ)に食べてもらいましょ。こんなことを言うとワンちゃんから「え?自分たちって残飯処理?」と言われそうだけど、犬はとってもとっても賢いという証拠。では、皆さま!よいお年を。
2017/12/31 22:27
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餅は餅屋
先日、九州の友人が沢山の自家栽培のお米と自家栽培のもち米をついて作ったお餅を送って下さった!う、嬉しすぎる~~~!これで年を越せる!と大喜び。友人は代々農業を営んでいた家系(今は兼業農家)なので、お米の栽培からもち米☞お餅になるまですべて自家製、しかもどのお餅も大きさや厚さが均等、見た目よし、味よしで素晴らしいの極致!!まさにこれぞ「餅は餅屋」だと言える。「餅や餅屋」とは「どんなにそのことについて詳しくても、また作業が上手でもしょせんは素人。専門家にはかなわないので専門家に任せるのが安心と言う意味」。自分自身は、幼い頃に祖父母宅や地域のイベントで餅つきを経験し、お餅を丸める作業を何度もしたことがあるけれど・・・見るとやってみるとは大違いで意外と難しい。もち米が冷めると硬くなり割れやすくなるので、ある程度の熱を持っているうちに丸めなくてはならず、手にくっつくし・・・。子供にとってはとても楽しい作業だったけれど見た目は???いつの間にか餅つきイベントはなくなってしまい「餅≒購入するもの」となっていった。さて「餅は餅屋」の由来は二つあるそうだ。1つは「貸餅屋」と言われる商売から来ている説。2つ目江戸時代の「滑稽太平記」の中にある「餅は餅やがよし、指し合いのことは此方にまかせよ」という記述から諺になったという説。1つ目の「貸餅屋」といわれる商売は、忙しくて餅をつく時間が取れない人がこの「賃つき屋」に注文をする。すると頼んだ日に道具を持ってきて餅をついてくれ、鏡餅や普通の丸餅まで頼んだ種類を作ってくれる、この商売は江戸時代に登場した商売らしい。これらの由来を知ったとき「ああ、今も昔も年末年始の人々の忙しさは変わらないないああ」となんだか昔の人に親近感を覚える。人間は1日24時間と決まっており、やるべきことが沢山ある場合、自分だけですべてを完璧にこなすのは無理になってくる(やるべきことの内容は今と昔では大きく違うだろうが)。自主性を重んじることも大切だけど、時間的・精神的余裕がないときは「餅屋(専門家)」に任せることも大切だと思う。というよりもむしろそういう考え方は必要だと思っている自分自身はいかにして自分にぴったりの専門家を探すか?にかなりエネルギーを注ぐこともある。今年も楽してプロ製の美味しいお餅をお正月に食べることに感謝したい。
2017/12/30 21:03
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昨日も冴えていたいダブルS君たち
昨日の中学生クラスでは、諸所の事情から来年早々に演習する予定だった古文を先取りしてすることに。お題は二つ。一つ目は「犬」を扱っためでたい話、二つ目はブログでも紹介した「孔子が馬🐎を牛🐄と言った」話。「孔子が弟子たちを連れて道を歩いていたところ、垣根から馬が頭を出していた。それを見た孔子は『牛だ』と言った。弟子たちは奇妙に思い孔子の考えを探ろうとした。一番弟子の顔回が、一里ほどいったところで『暦で使われる【午(うま)】の文字の頭を出すと【牛】と言う字になるので、みんなの思考力をためそうとしておっしゃったのだ。』と言うと孔子は『その通り』とほめる。」話。このお話から干支についての雑学、重要古語、顔回は孔子から絶大な信頼を得ていたことなどを紹介したところ、S君がポソリと一言。「弟子たちは孔子に『先生おかしいですよ~!何言ってるんですか?』と突っ込まないんですか?また、実は孔子はマジで言い間違えたのかもしれないですよね?それを賢い顔回にフォローしてもらっただけじゃないんですか?フォローしてくれるから可愛がったんじゃないですか?」さらに別のS君は「孔子は自分の名前に『うし』と言う読みが入っているからシャレで『馬を牛』って言っただけじゃないですか?」と大盛り上がり。まずは最初のS君の質問に対して①儒教では年上に対して敬意を払うのが当たり前で、先生がおっしゃることが絶対!的な雰囲気なので、なれなれしく「先生、おかしいですよ~」とは言えない。②孔子≒優れた人という想い込みで伝わっているけれど、S君が言ったことはもしかすると当たっているかもしれないこと。物事を疑ってみる、別の視点から考えてみることはとっても素晴らしいこと!今後もそのような発想を持ち続けてほしいこと、を伝えた。別のS君の考え方も「なるほどな~、斬新でいいかも」と思える。中国語では「孔子」と「牛」の発音はおそらくかぶっていないだろうから、残念ながらS君説は日本語で考えた場合にのみ通用する・・・。でも先にも書いたように見たり聞いたりした話をそのまま鵜呑みにするのではなく、別の視点から検証してみるという姿勢が本当に素晴らしく、今後もこれらの発想を持ち続けてほしいと切に願う。年末にふさわしい、キレのある素晴らしいダブルS君だった。来年も楽しみだ。
2017/12/29 17:53
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ラジオのテーマ「干支」
昨日は今年最後のラジオ出演!振り返ってみるとラジオ出演のおかげで日頃、何気なく使っている言葉について調べる☞自分の知識が増える☞ラジオを聴いて下さってる方々に「へーっ、そうなんだああ」と思っていただける(?!)というとってもとっても楽しく実のある経験をさせてもらったなあと改めて感謝している。さらには昨日担当者M様から「今年を振り返ってみて一言」と言われ、急遽?!振り返ってみたところ、月並みだけど「多くの出会いに恵まれたこと」がただただ有難い。特に仕事面では新しく、お教室以外での仕事(高校での勉強会)をするチャンスが一番の収穫であり、思い出となっている。このブログを読んで下さってる方々、もしも「こんなことを依頼したいけれどどうなんだろう?」という場合はぜひぜひまずはご一報を。さて昨日のラジオのネタは「干支」。ご周知のとおり干支は12種類の動物で構成されているにもかかわらず漢字で書くと全く違う・・・。それもそのはず、十二支は元々は中国で12か月の順序を示すための符号として生まれたもの。とはいえ、そのままでは一般的な庶民に教え伝えるのは難しいということで動物と関連づけて覚えやすくしたそう。確かに動物を当てはめることによって干支に関するお話が生まれ(猫がネズミに間違った日を教えられたため12支に入れなかった☞以来、猫とネズミは仲が悪い)日本人にはなじみがあるものとして浸透している。が、が、が、中国と違って日本は「漢字」のみではなく「漢字」「かな」を使う文化。それゆえ、読んだり暗唱することはできても意外と十二支を漢字で正しく書くことが出来ない。でも古文では「論語」中の「午(うま)」と「牛(うし)」に関するエピソードが試験によく出る。「午」を十二支で「うま」と読むことを知らなくても、古文の文章を読めば理解できるようにはなっているけれど(多分・・・)「午」=「うま」「🐎」と知っている方が簡単に解けることは言うまでもない。というわけで年明け早々に中学生には論語の話を演習しつつ、十二支についても漢字表記できるように演習、さらには実はそれらの漢字一つ一つには意味があることを授業で取り上げようと思って今からワクワクしている。ちなみに今年は今日までが授業、来年は4日からを予定している。
2017/12/28 17:19
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