めむろ国語専門塾
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小さな国語塾のつぶやき
「鹿の王」
先日、ようやくようやく「鹿の王」上下巻を読み終えた。そう、2015年本屋大賞受賞作に選ばれた本で、著者は上橋菜穂子さん。話題になってる本なのでとりあえず読んでおこうと思ったわけだが、正直言って上巻はつらかった。下巻になるとようやくノッてきて最後まで楽しめたが。なぜ、つらかったか?①登場人物の名前がなじみがないカタカナ表記の物がほとんど②ファンタジーという部門のため、設定場面などもすべてなじみのない状態だったから。そう言えば、超ロングセラーの「ゲド戦記」シリーズを読むのも苦労したなあと懐かしく思い出す。何が言いたいかというと、①国語のテストに出される長文は、文章の組み立ての仕組みをきちんと勉強しておけば、長編小説に比べると「めちゃくちゃに簡単」であること。②「慣れる」ことが理解するための一番の近道であること。この2点に尽きる!ちなみに著者である上橋氏は「人の社会がウイルスと重なって見えた 」ことがきっかけで「鹿の王」の構想を練ったという。ある事象を別の物に例えるという発想は流石!
2015/05/30 03:05
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私も最近「人の社会がウイルスと重なって見えた 」ということを感じます。「人の社会」というかそれぞれの「種」は、個性を持つ「個」の集合のように見えるが、実は種で一つの個性なのではないかと。蜜蜂や蟻の生態を見ると考えやすいです。
ならば「人の社会」が向かう方向は「人(個)」には解決できない?とも。それでも諦めず良い方向を目指す行為は絶対的に必要だし、想いを持つ「人」がいることもまた、この「種」の良いところなのだろうと…終わらない思考をしてます。
(戦争や紛争、昨今の異常な犯罪を見ての感想です。)2015/6/3 09:46 返信
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コメントありがとうございます。確かに!蟻や蜂の生態はいろんな意味で興味深いというか、まさに種で一つの個性と思える節が多いですね。あきらめずに良い方向を目指す行為・・・そういう想いは絶対に必要ですね。
2015/6/3 15:55 返信
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独り言その2
「個人事業主は孤独」だと一般的に言われていることだが、それをいろんな意味で実感する今日この頃。自分の裁量に任されており自由な反面、指導してもらえるチャンスが少なく、下手すると独りよがりになる可能性を秘めているから。そんな時にパワーを与えてくれるのが「生徒たちの一言」。昨日は「気持ち」表現を自作プリントを使っての演習。具体的には、9つの表情のイラストを準備。それらを見ながら「場面を具体的に想定し、さらにその時の気持ちを一言で表す」という演習。具体例として挙げていた文章を見た小6の生徒が「あ、このセリフとこの波線!サザエさんのオヤジ(波平)だ~。先生、すごい!オヤジと波線を組み合わせて、波平さんを想定したの?そこまで考えくれるとは」と大盛り上がり。むろん、そんな手の込んだことを考えて作ったわけではなく、逆に「ちょっとしたところから閃めく」生徒の頭の柔らかさに脱帽。また、別の生徒も趣向をこらして上手な文章を。現中1年生かが大学受験をするときから新テストが実施予定で、暗記力のみならず自由な発想、小論文などが重要になってくる。型も大切だが、自由な発想力を今後も持ち続けてほしいと思う出来事であった。
2015/05/30 01:27
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キャー!最高に嬉しいコメントありがとうございます!同じく、こうして毎日ブログを書くこと自体が自分自身にとって最高の鍛錬です。
2015/6/3 16:00 返信
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独り言・・・
塾の先生と学校の先生ではどちらが楽か?正直言ってどちらが楽とは言えないわけだが、ある点においては塾の先生の方が楽だと思う。それはなにかというと「塾の場合は、関わる生徒の大半が‘やる気‘があるので教えやすい」点。学校、特に義務教育の場合は‘やる気‘の有無は関係なく生徒と先生という関係が成り立つ。が、塾や予備校、習い事は「わざわざお金を払って」「場合によっては保護者の送迎」といった手間暇をかけて通うという事情から、本人とその関係者の両者ともに‘やる気‘がある場合がほとんど。よく学生時代には、周囲の方々から「学校の先生になるの?」「学校の先生になったらいいね」という言葉をよくかけられたが、自分の中では「学校の先生になる」という選択肢は0だった。理由は先に書いた通りで、自分自身としては「やる気のあるタイプ」をメインで教えたかったから。この選択は自分にとっては間違ってなかったと信じている。‘やる気‘のあるタイプは大歓迎!
2015/05/28 14:48
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むかーし私も先生になりたかったのですが、真剣に考えて学校の先生を選ばなかった理由は似ています。私の場合、「どんな意欲の子供でも、どんな能力の子供でも、あるべき方向に導ける人間」が理想像だったので自分は向いていないと思いました。今にして思うと早急な判断だったのかもしれないな、と思うことはたまにあります。
2015/5/29 11:56 返信
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スポット@めむr国語専門塾 → ヒデ@バドミントンさんへの返信
本当にすてきなコメントありがとうございます。客観的に申し上げると・・・ヒデ@マニュさんなら本当に素敵な先生になってらっしゃったかも?なぜなら、冷静に物事を判断できるから。ある意味、熱血すぎて独りよがりで突っ走る・・・ことはなさらないだろうから。いや~、多才のヒデ@マニュさん。ご自分が選んだ道で必ず成功するタイプですね!きっと!
2015/5/29 13:31 返信
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気づかない「癖」
「すごい」という言葉は便利である、なぜなら「良い意味」「悪い意味」どちらに対しても使うことが出来る「程度の甚だしさ」を表す言葉だから。そんなわけで、この言葉を無意識に過剰に使っている文章を多々、目にする(大人、子供関係なく)。特に読書感想文などを読むと400字のうちに5回ぐらいは「すごいです」「すごいと思います」という表現表を目にすることに・・・。「どんなふうにすごいのかをもっと掘り下げて」「すごいは3回まで。時には『・・・なので僕とは(私とは)比べ物にならない。』と言ったように自分と対比した表現にしたら?」などとツッコミを入れたくなる。便利だから使うというのは分かるが、使いすぎるのはいかがなものか?とはいえ、自分ではなかなか「癖」には気づかないもの、気付いたところですぐに修正するのは難しい。だからこそ、「癖」を知ったならば、それに対して意識して(例えば、「すごい」という表現は3回までと自分で決める)、出来ることならば第三者に見てもらうのが一番だろう。
2015/05/27 13:24
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コメントありがとうございます。最近の日本語の便利なところは、一つの言葉で二つの、しかも逆の意味を持つところですね!うーん、さすがヒデ@マニュさん!素晴らしいです。かなり「ヤバい」です(笑)
2015/6/3 15:59 返信
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猫の手
最近、真っ赤にペイントされて、模様やヴィジューをつけたおしゃれな招き猫を複数のお店で見た。十勝の作家さんが作っているらしく、基本的には市販されていないとか・・・。とってもおしゃれで可愛い猫なので癒される。さて、昔から商売繁盛と言えば「招き猫」であったり忙しい様子を表す諺として「猫の手も借りたい」がある。何故、猫なのか?犬ではダメだったのか?ふと、気になり調べてみたところ・・・きちんとした理由があった。猫は人が近づく気配を感じ取ると、猫はそわそわ落ち着かないなどの行動をとるようだ。手で顔を撫でるように洗う行動などがその一つで、この行動が人が来る前の前兆として猫にお客さんを呼んで欲しいという願望によって『招き猫』となったようである。思わずなるほど~と納得。それに対して、意外なことに専ら「猫の手」を借りるようになったのは大正時代以降で、それ以前は「犬の手」も借りていたらしい。むしろ、江戸の中期から明治の終り頃までは犬の方が猫より重宝されていたということだ。正直言って、人間にとって直接的な仕事をこなすのは犬だろう・・・(代表的なものには盲導犬、セラピー犬など)。今も昔も人間にとって身近な存在である猫と犬、それぞれ諺が沢山あり、それらの由来などを調べると面白いだろうなと思いつつも、まずは目の前の仕事をすることにする。
2015/05/26 15:51
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外国の不動産賃貸情報を見る機会があったのですが「Cat OK」と書かれていて興味深かったです。大半が猫に関する記載なんです。というか、すべて猫に関してのみ記載されていました。
日本では「ペット可」もしくは「ペット可(小型犬のみ)」などと併記する感じでしょうか。異文化は面白いっ。2015/5/26 16:51 返信
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スポット@めむr国語専門塾 → ヒデ@バドミントンさんへの返信
コメントありがとうございます。へーっ、興味深いです。外国の不動産賃貸情報、チェックしてみます!ほんと所変われれば・・・ですね。
2015/5/27 11:17 返信
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敢えて逆を
魅力的な文章(作文)を書くには「大げさに」と昨日のブログで書いた。今日はその続きで、「大げさ」に書くためのテックニックを1つ紹介。例えば「運動会当日にいかに、頑張ったか」を強調するためには「わざと逆のことを書いてから、結論を書く」こと。(例)今日のクラス対抗リレーでは、みんな本当に頑張って一位になった。⇒クラス対抗リレーの練習では、うまくいかないことが多かったが、本番では本当に頑張って一位になった。実は一位になったのは今回が初めて(前回は3位だったが・・・などなど)。つまり、当日の頑張りを強調するために敢えて練習時の揉め事、失敗談などを盛り込むと①相手に伝わる魅力的な文になる②字数もかせげるといった嬉しいダブル効果がある。とはいえ、「言うは易く行うは難し」・・・。少しずつ少しずつ練習あるのみ!
2015/05/25 13:30
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大げさに
現在、朝の5時前・・・決して早起きをしたわけではなく、いつものように夜更かしをしているうちにこんな時間になってしまったのだ。実は、ある人(面識なし)のブログがとにかく面白くて面白くて気づくと何時間も経っていたという次第。ある人は商売上、自分の生い立ちなどなどを赤裸々につづっているのだが、とにかく「読み手」を意識しており魅力的なのだ(決して文筆家でもなければ教育産業に携わっている人でもない)。そのポイントとしては①自分のことを良く見せようとしていない、失敗談なども入れることによって共感されるように工夫している②一文が短い③気持ちや感情の動きを詳細、なおかつ繊細に描写④登場人物のリアクションなどが大げさに書かれている。大まかにこの4点が魅力を引き出す要因か。運動会シーズンを迎える小学生たちには先の4点を思い切り意識して作文に取り組んでほしい。ただ単に「リレーで一番になって嬉しかった」とさらりと終わるのではなく、せめて「リレーで一番になって、『ヤッター!』と思った」というように詳しく。意外と、本人たちは大げさに書いてるつもりでも読み手には伝わらないことが多い。
2015/05/24 04:57
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ワクワク
予約した本が入ったとのことで、いそいそと芽室図書館に行ったところ…職員の方に呼び止められた。「あの・・・、お話があるのですが」と真剣な顔で言われたので、思わずかなーりかなーり身構えた。結論を言うと「読書感想文の審査依頼」であった。むろん、即座に承諾し、気分が一気にハイテンションに!人によりけりだろうが、自分自身に関して言うならば読書感想文審査の仕事は「ワクワク」するし、今の若者たちの考えを知るよいチャンスだ。大変ではないと言えばうそになるが、「嫌々」するよりも少しでも「ワクワク」しながら物事を進める方が効率が上がる!と何事に対しても無理やり?そう思うようにしている。勉強もしかりで、ひたすら「嫌だ、嫌だ、嫌だ」と言い続けて苦虫をかみつぶしたような顔で取り組むよりも、以前に書いた「顔晴る」を意識して取り組めるように、ほんの少し、ほんの少しでいいので意識してみてはいかがか?
2015/05/23 02:49
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本文の逆
突然だが「成績が悪い、なぜなら勉強をサボっているから」という内容があるとする、それに対して「ではどうすれば成績があがるか?」と問いがあったら、当然答えは「勉強をサボらずに真面目にすれば良い」となる。つまり、成績が悪い原因の反対を答えればよく、こんなことは当たり前でしょうと思うだろう。実は、一見ややこしそうに思える記述問題の答えも先のような問答の延長だと思えばよい。昨日、中学生クラスで表と文章の融合問題の演習をしたところ、記述で手が止まってしまった生徒たち。内容は「(現在)自宅よりも病院で亡くなる人が多い(理由)家庭で看取る仕組みが整っていないから※本文、グラフなどを参照」問「自宅で最期を迎えるためにはどのようにすれば良いか」答え「家庭で看取る仕組みを作ればよい」となる。答えを本文から抜き出したり、あるいは本文を要約することに慣れている彼らにとっては、本文をヒントにして「逆」を答えるということに戸惑ったのだ。学年が上がるにつれて、単純に本文そのものをまとめる…だけではなくちょっとひねることも必要となる。これらの記述演習は夏休みに行う予定。興味のある方はぜひ!
2015/05/22 13:41
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為合わせ
芥川賞作家であり、僧侶でもある玄侑宗久氏がテレビ番組で「幸せ」について紹介していた。もともとは「為合わせ」であり、「めぐり合わせ」だったそう。それが「仕合せ」になり現代の「幸せ」と変化したそうだ。「為合わせ」は「めぐり合わせ」つまり、神様が合わせ為さることで、こうして考えてみると「仕合わせ」は「行なうのは自分だけれども、結果は天からいただくもの」といった感覚があったことが解る。一方、「仕合う」という言葉も有り、それが「試合」の語源だと聞いたことがある。これも「勝ち負けは時の運。運否天賦(運否とは幸運と不運、天賦とは天から与えられるものを意味する)。恨みっこなし」といった潔さが感じられる。ふと「人事を尽くして天命を待つ(人間の能力でできる限りのことをしたら、あとは焦らずに、その結果は天の意思に任せる。) 」という慣用句が頭に浮かんだ。謙虚な心を忘れたくないもの。
2015/05/21 02:26
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