めむろ国語専門塾
- ブログ
小さな国語塾のつぶやき
小論文
ちょうど一か月前に発売になった漫画「銀の匙」の13巻を購入し、昨日読んだ。帯広農業高校をモデルにした漫画で、教え子が農高に進学したため先週の学祭に顔を出したという事情もあり今回も本当に興味深く楽しく読んだ。さて、漫画の中で登場人物二人が無事に大学への推薦をしてもらえることになる場面がある。まずは一段階クリア!と喜ぶのも束の間、今から彼らには「小論文」の特訓が待っているようだ。そう、文理に限らず小論文を課す大学が増えており、特に推薦入試では不可欠。小論文は時間内に与えられたテーマについての賛否や意見を述べるもので、これもやはり日ごろからの「練習」に尽きる。ただ、スポーツ同様にただやみくもに書いて書いて書きまくればいいというものではなく、きちんとした指導の下に練習すると効果が上がる。勉強には時間ときちんとしたやり方、指導が大切。
2015/07/19 08:24
-
-
コメントするには会員登録後、ログインが必要です
金太郎飴
いよいよ本州は夏休みに突入したらしい。北海道は来週で終業式となるわけだが、そろそろ夏休みの宿題(国語)について準備を始めている生徒もいる。なぜなら、文章を書くという宿題は「準備、下書き、清書」まで膨大な時間がかかるから。せっかく、膨大な時間と労力を費やしてするのならばオリジナルあふれる素敵な作品にしてほしいと願う!そこで一言、「金太郎飴にならないこと」とアドヴァイスを贈りたい。読書感想文、意見文、人権作文などなどといった文章を書くと、誰が書いても同じ内容になることがある、つまり優等生の書くような作文で、まさに「金太郎飴」!例えば、「自然:私たちの大事な地球だから、自然を大切にしたい。」「友達:思いやりの気持ちを持って、協力しながらやっていきたい。」「ゴミ:リサイクルをもっとしよう。ごみを減らしたい。」と言った具合に。身近なテーマというのは書きやすい反面、「金太郎飴」的な作品になってしまうリスクがある。その点を踏まえて、よくあるようなテーマの場合はオリジナリティを出すように意識することが大切。
2015/07/18 03:09
-
-
コメントするには会員登録後、ログインが必要です
きっかけ
第153回芥川賞と直木賞が発表になり、特にお笑いコンビ「ピース」の又吉直樹さんの「火花」が芥川賞に選ばれたことが話題になっている。朝日新聞の一面にも受賞者3人のうち又吉さんだけが顔写真がアップになっている。彼の職業が「芸人」だから、意外性があるということか。各方面でも話題になっており、昨日の報道ステーションでの古舘キャスターの発言が物議を醸しだしているという。彼の発言には芥川賞が大衆化、商業主義になっており、芸人であり話題性もある又吉が受賞したのではとの皮肉が読み取れる。だが、芥川賞の9人の選考委員代表として会見を行った作家・山田詠美氏(56)は、又吉の作品が最初の投票から候補5作の中で最も票を集めており「選考会の時に、彼がどういう職業かというのはほとんど出なかった」と語っている。小説家が受賞したらこれほどまでには話題にならないわけだが、彼の受賞が、「活字離れ」が進んでいる今のご時世に「活字離れ」を食い止める新風を巻き起こすきっかけになるのでは?と思ってみている。何ごとも動機は若干不純?であっても「読む」「書く」ことへのきっかけになったり、それを見つけることはとっても貴重だろう。
2015/07/17 16:33
-
-
コメントするには会員登録後、ログインが必要です
自分が書いてみた
「やって見せて、言って聞かせて、やらせて見て、ほめてやらねば、人は動かず。」これは、太平洋戦争連合艦隊司令長官、山本五十六(いそろく)の有名な言葉である。人にものを教えるときは、まず自分が手本となって「相手に見せる」ことが大切だという。思わず身につまされる言葉であるが・・・。時期的に「読書感想文」の問い合わせなどをいただく頃で、人が書くための準備をしている今日この頃だが、昨日ふと「そうだ、自分も書いてみよう」と突然に思い立ち、早速本を読んで原稿用紙5枚びっしりと書いてみた。自分自身について言うならば「書くこと」には慣れているので、さほど苦労はしないが・・・。それでも本を読む→印象に残ったところなどをピックアップ→構成を決める→下書き→清書となると数時間はかかった。正直言って、小中学生が本を読んで既定の枚数まで感想を書くということは大人が想像する以上の労力がかかることを実感。内容もむろん大切だが、「書いた」らもうそれだけで「ほめる」に値するといえる。そのことを踏まえつつ、少しでも楽しく?書けるようあれやこれやと授業内容の構想を練っている。塾生以外の公募は中学生の読書感想文講座のみだが、意見文、作文などで指導を希望する場合は2名以上~応相談有り。
2015/07/16 12:52
-
-
コメントするには会員登録後、ログインが必要です
「台風の目」「アレルギー反応」
「現在強い台風第11号は、日本の南を北上しており大東島地方では14日夜のはじめ頃から、小笠原諸島では15日朝から、大しけとなる見込みです。高波に警戒してください」というニュースを聞いた瞬間にふと思いたったのが「台風の目」。ご周知のとおり「台風の目」とは「台風の中心の風が弱く雲が切れた区域で、晴天。」慣用句としては「激しく動いている物事の中心にあり、それを引き起こす原因となっている人や物。つまり影響力が大きい物事。」を指す。また「アレルギー反応」という言葉も二つの意味があり、単純に「生体が特定の物質(抗原)に対して抗体を作り、再び同じ抗原が入ってきたときに起こる抗原抗体反応のうち、病的な過敏反応のこと。」という生物学的な意味のほかに、慣用句として「 ある物事に対する精神的な拒絶反応。」となる。中学生以上になるとこれらのような、ひねりの効いた表現や慣用句を一言書くだけで読者に対してかなりのインパクトを与えることになる。とはいえ、まだまだ人生を十数年しか生きていないのだから「パッ」と思いつかないだろうからこそ、添削時に一言アドヴァイスする予定。講ご期待!?
2015/07/15 02:50
-
-
コメントするには会員登録後、ログインが必要です
「神返る」
「考える」の語源はの諸説は色々とあるがそのうちの一つを紹介する。「考える」の語源は「神返る」あるいは「神迎える」だとか。迎えるは向き合うという意味で、考えるのは、神と向き合うことで、「そうか、分かった!」と考えつく、考えが湧くことで、実は自分が考えたことは神様から頂いたものという思想。生物学的に言うと「脳のどこそこ部分が働いて、今までの経験などの情報を統合して整理整頓することによって閃く」となるのだろうが、考え方として「神様が閃く」→「一人ひとりの中に神様がいる」と思うとなんだか不思議な気分になり、どうしても考えに行き詰っても必ず何とかなる?!という安心感が芽生えてきそうだなあと感じる。また、言葉の語源を探っていくと昔の日本人の思想や感じ方を共有できるような気がして興味深い。
2015/07/14 14:25
-
-
コメントするには会員登録後、ログインが必要です
公式として覚える
漢文は独特の決まりがあり、その中の一つが「置き字」とひらがな表記にする漢字などなど。書き下し文にするという問では、ほぼ100パーセント「而」は書かなくてよい、「不」はひらがなにするという指定があるのだが・・・。本文を書き下し文にするのに必死になってしまい、注意書きを読み飛ばすパターンが非常に多い!先週の中学生クラスではなんとなんと100パーセント皆間違えてしまった←注意書きを読んでいない!ではどうするか?「置き字」やひらがな書きにする助詞や助動詞はせいぜい数個だけなので、これらの漢字を公式として覚えてしまう方が良い。公式として覚えてしまうと書き下し文にするときに楽に出来る上に、後で問の注意書きと照らし合わせることによって「正解」を確信できる。学校でももしかすると「これは覚えること」「公式だよ」と教えられるかもしれないが、教科書には「公式」!!!と強調されていないため生徒はスルーしがち。漢文に限らず、絶対に大切だと思われる「公式」は何度も何度も出てくるたびに強調して授業を進めている。
2015/07/13 12:50
-
-
コメントするには会員登録後、ログインが必要です
特別な年齢表現
年齢の特別な表現のプリントを作りながら、ふと「還暦にはなぜ赤いちゃんちゃんこ?まあ、赤に関しては①魔除け②赤ちゃんに還るからという二つの意味があるのは納得がいくが・・・」と思い早速調べてみた。実は「ちゃんちゃんこ」とは子どもの袖なしの羽織のことらしく、子供に還る年齢なのでちゃんちゃんこを身につけるとのこと。思わず「成程~」と納得。念のため還暦について説明すると「十干と十二支を組み合わせた干支が一巡し、生まれた年の干支に戻ることで、文字通り、『暦(こよみ)が還(かえ)る』」わけだ。最近では還暦祝いに贈る定番の「赤いちゃんちゃんこ」はあまり喜ばれないため、代わりに赤いシャツやネクタイ、スカーフなどが花束とともにプレゼントしたり、旅行や食事などへ招待したりすることが多いようだ。さて、現代では60歳なんて言うとまだまだ若い?!頑張って米寿や卒寿、白寿を元気に迎えたいもの。
2015/07/12 03:23
-
-
コメントするには会員登録後、ログインが必要です
「例えば」と「しかも」
昨日の中学生クラス、接続語を入れる問題で何人かが同じ間違いをした。正答は「例えば(言い換えの接続語)」で、誤回答が「しかも(累加の接続語)」。確かに、文章の流れから感覚で入れるならば「しかも」になるが、きちんと主語と述語を照らし合わせると「例えば」を入れることが出来る。接続語を入れるために□の前の文章の主語と述語は「気象という言葉は・・・・なかった」で、後の文章の主語と述語は「気象という言葉が・・・・出てこない」と全く同義なので「言い換え」となる。とはいえ□の直後から、たとえ話が延々と続くため「おっ、これは累加だ」と思うのは致し方ない。つまり何が言いたいかというと、「国語は決してセンスではなく論理的に考えて解くもの」ということ。文章を書くのもしかりで、まずは型やルールを守ったうえでセンスなどが生きてくるのである。
2015/07/11 11:30
-
-
コメントするには会員登録後、ログインが必要です
日本語は難しい
毎年夏休みには、芽室の中学校では「意見文」は必ず出される宿題の一つである。必ず課されると分かってるので前もって課題を決めるよう生徒に伝えていたところ、ある女生徒は「日本語は難しい」という内容で書くとのこと。思わず「確かに・・・」と苦笑い。日本語は誰もが認める難しい言語であり、意見文の題材としては比較的書きやすいと思われるが、だからこそ「あれもこれも・・・」とならないようテーマを絞って主張をするよう指導予定。さて、日本語は難しいからこそ、若いうちから少しでも知識や教養として身につけておくといろんな世代の人と付き合う中で「おおっ、なかなか!」と高評価を得ることが出来、いわゆる「強み」にもなる。というわけで次週は、漢文を解きつつ、それに関連して、ある特定の年齢の別称を中学生クラスでは学ぶ予定。こうご期待?!
2015/07/10 13:05
-
-
コメントするには会員登録後、ログインが必要です