小さな国語塾のつぶやき
理系と文系
「B型だから~~~(ちょっと個性的)」といった血液型占い?は今も昔もいまいち興味がない。なぜなら、人間の性質というものを少なくとも4つで完全に分けることはできないからだ。むろん、本人が自虐的に、あるいは話題提供のため「自分はA型だから、几帳面なの」「A型なのにB型みたいでしょ?」と言う会話は場を盛り上げるための発言ならば大歓迎であるが。それぞれの人間が几帳面な部分とそうでない部分などなどを併せ持っており、線引きするのは賛成できない。さて、科学者である池内了氏は著書などでたびたび「文科系と理科系に分断されている現状の問題点を挙げ、それらを融合させるべきだ」という主張を繰り返している。中学3年生の国語教科書では「博物学」を例に挙げて説明している。また、エジプト考古学の第一人者である吉村作治氏が「考古学と科学」を融合させる考え方を打ち出している。個人的には彼らの意見には賛成であり、「自分は専門家ではないから~」や「自分は典型的文系人間だから」「自分は理科系だから難しい文学や文章を書いたり読んだりするのは無理」と決めつけない方がよいのではと常々感じている。
2015/06/15 14:19
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ビートたけしさんは「映画を作る際のストーリー展開には数学的な考え方(因数分解)が必要」といったことを話していた気がします。
今私は英会話に通っていますが、学生時代に「英語は数学的な公式で理解できる」と言って受験英語を乗り切りました。が、この場合の文系と理系の融合は誤りだったと痛感しています(英語を「解く」感覚では会話できません…)。2015/6/17 16:04 返信
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コメントありがとうございます。確かに・・・受験英語となると暗記、公式的な要素が強いですが会話となるとまた違いますね・・・。だからこそ?英語でのコミュニケーションは得意だけど、試験の英語はイマイチというタイプがぞくしゅつするんですね。理想は、受験英語も会話も両方OKでしょうか。
2015/6/18 14:03 返信
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