小さな国語塾のつぶやき
迷子になるべからず・・・
以前にも書いたことがあるが、自家用車に「ナビ」を搭載したことがないし、基本的には今後も搭載する予定はない。理由は複数あるのだが、そのうちの一つがイメージ力を鍛えるため、言い換えるとボケ防止とも言えるかもしれない。ナビを搭載していないため初めての場所に行くまでの準備には時間がかかるし、時には迷うことも。なぜ準備に時間がかかるか?地図を何度も見てルートをイメージして頭に叩き込んで・・・を何回も繰り返すから。とはいえ、北海道の市街地は碁盤の目になっていることが多いので今では住所を聞いた瞬間におおよその場所は分かるので最近はほとんど迷うことはないが。さて、イメージ力を鍛えると書いたけれど「地図」を見ることは最高の訓練になると自負している。まず出発地点と目的地をチェックし最短のルートを地図上であれやこれやと練るのだが、これは意外と文章を書く時と似ている。文章を書く時は主張、結論(出発地点と目的地)をしっかりしておかないと支離滅裂の・・・いわゆる迷子の文章になってしまう。先日、某生徒が「区別と差別の境界線が難しい」といった主張で意見文を書き始めたのだが・・・。本人としては具体例をいくつか挙げて「この場合は自分は区別だと思うけれど、差別だと思う人もいるだろう。」「別のケースでは自分は差別だと思うけれど、立場が違えば区別になる。」☞人によって「区別」となるものが別の人にとっては「差別」と感じる☞「区別と差別と線引きすることは難しい」とまとめる予定だった。が、が、が、何日かに分けて書いているという事情もあり、具体例を書いた後に「あれ?これって僕は差別って言いたかったっけ?それとも区別だっけ???」に始まり、「区別と差別の境界線が難しい」という主張(ゴール)を完璧に見失い、すっかり自分自身が迷子になり、設定したテーマにどっぷりと飲み込まれている状態。流石に「区別だろうが差別だろうが、君が今、正直に思うほうを書けばいい。ただし、大切なのはこの具体例が差別なのか区別なのか?ではなく『区別と差別を分けることが難しい』と言いたいわけだよね?ゴール地点の主張をしっかりと意識して、忘れないように!!!」と伝えた。つまり、実際の道路だろうが文章だろが途中経過は、その日の気分によって変えることはあってもいいけれど目的地だけは見失わないようにしなくてはゴールにたどりつけない。時には機械に頼りながら、人に頼りながら・・・でOKなので究極は自力で出発地点から到着地点まで迷わずに行けることが目標か。
2018/04/24 21:39
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