小さな国語塾のつぶやき
「余計な一言」
「かつて『頑張れ』は、特に人を嫌な気にさせない普通の言葉でしたが、ここ10年くらいは、逆に言われた側を疲れさせるような言葉になってきている。ひどいときには、言われたほうの心が折れてしまうような言葉に変化しています。そもそも最近では、『頑張る』という情熱やエネルギーをあんり感じられない人も増えてきています。」(「余計な一言」2014.7.20初版発行 斎藤孝著 P165より引用)。斎藤孝氏は1960年生まれ、確かに氏が幼い頃だといわゆるスポコン(スポーツ根性)漫画の全盛期で「頑張ればなんとかなる」という根性論は当たり前だった。氏より年下の自分も目上の方々から「頑張れ」「根性だ」という指導を受けたため自然にそういった言葉や感覚が身についているのだが・・・・。確かにここ10数年は「頑張れ」と言っていいものか迷うことが多くなっている。「頑張れ」という言葉が相手の心に通じないこともあれば、逆に「頑張っている」人に対して「これ以上どう頑張ればいいのだろう」と思わせるのではないか?と躊躇してしまう場合、さらには「頑張りたくても頑張れない」状態のタイプもいるからだ。自分は「頑張れ」と言われて育ち、幸い?!「頑張る」ことができる条件がそろっており今に至るのだけれど、それはあくまでも自分であって万人に当てはまるわけでは無論ない。そんなこんなで最近は特に受験生には「いよいよ明日が受験」という場合には「信じてるからね~。」と言って送り出すようにしている。「信じる」ではなく既に「信じている」ということを意識して伝えているつもり。過度なプレッシャーでもなく、かといって見捨てるわけでもない気持ちを伝えるには「信じてる」がいいかなあと思っている。ちなみに斎藤氏は「気楽にやっていこう」「力まずに続けていこう」「元気にやっていきましょう」「楽しく働きましょう」という言葉を使っているそうだ。ただ。。。斎藤氏はプロ中のプロなのでその場に応じてベストの声掛けを自然になさっているだろうが、先に挙げたこれらの言葉もやはり結局は相手を見てケースバイケースで使わなくては!と参考にはするけれどオールマイティーではないなあと思う。逆に言うと、すべての人に当てはまるぴったりの言葉やメッセージがあるわけではない、だからこそ自分自身にぴったりの言葉を相手からかけてもらった時の嬉しさはもう言葉では言い表せないぐらいだ。相手にぴったりの言葉が見つからなくても、せめて「余計な一言」にならないようにとまずは心がけようっと。
2018/02/26 18:04
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