小さな国語塾のつぶやき
茶わんの中の顔
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)と言えば怪談話が有名。八雲の名前を知らなくても「耳なし坊一」の話は耳にしたことがある!という人が多いのでは?さて、彼の作品の一つで「茶わんの中の顔」という短編がある。茶わんに自分とは別の人の顔が映るのだが、主人公はそのお茶を飲み込むのである。その夜、茶わんに映った顔本人の幽霊が現われるが、刀で切る。翌日には昨晩、刀で切られたという幽霊の部下(これもやはり幽霊)が現われるが、これも刀で切る・・・という場面で話は終わる。話の続きはおそらく作者(八雲)の中ではあったのだろうが、物語はここで終わっている。正直言って以前は、この中途半端な終わり方?に対してモヤモヤとしていたのだが、最近再び読み返してみると「面白い!」と感じる。なぜならば、以前に書いたように小説の大切な要素は「盛り上がり、裏切り、ドキリ」の「3り」であり、まさにこのすべての「3り」を満たしているからである。究極は最後の終わり方の「裏切り」である。中途半端な?終わり方をすることによって、読者を裏切っているが、そこからどんどん想像が膨らむのである。ここからの続きはそれぞれ皆違うだろうが、このブログを読んで下さっている方はどんな終わり方を想像するか?素晴らしいエンドを思いついたらぜひご一報を。
2016/03/01 14:09
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